第14話 女騎士さん、お願いに行く

夕方になっていきなり「マグラ通運」におしかけてきた訪問者に、社長のシュウ・マグラは困っていた。ただでさえ忙しい時間だ。アポなしの客など普通なら追い返すところだが、やってきたのは地味な外見の少女だったので無下には扱えなかった。ごつい身体にいかつい顔を乗せてはいても、彼はフェミニストなのだ。

「お願いします。なんとかお話を聞いてはもらえないでしょうか?」

屋外にある荷物の集積場で部下に指示を与えていくマグラにセシル・ジンバと名乗った少女は食い下がる。

「いや、わざわざ聞かせてもらわなくてもいい。おたくの店に関する話は一応耳にしている。というより、この街でこの商売をやっている人間はみんな知っているはずだ」

「それはどんな話ですか?」

男は少しだけ言い淀んでから、

「理由はどうあれ、どこもおたくとは商売しない、ということだ」

わかったら帰るんだ、と続けようとしたが、三つ編みの少女が何やら思案しているようなので、それはできなかった。

「ははあ。じゃあ、やっぱり、相当大掛かりな工作をしたのか。ギルドにも手が回っているようだしな」

こんなことを言っていて、しかもどこか楽しげだ。逆境にある人間の表情とは思えないので、マグラもつい興味を持ってしまう。

「おい、どうかしたのか?」

「あ、いえ、自分の予想通りに物事が進んでいるなあ、と思ったのでつい」

(変わった子だ)

それで男は少しだけ少女と話す気になった。もちろん頼みは聞くつもりはなかったが。

「セシルさん、だったよな。そもそも、おれとあんたは今が初対面だよな?」

では、そうですね」

また妙なことを言われた。普通の少女ではない、という感覚が強まっていく。

「じゃあ、せっかく来たんだし、ひとつ教えておいてやるがな、こういう商売では日頃の付き合いが大事なんだ。全く知らない人間が突然飛び込みでやってきて頼まれたって聞くわけにはいかないんだ。おれの経験でも、そういう依頼を引き受けると、ほぼろくな目には遭わない。今のあんたも同じことだ。あんたの店と関わってもろくなことにならない、というのはわかっている。なあ、あんたの頼みを引き受けたとして、おれに何の得があるんだ?」

かなりきつめの調子で話をしたつもりだったが、

「あなたに得はないでしょうね」

と涼しい顔で答えられて、マグラは唖然とする。

「今のわたしは損得を持ち出せる立場にはありません。だから、交渉に来たのではなく、お願いにやってきたのです。マグラさん、あなたの善意にかけるつもりでここに来たんです」

勘弁してくれ、と男は岩のような体に似合わない弱音を吐きそうになる。

「あのなあ、お嬢さん。うちは慈善団体じゃない。商売をやってるんだ。おれも、おれの部下たち、そしてその家族も食わせてやらなきゃならないんだ。おれは善意で何かをやるつもりなんてない。見損なわないでくれ」

今度こそ少女を追い返そうとするが、

「もちろん、タダでやってほしい、とは言いません。あなたがたがいつもやっているのと同様の金額を支払うことは、うちの店にもできるはずです」

そばかすの散った白い顔に全く動揺は見られない。娘の度胸だけは、やり手の商売人も認めざるを得なかった。

「いや、だからだな。あんたたちと普通に仕事をしても割に合わないと言ってるんだ」

さらに言葉を重ねようとしたが、少女の強い視線を感じて黙らされてしまう。目が前髪に隠れていても強さを感じるのだから、直視すれば命に関わるかも知れなかった。

「わたしも何の考えも無しにここに来たわけではありません」

「なんだと?」

「それなりにあてがあってきたんです」

いつの間にかマグラは仕事を忘れて少女と向き合っていた。相手のペースに飲まれていることに海千山千の男が気づかずにいた。

「マグラさん、あなたは戦争の時、天馬騎士団のために物資の輸送を請け負ったそうですね」

「ああ、そうだ」

こちらの事情を調べているらしい、と男の中でセシル・ジンバへの警戒感が強まる。

「そして、団長のセイジア・タリウスからお褒めの言葉をいただいたそうですね」

「セイジア様、だ」

英雄を呼び捨てにした娘に驚きとともに不快感を覚える。あの女騎士をそんな風に呼ぶ人間は少なくともマグラの身の回りにはいなかったし、彼にとって何よりも大事な記憶を汚された気がしたのだ。


