第12話 吟遊詩人は歌う、そして
今夜の「くまさん亭」も盛況だった。目と鼻の先に「フーミン」が開店し、「シュバリエシチュー」の発売で追い詰められていたのが嘘のようなにぎわいぶりだ。今のこの食堂の売り物といえば、そろそろ新人とも言えなくなってきたバイト女子セシル・ジンバの「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」と美貌の占い師リブ・テンヴィーの出張お悩み相談、そして吟遊詩人カリー・コンプの弾き語りであった。圧倒的な歌唱力と演奏技術、そしてその甘いマスクに固定のファンがつくようになっていて、今まさに歌い終えた詩人に万雷の拍手が送られたところだった。
「ありがとうございます。今度はみなさんからのリクエストを受けようと思いますが」
よく響く低い声で盲目の男が呟くと、
「
と誰かが叫び、続いて拍手が起こった。オーディエンスに人気のある曲らしい。
「わかりました。わたしも好きな曲なので、心を込めて歌いたいと思います」
そう言って、カリーが胸に抱えていた楽器の弦を爪弾いた瞬間に、「くまさん亭」の店内は異なる時空へと移動していた。「金色の戦乙女」は歌曲ではなく叙事詩と呼ぶべきものであって、先の戦争でアステラ王国を救った美しき金髪の女騎士セイジア・タリウスの活躍を謳いあげたものだった。中でも、迫りくる敵勢を前にして、「ここから先は一歩も通さん」と橋を背にした少女騎士が30万の大軍に一人立ち向かい、見事に撃破するくだりになると、詩人の歌にはより一層熱が入り、観客の興奮も最高潮へと高まっていくのであった。
(ああ、またか。この曲、やめてほしいんだけどな)
店内のほぼ全員が「金色の戦乙女」に心を奪われている中、三つ編みの地味な外見をした女子店員だけは厨房で調理を続けながらひとりうんざりしていた。何を隠そう、彼女こそが「金色の戦乙女」のモチーフになっているセイジア・タリウス本人なので、自分自身が歌の題材になっているのをたまらなく恥ずかしく思っていたのだ。
(カリーが来るたびに必ずこの曲をやるのだから嫌になる。どうしてみんなこれが好きなんだ)
セイに言わせれば、そこで歌われていることは事実ではなく、だいぶ誇張が入っていて、それにもまた嫌気がさしていた。
(だいたい橋の場面だってそうだ。わたしが相手にしたのは30万ではなく3万だ。いくらなんでも盛りすぎだろ)
「それでも十分すごいよ!」
とアステラ王国中の人々が突っ込みたくなるようなことを考えていると、ようやく歌が終わり、その日一番の拍手が詩人に送られた。歌の内容はともかく、男の熱唱には少女も感心はしていたので、おざなりに拍手だけはしておく。
「いつ聴いてもいい歌だねえ」
ノーザ・ベアラーは「金色の戦乙女」に聞き惚れていたようだった。
「セイジア・タリウス様、本当にすごい方だねえ。あの方がいなければ、わたしらも今こうやって無事にいられたかわかったもんじゃないものねえ。本当にありがたいことだよ」
「いや、『様』とかつけなくていいですよ」
「は?」
少女が謙遜したのを女主人は怪訝な眼で見るが、よく考えてみると謙遜が成立していないことに気づいた娘は慌てて取り繕う。
「ははは。いや、まあ、あの歌は少しオーバー、というか、荒唐無稽な気がしますけど」
「何を言ってるんだい、セシル。セイジア様はすごい人なんだよ。敵の2人の豪傑を瞬殺したり、敵がわらわらいる土地を単独で突破したり、捕らわれの姫君を塔から救い出したり、まさしく英雄と呼ぶにふさわしい人さ」
(やめてください、おかみさん。そんなできて当たり前のことを言われると恥ずかしくてたまらない)
少女はひそかに顔を赤くするが、この思いにもやはり、
「どこが当たり前なんだ!」
と大陸中の人々が突っ込みを入れたくなることだろう。「金色の戦乙女」はアステラのみならず世界中で歌われている曲で、ヒットチャートが存在したならナンバーワンを間違いなく獲得していたはずだった。ちなみに、ノーザが語ったことには誇張はなく、全て事実である。
「はあ、セイジア様に一度でいいからお目にかかりたいものだけど、わたしみたいな庶民にはかなわぬ夢かねえ」
(おかみさんのそばに、今まさにいるんですけど)
恥ずかしさが頂点に達した少女はいたたまれなくなって、店内に出てテーブルを拭いて、食器の後片付けをすることにした。
「今の曲、いかがでしたか」
自分を助けてくれた娘のハートを得たい一心の吟遊詩人が近づいてきた。
