第11話 女騎士さん、2人の騎士にごちそうする
夜の繁華街をシーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズが歩いている。
「じゃあ、今日の飯はおれの奢り、ということにしておくが、本当にそれでいいのか?」
「だから、かまわない、って言ってるじゃないですか。何が不満なんですか」
「いや、おれとしてはもっとちゃんとした礼がしたいんでな」
晩餐会が終わってからというもの、毎日のように「礼をさせてくれ」と上官から言われる身にもなってほしい、とアルは閉口する。律儀を通り越して完全に迷惑だ。部下たちからも変な眼で見られている。
「この前、おまえがしてくれたことは一回の食事でどうにかなるものでもない、っておれは思うんだよな」
尚も首を捻るシーザーに向かって、
「そこまで言うんでしたら、団長をぼくに」
最後まで言い終わらないうちに、隕石が落下したかのような衝撃が少年の頭を襲った。
「それを二度と言うんじゃねえ。殴るぞ」
「……殴ってから言わないでくださいよ」
いたたたた、と頭を押さえながらアルは呻く。もちろん、青年騎士がセイジア・タリウスを自分に譲るはずなどないのはわかっていたし、少年としても堂々と彼女の愛を勝ち取るつもりでいた。そうこうしているうちに、「くまさん亭」に2人はたどり着いた。
「おう。邪魔するぜ」
「こんばんは。失礼します」
「あら。いらっしゃい」
シーザーとアルを迎えたのは店員ではなく、妖艶なる占い師リブ・テンヴィーであった。思いがけない人物と遭遇した驚きもあったが、目の覚めるような深い青色のドレスを着てはいても、どう見ても肌色の方が多く見える今夜の彼女が2人の騎士を絶句させていた。もっとも、リブにとっては通常の露出度のつもりではあったのだが。
「げっ! 姐御?」
「リブさん、お久しぶりです」
挨拶した男たちを女占い師は赤いマニキュアで飾られた白い指で差しながら、
「アルくん、100点。シーザーくん、マイナス100万点」
と告げた。
「おいおい、会って数秒でいきなりそれはないだろ、姐御」
「はい、またマイナス100点。その『姐御』っていうのをやめなさい。あと、『げっ!』っていうのもマイナス100点ね。騎士団長様はレディに対する態度がまるでなってないわね。嘆かわしいったらありゃしない」
「いや、それは悪かったけどよ、っていうか、それでマイナス100万点だったら、他に何か悪いところがあるってことか?」
リブは青年の全身を冷たい目で見てから、
「残りマイナス99万9800点はあなたのファッションよ。なによその恰好。罰ゲームか何かなの?」
今、シーザーは半袖の黒いワイシャツを着ているが、胸の中央部分には黄金の獅子が大きく刺繍されていて目立つことこの上なかった。そして、下半身には真っ赤なパンタロンを履いている。
「そうじゃねえよ、姐御。いけてると思うから着てるんだよ。ここまで来る間、通行人がおれを見ていたのも、バッチリ決まっているからだと思うぜ」
(絶対に違う)
シーザーと同行している間ずっと恥ずかしい思いをしていたアルはもちろんそう思ったし、リブもマイナス100点を心の中で追加しながらそう思っていた。ただし、こんな奇天烈な服を着ていても、この青年騎士には何故か似合ってしまっているのは、部下の少年も女占い師も認めざるを得なかった。
「ああ、そういうことか」
美女がひとりでくすくす笑い出したのを2人の騎士は怪訝な眼で見る。
「あなたたち、この前の晩餐会で大変な活躍をしたみたいだけど、それでここのシチューが食べたくなった、というわけね?」
先立っての宮中晩さん会でマズカ帝国の大手チェーン「フーミン」が出してきたシュバリエシチューをめぐる騒動は、アステラ王国の一般市民の間でも大きな話題となり、その余波で「くまさん亭」の「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」も飛ぶように売れて、今夜も食堂の中は賑わっていた。
「さすが、姐御は相変わらず鋭いな。アルが作ったのも美味かったんだけどよ、やっぱりこっちのがおれの好みなんでな」
さらにマイナス100点が追加されたことは気にせずに青年騎士が笑うと、
「リブさんもこちらでお食事ですか?」