もともと、彼は騎士が嫌いだった。威張りくさっていて、こちらが必死で仕事をしてもできて当たり前、という顔をして、召使いか奴隷のように扱ってくる。そんな思い上がりに我慢ならなかったのだ。だから、天馬騎士団から依頼があった時も、はっきり言って乗り気ではなかった。嫌いな騎士との仕事であるのに加えて、戦地へ荷物を運ぶのだ。気乗りがするはずはなかったが、当時の「マグラ通運」は金回りが悪く、仕事を選り好みしている余裕はなかった。そういうわけで引き受けたのだが、予想を上回る困難な仕事となった。悪路、悪天候といった悪条件が重なった上に、敵襲にも遭遇し、何度も命の危険を感じた。自分も部下も誰一人命を落とさなかったのだが奇蹟のように思われた。ようやく目的地に着いてすぐに、団長が呼んでいる、と使いが来た。

(どうせお叱りだろう。さもなければケチをつけて支払う金を減らす気だ)

と思って嫌々行ってみると、銀の鎧をまとった金髪の少女が笑顔で彼を迎えたのですっかり面食らってしまった。「金色の戦乙女」の噂は聞いていたが、まさに百聞は一見に如かずで、マグラはその輝かんばかりの美貌に衝撃を受けた。そして、それ以上に彼女の言葉に衝撃を受けていた。

「マグラ殿、この困難な状況にあってよくぞ務めを果たしてくれた。団長として礼を言わせてくれ」

「あ、いえ。おれはただ頼まれた仕事をしただけで」

20歳以上年下の娘に対してどぎまぎしながら答えると、

「その、仕事をした、というのが素晴らしいのだ。われわれ騎士は戦地で働くのは当然のことだが、おまえたちはそうではない。大変恐ろしい思いをしたはずだ。逃げ出したかったはずだ。だが、それでも仕事をしてくれた、その勇気をわたしは何よりも素晴らしいと思う。心から礼を言う。ありがとう、マグラ殿」

そう言って、女騎士は運送業者に向かって頭を下げた。いつの間にか、マグラは地面へと平伏してしまっていた。あまりに感激して立っていられなくなったのだ。

(なんてもったいないことだ。ありがたいことだ)

それを思い出すと、男は今でも涙があふれるのを止められなくなる。おれはあのセイジア・タリウスのために仕事をしたんだ、と思うと大抵の苦労は乗り切れる気がした。他人に誇れることなど何もない自分が、ただひとつだけ胸を張れること、それはあの金髪の少女騎士に感謝されたことなのだ、と心から思っていた。


「ああ。おれはかつてセイジア様のために仕事をした。一度だけでなく何度もな。で、それがどうしたんだ?」

すっ、と少女が白い封筒を取り出すのが見えた。

「そのセイジア・タリウスから手紙を預かっているので読んでもらえませんか?」

「なに?」

三つ編みの娘から手渡された封筒には赤い封蝋がなされ、簡略化された弓矢と騎馬の図案が刻印されていた。タリウス家の家紋だ、というのはかつて女騎士と仕事をした男にはわかっていた。

(まさか、本物なのか)

手が震え出し、その震えが全身へと広がっていく。

「どうぞ、お読みになってください」

少女の言葉が遠い彼方から聞こえた気がした。震える手で苦労しながら白い封筒を開けると、やはり白の便箋が一枚入っていて、そこにはこのように書かれていた。


「シュウ・マグラ殿

そなたの以前の働きについて忘れたことはない。あらためて礼を言う。

久しぶりの手紙で願い事をするのも気が引けるが、できることなら、ひとつだけ頼まれてほしい。

わたしもよく知る食堂「くまさん亭」が現在苦しい立場にある。そこでマグラ殿の助けが欲しいのだ。「くまさん亭」は多くの人の憩いの場として地域に根付いている。そのような場所を失くしてしまうには忍びない。わたしがかつて戦ってきたのは、人々の平穏が守られることを願ったからで、その願いは戦いが終わった今でも変わりはない。誰かが悲しむのを見たくはないのだ。

だから、「くまさん亭」を守るためにマグラ殿に助けてもらいたい。この状況において、そなたはわたしの知る限りで、一番頼りになる人間だ。とはいえ、これはもちろん命令ではない。当然のことだが、わたしはそなたの上官ではなく、かつての知人として頼んでいるにすぎないのだから、断っても一向にかまわない。どのように判断をしても、わたしはそれを受け入れるつもりだ。

マグラ殿と「マグラ通運」の今後の発展を祈って、筆をおくこととする。

                            セイジア・タリウス」


シュウ・マグラは全身を震わせながら手紙を読み終えた。

(間違いない。これは本物だ。セイジア様がおれに手紙をくださった)

