第25話 少女が拳銃使いになるまで(その7)

リアス・アークエットとノジオ・Aはモクジュ諸侯国連邦第4の都市ガンメダにやってきていた。少女を一人前だと認めた後も男は仕事をまかせることはなく、

「よちよち歩きのお嬢ちゃんにはお守りが必要だ」

と必ず一緒に行動していた。それを不満に思いつつも安心もしていたので、リアスは特に異議を申し立てずに、仕事をこなし続けていた。「コルト」のマダムに、

「ノジオはあなたが心配なのよ」

と言われていて、それを嬉しく思う気持ちもあった。

その日の依頼は早々に片付いてしまい、2人は連れ立って歩いていた。少女にとっては初めて来る街だったので、男に案内してもらっていた。

「おれはあまり好きな場所じゃないし、正直来たくもなかったんだが」

「どうして好きじゃないの?」

黒い手袋が遠くを指さした。灰色の巨大な建物が高くそびえている。

「あれは?」

「監獄だ。それも凶悪犯専用のな」

「もしかして、昔入っていたとか?」

「馬鹿言え。あそこに入ったら10年は出て来られないんだ」

少女にからかわれた男は苦い顔で煙草をふかす。

「ただ、まあ、当たらずとも遠からず、ってところかもしれん。あそこには知り合いが何人か入ってるんだ。再会したくはないもんだがな」

鋭い眼光がリアスを射て、

「おまえさんもあそこにリハウスしないように気を付けろよ」

「うん、わかった」

少女は素直に頷いた。遠くから眺めるだけで冷たい気持ちになる建物だ。中に入ればどんな目に遭うかわからない。

それからまたしばらく歩いているうちに繁華街に出た。通りに並ぶ店舗を興味深そうに眺める弟子を、

「おのぼりさんだと思われるぞ」

と師匠がからかったが、そんな少女の表情が不意に固まり、身体が震え出した。

「おい、どうした?」

「ごめん、先に宿屋に戻っておいて」

そう言うとリアスは駆け出した。思いがけないものを見つけてしまい、確かめずにはいられなかった。角を曲がったところで、小さな男の背中が見えた。両肩に材木を担いでいる。間違いない、昔会ったことのある人物だ。

「トマ!」

少女の叫びに振り返った男は、材木を落としてしまう。驚きで目が大きくなっている。

「おまえ、まさか、リアスか?」

リアスは目を潤ませながら黙って頷いた。アークエット一座の踊り子とナイフ使いはガンメダの街で再会を果たしたのだった。


「でっかくなったなあ、おまえ」

酒場に入って同じテーブルに着くなり、トマはリアスの全身を眺めまわした。一座にいた頃に既に身長で並ばれかけていたが、今ではすっかり追い越されていた。諸行無常だ、と思う小男に、

「3年ぶりね」

と少女が呟く。ああ、とだけ、トマは返事する。短い言葉のやり取りに万感の思いが込められているのを2人だけが知っていた。

「どうして木なんか運んでたの?」

不思議そうに訊ねた娘に、

「そりゃあ、今のおれは大工だからな」

「だいく?」

素っ頓狂な叫び声を上げた娘に男は両手をテーブルの上に置く。醜く黒ずんだ2つの手を見たリアスはかろうじて悲鳴を飲み込む。

「あの夜、ヤクザどもに両手をやられたんだ。レンガで、ガーンガーン、って何度も叩かれて、痛いのなんのって。今じゃなんとか治って、日常生活には問題ないんだが、ナイフ投げはもう無理だ。握力がなくなって、細かい感覚もなくなっちまった」

トマのナイフ投げは彼の繊細な感覚があって初めて成立するのは少女にもわかっていた。ショーに全身全霊で取り組んでいた男が、夢を断念せざるを得なかった無念さが、彼女には痛いほどわかった。