と少年が訊ねる。こちらはクリーム色の夏物のスーツに身を固めていて、清潔感を感じさせる服装で、美女のファッションチェックに合格したのも当然だと思われた。
「そうじゃないの。最近、この店で出張で営業をやらせてもらっていて、今夜も仕事をしていたところなんだけど」
そう言いながら、テーブルの上で右手を伸ばして、
「少し早いけど、店仕舞いにして、久しぶりに2人と一緒に飲むことにしようかしら」
と、色気たっぷりに微笑んだ。
「いや、せっかくの姐御のお誘いなんだが、それはちょっと」
「えーと、ぼくも、なんというか、その」
せっかくの美女からの誘いにも浮かない顔をする男たちだったが、
「ほら、男の子が遠慮しないの」
と、おねえさんに、ぐい、とそれぞれ手を引かれて、着席した2人はめでたくリブと同席することとなった。
(勘弁してくれ、姐御と一緒に飯を食っても、ちっとも気が休まらねえ)
シーザー・レオンハルトがリブ・テンヴィーを苦手にしているのにはそれなりの理由があった。彼が黒獅子騎士団の団長に就任したばかりの頃のことだ。ある日、訓練場で部下に特訓をさせている彼のもとへリブが突然押しかけてきた。なんでも、騎士の一人が新しい団長の厳しい訓練に耐えかねて彼女の所に相談しに行ったところ、その非人道的な扱いに憤った女占い師は騎士団長に直接抗議にやってきたのだ。
「部外者に文句を言われても困る」
と、青年は適当にあしらおうと考えていたのだが、
「部下を思いやれない人に国を思いやれるはずがないわ。強ければそれだけでいい、と思ってるなら、そんな人に国を守ってほしくなんかない」
美女に燃え盛る炎のような怒りをぶつけられて若き騎士団長はたじたじとなってしまう。言っていることがすべて正しい、とは思わなかったが、かよわい女性が屈強な男に単身挑みかかってきた、その向こう見ずな勇気にも感心してしまっていたのだ。そのうち、騒ぎを聞きつけたセイジア・タリウスがやってきて、同じ騎士として助けてくれると思っていたら、
「それはリブの言う通りだ。シーザー、おまえがよくない」
とあっさり断罪されてしまい、その時点で全面降伏する羽目になった。
(まあ、あの頃はおれも余裕がなかったんだ。騎士団をまとめようとする気持ちばかりが先走っちまって、姐御に怒られても仕方がなかったし、あの時怒られておいてよかった、と今では思うけどな)
初対面がさんざんだったこともあって、自分から会いたい女性ではないのだが、何の因果か彼女とセイが友達ということもあって、それからもたびたび説教される羽目になり、今では完全に頭が上がらなくなってしまっていた。
そして、もう一方のアリエル・フィッツシモンズもリブ・テンヴィーを大の苦手にしていて、今もまさにその苦手にしているセクシーな女性に、つんつん、と頬を指でつつかれて困り切っていた。会うたびにこうしてちょっかいを出されるのだ。もちろん、アルのセイへの恋心を承知したうえで、リブはこんなことをしているのだが。
「ちょっと、やめてもらえませんか、リブさん」
「どうして? わたしにこうされて、うれしくないの?」
指により強い力がかかり、頬に突き刺さるが、感じているのが痛みだけではないことに、少年は心から戸惑う。目の前の美女が言う通り、確かにうれしくもあったのだ。アルにとってリブは魅力的な女性だった。魅力的すぎる、と言ってもよかった。その華やかな顔立ちも素晴らしい身体も、世の男たちの妄想をそのまま具現化したかのようで、少年の心を惹きつけずにはおかなかったが、既に心に決めた女性が存在している彼が平静を保とうとしても、彼女の魅力は神経を狂わせる毒のように少年騎士の心をむしばみ、意識を混濁させていた。
(だめだ。ぼくには団長がいるんだから。他の女の人に目移りなどしてはだめだ)
懸命にこらえようとしているところへ、両頬を占い師の柔らかい手が挟んで、顔の向きをゆっくりと変えさせられる。眼鏡の奥で紫色に妖しく光るリブの瞳をまともに見てしまい、アルは何も考えられなくなる。
「お願い。わたしをちゃんと見て。アルくんともっと仲良くなりたいの」