飾りのない直截な文章、そして可愛らしく丸っこい字。まぎれもなく彼の知っている女騎士からのメッセージに違いなかった。動揺が消えないままに目を上げると、セシル・ジンバと名乗る少女が微笑んで彼を見守っているのが見えた。

「なあ、あんた。どうしてセイジア様の手紙を持っているんだ?」

かつての騎士団長が行方をくらませたのは、彼も当然知っていて、大いに心配していたのだ。

「なあ、どうしてなんだ? セシルさん」

「まあ、あの人とは多少縁があるので、とだけ言っておきます」

ふふふ、と笑われる。冴えない外見の少女とうるわしき女騎士の関係も気になったが、一番重要なのはセイジア・タリウスからの頼まれごとをどうするか、ということだった。「くまさん亭」と関わるべきではない、というのはわかっていた。業界中でそういう話になっていて、男もそれは知っている。あの食堂に落ち度があるかどうかは問題ではなく、なんとなくそういう雰囲気が出来上がっていたのだ。仲間外れ、というのは往々にしてそのように発生するものらしい。だから、ついさっきまでは少女を追い返すつもりでいたのだが、男が今持っている手紙が状況を一変させてしまっていた。この世で一番尊敬する女性が彼に頼みごとをしてきたのだ。断るに断れなかった。

(どうしたらいいんだ)

この商売を始めて、これほど悩んだことはない、というくらいにシュウ・マグラは懊悩していたが、その彼の周りに「マグラ通運」の社員が集まってきていた。思いのほか話が長引いているのが気になったようだ。

「まだやってるんですか、社長」

年嵩の背の低い男が目をぎょろりと光らせて言ってきた。

「馬鹿なことを考えないでくださいよ。はっきり言ってやればいいじゃないですか。おたくの店に関わりたくない、迷惑なんだ、って」

そう言っていまいましげに娘を見ると、

「さっさと帰ってくれないか。おれらの仕事の邪魔をしないでくれ」

と追い打ちをかけてきた。他の社員も同じ思いらしく、少女を迷惑そうに見ている。

(いや、そんな簡単な話じゃないし、女の子にそこまで言うなよ)

と、マグラが弱っていると、

「では、そうさせてもらいます」

と、少女が微笑みながら言ってきたので、「マグラ通運」の社長以下全員は驚いてしまう。

「え? そうさせてもらう、ってどういうことだ? セシルさん」

「ですから、帰らせてもらう、ということです。さっきも言った通り、わたしはお願いをしに来ているだけですし、そちらにご迷惑をかけたくはありませんから」

あくまで冷静な言い分だった。それどころか、冷たすぎる話し方で、聞いた者全員が背筋の凍る思いをしていて、年嵩の男も自分の言う通りになったはずなのに、ショックを受けているように見えた。

「見限られた」

とその場の誰もが思っていた。誰から見限られたのか、まではわからないが、自分より高い場所に住む何者かに見放された、ということだけはわかった。そして、今まで当たり前のように与えられていた恩寵がもはや得られない、というのもなんとなくわかっていた。

「いや、しかし、おれたちが断ったら、あんた、いったいどうするつもりなんだ?」

「おかしなことをおっしゃいますね」

その場の温度がさらに下がったのをマグラは感じた。不用意な言葉を吐いた自分に舌打ちしたくなる。

「どうして断った人間がどうなるのか、なんてことを気にするんですか? どうでもいい、と思っているから断るのでしょう? だから、マグラさんもみなさんも、わたしのことも『くまさん亭』のことも今すぐお忘れになっていいんですよ」

そう言うと、少女が自分の方へと歩き出したので、男は思わず後退ってしまう。その後ろの社員たちも「ひい」と呻いて尻込みする。そんな男たちには取り合わずに三つ編みの娘は、マグラが手にした便箋に手を伸ばした。

「それ、お返し願えますか?」

「なに?」

「あなたには必要のないものですし、持っていてもご迷惑でしょうから、引き取らせてもらいます」

白い指が便箋にかかったそのとき、シュウ・マグラはいきなり横へと飛んで、少女の手を避けた。突然の奇妙な行動に、娘も社員一同も目を丸くし、当の本人も自分が何をしたのかわからずに困惑していた。

「どうして逃げるんですか」

さらに伸びてきた娘の手を避けて、男は集積場を逃げ惑った。大の男にあるまじき、会社の社長としては見せてはならない醜態だった。だが、マグラはどうしても手紙を取り上げられるわけには行けなかった。

(これを取り上げられたらおれは終わりだ)