「ああ、まあ、よかったんじゃないかな。いつも通りお客も喜んでいたし」
しかし、男の耳は少女の言葉に熱がこもっていないのを感じ取っていた。
(わたしの入魂の一曲でも心を動かされないとは、まだまだ精進が足りない、ということか)
セイの心が動かなかった理由は別にあるのだが、それを知らないカリーはすっかり落胆した。だが、それもわずかな間のことだった。ハンディを抱えながらもひとり旅を続けてきた詩人は、見た目こそ優男であるが、並大抵のことではくじけないガッツの持ち主だったのだ。そして決断する。
「セシルさん、あなたのために曲を作ることにしました」
「え?」
「次にこの店に来るときに、その曲を贈ることにしますから、しばらく時間をいただけないでしょうか?」
「いや、カリー、わたしはおまえにそこまでしてもらうようなことはしていないぞ」
戸惑う少女は断ろうとしたが、詩人の決意は固かった。
「これはわたし自身の問題なのです。もう変えるつもりはありません」
きりっとした表情でそう言い切ると、男は杖をつきながらもしっかりした足取りでそのまま店を出ていった。
(悪いやつではないんだが、時々わけのわからないことを言う)
弱り切ったセイは思わず頭を掻くが、自分がカリーを追い込んだという自覚はもちろんなかった。
「店員さん、ちょっといいかな」
男の声が聞こえた。棘が含まれた響きだったので、苦情だというのはすぐにわかった。振り返ると、背の高い男がむっつりした顔で座ったまま腕を組んでいる。
「はい、なんでしょう?」
「これ、頼まれていたのと違うよ」
そう言って、太い指で皿を指さした。フライの盛り合わせだ。
「おれが頼んだのはチーズ入り肉玉なんだけど、全然違うのが来たのはどういうこと?」
「ああ、これは大変失礼をしました。わたしどもがお客様の注文を取り違えてしまったようです。どうかお許し下さい」
深く頭を下げると、男から怒気が消えていくのが見なくてもわかったが、さらに謝り続ける。
「お客様の楽しいひとときを台無しにしてしまい、まことに申し訳ありません」
セイがそう言うと、男の向かいに座っていた女性が「もういいじゃないの」と男のジャケットの袖を軽く引っ張った。おそらくデートに来ているのだろう、と少女は察していた。
「いや、これから気を付けてくれたらいいんだ。おれもこの店はよく来ているから、しっかり頼むよ」
「恐れ入ります。それではご注文の品をすぐに用意いたしますので、少々お待ちください」
盛り合わせをテーブルから下げ、急いでチーズ入り肉玉の調理をすることにする。今のセイなら、ひとりでも作ることができた。
(世の中はそんなに悪いものでもないな)
と少女が思うのは、「くまさん亭」では今のようなミスがたびたびあって、客に迷惑をかけてしまうのだが、そうした場合、7割の客は丁寧に謝れば許してくれたのだ。こちらが本気で申し訳ないと思っているのが伝われば、向こうも事を荒立てずに収めてくれた。それ以外の客、2割はミスに対して何らかの対価を求めてきて、料金を無料にするように言ってくるなど何らかのサービスを要求してきた。そして、残りの1割はとにかく店員に文句を言って困らせようとする、言うなればクレーマーだった。つまり、客にも3つのタイプが存在していて、その見極めは重要だ、ということにも女騎士は気づいていた。たとえば、最初からいきなりおまけをしようとすると、
「自分はそんなに物欲しそうに見えるのか」
と怒ってしまう人もいたし、クレーマーに対して丁寧に接しようとすると、店側はいたずらに疲弊していくばかりで、タイプごとに対応を変えるのはとても大事なことだ、とセイは考えていた。
(臨機応変にやる必要があるのは、飲食業も騎士も同じことだ)
とはいえ、一番大事なのはミスが起こらないように防止に努めることであるのは明らかだった。注文の取り違えは最近多く、今日もこれで2度目だ。見過ごしてはおけなかった。
(この注文を取ったのは、チコさんか)
そして、取り違えをするのが、ほとんどの場合見習いの先輩であることにも少女は気づいていた。下の人間から注意をするのは難しいが、それでも言うべきことは言わざるを得ない。気分が少し塞ぐのを感じながら、セイは料理の最後の仕上げに入ろうとしていた。
「なめてんのか、おまえ」
一日の営業を終え、表の戸締りをしていた少女の耳に怒声が飛んできた。厨房の方に目をやると、コムがチコを怒鳴りつけていた。
