第16話 青年騎士、オニギリを買う

「くまさん亭」が突然の危機に見舞われて、「マグラ通運」と新たに取引することになった2日後。シーザー・レオンハルトは昼下がりの繁華街を歩いていた。その胸中は穏やかではない。

「ったく、小僧の野郎、おれを馬鹿にしやがって」

本来であれば、今頃彼は王立騎士団団長として王宮で開かれている会議に参加しなくてはならないはずだったのだが、

「ぼくが代わりに出ますから」

と、朝一番にやってきた副長のアリエル・フィッツシモンズに止められたのだ。

「だって、今日は細かいデータがいっぱい出てくる議題なので、レオンハルトさんには向いていないと思います」

向き不向きは関係なしにトップとして出席する必要があるだろう、と思ったのだが、

「じゃあ、言わせてもらいますが、先日の御前会議で居眠りしていたの、あれ、かなり顰蹙でしたよ。『居眠りであそこまで大きないびきをかけるレオンハルトは真の豪傑だ』って陛下がものすごいフォローをしてくださった、と聞いて、ぼくは情けなくて涙が出ました」

そして、

「だから、お願いですから今日は大人しくしていてください」

ときつく念を押されて参加を断念させられたのだ。ぐうの音も出はしなかった。というわけで、彼は今自由の身になっていたわけだった。

「まあ、いい。小僧はあとでたっぷりマンツーマンでしごいてやる。せっかく暇になったんだ。やりたいようにやらせてもらおう」

シーザーは「くまさん亭」に向かっていた。この前行ったばかりだが、お目当てにしていたシチューを食べそびれていたのだ、今日はそのリベンジと行きたかった(その代わりに食べた、なんとか、という麺類もかなり美味かったが)。それに、自分一人で行ったと知れば、アルは間違いなく機嫌を損ねるはずで、生意気な部下へのささやかな復讐、という意味合いもあった。そうこうしているうちに、目的の大衆食堂にたどりついたのだが、

「なんだ?」

食堂の店先にノーザ・ベアラーが立っていた。その傍らにはテーブルが置かれていて、何かが入った袋がいくつも乗っかっている。

「おや、団長さん。今日はどうされたんですか?」

女主人ににこやかに挨拶されるが、その背後に見える店内は暗く人気もない。

「いや、おたくで昼飯を食べようと思って来たんだが、店はどうしたんだ?」

「ああ、それは申し訳ありません。実は改装工事を急遽やることになって、しばらく休業することにしたんですよ。なにぶん、長く店をやっていたもので、あちこちガタが来てるんです」

もちろんこれは建前である。取引を断られて食材が手に入らないので休みます、と馬鹿正直に理由を言って得することなど何もないのだ。

「へえ。それは残念だな。で、これはなんなんだ?」

青年は袋を指さした。

「いえね、店を休む、といっても、その間何もしないんじゃわたしらも干上がっちまうんでね、弁当を作って販売してるんです」

「ほう。弁当か」

興味をそそられた。この店の料理が美味しいのは青年もよく知っていたので、弁当の味もいいだろう、と推測はできた。

「では、せっかくだからひとつもらおう」

「ありがとうございます」

おかみさんに銅貨を一枚渡し、袋を貰う。すぐに中を覗き込むと、何か白くて丸いものが2つ入っている。取り出してみると、米のかたまりだとわかった。

(これが弁当なのか?)

少なくともシーザーが今まで知らなかったものだ。騎士の表情に戸惑いを見たのか、ノーザが説明する。

「それ、オニギリっていうんですよ」

「オニギリ、だと?」

「ええ。この辺では見慣れないものですが、東の国ではよく食べられているそうで」

「なるほど。東方の料理か」

食べ物の知識などまるでない青年も、東方では米がよく食べられている、くらいはさすがに知っていたのでなんとなく納得する。

「これはどうやって作ったんだ?」

「お米を炊いて手で握るだけです。だから、『オニギリ』っていうんです」

「なるほど。おかみさんが握ったものなら間違いなく美味しいだろうな」

女主人が笑って否定する。

「いえいえ、これはわたしじゃなくて、セシルが握ったものです」

「セシルさんが、か?」

「そうなんですよ。もともと『オニギリ』の作り方だって、あの子が教えてくれたんです。若いのに妙なことを知ってるもんですけど」

この食堂で働くセシル・ジンバという娘にはシーザーも強い関心を持っていた。セイジア・タリウスと同じ味のシチューを作れる不思議な少女だ。そんな彼女が作ったものなら、と青年騎士は手にしていたオニギリにすぐさまかぶりついた。

