第26話 少女が拳銃使いになるまで(その8)

季節はようやく春めいてきて、街をゆく人の顔には喜びがあふれ、その動きにも活力がみなぎっていた。気温の上昇だけが、人々に元気を与えたのではない。長きにわたる戦争の終結が、国中に希望をもたらしていたのだ。

「大したもんだな、このお嬢ちゃんは」

ノジオ・Aが新聞を見ながらつぶやいた。いつものように、弟子のリアス・アークエットと一緒に街の食堂で朝食を摂り終えたばかりだった。

「セイジア・タリウスとかいう人?」

「ああ。まだ20歳にもならないのに騎士団長をやっているだけでも十分すごいが、今まで誰も止められなかった戦争を止めたんだからな。金一封を差し上げたいくらいだ」

男が読む前に少女も新聞に目を通していた。セイジア・タリウスは敵だったアステラ王国の騎士だというのに、モクジュ諸侯国連邦の新聞もどこか畏敬の念を持って扱っているのが印象的だった。

「まあ、うちのお姫様も、『金色の戦乙女』に決して負けちゃいない、っておれは思ってるけどな。1対1ならいい勝負をすると思うぜ」

人の悪い笑みを浮かべた師匠に、

「冗談言わないで」

と弟子はつれなかった。

(あんな偉い騎士とわたしなんかじゃ世界が違うもの。関わり合いになるわけがないわ)

この思いが大外れだったことはいずれ明らかになるわけだが、そこへ、どたどた、と誰かが近づいてきた。グレイの背広を着た初老の男だ。

「よう、カッシーナ。相変わらず四角い顔だな」

「親がくれたものだからな。迂闊に変えちゃいけない」

いつものやりとりを交わすと、カッシーナは2人と同じテーブルについた。

「おはよう、カッシーナさん」

「おはよう、リアスちゃん。今日もかわいいね。ノッさんにいやらしいことをされたらすぐに言うんだよ。おじさんがボコボコにしてやるから」

「ご心配には及ばないわ。わたしひとりでボコボコにしますから」

「おまえら、いい加減にしろ」

渋い表情を浮かべる下膨れの男を見て、他の2人は笑い声を上げる。カッシーナはかつてノジオとともに賞金稼ぎをしていたのだが、身体にガタが来たのと所帯を持ったのをきっかけに引退して、今は一種のエージェントとして、賞金稼ぎに仕事を斡旋していた。

「それで、今日はどうした? おれは今のところ金には困っちゃいないが」

「こっちが困ってるんだよ。どうしてもあんたに引き受けてもらないといけない仕事がある」

四角い顔が苦渋に満ちるのを見て、「ほう」と黒ずくめの拳銃使いは煙草に火をつけた。

「詳しく話してみな」

「最近、このあたりで人が次々と撃たれて死んでるんだ」

「そりゃ悲惨だ。だが、残念ながらそれほど珍しいことでもないし、わざわざおれが出張ることとも思えんが」

涼しい顔をしているノジオに、

「撃たれたのはみんな拳銃使いだ」

「え?」

カッシーナの言葉にリアスは思わず声を上げてしまい、ノジオもいったん動きを止めてから、にやりと笑う。

「ほう。そいつは珍しいな」

「だろう? おれもこの業界で長くやっているが、こんな話は初めてだ。拳銃使いをわざわざ襲う酔狂な奴がいるとはな。丸腰の人間を襲うならわかるが、その逆だ」

カッシーナの言う通りだ、と少女も思う。どうしてそんな危険を冒すのだろうか。

「しかも、かなりの凄腕だ。『隼』も『竜』もやられた」

「それはそれは。只事じゃない」

ノジオの言葉から余裕が失われつつあり、リアスも言葉を失う。「隼」と「竜」はこのあたりでもトップクラスの拳銃使いといってよかった。そんな彼らが斃された、となると事態はかなり深刻だと言わざるを得ない。

「今のところは、襲われているのは拳銃使いだけだ。しかし、いつ一般人も襲われるかわかったもんじゃないし、女子供が巻き込まれたら最悪だ。おれの住んでいる町の人間はみんなおびえきっている。早いところ何とかしなければならん」

