第30話 暁に見えたもの

「大変よ、かなり大きな火事みたい」

宵っ張りのリブ・テンヴィーが外の異変に気づいて、寝室に飛び込んでくると、まだ夜中だったが、セイジア・タリウスはすぐに跳ね起きた。表に出てみると、確かに繁華街の方角の夜空が明るくなっている。その下には彼女が働く食堂もある。急いでセシル・ジンバに変身すると職場へと駆け出した。占い師も心配して一緒に行きたがったが、女騎士はやめるように説得した。友達の身を案じたから、というだけでなく、ナイトガウンを羽織ったセクシーな美女の存在で消火に励む男たちの気が散るのを危惧したからだが、細かい理由まで聞くことなく、リブはそれを受け入れ、「気を付けてね」と潤んだ瞳でセイを見送った。

(まさかこんなことになるとは)

通りを駆け抜けながらもセイの胸には焦る思いがあった。もしも、あの火事の火元が自分の働く食堂だったとしたなら、おかみさんや他のみんなに顔向けできない、と思っていた。昨日はオーマをチコのもとに送り出してから、彼女一人で店を守っていたのだ。もちろん、店を閉めるときに火はきちんと始末してある。だから、火事が出たとすれば放火以外に考えられないのだが、女騎士は放火も有り得ることを予期していた。

(あいつはまた何かしてくるに違いない)

短い時間であったが、少女はカルペッタ・フーパスの本性を見抜いていた。知能は低い癖にプライドだけは高い、実に厄介な人間だ。チコを痛めつけたことの報いは受けさせたが、それで諦めるとも思えなかった。また店に何か嫌がらせをしてくるに違いない、と考えた。そこで、セイは診療所から戻ると新しい罠を食堂の裏口に仕掛けたのだ。誰かがこっそり店に近づこうとするとやたらに大きな音が出る、というとても単純な仕掛けなのだが、それだけでも悪党を防ぐには十分だ、と彼女は考えていた。あの下品な金髪の男は執念深くはあるが、勇気はない。あったとしても、それは見せかけだけの偽りの勇気でしかない。そんなものを挫くのに実力を行使する必要はなく、音さえ立てればいい。その点で彼女には成功体験もあった。夜中に敵のそばまでこっそり接近した女騎士団長が、一緒に連れてきた音楽隊に勇ましい行進曲を大音量で演奏させて、パニックになった大軍を手を直接下すことなく潰走させた、というのは、セイジア・タリウスの武勇伝のうちのひとつとして、今も民間で広く語られている。それに加えて、夜中に大きな音がすれば、パトロールが必ず駆けつける、という目論見もあった。とはいえ、仕掛けをセットしたその夜によもやこのような事態になるとはさすがに女騎士も想像してはいなかった。その思いが勇ましい少女の足を早め、夜の街角をひたすら疾駆させていた。そして、やっと現場までたどり着いたとき、セイの前には予想だにしない光景が広がっていた。