「わたしと同じね」

「え?」

「わたしもあそこで左足を折られて、もう踊れなくなっちゃったの」

そんな、とトマは心底落胆した様子になる。そして、

「おまえの歌と踊り、最高だったのにな」

と褒めてくれた。一緒に旅した頃には文句しか言われなかったのだが。

「あなたのナイフ投げ、わたしは好きだった。的になっても全然怖くなかった」

「そりゃそうだろうさ。おれのは天下一品だったからな」

男は胸を張ったが、空元気なのが見え見えで、少女はかえって悲しくなる。

「それでどうして、大工になったの?」

「生きていくためには働かなきゃいけないんで、何か他の仕事を探すことになって、それで大工を選んだんだ。ナイフを使ってたんだから、刃物を使うなら似たようなものだろう、と思ってな。まあ、適当すぎる話なんだが、なんとか続けられているから、案外向いてるのかもしれない」

と言ってから、

「おまえは今何をしてるんだ?」

少女に訊ねる。彼女はかすかに微笑むと、テーブルの上に、ごと、と音を立てて黒光りする拳銃を置いたので、トマの目が丸くなる。

「賞金稼ぎをしてるの。これを使ってね」

はーっ、と感心した様子で元ナイフ使いは頭を大きく動かして、

「人間変われば変わるものだ」

とだけつぶやいた。否定的な感じは受けなかったので、リアスは「そうね」とだけ言って、拳銃をホルスターに収める。そして、

「これは最初に言わなきゃいけなかったんだけど」

しばらく黙ってから、

「ロザリーとクリフは死んだわ」

とトマに告げた。向かいの男は無言で頷き、

「おれも言わなきゃならんことがある」

と言ってから、

「親方は死んだ」

とリアスに告げた。

「そう」

黒い服を着た少女も頷く。お互いに仲間の死を覚悟していたのでさほど驚きはしなかった。しかし、それでもショックを受けないわけがなかったので、2人はしばらく黙って、運ばれてきた飲み物にも手を付けなかった。

「今のおまえをロザリーと親方に見せたかったな」

最初に口を開いたのはトマだった。

「え?」

「だって、見違えるようだぜ、すっかり別嬪さんになって」

リアスは笑って首を横に振る。

「わたしは見られたくないわ。だって、自慢できることなんて何もないもの。賞金稼ぎをやってる、って知ったらロザリーは怒りそうだし」

「それは違うな」

トマは笑ってビールを飲むと、

「おれの方がロザリーとは付き合いが長いからわかるんだが、あいつはおまえを怒ったりしないよ。どんな形だろうと生きていてくれてありがとう、って笑うに決まってる。それくらい、あいつはお人よしなんだ」

小男の目に涙がにじんだのを見て、少女の目にも涙が浮かぶ。彼の言うことが正しい、と思ったのだ。そして、ロザリーの優しさを思い出し、優しい女性がもうこの世にはいないことも思い出していた。それから、トマにロザリーとクリフの最期を詳しく説明した。つらいことだったが、かつての仲間に語らなければならない、と責任感を感じてのことだった。長い話を聞き終わってから、

「すまなかった」

トマはリアスに頭を下げた。

「ちょっと、どうしてトマが謝るの?」

「まだ小さいおまえにそんなつらい思いをさせて本当に悪かった。本当だったら助けに行かなきゃいけなかったのに、おれも自分のことで手いっぱいだったんだ」

皮肉しか言わなかった男が素直に頭を下げているのを見て、この3年間が彼にとっていかに苛酷だったか、リアスにもわかる気がした。

「謝らなくていいから、トマにも話してほしい」

少女が穏やかにそう言うと、小男は「そうだな」と言ってゆっくりと話し出した。彼の話もリアスと同じく長いものになった。

「あの夜、やくざたちに宿屋から連れ出されて、親方とおれとペロの3人はボコボコにされたんだ。で、さっき言ったように、おれは手を潰されて、親方は鉄の棒で頭を割られてピクリとも動かなくなっちまったんだ。ああ、やべえな、と思ってたら、そこへクリフが殴り込んできて大暴れして、『早く逃げろ』と叫んだから、おれとペロは親方を担いで逃げたんだ。まったく、クリフには一生感謝しなけりゃいけねえな」

命の恩人だぜ、とビールを口にしてからトマは話を続ける。

「世の中には親切な人もいるもんで、傷だらけのおれたちを馬車に乗せてくれて、イーオの街から逃げることができたんだ。その人は田舎に住んでいるんだが、空き家も紹介してくれて、そこでおれたち3人は傷を治すことにしたんだ。それからお前たちを探すつもりでいたんだが」

