第13話 大衆食堂、再び危機に陥る
「セシルちゃん、これ頼むよ」
「はーい」
朝の「くまさん亭」でコムとセシル・ジンバことセイジア・タリウスが開店の準備を進めていた。
「ああ、やっぱきついなあ。誰かさんが急にやめると、残った人間がその分頑張らないといけなくなるからなあ」
それを聞いた三つ編みの少女は黙って苦笑いをする。チコが辞めて10日余りが経ったが、それ以来確かに店員一人一人にかかる負担は大きくなっていた。
「ものは相談なんですけどね、おかみさん」
大柄な料理人の呼びかけに、厨房の隅に腰かけた女主人は「ん」と俯いたまま返事をした。
「やっぱり人手が要るんじゃないですかね。それでですね、おれのダチで仕事を探しているのがいるんですよ。こいつが働いていた店もこの前急に閉店したとかで、今仕事を探してるところなんですよ。経験は十分にありますから、即戦力になると思うんですけど、どう思います? おかみさん? ねえ、おかみさん?」
コムの何度目かの呼びかけで、ノーザ・ベアラーはようやく顔を上げたが、
「あ、悪い。聞いてなかった。何の話だい?」
とばつが悪そうな顔をしたので、大男はもう一度最初から話をする羽目になった。女主人は一通り聞いてから、
「それはありがたい話だし、あんたが店のことを考えてくれてるのもありがたいけど、新しい人間を入れるのはちょっと待ってくれないかな。もう少し時間を置いた方がいいと思う」
と言い、それでコムもそれ以上話を続けるのは諦めた。裏切り行為を働いた見習いが辞めて以来、女主人は明らかに元気がなくなり、ふさぎこむことが多くなっていた。
(チコの野郎。今度どこかで会ったらぶっとばしてやる。おかみさんを悲しませやがって)
コムが憤る一方で、
(かわいそうだが、こればかりはおかみさんに自分で立ち直ってもらうしかない。その助けになるなら、わたしはなんだってするつもりだ)
女騎士は決意を固めていた。そこへ表から誰かが駆け込んでくるのが聞こえた。はあはあ、と荒い息をついているのはオーマだ。
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
驚いて厨房から出てきたノーザに、
「おかみさん、大変です。ダルマ商会がうちとの取引をやめる、と言ってきました」
「ええっ?」
女主人が驚くのも無理はなかった。ダルマ商会は「くまさん亭」の食材の大部分を扱っている業者なのだ。
「どうしてまたそんな急に」
「おれも理由を聞こうとしましたよ。でも、何度聞いても『おたくとはもう商売はしない』の一点張りで。取り付く島もありませんでした」
ノーザにはとても信じられなかった。ダルマ商会とは先代からの付き合いで、社長とは商売を離れた付き合いもあり、トラブルになったこともまるでないのだ。
「とにかく、わたしも話を聞きに行ってみることにするよ。このままじゃ店も開けられないからね」
そう言って小走りで店を出ていった女主人の後ろ姿を不安げに見ていたコムは、
「どういうことなんですか、兄貴?」
とオーマに訊ねたが、
「おれにもわからん。だが、このまま話がまとまらないことには、うちは商売あがったり、ということは確かだな」
と苦いものを舐めたような顔でつぶやいた。
そんな、と大男が絶望を顔に出しているその後ろで、
(始まったか)
と、少女は内に潜む騎士が動き出したのを感じていた。
昼過ぎにノーザ・ベアラーは戻ってきた。
「だめだね。まるで話にならない。社長にも会わせてくれないし、番頭さんも人が変わったみたいだ。一体何があったんだろうかねえ」
ダルマ商会での話し合いは不調に終わったようだった。というよりも、話し合うことすらできなかったようだ。
「ギルドに掛け合ったらどうですか?」
コムが提案すると、
「もう行ってきたよ。そしたら、『そういうことは当事者同士で解決していただくのが一番です』とか言いやがる。何かというとすぐに金を巻き上げたりただ働きさせる癖に、肝心な時に役に立たないから嫌になる」
はあ、と疲れ切った女主人は大きく溜息をついた。
「そうなると、他の店をあたるしかない、ってことになりますね」
小柄な料理人が腕を組むと、