そう思っていた。これはただの手紙ではない。セイジア・タリウスからの手紙なのだ。そして、それを取り上げられるのは、今まであの女騎士からもらったものも全て取り上げられるのと同じなのだ。優しい微笑みも美しいまなざしも思いやりのある言葉も、全て自分の中から消えてなくなってしまう。そうなったら、これからどうやって生きていけばいいのか、男にはわからなかった。金を稼ぎ生活していくことだけはできるだろう。だが、胸を張ってお天道様の下を歩ける気はまるでしない。はたして、それで生きていると言えるのだろうか? 40歳を過ぎるまで、人に自慢できるようなことをしてこなかった自分がようやく手にすることができた、ささやかな形のない誇りまでも失くしてしまって、それでいいのか。そして、もし仮に、あの「金色の戦乙女」と幸運にも再会できたとして、彼女の頼みを聞かなかった、と知ったら、あの女騎士がどんな顔をするのか、と想像するだけで心が暗闇に落ちていくのが分かった。がん、と背中に衝撃と痛みを感じて、マグラは積んであった箱にぶつかったのに気づいた。周りに何があるかわからないほど、必死で逃げ回っていたらしい。

「もう。いい加減に返してください」

セシル・ジンバがゆっくりと近づいてくる。年嵩の男を先頭に社員たちもその後をおそるおそるついてくる。

「わかった。わかった、セシルさん」

降参するかのように手を上げたマグラを見て、少女も男たちも足を止めた。そして、熟練の運送業者はセイジア・タリウスからの手紙にもう一度目を落とすと、

「あんたの頼みを引き受けよう。『くまさん亭』と仕事をすることにする」

と、ぼそっ、とつぶやいた。

「マグラさん、いいんですか? 迷惑じゃないんですか?」

半信半疑で訊ねる少女に、

「迷惑に決まっている。だが、やると決めたんだ」

そう言うと、

「ナベさん、悪いな。あんたが考えている以上におれは馬鹿なんだよ」

と年嵩の男に向かって笑った。

「よくわかってますよ。社長、あんたは馬鹿野郎だし、その下で働いてるおれたちもみんな馬鹿なんだ」

と小男はそう言って笑うと、三つ編みの娘に向かってその大きな目を光らせた。さっきの無礼を詫びているつもりなのかもしれない。社員たちもこれから困難な状況が待っているはずなのに、何故かどこか安堵して、それどころか期待すらしているように見えた。確かにこの会社は、馬鹿者たちの集まりなのかもしれなかった。セイは社長に近づくと深々と頭を下げる。

「本当にありがとうございます。なんてお礼を言えばいいのか」

「それには及ばない。仕事をやると決めた以上、そちらにもしっかりとやってもらいたい、おれが望むのはそれだけだ」

「はい。それはもちろんやらせてもらいます」

大きく頷きながら、

(やはり、この男に頼んで間違いなかった。マグラ殿、本当にありがとう)

少女の中の女騎士も深く感謝していた。

「さっきも言ったが、おれは慈善活動をやっているんじゃない。商売をやってるんだ」

シュウ・マグラはそう言いながら、木箱の上に腰かけた。

「そして、あんたからの頼まれ事は商売になる、と判断したんだ。セイジア様に頼まれたから、というだけで決めたわけじゃない」

「でも、マグラさん、うちの店と取引をすると、いろいろ大変なんじゃないですか?」

「大変には違いないが、やりようはある、と思ったんだ。チャレンジする価値はある、ってな」

そう言いながら、セイジア・タリウスからの手紙をもう一度広げた。

「だから、これをおれにくれないか?」

そう言うと、男はニヤッと笑った。男前とは言えないが、笑うと茶目っ気が出てそれなりに魅力的に見える。

「ええ。それはかまいませんが」

「なら、早速準備に取り掛かろう。さっきの話だと店にはもう食材がないんだろう?」

「はい。そうしていただけると助かります」

喜びを身体からあふれさせる少女を見てマグラの胸にも喜びが湧く。

(不思議なお嬢さんだ。確かにセイジア様と何か縁があるのかもな)

そう思いながら、「マグラ通運」を危機に陥れるであろう決断をしたおのれを愚かしく感じたが、

(まあ、いいさ。昔から長いものに巻かれるのは嫌いなんだ。それに、小さな店をよってたかっていじめる、この状況は不愉快だしな。危うくおれも片棒を担ぐところだった)

そうならなかったことに、そのきっかけをくれた少女とセイジア・タリウスに心から感謝した。

(なんとか生き延びて、もう一度セイジア様にお会いするんだ)

シュウ・マグラはそう決意する。握りしめた手紙が勇気をくれているのが、彼にははっきりとわかっていた。

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