「む」

「アステラの若獅子」の異名をとる青年の目が大きく開かれた。美味い。米本来の味わいにかすかな塩味が効いていてなんとも絶妙だ。がつがつ、とかじると、オニギリはあっという間に騎士団長の腹の中に納まった。結構な充足感があった。腹持ちもよさそうだ。一つ食べただけだが、シーザーはオニギリをかなり気に入っていた。

「いいな、この『オニギリ』とかいうの」

「ありがとうございます」

頭を下げたノーザを見ながら、シーザー・レオンハルトは「そうだな」と少し考えてから、

「よし。これ、今あるだけくれないか?」

と、テーブルの上のオニギリの袋を指さした。さすがの女主人も驚く。

「全部、ですか?」

「ああ、全部だ。部下への土産にしたいんでな」

商品を売り切った喜びよりも驚きを感じながらノーザ・ベアラーは用意をする。袋は十個以上あるから、さすがの騎士でもそのまま持っていくことはできないので、箱に詰め込むことにする。

「ははははは。さすがに大量だな」

オニギリ入りの袋が詰められた箱の中を見て黒い短髪の青年は無邪気に笑った。

「団長さん、ありがとうございます。騎士団の皆さんにも、いつもご贔屓にしてくださっていて、本当に助かっています」

「なに、礼には及ばない。おたくの飯が美味くて、おれたちは美味い飯が好きだから来る、ただそれだけのことだからな」

飾りのないぶっきらぼうな言葉に苦しい状況にある女主人の心は強く打たれた。かつては蛮勇をふるうしか能がなく、養父のレオンハルト将軍やリブ・テンヴィーに何度も叱責されていた若者も、いつしか多くの人の心をつかめるほどの器の大きな人間に成長していたのだ。

「ああ、それと、セシルさんは店にいるのか?」

「ええ。今も厨房でオニギリを作っているところです」

と、ノーザは暗い店内に視線を移す。

「悪いんだが、ちょっと呼んできてくれないか?」

セシル、セシル、とノーザが2度ほど大きな声で呼びかけると、ぱたぱた、と足音がして、三つ編みのバイト女子がやってきた。タオルで手を拭いているところを見ると、確かにオニギリを握っていたようだ。

「どうしました、おかみさん?」

「団長さんが、オニギリを全部買ってくださったんだよ」

「ええっ?」

驚く少女を見てシーザーは満足感を得た。女性の驚きは男の喜びにつながっているようで、サプライズ・プレゼントなるものが廃れないのも、そのあたりに理由があるのかもしれなかった。

「セシルさん、このオニギリとかいうやつ、あんたが作ったんだってな。とても美味かったぞ」

「はあ。それはどうも」

いまだに事情をつかめていないバイト女子に騎士団長は笑いかける。

「それでだ。明日の昼にうちの本部まで、このオニギリを50袋ほど届けてほしいんだ。昼休みに食事をするのだが、食堂の定食ばかりじゃ飽きるから何か新しいものを食べたい、と部下から頼まれていたところなんだ。それに、このオニギリなら短い時間で食べ切れるから、訓練の合間に食べるには都合がいい、と思うしな」

そう言うと、「アステラの若獅子」は黒い瞳を光らせて、

「どうかな、セシルさん?」

と訊いてきた。

「はい。そういうことならお届けに上がります」

と少女が言うと、

「それは結構だ。では、頼んだぞ。あ、そうだ。セシルさん、店が新しくなったらまたシチューを食べさせてくれよ」

そう言いながら青年騎士はオニギリ入りの箱を抱えて意気揚々と引き揚げていった。精力みなぎる大柄な青年に圧倒されていた女主人と店員は安堵の息をつく。

「よかったですね、おかみさん。シーザー、じゃなくて、騎士団長さんがたくさん買ってくれて」

「それはありがたいんだけど、なんか同情された、って気もするんだよね。あの人は偉い騎士だから、うちが苦しいのも見抜いたんじゃないかな、って」

オニギリの販売は昨日から始まったばかりだが、なかなか思うようにはいかなかった。見慣れない料理に人々がなかなか手を伸ばさないのも当然ではあるのだが、それでも売れ行きが伸びないのは店の主人としては気が重かった。