夜明け前に病室でチコは目覚めた。

「おかみさん」

コムに呼ばれたノーザ・ベアラーは慌てて少年の枕元に駆け寄った。

「チコ、気が付いたかい? 大丈夫かい? 痛くないかい?」

悲痛な思いが込められた女主人の言葉だったが、チコの返事はなんとものんきなものだった。

「おかみさんって、きれいですね」

「は?」

予想もしないことを言われてノーザだけでなくオーマもコムも固まっていると、

「前から思ってたんです。おかみさんみたいな人と結婚したいなあ、って。おれ、きれいでしっかりした人と結婚したいなあ」

「何言ってるんだい、色気づいて。嫌な子だね」

女主人は顔を赤らめ、

「そんな元気があるならもう大丈夫だろ」

とオーマは顔をしかめる。一瞬和やかな雰囲気になってから、少年の唯一無事な右目が揺れて、涙があふれだす。そして、

「ごめんなさい、ごめんなさい」

と謝りだした。重傷を負った以上に、店を裏切った後悔が少年を苦しめているのが年長の3人にも理解できた。

「謝るのはわたしの方だ。あんたが反省しているのはよくわかってる。もう謝らなくていいんだよ」

ノーザの目に光るものを見たチコはただ泣きじゃくった。

「だから、しっかり怪我を治しな。そうしたら、店でまた一緒に頑張ろうね。待ってるよ、チコ」

あらゆる凍てついたものを溶かすであろう暖かな言葉に、少年はかすかにうなずいて再び眠りに落ちていく。すーっ、と見習いの頬に一筋の涙がつたうのを見た女主人は自分の頰にもこぼれそうになっていた涙を指でそっと拭った。3人はひとまず食堂に戻ることにする。バイトの少女ひとりに任せきりにしていた店が心配だったからだが、その前にバルバロ医師にお礼を言いたい、とノーザが言い出した。

「若いから治りも早いだろう。体力がつけばすぐに起き上がれるようになる。だから、精のつくものを食べさせてやるんだな。たとえば、おたくの食堂の飯なんかもってこいだ」

赤毛のもじゃもじゃした髪と、やはり赤いもじゃもじゃした髭を揺らして医師は笑った。繁華街の診療所には、深夜でも患者が途絶えることはなく、バルバロの顔にも疲労が見えたが、それでも診察を断ることのない彼を、街の住人は深く敬っていた。

「先生、なんてお礼を言ったらいいのか」

「いいってことだ、おかみ。『くまさん亭』でタダで食事できる、というのはわしとしてもありがたい話だ。」

食事代を無料にする代わりに、少年の治療費をチャラにする、という約束だった。

「それにしても、あの娘さんは大したものだな」

カルテを書いている医師のつぶやきに、コムは耳を止めた。

「セシルちゃんのことですか?」

「名前は知らんが、あんたらのところで働いている子だ。坊やを運んできて、包帯を巻くのも手伝ってもらったんだが、実にきびきびと動いてくれてな。前に看護師でもやってたのかね?」

「いえ、そんなことは何も」

戸惑いながらノーザが首を横に振ると、

「そうか? とても素人の動きには見えなかったが。ともあれ、あの子が適切な処置をしなかったら、坊やの命は危なかったかもしれん。だから、わしなんかよりもあの子に感謝したらいい」

女騎士の戦場での経験が生きた、とはこの場にいる誰も知らない話だった。そこへ急患がやってきた、という知らせが来たので、3人は診察室の外へと出た。部屋を出るなり、

「おかみさん、ちょっといいですか」

コムがいつになく真面目な表情をしていた。

「なんだい?」

ノーザの顔も険しい。

「明日、セシルちゃんに謝ってください」

そう言われるのはわかっていた、という風に女主人は顔をそむけた。

「あのとき、セシルちゃんが言ってたのは間違いじゃないです。おかみさんを止めてくれたんです。なのに、あんなひどいことを言われて。しかも、それでも、セシルちゃんは笑ってたじゃないですか。でも、あんな寂しそうな笑い方をして。おれ、あの子のあんな顔、見たくなかったですよ」

大柄な男が感情のままにまくしたてるのは珍しく、オーマは驚きとともにそれを見ていた。

「おれ、『くまさん亭』で働くようになってから、おかみさんに逆らったことはありませんが、でも、セシルちゃんに謝ってくれないと、おかみさんのこと、嫌いになります」

「おい、コム」

さすがに言いすぎだと、小柄な先輩がたしなめたが、

「いいんだよ、オーマ。コムの言う通りだ」

ノーザが溜息をついた。

(あんなわたしは、わたしだって嫌いだよ)