カッシーナは苦悩を隠さずにつぶやくと、

「おれが知る限りでは、あんたが最高の拳銃使いだ。この事態を解決できるのはあんたしかいない。頼む、どうか引き受けてくれ。もちろん、報酬は弾む」

この通りだ、と角ばった顔の男が深く頭を下げる。ノジオは頬を歪めて灰皿に煙草を押し付けると、

「お断りだ」

とつぶやいた。リアスとカッシーナは呆然とする。信じがたい答えだった。友人の苦境を、傍若無人に暴れ回る悪党を見逃すノジオ・Aではないはずだった。

「何が気に入らないんだい、ノッさん」

「気に入らないねえ。いくらもらおうが、そんな頭のおかしい奴の相手をするなんてまっぴらごめんだ。おれも自分の身がかわいいんでね。謹んでお断りさせてもらおう」

「そんな」

がっくりとうなだれるカッシーナを見て、リアスはかっとなる。

「ちょっと、どうしてそんなひどいことを言うのよ。みんなが困っているのを見捨てるなんてあんまりだわ」

怒る弟子を見てもノジオのまとった空気は冷たいままだ。

「だったらおまえがやれ」

「え?」

「見捨てられない、というなら、おまえが行ってそいつを倒してこい。その、ガンマンキラーをな」

拳銃使いを殺しているから、ガンマンキラー、と呼ぶのはそのまま過ぎる、と思ったが、一番に気にすべきなのはそこではない。男が少女に仕事を押し付けるなど、今までになかったことなのだ。どうしていきなりそんなことを、と困惑する娘を見て、

「それとも、一人だけじゃ無理、っていうのか? おれが面倒を見てないとダメなのか? いつまでもおれに甘えてるんじゃない。いい加減独り立ちしろ」

「おい、ノッさん。どうしてそんなひどいことを言うんだ」

あまりの言い草にカッシーナが反論するが、

「いいのよ、カッシーナさん」

少女が静かに呟く。リアスのまわりの空気も、師匠と同じ冷たいものになっていた。

「リアスちゃん?」

「わたしがやるわ。わたしがガンマンキラーの相手をする。ノジオの力は借りない。必要ない」

ふっ、と黒ずくめの男は笑い、

「そういうことなら、おれは失礼させてもらおう。あとはお2人で話をするといい」

飄々とした態度で立ち上がったノジオに、

「悪かったわね」

とリアスが声をかける。

「気を使わせちゃったみたいで悪かったわね。でも、もう大丈夫よ。金輪際、あなたの力は借りない。あなたの手を煩わせることは二度とないから、安心していいわ」

少女の強いまなざしをまともに受けた男は笑って、

「上等だ」

とだけ呟いて食堂を出ていく。思いがけない展開にカッシーナは泡を食っていたが、

「カッシーナさん、あとはわたしがなんとかするわ。それとも、わたしだけじゃ頼りない?」

と笑いかけてきた美しく若い拳銃使いを見て、心を奮い立たせた。

「とんでもない。引き受けてくれてありがたいと思ってるよ。こうなったら、おれも全力であんたを助けるよ。一緒に戦おう」

「そうね。ありがとう」

リアスはどうにか笑ってみせたが、胸の内は混乱しきっていた。売り言葉に買い言葉で絶交を言い渡してしまったが、

(ノジオは本気だ)

と感じたのが一番のショックだった。あの男は本当に自分を見放したのだ。そう感じたのは言葉ではなく、自分を見つめてきた目のせいだ。彼の瞳の中に荒涼たる風景が広がっているのを、リアスは見てしまった。師匠の心は今までに旅してきたどんな荒野よりもすさんでいる、と知ってしまった。ユロピアの街で拾われてから、それなりに上手くやっていた2人だったが、二度と後戻りできない通過点を過ぎてしまったのを、少女は感じていた。


「あいつ、大っ嫌い!」

「コルト」のカウンター席でリアスがべそをかいている。まだ午前中なので酒場は開いていないが、そんな少女の姿をナンダが困った顔で見ている。むさくるしい中年男と長い黒髪の美少女、という凸凹コンビが喧嘩するのは珍しくないことなのだが、今度ばかりは様子が違うように思えたのだ。