「最近全然身が入ってないじゃないか、何を考えてるんだよ」
調理台の前で大柄な料理人が見習にのしかかるようにして説教をしている。おそるおそる厨房に入ると、その反対側の壁にオーマが寄りかかり、ノーザが椅子に腰かけているのが見えた。
「違います。おれはいつだって本気ですよ」
「そうじゃないから、コムは怒ってるんだ」
女主人がぼそっと呟いた。
「あんたのしくじりをあんただけが背負うなら別にいいさ。でも、そうじゃない。あんたがしくじれば、うちの店全体に迷惑がかかる」
そう言うと、ノーザは三つ編みの女子に目を向けた。
「さっきだってそうさ。あんたが注文を間違えたのを、セシルが謝らされてたんだ。しかも、昼間にも同じことがあったそうだね」
女主人はさらに表情を険しくして、
「セシル、あんたもあんただよ。そういう時は、自分一人で何とかしようとしないで、さっさとわたしかオーマに言いな。ひよっこが無理するんじゃないよ」
「すみません、おかみさん」
全くもって反論できなかった。自分が騎士団長だった頃なら、部下の独断専行を同じように戒めたはずだった。
「なんでそんなに怒られなきゃいけないんですか。おれだって頑張ってるのに」
「頑張っている、とは言えないな」
必死に言い募るチコにオーマがぴしゃり、と言ってのける。
「おれたちの世界は結果が全てだ。結果に結びつかない努力は無駄なんだ。お客に『まずい』と言われて、『努力して作ったんです』と言い訳する料理人なんかいたら恥さらしもいいところだろう? だから、努力してる、って言いたいなら、結果を出してからにするんだな」
小柄な料理人の言葉は重く、厨房を沈黙が占領した。
「おまえさあ、『どうしておればっかり』とか思ってるんじゃないのか?」
コムの言葉にチコの身体が、ぴく、と跳ねた。
「後に入ってきたセシルちゃんが料理を任されるようになったのに、自分はまだ付け合わせしか作らせてもらえていないのにむかついているんだろ? でも、さっきの兄貴と同じことを言っちまうけど、おまえはまだ頑張ってないんだよ」
反論したいが言葉の出てこない坊主頭の少年には先輩の大男を睨みつけることしかできない。
「あとさあ、おまえ、セシルちゃんをまだ舐めてるよな? もしかすると、自分より努力もしてないのに、って思ってるんじゃないのか? だとしたら大間違いもいいところだぞ。ちゃんと努力してなきゃあのシチューは作れないし、忙しいのにこの前も新しいメニューを考えてきたって、自分から言ってきただろ? あれにはいい根性してる、って思ったもんだよ。実際美味かったしな」
セイがまかないで出したジロリアの麺は、癖の強さを憂慮した女主人に採用を保留にされたが、その後王立騎士団団長シーザー・レオンハルトが絶賛していたこともあって、現在採用に向けて改良が進められているところであった。
「チコ、おまえ、最後にまかないを作ったの、いつなんだよ? 俺らにあれこれ言われるのが嫌で作らないんじゃないのか? いつまで逃げてるつもりなんだよ」
がしゃん、と調理台から器具がいくつも落ちて、厨房の床に転がった。少年がやつあたりをしたのだ。
「いい加減にしてくれよ! あんたらがおれを嫌いなのはわかってるんだよ!」
「はあ? 嫌いとかそういう問題じゃないだろうが。おれらはおまえのためを思って」
呆れたコムにチコが血走った眼を向ける。
「とっくにわかってんだろ? おれがあんたらを裏切ったって」
「はあ?」
大柄な料理人が声を上げ、小柄な料理人と少女が戸惑った表情になる。「裏切り」とは一体何なのか。
「チコ、それ以上しゃべるんじゃない」
女主人が肉切り包丁を振り下ろすかのような勢いで咎めたが、少年は止まらない。
「はっきり言ってやるよ。おれは裏切り者なんだよ」
「チコ! やめな!」
「おれがセシルのシチューのレシピを『フーミン』に渡したんだよ!」
料理人たちは自らの身体に重い空気がのしかかるのを感じていた。身も心も潰れてしまいそうな気分になる。ノーザが座ったまま両手で顔を覆う。
「セシルが傷つけばいいと思ったんだ。こんな店、潰れちまえばいいと思ったんだ。でも、そうならなかった。そうすることができなかった。なんでだよ、ちくしょう、ちくしょう!」
そう叫ぶと、チコは裏口から走り去っていった。残された人間は呆然とそれを見送る。
「馬鹿野郎が」
しばらく時間が経ってから、コムはそれだけつぶやき、
「おかみさんは知ってたんですね?」