あのときは怪我をしたチコのことしか頭になかったが、あの三つ編みの少女もまた大事な店員、いやそれ以上の存在なのだ。そんな娘を悲しませたことを深く後悔していた。

「わかってる。次に会ったらすぐに謝るから」

そう言った女主人に大男は黙って深々と頭を下げた。そこへ、外から夜勤の若い看護師が診療所へと飛び込んできた。

「先生、大変です。近所で火事です」

「なに?」

診察中だったが、バルバロ医師が部屋から出てきた。

「怪我人は?」

「わかりませんが、かなり燃えているようですから、出てもおかしくないかと」

ううむ、と唸った赤毛の医師は、

「わかった。何かあってもすぐ対応できるように、準備だけはしておくんだ」

わかりました、と動き出した看護師をノーザが呼び止めた。その知らせを聞いて胸が妙に騒いだのだ。

「あの、すみません。その火事は、繁華街の方なんですか」

「はい、そうです」

そう言った看護師の顔が曇った。彼女も食堂の女主人を知っていた。

「もしかして、うちの店の方ですか?」

「詳しくはわかりませんが、その近くみたいです」

その言葉を聞き終える前にノーザは走り出していた。おかみさん、と大声を上げてオーマとコムも後を追いかける。

(大変だ。どうしよう)

火事は彼女が何よりも恐れるものだった。亡き夫の店が燃えてなくなってしまう夢を何度も見てうなされていた。もちろん、火の用心は常に念入りにしていたし、保険には当然入っていて、ギルドでもしものときのための金を積み立ててもいた。しかし、一度燃えてしまったものはもう取り返しがつかないのだ。今まで時間を掛けて築きあげてきた大事なものがすべて奪われてしまう。

(ああ、なんてことだ)

店に近づくほどに、焦げ臭さが増し、熱が強まっていくのを感じた。不安が確信へと変わっていき、ノーザの目の前が暗くなる。全てが崩れ去るような脱力感を覚えながら角を曲がり、「くまさん亭」のある通りへと出た。見慣れた少女の姿がそこにはあった。セシル・ジンバだ。賢い彼女らしからぬぼんやりとした顔をしている。その視線の先には灰燼と化した店があった。鎮火はしたが、全て燃え尽きた店舗を見つめる少女の横に女主人は並んだ。

「あ、おかみさん」

ノーザがやってきたのに娘は気づいた。

「セシル、これはいったいどういうことだい?」

呆然とした思いで女主人も少女と同じものを見た。

「さあ、詳しいことはわたしにもよくわかりません」

「うわあ」

ようやく追いついたコムが驚く。

「こりゃひどい」

オーマも目の前の惨状に眉をひそめた。

「いったい、どういうことなんでしょうね」

少女の言葉は、焼け落ちた「フーミン」14号支店を見た「くまさん亭」で働く全員の困惑を代弁していた。商売敵として狡いやり口で苦しめられてきた店だったが、それでもこうなってしまうと、喜びなどはまるでなく、むなしさだけがあった。

「みなさん、こんな時間にどうされました?」

そう言って近づいてきたのは、市警の警官だ。食堂にも何度か巡回で訪れていて顔見知りになっていた。

「あ、いえ。うちの店の近所で火事だというから、心配になって」

「なるほど。それはそうでしょうね」

ノーザの答えに頷くと、固太りの警官は近くにいた仲間に何か呼びかけた。

「ちょうどよかった。実はみなさんに聞きたいことがあるんです」

「はあ」

わけがわからないままでいると、今度は背の高い警官が近づいてきた。姿勢がよく、新品の制服を着ていて、見るからに位の高い人間だと分かる。

「夜分遅く恐れ入ります。といっても、もうすぐ夜が明けますが」

ははは、と自分で言ったことに笑ってから、ハンサムな警官は話し出した。

「わたしは市警のレジロンという者です。主に火災の捜査を担当しています」

「警察の方が調べている、ということは、この火事に何か不審な点がある、ということですか?」

質問してきた少女を警官はちらっと見た。冴えない外見だが、なかなか鋭い娘らしい。

「いえ、どんな火災も警察が一通り調べることになってはいるのですが、今回の火事に関して、われわれは放火だと睨んでいるのです」

「えっ?」

思いがけない発言に一同は言葉を失う。

「詳しいことは夜が明けてからしっかり調べますが、しかし、怪しい点が多々あるのは既にわかっています。まず、油の強い臭いがしていること。それから、一番火の勢いが激しいのが店の入り口付近であること。この2つだけでも放火だと疑うに足りるかと思います」

