第42話 激戦! 予選会(その6)

(すごい)

シーリンは感動していた。あのカリーという青年の作り出した音楽が、なんと自分を動きやすくしてくれていることか。さっき会ったばかりだというのに、まるで生まれる前から巡り合うことが約束されていたかのように、ぴったりと合っている。合っているだけではなく、自分の知らない自分をあの人は引き出してくれている、と黒髪の少女は感じた。今まで何を望んで生きてきたのか、これから何を目指して歩いていくのか、それをこれから知ろうとしている、とシーリンの胸は高鳴る。もう何も迷うことはない。予選に通るかどうかなど、あまりにちっぽけなことだ。今はただ心が導くままに歌って踊ればいい。

(行こう)

その思いは他の4人も同じだった。熱い思いが小さく細い身体をひたすらに動かし、生命と精神の力がほとばしり、舞台から劇場へと溢れ、さらには街にまで噴きこぼれようとしている。少女たちはこの追い詰められた状況で、さらなる成長を果たそうとしていた。


(やはり思った通りだ)

カリー・コンプは演奏に一層熱が入るのを感じていた。あの子供たちに触発されたのだ。彼が5人を助けたのは、義侠心によるものではなく、ましてセイジア・タリウスにアピールしたかったからでもない(女騎士に声をかけられるまで少女たちと関係があることなど知らなかった)。芸に携わる者として、彼女たちに可能性を感じて、それを知りたかっただけなのだ。純粋に技術だけを見れば、この娘たちよりも優れた踊り手はごまんといる。だが、それでも「何か」が確かにある、と吟遊詩人は予感して、それが当たった、ということだ。

(きみたちがわたしを高め、わたしがきみたちを高める)

カリーが少女たちに合わせているだけでも、逆に少女たちがカリーに合わせているだけでもなく、お互いが懸命に演じている中で、それが相乗効果をもたらしていく。まさに理想的な関係というべきだった。

(「懸命」か。まさにそれだ。それがわたしに足りなかったものだ)

もちろんいつでも彼なりに命を懸けて演じているつもりだった。しかし、それは「つもり」でしかなく、何処かで小賢しく計算してしまっていたのは否定できなかった。セイジア・タリウスに捧げた愛の歌が彼女の心に響かなかったのも、そういう点にあるのではないか。彼女の愛を得たい、というよこしまな思いが熱演にほんのわずかに傷をつけたのだ。

(ここを乗り切れば、わたしは違うわたしになれる)

カリーは確信する。ここが命を懸ける場所なのだと。そして、それ以上はもう考えなかった。命を懸けるべき時に何を思うことがあるのだろうか。稀代の才能を持つ吟遊詩人の演奏に一段と熱が入り、それは少女たちの演技のレベルをさらに高めることとなった。5人の歌声が調和し、それは舞台から天井をすり抜け、そのまま空へと流れていくようにも思えた。


雷鳴轟く戦場いくさばに ほむらに輝くますらお一人

赫奕かくやくたる光条 いさおしのあかしなり

我は 我こそは 力あふるる強者つわもの

疾走はしる 駆ける 一角獣ユニコーンのごとく

されど 英雄たるもの 情けを忘るることなかれ

そして再び 闘いの地へ


5分間の演技が終了すると、場内は静寂に包まれた。

(あれ? やっぱりダメだった?)

セラの目に涙がにじむ。今度はさっきとは段違いの出来だったが、それでも観客には受け入れられなかったのか。やはり不合格なのか、と落胆しかけたそのとき、さざなみのように拍手が起こり、それはやがて勢いを増して大波へと変わった。5人とカリーのパフォーマンスは素晴らしいものとして評価されたのだ。自分たちを褒め称える人々の顔が、泣いているせいでショートカットの娘にはよく見えない。

「は、ははは、ははは」

なんだよ、それならもっと早く褒めてよ。無駄に心配しちゃったじゃないか。そう言いたかったが、短い時間に力を使い切ってしまったので口には出せない。ふらつく身体を左右から仲間が支えてくれた。

「やったね」

「やったな」

左からヒルダが、右からイクがささやいてきた。2人も笑いながら泣いていた。

「さあ、みなさん」

カリーが近づいてきた。シーリンとシュナに手を引かれている。自分一人では歩くにも不自由な思いをする人があれほどの演奏をしたことを、そして見ず知らずの自分たちを助けてくれたことに、少女たちは深く心を動かされる。この世界は悪い事ばかりで出来上がっているわけではない、と「ブランルージュ」への出場を目指す過程で子供たちは学んでいた。それは歌と踊りを覚えるよりも大切なことなのかもしれなかった。

「お客さんにお礼を言いましょう」

吟遊詩人に言われて、今すべきことを思い出す。そうだ。自分たちの演技を見てくれた人たちにも感謝を伝えなければならない。しかし、礼儀だから決まり事だからやるわけではなく、そういう気持ちが自然と湧き起こってもいたのだ。未熟で稚拙な歌と踊りを見てくれて本当にありがとう。そう言いたかった。

「ありがとうございました!」

頭を下げた幼い少女たちに観客は惜しみなく拍手を送った。


(不明を恥じなければならんな)

