第17話 女騎士さん、迎えに行く
「さあ、どうぞ、めしあがってください」
そう言っても、誰も料理に手を付けないのでチコは戸惑っていた。最高の材料を使い、手もかけられるだけかけたのだ。どう考えてもまずいはずがなかったが、テーブルについた3人の顔は晴れなかった。
「なんつーかさ、この料理、食べる気になれねえんだわ」
頬杖を突いたままコムが溜息をついた。
「見ただけで、作った人間のどや顔が浮かんじまってさ。自己満足の味しかしなさそうだからよ」
難癖をつけないでくれ、と先輩料理人に抗議をしようとしたところ、
「まあ、いい材料を使っているのは確かなんだろうが、それを生かせるのは料理人の腕があってこそだ。おまえにはまだ早かったな」
そうオーマが言うと、
「そうだね。せっかくの材料が死んじまってる。いくらなんでも時間をかけすぎだね。新鮮さがまるでないじゃないか」
ノーザ・ベアラーも同意した。既に日付の変わった「くまさん亭」に重苦しい空気が流れた。今日のまかないで自分の腕を認めさせてやるんだ、と意気込んでいた少年の決意がみるみるうちにしぼんでいく。
「チコ、よく考えてもみろ。うちは大衆食堂だぞ。美味い料理を出すのは当然だとしても、安い値段で早く仕上げるのも仕事のうちなんだ。おまえのやっていることは完全に真逆だ。何か勘違いしてるんじゃないか?」
オーマの言葉に見習いの少年は逆上して、食べもしないうちに何が分かるんだ、と叫んだが、実際に食べた後の3人の評価こそが本当の地獄だった。それこそ、店を辞めた今でもこうやって夢にまで見てしまうほどの地獄だった。
(最悪だ)
寝汗にまみれながらチコは目覚めた。悪夢のおかげでまだ息が荒い。
(この街にやってきて、何一ついいことなんてない)
そう思いながら坊主頭をかきむしった。田舎町で小さなレストランを開いていたコックの一人息子として地元ではそれなりに料理の腕を認められていて、都で一旗揚げるつもりでやってきたのだが、父のつてを頼ってバイトとして入った名門店ではいつまでたっても雑用しかやらせてもらえないのに嫌気がさして飛び出してしまい、その後別の店も同じようなことを繰り返した。「くまさん亭」に潜り込んだのは、もはや一流店で働けなくなったのと、大衆食堂ならすぐにのしあがれる、と考えたからだが、見込み違いもいいところで、まかないで作った自己流のメニューをコテンパンにやっつけられて自信を完全に失ってしまった。しかし、少年を本当の意味で叩き潰したのは、セシル・ジンバという彼の後に店に入ってきた少女だった。大して調理の腕もなさそうなのに、瞬く間に料理を任されるようになっていったのだ。
(なぜあいつばかり認められるんだ。おれの方が絶対に上手いのに)
順調そのものに見える少女と比べると、いまだに洗い物や出前しかやらせてもらえない我が身がみじめになり、少年は半ば自暴自棄になっていた。「フーミン」のエージェントを名乗る男から接触があったのはそんな時だった。
「あなたほどのスキルの持ち主がいつまでもあのような店にくすぶっているのは見ていられない。どうでしょう、うちに移りませんか?」
いかにもビジネスマンらしい風体をした男はチコが一番言ってほしかったことを告げてきて、少年はすぐさまその話に乗った。
「ただ、移るのであれば、何らかの手土産を用意してほしいのです。たとえば、おたくで評判のシチューのレシピなどを提供していただけると、あなたの評価も格段に上がると思うのですが」
その言葉にチコは若干の失望を覚えた。男が本当に自分を評価しているのではなく、「くまさん亭」のシチューが狙いなのだ、というのが見え見えだったからだ。しかし、それでも見習いの少年は躊躇わなかった。「フーミン」というチェーン店に移れるチャンスを見過ごせるはずもなく、自分を不当に評価してきた食堂をひどい目に遭わせたい、そしてあのシチューを作っている少女をどうにかして貶めてやりたい、という負の感情に突き動かされていたのだ。こうして、チコは「くまさん亭」を裏切り、シチューのレシピを「フーミン」へと渡した。