「そんなことないですよ。あいつは本当に気に入ったものしか褒めませんから」

そう言い切った少女をノーザは訝しげに見る。

「なんだい? あんた、団長さんといつの間にか仲良くなったのかい? なかなか隅に置けないねえ」

「いや、そういうことは全然ないんですってば」

慌てて否定しながらも、セイジア・タリウスは青年に心の中で感謝していた。

(ありがとう、シーザー。持つべきものはやはり友人だな)

ちなみに、店を去った後でシーザー・レオンハルトが我慢できなくなって、箱の中からオニギリを取り出しては次々と平らげていき、

「うめえな。本当にうめえ、このオニギリとかいうの。うめえうめえ」

と言いながら街を闊歩していくのを見た多くの通行人が興味をそそられて、後で大衆食堂に押しかけることになるのだが、それは「くまさん亭」の店員たちは知る由のない話である。そして、夕方にオニギリの行商から戻ってきたオーマとコムから昨日から売れ行きがかなり伸びたとの報告を受け、さらにシュウ・マグラから食材のルートが確保できそうだ、という連絡が来て、ノーザ・ベアラーはセイたちから隠れるように、厨房の隅でひとり涙を流した。

(ホーク、見ていておくれ。あんたの店は必ず守ってみせるからね)

その涙がやけに温かく感じられたのは、わずかながらではあるが、彼女が希望を見出しつつあるからなのかもしれなかった。


「もうっ。どうしてひとりだけで行くんですか」

会議を終えて騎士団本部に引き上げてきたアリエル・フィッツシモンズは上官に向かって猛抗議してきた。「くまさん亭」は少年のお気に入りの店でもあったのだ。

「悪い悪い。でも、ちゃんと土産を買って来たんだ。勘弁しろ」

シーザー・レオンハルトが全く悪く思っていないのはバレバレだったので、ますます頭にきたが、土産というのも気になったので袋の中身を見てみる。

「あ、これ、オニギリだ」

「おう、よく知ってるな。さすが物知り博士」

「ぼくが物知りなんじゃなくて、あなたが物を知らなさすぎるだけです」

なんだと、と憤る大柄な青年を無視して、茶色い髪の少年はオニギリを口にする。

「うわあ。これ、おいしいですね」

「だろう?」

自分が作ったわけでもないのに自慢げな顔をする上官はやはり無視することにしたが、今食べたものがそう簡単には作れないことは少年にもわかった。味もさることながら、口の中でほどけるような食感がたまらなかった。このように白飯を握るためにはかなりの練習が必要だ、というのは実際に厨房に立つこともあるアルにはよくわかったのだ。

「すごいですね。これは本当によくできています」

そこでシーザーから明日の昼食にオニギリを大量に注文したことを聞かされて、

「たまにはいいことを思いつくんですね」

と褒めたところ、何故かすごい勢いで怒られた。騎士団長がいつもろくでもないことしか考えないのは事実なので、怒られる理由などないはずなのだが。怒りをさんざんぶちまけてすっきりしたのか、シーザーが笑って言った。

「しかし、まあ、セシルさんはすごいな。シチューも麺もオニギリまで作れるとは、すごい料理人だ」

「これ、セシルさんが作ったんですか?」

「おう、そうだ。あの人が白い手でせっせと握った、と思えばより一層美味く感じられるというものだ」

その意見には同意しなくもないが、アルは驚きとともに手の中に半分ほど残ったオニギリを見つめ、その様子にシーザーも気づく。

「なんだ? もう腹一杯なのか?」

いえ、と小さく呟いてから、

「団長もオニギリを握れたはずなんですよ」

「はあ?」

少年の言葉に青年騎士も驚く。

「ぼくも食べたことはないんですけど、作り方を覚えた、って言っていたのを確かに聞きました」

「いや、それはまたあれだろ? シチューと同じで、ツンジさんに教わったとかいう」

「違います」

発言の途中で否定されてシーザーも思わずたじろぐ。

「捕虜になった東方の兵士から教わった、って団長は言ってました。それに、ツンジさんがオニギリを作っていたとか、東方の料理を作っていた、とかいうのをレオンハルトさんは知ってますか?」