と、オーマが女主人に問いかけた。それに対する返事はなく、彼女は手で顔を覆い隠し続けていた。
(そうか。おかみさんは向こうのシチューを食べていたんだ)
セイも納得する。「シュバリエシチュー」を実際に食べたノーザはそれが単なるコピーではないこと、レシピをもとに作られたものであることを薄々感じていたのだろう。そして、レシピを渡したのがチコであることも察していたはずだった。少女が自分から渡すはずがなかったし、オーマと女主人は長年の信頼関係で結ばれていて、コムもいい加減に見えてモラルはしっかりしている。となると、誰がやったのかは明らか、ということになるのだろう。
(なるほど。内通者を作るのは戦争の常套手段だからな。向こうの策士のやりそうなことだし、チコさんに目を付けたのも悪くはない。考えようによっては、今発覚してよかった、と思うくらいだ。うちの店を内部から崩壊させる手段がこれで取れなくなったのは、わたしには都合がいい)
バイト女子の中の女騎士はあくまで冷徹に戦況を分析していた。
(ただ、おかみさんを傷つけた報いは必ず受けてもらうぞ。思いやりのある人を傷つけていい理由なんて、おまえたちにはまったくないのだからな)
くすんだ黄色の前髪に隠れた青い瞳が怒りで強く輝きだしたそのとき、
「みんな、ちょっと聞いておくれよ」
ノーザ・ベアラーがようやく顔を上げた。
やけ酒を飲んでいたチコをオーマは深夜の路上へと引きずり出した。何軒も酒場を探し回ってようやく見つけたのだ。
「なんなんですか。おれのことはもう抛っておいてくださいよ」
「ひとつだけ訊く」
ふてくされた坊主頭の少年の言葉を無視して小柄なベテラン料理人は告げる。
「おまえ、これからどうするつもりなんだ?」
オーマに訊かれたチコはますますふてくされた態度になって、
「あんなことをして、もう店にいられるわけがないじゃないですか」
「うちの店をやめる、ということか?」
「ええ、そうです。やめます。やめさせてもらいます。それでいいんでしょう?」
不機嫌をもろに顔に出した少年の胸に、先輩料理人が袋を軽く投げつける。少年が受け止めなかったせいで、石畳の上に音を立てて落ちた。中には金貨か銀貨が入っているのだろう。
「辞め方がどうあれ、今まで働いてくれたことには感謝しなけりゃならないからな」
そりゃどうも、と皮肉っぽく言うと、チコは最後の給料を拾い上げようとしたが、
「おかみさんはおまえのことでおれたちに頭を下げたんだ」
というオーマの言葉に手を止めていた。
「『なんとか店にいさせてやってくれないか。確かにやったことはとんでもないことだけど、まだ子供のやったことなんだ。それに自分の教育がよくなかったからこうなったんだし、ここで見放すのは無責任すぎる。もう一度しっかり鍛え直すから、どうか勘弁してくれないか』ってな。おれも長いつきあいだが、あの人に頭を下げられるなんてそう何度もあったことじゃないし、できればもう二度と見たくない光景だな」
ノーザをそうさせた人間への男の激しい怒りを感じた少年の手が震える。それ以上に、かつて自分を雇ってくれた恩人を追い込んでしまったことへの後悔が大きかった。ようやく自分がしたことの重大さを理解し始めていた。
「ただ、おかみさんは、『おまえが自分から辞めたいというのであれば無理に引き留めるつもりはない』とも言っていた。だから、おまえとはこれっきり、ということだ」
そう言い捨てると、オーマは歩き出した。店に戻って、今の出来事を報告しなければならず、女主人の反応を考えると、もう既に気が重かった。
「殴ったらいいじゃないですか」
少年の叫びにベテラン料理人は足を止める。
「オーマさん、おれに怒ってるんでしょう? 店とおかみさんに迷惑を掛けたおれにむかついてるんでしょう? だったら殴ればいいじゃないですか。好きにすればいいじゃないですか」
見習い-もう「元見習い」と呼ぶべきか-の逆ギレにも男はまるで動じなかった。
「つくづくおめでたいやつだな」
路傍の石ころを見るかのような、オーマの無感情なまなざしにチコの心と体の動きは完全に静止させられた。
「今のおまえには殴るだけの価値もない」
そう言うと、小柄な料理人は今度こそその場を立ち去っていく。後ろで少年が崩れ落ちるのが聞こえたが、それはもう彼の関知するところではなかった。
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