願ってもない申し出だったが、応えるわけにはいかない。何もしないままだと、ふらふら、と彼女の顔に自分の顔を近づけてしまうので、何とか踏ん張ろうとする。視線さえそらせれば、と目を下にやると、あらわになった豊かな胸の上半分がみずみずしい輝きを放っているのがしっかり目に入り、今度はそちらに顔を近づけたくなってしまう。どんな戦場でもお目にかかったことのない、恐るべき破壊力を誇る兵器と、少年は一人で戦っていた。
「わたしをあなたの好きにしていいのよ、アルくん」
銀の鈴の音のような快い響きを耳にして、数秒の間に心の中で神話に残された神と悪魔の戦いのごときすさまじい葛藤を繰り広げた末に、アルはリブの手を引きはがすと、テーブルの上に突っ伏して、ぜえぜえ、と喘いだ。
「あら、ふられちゃったみたい。残念ね」
と言いながらも楽しそうに笑う女占い師は、
(頭はいいけど融通のきかない真面目な男の子をからかうのって、この世で一番の楽しみかも)
と人の悪いことを考え、
「子供をからかうのはほどほどにしてくれよ、姐御」
とシーザーは呆れ顔でつぶやいた。
(違う。あの人はからかっているだけじゃないから怖いんだ)
からかわれている側のアルは、2人とは違うものの見方をしていた。リブが純粋にからかっているだけなら、少年ももうちょっとうまく対処できたかもしれない。だが、彼を困惑させたのは、美女の誘惑にほんのわずかに本気が含まれているように感じられることだった。たとえ誘いに乗って、細い腰を抱きしめたり、くちづけを迫ったり、ベッドに押し倒したとしても、彼女は嫌がるどころか、逆に彼を受け入れてしなやかな両腕で抱きしめるのではないか、と思われてならないのだ。そうなったら、少年も本気にならないわけにはいかない。それが怖かった。彼女の「本気」は自覚のない無意識のレベルにとどまるものだったが、そんな些細な心の動きだからこそ、うぶな少年を大いに翻弄していると言えた。人によってはそれを「魔性」と呼ぶのかもしれなかった。
「おっ」
そんな少年の苦悩は知らずに、シーザーが椅子から腰を浮かせる。お目当ての娘をやっと見つけたのだ。
「おーい、セシルさーん」
注文を取っていた「くまさん亭」のバイト女子に手を振って呼びかけるが、彼女は青年騎士を一瞥すると、ぷい、とそっぽを向いて厨房へと引っ込んでしまった。
「ありゃ。何か怒ってるみたいだな。どうしたんだろ?」
「レオンハルトさんが何か嫌なことをしたんじゃないですか?」
「してねえよ。なんでおれが悪いことになるんだよ」
「じゃあ、顔がむかついた、とか、身体がでかいのがむかついた、とか、団長の癖に馬鹿だからむかついた、とか」
「最後の方はおまえの考えじゃねえか、この野郎」
ぎゃーぎゃーと喧嘩する騎士たちを横目に、女占い師はグラスに入ったハイボールを舐めるように飲む。
(セイったら、まだこの前のことを怒ってるのね)
セシル・ジンバの中の人であるセイジア・タリウスは、先日シーザーとアルに過去の恥ずかしい話を暴露されたことをいまだに根に持っているらしかった。
「おう。小僧、表に出ろ。今度という今度は我慢ならねえ」
「望むところです。きっちり勝って、団長をぼくのものにしてみせます」
「けっ。何かと言うとすぐそれだな。言っておくがな、セイはおまえのことなんかなんとも思ってねえんだからな。拾った子犬が尻尾を振ってきて可愛い、くらいにしか思ってねえぞ」
「それを言うんだったら、レオンハルトさんは、ゴリラが檻の中でウホウホ騒いでうるさい、くらいにしか思われてませんよ」
怒りのあまり無言で顔を赤く染めたシーザーと、ひるむことなく立ち向かうアルが、それぞれ顔を近づけて視殺戦を繰り広げるのを、
(どうして男の子ってこんなに馬鹿なのかしら)
と、リブが呆れながら眺めていたそのとき、ばん、と大きな音を立ててテーブルに何かが置かれた。女占い師とくだらない言い争いをしていた2人の騎士が見てみると、三つ編みの女子店員が湯気がもうもうと立っているどんぶりを運んできていた。
「どうぞ」
そして、それを青年騎士の方へと押しやった。
「いや、セシルさん、おれ、まだ注文してねえんだけど」
「どうぞ」
「アステラの若獅子」と大陸に名前が轟いている騎士が地味な外見の飲食店従業員のプレッシャーに負けてたじたじとなる奇観がそこにはあった。
(なんなんだ。この娘、ものすげえ圧をかけてきやがる)
「わかった。わかったって。これを食えばいいんだろ?」
「はい。わたしからのおすすめです」