しばらく考えてから、

「いや。ねえな」

とシーザーも重々しく声を発した。世間話ではなく真剣に捉えるべき事態だと察したのだ。

「だと思いました。オニギリは東方の料理ですから、東方の人間から教わった、と考える方が自然です」

「しかし、そうなると、一体どうなるんだ? セシルさんがセイと同じ料理を作れる理由が他にもある、ということになるのか?」

「レオンハルトさんだって気づいているでしょう? あの人、セシルさんは普通の人じゃありません。何か特別な事情があるんだと思います」

アリエル・フィッツシモンズは真相に肉薄していたが、さすがにセシル・ジンバとセイジア・タリウスが同一人物だという可能性には思い至っていなかった。

「そうだとしても、セシルさんを直接問い質すのは気が進まないけどな。あの人が普通でないのはおれにもわかるが、悪い人ではないのもわかるしな」

「でも、団長の行き先が分かるかもしれないじゃないですか」

少年騎士が必死になる気持ちも青年にはわかったので答えるのはなかなか難しかったが、

「おれにはもう一つ気になることがあるんだ」

「なんですか?」

話の腰を折られたアルは明らかに不服そうな表情を浮かべる。

「あの店、『くまさん亭』がいきなり休業したのは、何かワケありなんじゃないか、って気がする」

「いや、でも、それはよくあることじゃないんですか? 設備に不具合が出たとかで、突然休むというのはない話ではないかと」

「かもしれんが、今日実際に店に行ってみてそう感じたんだ。なんというか、暗い雰囲気がしてな。あの店には全然似合わない、嫌な空気だった」

ノーザ・ベアラーが「同情されている」と感じたのは当たらずとも遠からず、といったところだった。シーザーの野性的な感性は大衆食堂を覆う暗い影を察知していたのだ。

「だから、おれは事情を探ろうと思っている。おまえだってあの店に何かあるのは困るだろ、アル?」

「そう言われると確かに気になりますけど、でもそれは我々の職務の範疇にはないことじゃないですか? 市警の任務を侵すことにもなりかねません」

アステラ王国の首都チキの治安を守るのは首都警察、通称「市警」の役割だった。軍隊である王立騎士団がそこに踏み込むのは越権行為と判断され、権力機構同士が争うことにもつながるおそれもあった。

「早とちりはよくねえな。おれは騎士団長としてではなく、あくまでおれという個人として探る、って言ってるんだ。それに、もしも今ここにセイがいたら、なんて言うだろうな?」

(レオンハルトさん、それを言うのはずるいですよ)

アルにとってそれは殺し文句だった。騎士道精神、王国の臣民としての務め、そういうものも大事ではあったが、それらの規範も、セイジア・タリウスならどう考えるか、という視点に比べれば何ら力を持ちえないものでしかなかった。

「目の前で苦しんでいる人を見捨てて、何が騎士だ!」

と雄々しく叫び、あらゆる規矩準縄を無視して、後で待ち受けている処罰を全く恐れることなく、困っている人を助けに走り出したことだろう。そして、そんな彼女だからこそ憧れて恋焦がれているのだ。

「まあ、そうですね。そういうことでしたら、ぼくも及ばずながら協力させてもらいます」

そうしたら団長は褒めてくれるだろうか、と少年はつい考えてしまう。この1年あまり、騎士として働いていても、彼女の言葉が聞けないのはあまりにつらすぎたのだ。

「そうしてくれると助かる。この場合、おまえみたいな頭のいい奴がいてくれた方がいいだろうしな。残念だが、おれは荒事にしか役に立たない人間なんだ」

「ですよねー」

「そこは否定しろよ! 上官を敬えよ、この野郎!」

それからまた恒例の喧嘩が始まったのだが、それはともかく、シーザーとアルも「くまさん亭」をめぐる紛争に、こうして足を踏み入れることとなったのであった。


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