「いつものノジオだったら、すぐに機嫌を直すと思うんだけど。うちの店でも『もう二度と来るか!』って出て行って、10日も経たないうちにひょっこりやってきたから、『二度と来ないんじゃなかったの?』って訊いたら、『そんなこと言ったか?』って言われたのを何十回もやってるのよねえ」

「出禁にしちゃえばいいのよ、そんなやつ」

容赦のない娘の一言にマダムは笑ってしまうが、

「でも、実はわたしも気になってたの。あいつの様子が最近おかしいんじゃないか、って」

「おかしいのはいつものことでしょ?」

「それはそうなんだけど、嫌な感じのおかしさなのよ。この前も酔い潰れるまで飲んで、店先で盛大に反吐してたし、別の店で殴り合いの大喧嘩をした、っていう話も聞いたから、絶対に変なのよ。そこまで酒癖は悪くないはずなんだけど」

「そんなことがあったなんて聞いてない」

むっつり黙り込んだリアスを見て、

(あら。ということは、弟子の前では格好付けたいのかしらね)

ナンダは昔なじみの男の虚栄心をおかしく思った。

「頭にくるのはわかるけど、許してあげなさい。あいつがこっちに顔を見せたら、わたしからも怒っておくから。あなたが大人になったら、万事うまく収まることなのよ」

「なんでわたしがおっさんよりも大人にならなきゃいけないんだか」

リアスは溜息をついてカウンターに突っ伏す。

「まあ、あなたがどうしても嫌だっていうなら許さなければいいんじゃない? ねえ、リアスちゃん、あなた、ノジオのこと、嫌いなの?」

マダムに訊かれた少女は唇を尖らせて、

「次やったら許さない」

と言って、質問には答えないまま、酒場の2階へと上がっていってしまった。部屋で身体を休めるのだろう。

(あんないい子にひどい扱いをしたら、罰が当たるわよ、お馬鹿さん)

ナンダはそう思いながらも、ノジオの変化に感じた不安をどうしても拭い去れずにいた。


リアスはカッシーナとともにガンマンキラーが出没する宿場町へと向かった。3つの街道が交差する要衝で、拳銃使いも比較的大勢いたことから、犯行の現場になっているものと思われた。街に着くなり、娘は四角い顔のエージェントに連れられて依頼人の許を訪れた。殺人者の出現で客足が落ちてしまった商店の主人や運送業者が金を出し合った、ということだったが、

「ノジオが来る、っていう話だったぞ?」

商人たちは娘を見て不満そうな表情を隠さなかった。

「いやいや、この子はノジオの一番弟子なんだ。腕前はわしが保証する」

カッシーナがとりなそうとするが、

「いくらなんでも女の子が相手になるとは思えん」

「『隼』も『竜』も勝てなかったのに、こんな娘が勝てるわけないだろう」

抗議の声が次々と上がり、カッシーナは慌ててしまうが、リアスはそれには取り合わずに、道路に面した部屋の窓を開け放した。生暖かい風が少女の長い髪を揺らすのを男たちが見たそのとき、リアスはすばやく銃を抜き放つと、鉄製の街灯を狙い撃った。すると、

ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ

高らかにメロディが鳴り響いた。少女ガンマンは弾倉が空になったリボルバーを捨てて、もう一丁の拳銃を抜き、

シ、ド

と、音階を完成させた。芸術的、といっていいパフォーマンスに、一同は口をあんぐり開けて呆けた面をさらす。すさまじい腕前を披露したにもかかわらず、リアスは平然と部屋の中に向き直って、

「みなさん、わたしが信用できないようですから、もう帰ります」

にっこり笑って立ち去ろうとする少女を依頼人たちは全力で引き留めたのであった。若い女と見て舐めてかかる男の鼻を明かすのはリアスの得意とするところなのだ。


超絶技巧で一挙に信頼を得たリアスだったが、宿場町にガンマンキラーが現れる気配はなかった。名のある拳銃使いたちを葬り去った相手とすすんで戦いたいわけではなかったが、機会を得ないまま時間が過ぎゆくのを待つのも、それなりに苦痛を伴うものだった。