最初は予想通りに「フーミン」に客を奪われ、「くまさん亭」の店内には閑古鳥が鳴くようになり、
(ざまあみろ)
とチコは心の中で快哉を叫んでいた。マズカ帝国のチェーン店が「シュバリエシチュー」を発売した日には天にも昇るような気持ちだった。あの生意気な娘の泣き顔を拝んでから、店を移ってやるつもりだった。向こうの新商品に女主人や先輩料理人が慌てているのを見て暗い喜びに浸りながら、三つ編みの少女の反応を伺おうとした。しかし、セシル・ジンバの反応は全く予想外で、対抗商品の存在を一笑に付して全く意に介さなかったのだ。
(強がりに決まっている。あいつの料理なんかもう誰も食べるもんか)
そう思っていたが、時間が経つにつれ、店には客足が戻ってきて、少女のシチューも再びよく売れるようになってきた。どうしてそんなことになるのか、チコには全くわからなかった。こんな小さな店が大企業に立ち向かえるはずなどないではないか。だが、彼がどう思おうが、「くまさん亭」の店内は賑わっていく一方だった。
「向こうのシチューも美味いと思っていたけど、こっちの方が断然いいね。これからも贔屓にさせてもらうよ」
そのように客から褒められたとき、見習いの少年はこれまでの人生で一番惨めな気持ちになったものだった。料理の腕を証明することもできず、誰かを傷つけることもできない。そんな自分に何の価値があるのだろうか。そんな気持ちが影響したのか、仕事でミスが多くなっていき、口やかましいコムから注意されたのに切れて、とうとう店を飛び出したのだ。その後、オーマから最後の給料を渡された時の出来事は、まかない作りに次いで、少年の新たな悪夢となっていたのだが。
(もう終わりだ)
乱雑に散らかった室内でチコは頭を抱える。「くまさん亭」を辞めた次の日に、「フーミン」のオフィスまで行って就職させてもらうように頼んだのだが、担当の男には逢わせてもらえず、知らぬ存ぜぬを貫かれて追い払われてしまった。考えてみれば、あの男は証拠になるようなものを一切残さないようにしていた。たとえ、計略が上手く行ったとしても約束を果たしていたかどうかわかったものではない、と今頃になって少年は気づいた。頭に血が上っていたとしてもあまりにも迂闊な彼を操るのは大企業の人間にはいともたやすいことだっただろう。
かくして、今の少年には仕事はなく、小柄な料理人から渡された金も尽きようとしている。「フーミン」の開店ラッシュの影響でこの街のレストランや食堂のスタッフの募集は少なくなり、きわめて狭き門になっていた。今更別の仕事をやる気もなく、かといってこのまま田舎に引き上げるのもプライドが許さなかった。八方ふさがりのまま、どうすることもできずに無為に時間を過ごしていると、玄関の扉を誰かが叩く音がした。裏町にある彼の陋屋を訪ねる人は少ない。家賃を滞納しているから、大家が催促に来たと思い、居留守を決め込もうとしたが、ノックの音はいつまでも続いた。苛立ちが頂点にまで達し、怒鳴りつけてやろうとついに起き上がった。相手が大家だろうと知ったことではなかった。どうせこのままならいずれ追い出されるのだ。乱暴に扉を開けて、うるさい、と言おうとしたチコの目に、セシル・ジンバが立っているのが見えた。よりによって、今一番会いたくない相手が目の前にいた。
「ごぶさたしてます」
丁寧に頭を下げられて少年はかっとなる。彼女の挙動全てが腹立たしかった。見慣れた「くまさん亭」の黒いTシャツすら怒りを誘った。
「何の用だ」
むかつきをおさえながら、やっとのことで言葉を絞り出すと、
「ちょっと来てもらいたいんですが、大丈夫ですか?」
と言ってきた。