娘の口許が綻んだところを見ると、別に嫌がらせでやっているわけでもないようなので、シーザーも気を取り直す。
「で、なんだこりゃ。麺類だというのはわかるが」
濃厚な脂の臭いが青年の鼻を衝き、神経質な少年騎士が眉をひそめているのも見えた。しかし、何より特徴的なのは丼の中央に山のように盛られたモヤシだ。初めて見る料理だ。
「セシルさん、あんたが作ったのか?」
「ええ。お客さんに出すのは初めてですが、気に入りませんか?」
いや、とシーザーは頬をゆがめて笑うと、
「あんたが作ったなら信用しよう。それに匂いを嗅いでいるうちに腹が減ってきた」
そう言うなり、王立騎士団長は箸をスープに突き入れると、太く縮れた麺を掬い上げ、ごおおおおお、と大きな音を立ててすすり出した。そして、かっ、と目を大きく見開くと、
「なんだこれ。うめえ。すげえうめえ」
と言いながら、ペースを上げて麺とスープをすすり出し、モヤシもばくばく食べ始めた。どうやら少女の料理はシーザーのお気に召したようだった。
「そうか。わかった」
丼が置かれてからずっと考え込んでいたリブが口を開いた。
「これは伝説の料理ね。かつて存在した国ジロリアに存在したという、多くの人を病みつきにさせた謎の麺だわ。わたしも話を聞いたことはあるけど、見るのは初めて」
「さすがは占いの先生。よくご存じだ」
セイは女友達に向かっていたずらっぽく微笑みかけた。シチュー以外にも新しいオリジナルメニューを作りたい、と考えていたところ、かつて天馬騎士団の遠征先で回収していた文献にこの麺のレシピがあったのを思い出し、せっかくなので作ってみたのだ。
(まかないで出してみたら、おかみさんに「美味しいけど人を選ぶ料理だ」と言われて採用は保留になっているけど、シーザーなら気に入ると思ったんだ。狙い通りだ)
戦いでも料理でも作戦が見事に的中するのは気分のいいもので、青年騎士が「うめえうめえ」と言いながら麺をすするだけのマシーンに成り果てているのを、少女は微笑みを浮かべて見守っていた。
(見ているだけでお腹がいっぱいになる)
胸焼けしそうになるのをこらえていたアルの前に、こと、と小さな皿が置かれた。白い皿にホールパイが乗せられている。さっきの丼と同じく、バイト女子が運んできたのだ。そして、甘くさわやかな果実の香りに少年は、はっとさせられていた。
「セシルさん、これ、アポーパイですよね?」
「はい。お客様がお好きかと思って作りましたが、違いますか?」
違っていたらここまで動揺していない。アリエル・フィッツシモンズは冷静さを保つ努力をしながら語り始める。
「いえ、ぼくの大好物です。小さい頃にばあやが作ってくれたのをよく食べてました。ばあやはずいぶん前に亡くなりましたが」
わずかな間遠い目をした後で少年は、
「では、いただきます」
と礼儀作法にのっとってナイフとフォークでパイを一切れ切り取ってから、かけらをフォークに刺して口へと運んだ。びく、とアルの身体が一瞬震えたかと思うと、目が固く閉じられ、目尻に涙がみるみるうちに溜まり出し、ついには頬をつたい出した。
「どうしたの、アルくん?」
「お客様、わたしの料理に何か問題でもありましたか?」
2人の年上の女性に心配された少年は、首を横に振ると、スーツの胸ポケットから取り出した真っ白なハンカチーフで涙をぬぐった。
「いえ、そうではありません。逆なんです。どういうわけかは知りませんが、このパイを食べたら胸がいっぱいになってしまって」
「なんだ? 中身がぎっしり詰まってるってことか?」
大盛りの麺を早くも半分以上食べたシーザーが部下に訊ねる。
「そういう意味じゃないんです。なんというか、とても温かい気持ちになったんです。なつかしいような、幸せな感じで、それで感動してしまったんです」
自分の作った料理がひどくてアルが泣いたわけではない、と知った少年のかつての上官だった少女は胸を撫で下ろす。
(よかった。アルがアポーパイを好きなのは知ってたから、一度作ってやりたかったんだが、昔のわたしの腕では無理だったからな。料理の修業を積んで、やっと作ってやれた。おまえのために作ったんだから、よく味わうといい)
「うん。すごいわね、これ。生地がしっかりして、歯ごたえもサクサクしているのに、果物の味わいは新鮮そのものだわ。セイ、じゃなかった、セシルさん、あなた、ケーキ屋を開くべきね」