拍手をしながらジャンニ・ケッダーは深く溜息をついた。

(あの子たちの才能を見抜けないとは、プロデューサー失格だ)

演技が始まるまで、彼の関心は吟遊詩人に集中し、少女たちは添え物にすぎなかったのだが、それはとんでもない誤りだと今なら理解できた。彼女たちのパフォーマンスは、ジャンニのような見巧者をも唸らせる圧巻の出来栄えだったのだ。それに加えて、5人の最初の演技はあまりにひどくて評価できなかった、という言い訳もできないのがつらいところだった。カリー・コンプは彼女たちの真価を感じ取ったから、飛び入りしてまで助けたのだろう、とようやく見当がついた。自分には見えないものが、吟遊詩人には見えていたのだ。

(それにしても、やはりカリー・コンプは素晴らしい男だ)

ジャンニは初めて目の当たりにした吟遊詩人に惚れこんでいた。少女たちの能力を引き出したハイレベルな演奏の技術もさることながら、黒子に徹して5人をしっかりと援護した犠牲的な精神にも深く心を動かされたのだ。望めばいくらでも主役になれる男が、自分から脇に引いて他人の成功を助ける姿は気高いとしか言いようがなかった。

(まさに「楽神」だ。ぜひともわが社と契約して、わが劇場でロングランをしてもらうのだ)

芸能界の大物は強く思っていたが、生憎と言うべきか、予選会の審査はまだ途中なので席を立って話しかけるわけにもいかず、子供たちとともに舞台を去っていく吟遊詩人をただ黙って見送るしかなかった。


「馬鹿じゃないの、あいつ」

アゲハは怒り狂っていた。赤い瞳からそのまま血の涙を流しそうになっているのに、傍らのダキラは困惑していた。気まぐれな歌姫がへそを曲げてキレるのは珍しくないが、そういった癇癪には演じている要素も多分にあって、「怒ってみせる」ことによって周囲の人間を操ろうとする思惑もあるのだ、と常に行動を共にしている青年は気づいていたが、目の前の「少女」が今怒っているのは純粋な感情で、それは彼も見た覚えがないものだった。

アゲハの怒りはカリー・コンプ一人に向けられたものだ。「彼女」は吟遊詩人の才能を否定してはいない。むしろ逆に最大限に評価した、といっていい。カリーには才能がある、というのは誰にでもわかるが、凡人にはその入り口までしか見えないのに対して、アゲハは奥深い部分まで見通していた。自分と同じように豊かで巨大な能力に満ち溢れた人間と初めて会ったことに心を揺さぶられていた。しかし、天才であることは同じでも、アゲハとカリーには決定的な違いがあった。

(なに? 世のため人のために尽くそう、っていうの? 善人を気取ってんの? 神様にでもなったつもり?)

歌姫はもっぱら自分のためにだけ力を使っているのに対し、吟遊詩人は他人のために力を使うのもいとわないようだった。そして、それはアゲハにはどうしても許しがたいことだったのだ。才能とは生まれつき自分自身に与えられたもので、それを磨いて伸ばしていくのも自分にしかできないことだ。だから、自分のために力を使うべきなのだ。それで利益を得て何が悪いというのか。そのように考える若き天才にとって、カリー・コンプの振舞いはおのれの才能の冒瀆としか考えられないものだった。自分を大事にしない愚か者にアゲハは心の底から憤っていたのだ。

「でも、そうね」

怒れるだけ怒ってからマズカ帝国から来た天才歌手は気を取り直す。感情的になっている自分が馬鹿らしくなった、というのもあった。

「自分のことがわかっていないお馬鹿さんを、教育してあげる必要があるのかもね」

吟遊詩人への執着が心に生じかけているのをアゲハは感じていた。「好きの反対は無関心」とよく言うが、彼に対してここまで激昂した、というのは逆に言えばあの青年にかなり関心がある、ということを示しているはずだった。音楽の才能が間違いなくあり、遠目からでも美形だとわかる彼と一度間近に接してみるべきなのだろう、と思って「少女」はほくそえんだ。同じ天才で同じ銀髪の持ち主なのだ(アゲハは鮮やかな銀色で、カリーはくすんだ色だが)。何らかの縁はあるのかもしれない。そう思って、もう一度ほくそえむ。14歳にして﨟󠄀たけた悪女にしか見えないその姿に、ダキラ・ケッダーは複雑な思いに駆られる。

(おれは嫉妬しているのか?)

ふだん他人に興味を向けることのないアゲハがあの吟遊詩人を熱心に見つめているのに、焼きもちを焼いているのか、と自分に問いかける。それもあるのかもしれない、と認めながらも、それだけではない、という気もしていた。何故か歌姫は気づいていないようだが、他の参加者を潰そうとする「彼女」の目論見は破られたのだ。アゲハの思い通りに物事が運ばなかったのに、本人よりもダキラの方がショックを受けているのが奇妙であった。

(これで終わってくれればいいが)

大柄な青年はそう思ってから、「おそらくそうはならない」と予感していた。この予選会だけではなく、これからずっと先の自分とアゲハとの道筋が見えなくなっていくのを、ダキラは感じ取っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る