「まさか、おれたちが火をつけたとか考えてるんですか?」

上ずった声をあげたコムにレジロンは笑いかける。

「いやいや、そこまでは考えていません。あなた方と『フーミン』が無関係ではない、というのは承知していますがね」

(われわれを疑っていないわけではないのだな)

女騎士はそのように判断する。気持ちの良いことではないが、それが市警の仕事だと受け入れようとする。

「というよりも、むしろ逆です」

「逆?」

オーマが首を捻ったが、火災捜査官はにこやかに話を続ける。

「はい、逆なんです。あなた方もこの件に関する被害者なのではないか、と私は考えているのです」

そう言うと、レジロンは舗道を指さした。もうすぐ日が昇るようで、辺りが明るくなってきていた。

「あそこを見てください。焼けた跡があるでしょう? 跡が『フーミン』から続いている、というよりは、『フーミン』に続く跡、だというのが正しいでしょうね。犯人は火をつけてから店に近づいていったのでしょう」

確かに石畳が焦げているのが見えた。

「わけがわかりませんね。なんでそんなことをするんだ?」

腕を組んだコムを見た捜査官が、ははは、と笑う。仕事に似つかわしくない朗らかな性格の持ち主のようだ。

「確かにわけがわかりませんが、まあ、それは犯人を捕まえて話を聞けばわかることです。でも、ここで問題なのは、この跡が何処から来ているのか、ということです。わたしはさっき自分で確かめてみたのですが、どうやらこれは向こうに続いているようなのです」

男の指さした方向には「くまさん亭」がある、と店員には当然わかっていた。

「まさか、うちの店の方ですか?」

ノーザが悲鳴を上げる。

「『方』どころか、あなたの店そのものに、ですよ。ベアラーさん。あなたの店の裏口から『フーミン』へと焼け焦げた跡は続いているのです。しかも、裏口からも油の臭いがぷんぷんしていました」

「つまり、『フーミン』を燃やした犯人は、わたしたちの店も燃やそうとしていた、ということですか?」

少女の指摘に、レジロンは大きく頷いた。

「おそらくそうに違いないと思います。だから、さっき『あなた方も被害者だ』と申し上げたのです。不思議なことに、いえいえ、ここは幸いなことに、と言うべきですね。あなた方の店は火をつけられなかったわけですが」

その言葉を聞いた瞬間、ノーザ・ベアラ-の身体は崩れ落ちた。大事な店員が重傷を負い、その看病を夜通ししていたのに加え、長い間苦しめられてきた商売敵を襲った突然の火災、そして自分の店が危機に見舞われていたのを知ったことで、気丈な彼女もとうとう耐えられなくなったのだ。

「おかみさん!」

セイは女主人をしっかりと抱き止めた。

(なんて細い身体だ。この人はこの身体でたったひとりで戦ってきたんだ)

女騎士の心が悲しみとも慈しみともつかないもので一杯になる。戦いは戦場でのみ起こっているわけではなく、平和な日常においても人は戦い続けているのだ、ということを改めて思い知らされる。

「みっともないところを見せちまったね」

力なく笑う女主人に向かって、少女は黙って首を横に振った。そんなことはない、と力の限り言ってあげたかった。

「あの、刑事さん。悪いんですが、話は後にしてもらえませんか? なにしろこういう状況なので」

オーマの苦情に近い頼み事を耳にしたレジロンは大きく頷く。

「もちろんです。みなさんお疲れなのに話を聞こうとしたわたしが悪いのです。申し訳ない」

警官らしからぬ礼儀正しい態度に、小柄な料理人もそれ以上何も言えない。

「それでは、また日を改めて、お話を伺うことにします。ベアラ-さん、どうかお大事に」

そう言ってレジロンは立ち去っていく。うわべこそ社交的で人当たりもいいが、彼もれっきとした警察官であることに変わりはなく、「くまさん亭」の人々をただ心配しているだけではなく、逆に疑ってもいた。つまり、店の周囲に油を撒いて被害者を装うことで捜査の目をくらまそうとしているのではないか、と思っていたのだ。「くまさん亭」には「フーミン」を襲う動機もある。疑わない方が警官としては問題だった。しかし、

(その可能性はほとんどない)