「奴はもう現れないんじゃないか?」

カッシーナがそう呟いたのは、少女が町に来て5日目の夕食の席だった。彼の家でリアスは寝泊まりさせてもらっていて、朝晩には食事も提供されていた。

「そうなればいいけど、そうはならないわ。残念ながら」

テーブルの向かいに座った娘が微笑むと、角張った顔の男も「そうだな」と同意する。拳銃使いの世界において、希望が叶えられるのは稀であるのを、カッシーナも知り抜いていた。

「あなた、早くお風呂入っちゃって」

カッシーナの奥方が夫に呼び掛けると、小さな男の子と女の子が、わーっ、と言いながら狭い居間に駆け込んできた。

「ああ、こらこら。ダメじゃないか。リアスさんもいるんだぞ」

父親は一応叱ってみせたが、年をとってから出来た子供だからということなのか、かわいくてしかたがない、という気持ちだけが目について、ちっとも怖くなかった。カッシーナの家の団欒の場に居合わせていると、リアスはどうしても奇妙な感情にとらわれてしまう。不快ではないのだが、自分が持ち合わせていないものを世間の人は当たり前に持っているのだ、と気づかされるのだ。

表へと出たのは平和な家庭の雰囲気に馴染めなかったせいもあるが、銃の練習をしておきたい、と考えたからだ。いつ相手に出くわしてもいいように、腕を鈍らせてはいけなかった。夜の街は殺人者の影響で人影は疎らであっても、どこかのどかな空気で、今夜はガンマンキラーは出て来ない、とリアスは確信する。ただの勘に過ぎなかったが、それで何度も生き延びてきたのだ。それくらい鋭敏でなければ、拳銃使いとしてやっていけない、と目下絶交中の師匠からよく言われていたのを思い出した少女は不貞腐れながら練習場所を目指す。

街から少し離れた原っぱがその場所だった。街中で銃をぶっ放すのはさすがに憚られたのだ。腐りかけた木の柵の上に、カッシーナの奥方からもらった空き缶を2つ並べておいて、そこから少し距離を取ってから銃を抜く。最初の弾丸が缶に命中すると、すぐ横の缶に当たって、共に宙を舞った。弾丸が当たるたびに、缶はもう一つの缶とぶつかり、次第に高度を増していく。弾丸を撃ち尽くすと、夜空の下でダンスを踊らされた缶は落下していき、もともと置かれていた柵の上に2つ並んで着地した。ふう、と息をついている少女の背後から、ぱちぱちぱち、と拍手が聞こえてきた。暗闇から姿を現したのはノジオ・Aだ。