「まあ、急に話を持ち込んで聞いてくれるかは知らないけど、なんとか拝み倒すしかないかねえ」
「おれも多少つてがありますから、行ってきますよ」
ノーザに続いてコムも食材探しに動き出そうとしていた。
「セシル、悪いけど店を頼むよ。残った材料で何とかやりくりしておいておくれよ」
わかりました、とバイト女子が頭を下げると、3人の姿はもうなかった。今日までは何とか店を開けられる。だが、食材が調達できなければ、明日からは営業することもできないのだ。料理人たちが必死になるのも当然であり、ひとりで店を守る少女もまた必死だった。
それから3時間後。店に戻ってきた料理人たちの顔は一様に暗かった。
「すみません。全然相手にしてもらえませんでした」
「謝らなくてもいい。おれだって同じだ」
オーマとコムが渋い表情を浮かべている一方で、女主人の顔は悲愴なものになっていた。
「おかしい。絶対におかしい」
「おかみさん?」
小柄な料理人が思わず立ち上がる。彼女とは長い付き合いだが、ここまで追い詰められた顔を見るのは初めてだ。
「断られるのはしょうがないんだ。こっちも無理を言ってるからね。でも、その断り方があんまりなんだよ。みんな、いきなり別人みたいに冷たくなって、うちの店とはもう付き合いません、って言ってきて。どうしてそんなことになるんだ? わけがわからないよ」
だん、とノーザは木のテーブルを思い切り殴りつけた。手も痛むはずだろうが、それ以上に心が痛いのだろう、と男たちは何も言えないまま、時間だけが過ぎた。
「じゃあ、今度はわたしが行ってきますね」
緊迫した状況に似合わない明るい声が聞こえて、料理人たちが顔を上げると、三つ編みの少女が微笑んでいるのが見えた。コムが訊ねる。
「セシルちゃん、行く、ってどこへ行くんだ?」
「もちろん、食材を売ってくれる人を見つけに、ですよ」
「え? いや、だって、それは」
小柄なベテラン料理人が口ごもるのも無理はなかった。店にやってきて半年経つか経たないか、くらいのキャリアのバイト女子にコネがあるとも思えない。しかも、彼女より経験豊富な料理人たちがみな失敗したばかりなのだ。上手く行くとはとても思えなかった。
「あてはあるのかい?」
嗄れた声でそう訊いた女主人に、
「まあ、一応」
えへへ、と照れたように笑う少女を見て、ノーザも気が抜けたかのように笑ってしまう。
「いいさ。行っておいで」
「いいんですか? おかみさん」
「別にいいだろ、コム。こんな状況で店にいても仕方がないんだ」
夕方に差し掛かり、既にメニューの半分近くが出せなくなっていた。
(神様なんていない、って思ってるけど、今はお願いしたい気分だね。何だったら悪魔でもいい)
ノーザは心の大半を諦めが支配しつつあるのを感じながら微笑んだ。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、気を付けな」
だが、その思いを表には出さずに、少女を送り出した。
(あの子は本当にいい子だ。そんな子に頼らなきゃいけないなんて、自分が情けないよ)
涙でにじんでぼやけていく少女の後ろ姿が見えなくなるまで、ノーザ・ベアラーは通りに立ち続けた。
「くまさん亭」から離れていくほどに、セイジア・タリウスは覚醒していく。
(まあ、想定内だな。相手の兵站を断つのは戦争の常道だ)
つまり、敵が食堂に食材が供給されるのを妨害してくるのを、女騎士は読んでいたのだ。
(ありきたりではあるが、それだけに強力な策だ。わたしとしても後手に回らざるを得なかった)
敵がとってくる手を2パターンほど予想していたセイは、そのうちの一つについては既に予防策を講じていた。そして、今、残ったもうひとつのパターンに対抗しようとしているところだった。
(この作戦を考えた人間は、もう勝った、と思っているのだろうな。だが、そうはさせん。このセイジア・タリウスがいる限り、たやすく勝利を得られはしない、ということを教えてやる)
斜めに傾いた陽が街並みを強く照らす中を、この上なくしっかりした足取りで、少女は戦いの地へと歩を進めていった。
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