そこで長い間黙ってから、話を再開する。

「おれとペロはそこまでひどい怪我ではなかったんだが、親方が全然目を覚まさなくてな。医者に診てもらったら、『この人はもう起きない』ってはっきり言われて、そのときは地面がなくなっちまった気分になったもんだ。なんといっても、親方あってのアークエット一座だからな。この人がいればどうにかなる、って思ってたし、ナイフ投げは無理でも別の芸を身に着けてまたやっていこう、ってその時までは思ってたから、目の前が真っ暗になって、どうしていいかわからなくなっちまった」

「それでどうしたの?」

リアスに先を促されてトマは頷く。

「でも、だからといって、親方を見放せるわけがないから、おれとペロの2人で面倒を見てたんだ。おれはようやく手が動くようになったから、畑仕事を手伝って、ペロは木こりとかいろいろやって、それで半年くらいやっていて、『もしかしたら、奇跡が起こって親方も起きてくれるんじゃないか?』とか虫のいいことを思ったりもしたんだが、でも、そうはならなかった」

酒場には客が増えていた。外はもう夜になっているのかもしれない。

「ある日のことだ。畑で働いてると、天気が急に悪くなって、雨に降られたらかなわないと思って、急いで家に戻ったら、人が大勢いたんだ。驚いていたら、ちょうどペロが連れていかれるところで、わけがわからないから近所の人に訊いたら、『あの男が寝たきりの人を殺した』って言うから愕然としたんだ。おれはいっぺんに親方も仲間も失くしちまった」

「そんな、信じられない」

ペロは善良な男で、座長のことも信頼していた。そんな凶行に及ぶなど、リアスには信じられなかった。

「おれだって信じられなかった。でも、親方の死体には首を絞められた跡があったし、警察の人に相談したら、ペロと会って話をすることができたんだ。そうしたら、あいつは『親方が急に目覚めて、殺してくれ、って言うからその通りにした』って言うんだ」

トマは少女を見て、

「リアス、おまえはどう思う?」

と訊ねた。

「ペロの言う通りだと思う。ペロは嘘なんかつかないもの」

嘘をつく以前にろくに口も開かない物静かな人だった、と少女は思い出す。

「おれもそう思った。だが、おれ以外はそうは思わなった。ずっと眠ったままの人がいきなり目覚めるわけがないし、世話をするのが嫌になって殺したんだ、とみんな考えて、弁護士までペロの言うことを否定したんだ。でもなあ、もし本当にそうだったら、少しは隠そうとするだろ? あいつは馬鹿正直に『親方を殺した』って自分から名乗り出たんだぞ。捕まって監獄に入れられるのは仕方ないとしても、ペロの話を真剣に受け取ってくれる人がいなかったのが、今でもおれは悔しくて仕方ないんだ」

ナイフ投げだった男は無念さに手を握りしめ、少女はそれを見守るしかない。

「運の悪いことにあいつには前科があった。こそ泥だが、それでも罪は罪で、裁判ではそれも考慮されて、結局あいつは無期懲役の刑だ。いつ出てこられるかわかったもんじゃない」

「もしかして、あの監獄に入れられてるの?」

少女はさっき見たばかりの巨大な建造物を思い浮かべ、そうだ、とトマは頷く。

「あいつが出てくるまでこの街で待つことにしたんだ。おれが身元引受人になったから、たまには面会に行って差し入れもしてやれる。あいつは何を考えてるかわからないやつだが、おれと会うとほんの少しだけうれしそうに見えるんだ。まあ、おれがそう思いたいだけかもしれないが」

「そんなことない。ペロは本当に喜んでるのよ」

少女はそう言ってから、かつての仲間が苦境にあるのに、それを知らずにいた自分を申し訳なく思った。そして、何か出来ることはないか、と考えたが、

「余計なことは考えなくていい」

背の低い男に先に釘を刺されてしまった。

「え?」

「おまえはロザリーによく似て優しいからな。おおかた、おれたちのために何かしようと思っているんだろうが、そんなことはしなくていい。おまえはもうロザリーのために十分すぎるくらい頑張ったし、まだ子供のおまえに何かさせようものなら、あの世に行ったときに親方にどやされちまう」