「見事な曲芸だな。今度から客を呼んで金を取るといい」

にやにや笑う下膨れの男を見つめるリアスの顔にはどんな感情もうかがえない。

「相変わらず精が出るな」

「師匠が何も教えてくれないから、自分で練習するしかないのよ」

ふん、と少女は顔を背ける。ひどい態度を取られた怒りはまだ収まっていなかった。

「で、こんな夜中に何の用なの?」

ああ、いや、と拳銃使いは頭を掻くと、

「この前は悪かった」

思いがけない言葉にリアスの動きが止まる。いつもはこんな風に素直に謝ったりしないのに、どういうことなのか、と考えてしまう。

「ついイライラしちまってな。でも、おまえにあたるのは間違いだった。勘弁してくれ」

少女は溜息をつくと、

「何か悩みでもあるの? わたしはどうでもいいけど、ナンダさんが心配してた」

「ほう。あいつ、やっぱり、おれに気があるんだな。まったく、色男はつらいね」

ばーか、と言いながらも思わず笑ってしまう。これくらいふざけられるなら問題はない気がした。

「まあ、いいわ。そういうことなら、わたしも忘れる。でも、ああいうことは二度と言わないで」

本当に嫌だった、と絞り出すような呟きを耳にしたノジオの顔が曇る。自分の心ない言葉が弟子を手ひどく傷つけたのがよくわかったからだ。

「ああ、二度と言わない」

そう言いながら、顔を上げると、リアスがもともと大きな目を丸くしているのが見えた。

「どうしたの? 今日はとても素直じゃない。何か変なものでも食べた?」

「馬鹿言え。おれはいつでも素直だぞ。何を隠そう正直村の出身だからな」

「意地悪地方の嘘つき村の出身、の間違いじゃない?」

顔をしかめる師匠を、してやったり、と言いたげな顔で見てから、

「ガンマンキラーの相手はわたしひとりでやるから」

少女は静かに呟く。

「いいのか、それで?」

「いい機会だと思う。わたしも独り立ちしたいから。いつまでもあなたにおんぶにだっこじゃいけないもの」

気負いの感じられない口ぶりに、リアス・アークエットの成長が感じられた。

「お嬢ちゃんがそうしたいなら、おじさんは手を出さないことにしよう」

「そうよ。おじさんは家でいい子にしてなさい」

曇りがちなせいか、あまり星の見えない空の下で少女の笑顔が可憐に咲く。練習を再開した弟子の背後で、

「これなら安心だ」

とノジオが静かにつぶやいたが、目の前に集中しきっていた娘にそれは聞き取れなかった。


次の日の夜。カッシーナの家でリアスは子供たちと遊んでいた。最初は人見知りしていた男の子と女の子とすっかり仲良くなれて、少女は心から嬉しく思っていた。

「すまないな、うちのガキどもが迷惑をかけて」

カッシーナが申し訳なさそうな顔をするが、

「ううん、いいの。わたしも楽しいから」

少女の柔らかな頬に、外から忍び込んだ夜風が触れると、それまでの笑顔が消えてなくなった。

「おねえちゃん?」

娘が急に立ち上がったので、子供たちが驚くが、それには構わずに玄関まで歩いて、外を窺う。宿場町の空気が一変していた。とてつもない重圧があたり一帯を押し潰そうとしているのをリアスは感じた。といっても、それは普通の人間にはわからないことだ。戦場への扉は、戦闘のプロにしか見つけられない。ついにやつが、ガンマンキラーが来たのだ。

「カッシーナさん、絶対に外に出ちゃダメよ」

「リアスちゃん、まさか」

「奥さんと子供たちを守ってあげて」

四角い顔のエージェントに微笑みかけると、少女ガンマンは戦いのステージへと足を踏み入れる。今夜はその舞台で、彼女と殺人者が二人で互いの生死のかかった劇を繰り広げることになるのだろう。援護は期待できない。自分一人で敵を倒し、生き延びるしかなかった。

一歩進むたびに、心臓が破裂しそうになる。一つ息をするたびに、咽喉が焼け付きそうになる。極限の緊張感でリアスの全身は汗にまみれ、手足は震えていた。怯えていた。だが、それだけでなく、かつてない強敵に1人で立ち向かうことに、少女は興奮し高揚していた。見た目こそかよわい少女であるが、一方的に狩られるだけの獲物ではない。彼女もまた残酷な世界を生きる一匹の怪物なのだ。

敵の気配は確かにある。だが、何処にいるのかわからない。緊張に耐えかねて叫んでしまいそうになる。もちろん、そうするわけにはいかず、リアスは歯を鳴らしながら通りを歩いていく。酒場から何も知らない客たちのにぎやかな声が聞こえる。立ち並ぶ窓には明かりが見えた。停められた馬車につながれた馬が、ぶるるるる、と首を振っている。いつもと同じ平和な夜だ。もしかすると、勘違いなのではないか。今夜もやはり何事もなく終わるのではないか。カッシーナが言っていたように、ガンマンキラーは何処かへ消えて二度と現れないのではないか。そんな思いが心によぎった瞬間、少女の首筋に戦慄が走った。氷のように冷たく、災いのように不吉な、死をもたらす感覚。何も考えなかった。ただ動いただけだった。身を翻して銃を撃つ。彼女がしたことといえば、ただそれだけだった。弾丸がさっきまでリアスがいた空間を切り裂いて飛んでいく。動かなければ、ガンマンキラーの餌食になっていたのは間違いなかった。

(えっ?)

