第15話 意外な打開策

「セシル、本当によくやってくれたね」

「くまさん亭」に戻るなり、ノーザ・ベアラーに抱きつかれて、セシル・ジンバの中のセイジア・タリウスはどぎまぎしてしまう。いつもさばけた態度のおかみさんが珍しく子供のように喜んでいるのは、それまで抱えていた不安の大きさの反動なのだろう。バイト女子に抱きついたまま、彼女が連れてきた「マグラ通運」の社長に女主人は話しかける。

「ありがとう、マグラさん。でも、本当にいいのかい? うちの店を助けたら、あんたたちも大変じゃないのかい?」

ノーザに最初にそう言われたことで、シュウ・マグラは「この食堂を助けよう」と決意していた。大変な状況にあるにも関わらず、自分よりも他人を心配する気高い精神の持ち主を抛ってはおけない、と思ったのだ。

「ご心配には及びません、ベアラーさん。うちは主に宅配や物資の運搬とかをやっていて、食品を扱うのはあくまでサブなんですよ。だから、食っていく手段はちゃんと確保できているんです」

この言葉は必ずしも正しくはない。業界中が「くまさん亭」を締め出している中で、それを破れば他の業務にも影響が出るのは避けられるはずがなく、「マグラ通運」の先行きは暗い、と言わざるを得なかった。だが、自分の言葉で女料理人の不安が若干和らいだように見えたので、それだけで十分だ、とマグラは思っていた。

「だから、そこのお嬢さんは、いいところに目を付けたわけです。食品をメインに扱っているところはみんなきつく締めつけられて動きが取れないようなので、うちのような中小企業にはいいチャンス、とお嬢さんの話を聞いておれは考えたんです」

セイジア・タリウスの手紙の件は伏せておいてくれ、と三つ編みの娘から頼まれていたので、マグラも持ち出さなかった。

(公に言えない事情があるのかもしれない。たとえば、貴族がよそに子供を作る話はよく聞くから、タリウス家も例外ではないのかもな)

という男の勘繰りが、この状況ではセイにとっていい方向で作用していた。彼女としてはただ単に仕事を失うのを恐れただけであり、亡くなった妻を今でも心から愛している先代タリウス伯爵が隠し子など作るはずもなかったのだが。

「なるほどねえ。商売上のチャンスである、と見たんだね」

マグラの言葉にノーザは納得していた。自分のビジネスをそっちのけにしてまで人助けをするのは間違っている、というのは彼女の理念にも合致していたのだ。どんなときでも利害から決して目をそらさないのが、商売人としての彼女のモラル、とも言えた。

(どうも落ち着かんな)

ようやく店の前途に明るい兆しが見えてきたというのに、オーマの心中は穏やかではなかった。その理由はわかりきっていた。この店の女主人がさっきから運送業者にすがりつかんばかりの態度で接しているように彼には見えるからだ。彼の不安にはそれなりの根拠があった。マグラとノーザの夫には、男前とは決して言えないが、まあまあチャーミングな大男、という共通点があったからだ。

(やっぱり身長がないと頼り甲斐もないのか)

小柄な料理人がひがみっぽく考えていると、マグラがにわかに苦笑いを浮かべた。

「と言っても、おれも最初はおたくとは関わらないでおこう、と考えていたから、そこまで立派な人間でもないんですけどね」

大男は照明のともった食堂の天井を見上げた。外はすっかり暗くなっている。

「セシルさんのお話を引き受けても実はまだ少し迷っていたんです。おれのわがままに社員のみんなまで巻き込んでもいいのか、と。そうしたら、うちの嫁さんが会社の経理をやっているんですけど、話を聞いたらしくて、おれのところに急いでやってきて怒鳴ってきたんです」

「どうしてそんな面倒に関わるのか、って?」

ノーザの問いにマグラは太い笑い声をあげる。

「逆ですよ、おかみさん。『女手一つで頑張っている人を見殺しにしたらもう家に入れないから、しっかり助けなさい』って怒られました。だから、この食堂を助けないと、うちは離婚の危機なんですよ」

「ありゃあ。じゃあ、マグラさんは頑張ってうちを助けないといけないね」

そう言って男と女は笑い合い、それを横で見ていたオーマもこっそり安心していた。

(なんだ。もう結婚しているのか)

わざわざ書くほどのことでもないかもしれないが、もちろんノーザ・ベアラーはシュウ・マグラを男性として意識してはおらず、全ては小柄な料理人の独り相撲に過ぎなかった。

「兄貴、よかったですね」

その心理を読んでいたコムに冷やかされたオーマは黙って後輩料理人を睨みつけた。

「ただ、今のところはこれくらいしか用意できなかったんですよ」

マグラが気まずそうに言うと、店内にいる全員がテーブルの上に置かれたものを見た。さっき男が運び込んできた、たくさんの布袋と、肉、魚、野菜、果物がほんの少しだけあった。ざっと見ただけでも、明日一日開店できるだけの食材がキープできているとは思えなかった。

「いやいや、急な話だったのに用意してもらって感謝してるよ、マグラさん」

女主人にフォローされると、男は巨体にぐっと力を入れてから重々しく呟く。

「このままだとおれの気持ちがおさまらないんですよ。十分な食材を供給するのが役割なのに、それをできていないのが我慢ならない。だから、一刻も早く体制を整えるつもりでいます」