と火災捜査官は考えていた。もともと、あの大衆食堂は市警の人間にも評判がよく、店に行ったことのない彼も、少し話しただけでも女主人に好感を抱いていた。日々真面目に働く普通の人間だとわかる。ただ、少女の勘の鋭さは妙に気になったが、あの娘も悪人ではなかろう。そして、それ以上に、「くまさん亭」の人々には伝えていない目撃情報をレジロンはつかんでいた。

(「全身火だるまの人間が店に突っ込んでいった」という無茶苦茶な話だが)

荒唐無稽ではあったが、しかし、その情報は現場の状況と一致していた。入り口付近の火勢の強さ、石畳の焦げ跡、そういったものが「火だるま」の存在を証明しているかのようだった。ただし、現場に「火だるま」の姿は無かった。自力で逃げられるとも思えないから、誰かに助けられたのだろうか。

(生きているか死んでいるかは知らないが、そいつの身元を調べるのが一番の早道だ)

「くまさん亭」への取り調べはそれからでもよかろう、と考えた火災捜査官は朝焼けの空を見上げた。調査班には既に集合をかけてある。彼らの到着を待って、本格的な現場検証を始めるつもりだった。


「セシル、あんたにはひどいことを言っちまったね。本当に悪かった」

ノーザの謝罪を、彼女を腕の中で抱えたまま、セイは当然のように受け入れた。

「そんなことないです。わたし、おかみさんのこと、大好きですから」

(わたしは恵まれてるね。こんないい子と一緒に仕事が出来て)

そう思った女主人が少女の顔を見上げると、青く輝く瞳が飛び込んできて、どきり、とさせられた。半年以上一緒に働いているのに、娘の目をまともに見たのは初めてだと気づく。

(なんてきれいな目だろう。こんなにきれいなのに、隠すなんてもったいないよ、セシル)

セイジア・タリウスはひとつミスを犯していた。火事を知って急いで支度をしたので、化粧がいつもより不完全な出来になっていたのだ。だから、前髪で目を完全に隠しきることが出来ず、そして、

「おかみさん、ゆっくり休んで下さい。あとはわたしたちがなんとかしますから」

そう告げた少女の髪に、その日最初の日の光が当たり、金色に輝くのがノーザだけには見えた。髪の色も一応変えてはいたが、やはり不完全で太陽の光にその正体を明らかにしてしまう。セイの髪の、燃えるような黄金のきらめきを女主人はうっとりと眺める。

(とてもきれいな青い瞳と金色の髪。なんだろう。わたし、そういう人を知っている気がする。でも、いったい誰なのか、思い出せないね)

そう思いながら、ノーザ・ベアラーは気を失った。

「眠っちゃいましたね」

そう言いながらセイは微笑んだ。

「うわあ。おかみさん、寝顔もきれいだなあ」

「馬鹿野郎。コム、てめえ、おかみさんを変な目で見たらぶっ殺すぞ」

喧嘩をする2人の男は少女の変装が不完全なのにも気づかず、その正体を疑うことは無かった。

「じゃあ、おかみさんをおうちまで運びましょうか。できれば、今日一日休んでもらった方がいいと思いますけど」

「そうしてもらいたいが、真面目な人だからな。目が覚めたらすぐに店に戻ってくるに決まってる」

オーマが天を仰ぐと、コムが話を引き取った。

「っていうか、おれと兄貴も徹夜じゃないですか。セシルちゃんだって夜中にここまで来てるんだし、疲れてるのはみんな一緒ですよ」

「でも、店を開けないわけにはいきませんよね?」

少女が微笑む。

「まあ、そうだな。つらいところだが、やりがいのある仕事だから、仕方が無いさ」

小柄な先輩の言葉にセイもコムも笑う。ようやく苦しい状況が終わった、という感覚を3人は共有していた。

(これで終わったのだろうか。わたしは店を守れたのだろうか)

そう思いながら、セイジア・タリウスは朝日を受けて輝く町並みを歩いて行く。抱きかかえた女性の重みが、そのまま自らの使命の重みであるかのように感じていた。

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