それは勘弁願いたいんでな、とトマは苦笑いをして、

「おまえは自分のことを考えるんだ、リアス。賞金稼ぎ、大いに結構じゃないか。おまえがヤクザをぶちのめした、って聞いて、多少気は晴れたしな。おまえが何処かで頑張っている、と思えば、それだけでおれも頑張ろうと思えるし、ペロの帰りを待とうとも思える。アークエット一座の人間として生きていてくれれば、おれにはそれだけで十分だ」

皮肉屋らしからぬ熱い言葉を耳にした少女はしばらく考えてから、

「わかったわ、トマ。そうさせてもらう」

「ああ、そうしてもらうと助かる」

銅貨をテーブルの上に置いてから立ち上がり、

「でも、今日はわたしのおごりにさせてもらうから」

と言うと、小男は「悪いな」と言いながらも顔を上げなかった。かつての仲間との間に横たわる懸隔を感じながら、リアスは店を出て行った。


月の光に照らされた荒野で、リアスとノジオはそれぞれ馬にまたがっている。もう一晩泊まってもいい、と少女は思っていたが、男が出発したがったので、

「ガンメダの街が本当に嫌いなのね」

と思ったものの、特に反対する理由もないままに一緒に街を出ていた。

知らず知らずのうちに、彼女の口から歌声が漏れていた。座長のバンドネオンにのせて、ロザリーと2人でよく歌って踊った曲だった。青い満月の下で決して結ばれることのない男女が愛を交わす悲しい恋の歌で、今にして思えばちっとも子供向けではなく、さっぱり意味のわからないままに踊っていたものだが、こうやって今歌っていると、なにやら胸が締め付けられる思いがするのが自分でも不思議だった。知らぬ間に大人になっていたのだろうか。

すぐ横から拍手が聞こえてきて、リアスは我に返る。師匠が仏頂面で手を叩いていた。

「ごめん。つい歌っちゃってた」

顔を赤くして恥じ入る弟子に、

「謝ることはない。むしろこんなに上手い歌を聴かせてもらってありがたいくらいさ。おひねりを渡したほうがいいか?」

やめて、とリアスは拒絶したが、男は冗談を言っているわけではなく、本気で感心しているようで、

「そんなに上手なら『コルト』で歌えばいい。今ちょうどナンダが歌い手を探しているんだ。結構いい稼ぎになると思うが」

「だから、やめてってば。踊れなくなってから歌も全然下手になっちゃったんだから」

リアス・アークエットにとって、歌と踊りは独立したものではなく、「歌と踊り」として連動した存在だった。だから、踊れなくなれば、歌えなくなるのも当然だと思っていたのだが、

(あれで下手だと?)

ノジオは驚愕するばかりだった。今聞いた歌声は彼の人生で聞いた中で一二を争うほどの美しさだったにもかかわらず、だ。全盛期の少女に出会わなかったことを黒ずくめの拳銃使いは後悔する気持ちになっていたが、それ以上に、

(おれのしたことはよくなかったのかもしれん)

という思いの方が強かった。素晴らしい才能の持ち主を拳銃使いにしてしまったのはまずかった、と初めて考えていた。もっとも、彼女と初めて出会った状況で他の選択肢など存在しなかったわけなのだが。

「世の中は需要と供給で成り立っている」

いきなり妙なことを言い出した男を少女はいぶかしげに見る。

「まともに貯金もできない人に経済の講釈をされても困るんだけど」

「いいから聞け。ある人が『必要ない』と思っているものが、別の人には必要だったりする。価値観は人それぞれだからな」

ノジオは空に浮かぶ月を見上げてから、

「おまえが自分の歌を下手だと思っていても、それを聞きたがる人がいるかもしれん。そのときは遠慮しないで歌ってやれ。おれが言いたいのはそれだけだ」

少女はもう一度中年男を不審げに見てから、

「なんだか師匠みたいなことを言うのね」

とにやにや笑った。

「そりゃそうだ。おれはおまえのれっきとした師匠だからな」

明らかにむっとしている拳銃使いを見てもう一度笑ってから、リアスは前に向き直る。言っている意味はわからなかったが、ノジオが自分を思いやってくれているのだけはわかった。それから何年か後、アステラ王国である出来事を体験して、彼女はこのときの師匠の言葉の意味にようやく気づくこととなる。

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