そう言うと、ノーザの顔をじっと見つめて、

「5日、いや、3日でなんとかしてみせます。少しだけ辛抱してくれませんか?」

と言ったマグラに、

「ああ、なんとか耐え忍んでみせるよ」

と女主人も応える。だが、その内面は複雑だった。

(なかなか厳しいけど、マグラさんは本気なんだ。くじけるわけにはいかないね)

「くまさん亭」のような大衆食堂は一日休業しただけでもかなりのダメージを蒙る。それが3日ともなれば、相当な損害を覚悟しなければならず、マグラの頑張りが上手く行かずに調達にさらに時間がかかるようであれば、最悪の場合、閉店に追い込まれる可能性もあった。どこまで店の体力が保つかは、女主人にも予想できなかった。

「これ、お米ですか?」

「ああ、そうだな」

テーブルの上を見ていた少女の問いにコムが答える。大量の布袋には米が詰まっていた。

「まあ、あるに越したことはないけど、これだけ一杯あってもなあ」

大柄な料理人のぼやきは決して事実に反してはいなかった。アステラ王国は主にパン食で、米はそれほど食べられておらず、「くまさん亭」の料理にもあまり使われていなかったのだ。

「こら。マグラさんがせっかく持ってきてくれたのになんてことを言うんだい。贅沢を言ったら罰が当たるよ」

女主人から雷を落とされてコムが首をすくめ、みんなが笑い声をあげた。セイは袋に触れながらそっとつぶやいた。

「確かにコムさんの言うようにそれほど使い道があるわけじゃないけど、でも、これだけあればオニギリは握り放題だ」

100個、200個は軽くできる、と思った少女の唇に笑みが浮かんだそのとき、

「おかみさん!」

オーマが突然叫んだので、店内の全員が驚いて飛び上がる。

「なんだい、いきなり大声を出して」

女主人に小柄な料理人が顔を近づけて話し出す。

「今こそ初心に帰りましょう、おかみさん」

「は? オーマ、あんた、いきなり何を言って」

この状況で心構えを説かれても困る、とノーザは思ったが、オーマから出た話は予想外のものだった。

「この店が出来る前、おれと先代とおかみさん、3人で移動販売をやってたじゃないですか?」

ずいぶん古い話を持ち出してきた、と女主人は困惑する。もう10年以上前の、娘のポーラが生まれる前の話だ。ホーク・ベアラーが独立して店を作ることになったのだが、人のいい彼は仲介人にだまされて資金を奪われ、計画がダメになってしまったのだ。しかし、ホークはまるでめげなかった。

「料理はどこにいたって作れる」

自宅のキッチンで作った弁当を古ぼけた荷車に乗せて、まだ恋人だった頃のノーザと親友のオーマと一緒に3人で売って歩いたのだ。そうして頑張っているうちに再度資金を貯め、それに加えて彼の料理に惚れ込んだ人たちの助けも得て、「くまさん亭」の開店にこぎつけることができたのだ。

「うわあ。いい話ですねえ」

コムもこの話は知らなかったらしく、感動している。

(かなうことなら、先代のご主人に一度お会いしたかったものだな。素晴らしい不屈の精神の持ち主だ)

女騎士は目を閉じて天に召された男に祈りをささげた。戦場で多くの仲間の死を看取ってきた彼女は、いい人間ほど早く旅立ってしまうのは何故だろう、とふと思った。その一方で、ノーザ・ベアラーは感傷にとらわれることなく、冷静に事態を見据えていた。

「つまり、もう一度移動販売をやれ、って言いたいのかい?」

「はい。このままだと店は開けられません。でも、メニューを限定すればやりようはあります」

オーマの熱が伝わったのか、女主人は真剣な表情になってテーブルの上を見た。

「悪くない考えだと思うよ、オーマ。ただ、このままだと、あのときと同じようにはいかないんじゃないか?」

当時、ホークはサンドウィッチを主に売っていた。だが、今の「くまさん亭」にはパンがなく、パンを作る材料もなかった。

「それはもちろんそうです。だって、先代ももういませんから。あんなに早く死んじまって、おれは今でも残念だし、くやしくてしかたないんですけどね」

小柄な料理人の言葉に店内が重苦しい空気に包まれたが、それは一瞬のことだった。

「でも、その代わりにあのときいなかった人間が、今はいます」

オーマがそう言うと、店中の視線が自分に集まったのを少女は感じた。

「え? わたし、ですか?」

「そうだ。セシル、おまえの出番だ。この店を助けてほしい」

小男に肩を叩かれてもセイにはわけがわからない。

「いや、それはもちろんそうしたいんですけど、どうしたらそんなことができるのか、わたしにはわからないんですけど」

「何を言ってるんだ? おまえ、さっき自分が言ったことをもう忘れたのか?」

それで女騎士もようやく理解できた。その手があったのか、と。

「なるほど。オーマさん、ナイスアイディアです」

「だろう? おれだって、やるときはやるんだ」

「あのねえ、何を2人だけで盛り上がってるんだい?」

「そうですよ、おれにもわかるように言ってくださいよ」

ノーザとコムが苦情を申し立ててきて、それにオーマと少女が一生懸命説明している様子を見て、シュウ・マグラはいかつい顔に似合わない微笑みを浮かべていた。

(この人たちと知り合えてよかった。厳しい状況でもへこたれない人となら、いい仕事が出来そうだ)

「マグラさんもちょっと相談に乗ってくれないかね?」

女主人に呼ばれたので、マグラも話の輪に加わることにした。こうしているうちに「くまさん亭」の新たな方針が決まっていったのであった。


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