リアス・アークエットは2つのことに気づいていた。ひとつは自分が勝利を収めたことだ。銃を握りしめた右手に確かな手ごたえがある。そして、もうひとつはガンマンキラーの正体だ。一流の拳銃使いを屠るほどの腕前を誇る殺人者が何者なのか、わからずにいたのだが、自分は知っているではないか。誰よりも強い拳銃使いのことを知っていたではないか。気づかずにいた自分の迂闊さを呪いたかったし、こうなる前に戻りたかった。だが、一度発射した弾丸を戻すことなどできはしない。リアスの撃った弾丸は殺人者の胸の中央を見事に撃ち抜き、ガンマンキラーの身体は大きく吹き飛び、地面へと倒れ込んだ。

「いやああああ!」

リアスは悲鳴を上げながら全速力で敵に駆け寄った。

「いい腕だな、お嬢ちゃん」

そこには黒ずくめの男が身体を血に染めて横たわっていた。

「さすがは、おれの弟子だけはある」

ノジオ・Aは口からも血を溢れさせながら、にやりと笑ってみせる。

「どうして、どうしてなの」

もう立っていられなかった。少女は膝から崩れ落ちる。ガンマンキラーの正体が師匠だったこと、師匠を撃ってしまったこと、そして彼がもう助からないこと、全てが15歳の少女を打ちのめしていた。涙があふれて止まらなくなる。

「泣くんじゃねえよ。これまでの悪行の報いを受けたまでのことだ。むしろ、よくやってくれた。おれはもう自分を止めることができなくなってたんだ」

ごほ、と咳き込むと、唇の端に血が泡になって溜まった。

「いつの間にか、おれの心にぽっかりと穴があいちまったんだ。どこにもつながっていない、黒くて深い穴だ。それを埋めたくてじたばたしてみたんだが、どうにもならなかった」

それが拳銃使いを殺して回っていた理由なのだろうか。とても理解できなかった。

許されるものではなかった。

「おれにもわからないんだから、誰にもわかるものか。それに前に言ったよな。命は命でしか償えない、と。だから、今からおれは償うんだ。殺したやつには地獄で詫びるさ。さぞかし長い行列になってるのだろうが」

「やだ。やだよ、ノジオ。死んじゃやだよ」

リアスは泣きながら男の身体にすがりつく。野次馬が集まる中、駆けつけてきたカッシーナが、

「なんてこった」

と呆然とする。

「リアス、ありがとうな」

「え?」

唐突に感謝されて少女は戸惑う。今までそんなことを言われたことなどなかった。

「おれはろくでなしの悪党だが、おまえは師匠に似ずまっすぐで優しい娘だ。おまえのために何かしてやれたのなら、おれみたいな人間でも何かしらこの世界の役に立てたような気がして、少しは気分も軽くなるのさ」

弟子を見つめる男の目が光ったのは、生命の最後の輝きだろうか。

「後は大変だと思うが、しっかりやれよ。おまえのことだから大丈夫だって信じてるからな」

リアスは懸命にもちこたえようとしていた。ノジオはもう助からないのだ。その事実から目を背けてはいけない。男の右手を両手で握りしめた。あまりの力のなさに泣き崩れそうになるが、どうにか我慢して、

「あなたはダメ人間でいけすかなくて迷惑なやつだけど」

でもね、と首を横に振って、

「大好きよ、ノジオ。わたしの方こそありがとう」

精一杯笑ってみせた。男は視線の定まらない表情でぼんやりと少女を見てから、

「帽子をかぶせてくれないか。死に顔を見られたくないんだ」

と頼んできた。死にゆく人間の願いを拒否するわけにもいかないので、リアスは黒い帽子を男の顔にかぶせた。

(あぶねえ、あぶねえ)

ノジオはほっと胸を撫で下ろす。帽子がかぶさった瞬間に、右の目尻から涙が流れ落ちたのだ。なんとか少女に見られずに済んだようだ。まさか自分の中に涙が残っていたとは、と驚いてから、

(男たるもの、泣いていいのは親が死んだときと財布を落としたときだけだからな)

意味不明なダンディズムを披露した後で、

(心残りがないではないが、あんなにきれいな娘に撃たれて、見取られながら逝けるんだから、我ながら悪くない人生だったと思うぜ)

そして、

(あばよ、リアス。愛してるぜ)

最後に視界がとらえた、少女の涙に濡れた笑顔だけを思っているうちに、意識が空白になり、そのうち何も感じなくなった。


「ノジオ、ノジオ」

師匠の亡骸を抱きしめて泣き崩れる少女の肩をカッシーナが優しく触れる。こうして、リアス・アークエットの一人での初仕事は終わりを告げたのであった。

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