「おれはもう店を辞めたんだ。関係ないだろ」
「ですが、おかみさんがあなたを呼んでるので」
もう我慢できなかった。何を好き勝手なことを言っているのか。
「知るか。誰が行くもんか」
そう吐き捨てて、扉を力任せに閉めようとしたそのとき、白いインナーの襟首をつかまれて、ぐい、と前の方にものすごい力で引っ張られた。たまらず室外へと引きずり出されるチコ。
「何をする」
そう言いたかったが、言えなかったのは喉元に強い力がかけられていたからだ。それどころか、少女は右腕だけで彼の身体を持ち上げて空中に浮かせていた。信じがたい怪力だった。あばら家の外壁に元見習いの背中を叩きつけると、セシル・ジンバはそのまま話し出した。
「はっきり言っておくが、わたしはおまえを信用していない。裏切り者は何度だって裏切るんだ。信用する方が愚か、というものだ」
感情の全くこもっていない、ドスの利いた声に少年の脆い心は震え上がった。これが自分の後輩のバイト女子なのだろうか。いつも腰の低い真面目で仕事熱心な少女なのだろうか。せめて足を地面につけたかったが、それはかなわないまま娘の話は続く。
「だが、おかみさんは優しい人だ。おまえにもう一度だけチャンスを与えたい、と言ってきた。だから、わたしはそれに従ってここに来たまでだ」
咽喉にかかる力が強くなって、がふ、とチコは咳き込む。
「おまえみたいな奴を戦場でもよく見たものだ。いつも誰かのせいにして、決して真剣に生きようとしない。『おれはまだ本気を出していない』「おれは本当はすごい人間なんだ」と言いながら何も努力しないまま死んでいくんだ。わたしの知る限りにおいて、一番愚かで哀れな生き方だな」
そう言うと、少女は右手をパッと離した。地面に叩きつけられた激痛にチコは無言でのたうち回る。その様子を三つ編みの娘は冷たく見下ろしていた。
「まあ、わたしとしては、おまえには店まで来る勇気などないと思っているし、そう願っているのだがな。おかみさんは残念がるだろうが、おまえみたいな人間にはうちの店にもう関わってほしくないんだ」
冷笑とともにそう言い捨てると、セシル・ジンバは悠々と立ち去っていく。空は曇っていて、昼近い時間でもあたりは暗く見えた。横たわったままチコは混乱の真っ只中にあった。わけがわからなかった。大の男を細い身体の娘が片腕で持ち上げたのも理解できないが、いつも見知っていた少女の豹変ぶりも理解できなかった。しかし、ただひとつだけ理解できることがあった。あの娘が自分を低く見ていること、心から軽蔑しきっていることだけは、はっきりとわかった。
(ふざけやがって。ふざけやがって)
怒りとともにチコは家の中へと戻ると、部屋の中のものに当たり散らしてから、のろのろした動きで外出できる服装に着替えた。「くまさん亭」へと行くつもりだった。セシル・ジンバの言うことを聞くつもりなどなかったが、このままじっとしているわけにもいかなかった。せめて何かを言い返さなければ、プライドを保てそうにはない。
(おれだって頑張ったんだ。おれだって必死だったんだ)
それだけは言いたかった。全てを否定されてはたまらなかった。自分の人生を無価値だと決めつけるのは、あの娘にも誰にもできないはずなのだ。チコが家を飛び出したのは、セシル・ジンバが立ち去って30分を過ぎた頃だった。
(ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう!)
行動すると決めたものの、少女の言う通りに一度逃げ出した店に舞い戻るのもとてもいたたまれない行為だった。恥ずかしさと怒りで頭が煮え立つのを感じながら、荒々しい足取りで、チコはかつて通い慣れた店へのルートを久しぶりに歩き出していた。
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