アルからパイを一切れもらったリブが感嘆の声を上げる。
「それは占いでそういう結果が出た、ということですか?」
「ううん。わたしが毎日買いに行きたいから」
個人的な要望を言われただけに過ぎない、とわかってセイは呆れた。酒も好きで甘いものも好き、となるとリブ・テンヴィーは二刀流、ということになるのだろうか。
(ああ、本当においしい。ばあやが死んでしまって以来、こんなにおいしいアポーパイを食べたのは久しぶりだ)
一切れ食べ切ったアルが陶然として目を閉じる。
(しかも、おいしいだけじゃない。なんというか、作られている人の思いが込められている気がしたんだ。ぼくのことを思って作ってくれた、そんな気がする)
そこで少年はまたしても、はっとなり、すぐそばにいる「くまさん亭」の女子店員を見つめた。
(まさか、セシルさん、ぼくのことが好きなのか? 料理はとても上手だし、性格もよさそうだし、よく見たら結構かわいい。いや、でも、ダメなんだ。ぼくには団長という人がいるんだ。だから、ごめん。セシルさん、あなたの思いには応えられないんだ。本当にごめん)
都合がいいにも程のある解釈をしたうえに、勝手に苦悩し出した少年を不思議そうにセイは眺めた。
「なんだよ、小僧、だらしねえな。びーびー泣きやがって」
ジロリアの麺を完食したシーザーがにやにや笑いながら部下をからかう。
「いくら美味いからって泣かなくたっていいだろうが」
そう言いながら、アルの皿から素手でパイを一切れ持ち去る。
「何をするんですか。行儀の悪い」
「たくさんあるんだから、これくらいいいだろ。おれもデザートが欲しくなったんだよ」
少年の抗議を受け流して、ぱくり、と青年は一切れをまるごと口に入れてしまう。その次の瞬間、シーザー・レオンハルトの目から滝のように涙が流れ出した。
「シーザーくん、いきなり何泣いてるの? なんか気持ち悪いんだけど」
あからさまにどん引きしながら、リブは心の中でシーザーにマイナス1000点を加算していた。
「ひでえよ、姐御。さっき小僧が泣いた時は心配してたのに、なんだよその差は」
「アルくんはかわいいからいいの」
(ちくしょう、差別しやがって。しかし、いったいなんなんだ? あのパイを食べた途端に胸がとても暖かくなって涙が出てきやがった。さっき小僧が言ってたのと同じじゃねえか)
不思議に思いながらも、青年騎士の涙は止まらず、それからしばらくの間、おいおいと声を上げて泣き続けた。
「ねえ、シーザーくんとアルくんが泣いてたのって、あなたのアポーパイが原因よね?」
その夜、仕事を終えて家に戻ってきたセイに、一足先に引き上げていたリブが訊ねる。
「まあ、そうなんだろうけどな。別にわたしは泣かせようとしたわけじゃないのだが」
女騎士はそう言ってから、
「アルは泣き虫だから珍しくもないが、シーザーが泣くのはめったにないから見ものではあったな。あいつは新米の頃から人前で泣かない奴だったから」
と笑った。
「セイ、あなた、性格悪い、って言われない?」
「性格が良かったら騎士なんてやってないさ」
化粧を落としに台所へと歩き去る少女を、女占い師は半ば呆れながら見送った。
(それにしても、セイったら料理が上達したわね。家事としてなら前から十分だったけど、もはやプロ級と言ってもさしつかえないと思う)
杯から発泡酒を飲み、ぷは、と軽く息を吐きだしてから、
(そのおかげで、シーザーくんもアルくんも胃袋までつかまれちゃった、って感じね。いよいよ2人とも完全にあの子の虜だわ。セイが食堂で働くのにわたしも協力してるから、責任を感じないでもないかな)
そして、また酒を口に含み、
(でもねえ、セイ)
リブは悩ましげに目を細めた。
(いずれ2人のうちどちらかを選ばなければならないのよ? いつまでも2人と仲良く、というわけにはいかないはずよ。そのとき、あなたは誰を選ぶのかしらね?)
そうは言っても、セイジア・タリウスは自分の中の恋心すら自覚できていないのだ、ということに思い当たったリブ・テンヴィーは考え込むのが馬鹿らしくなって、新しく酒を杯に注ぐことにした。
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