第21話 恋する男たち、下世話なトークをする
「ん? 今、何か音がしなかったか?」
シーザー・レオンハルトの耳は酔っていても鋭敏だった。厨房から何かが壊れる音が聞こえた気がしたのだ。
「ごまかさないでください! 団長の裸を見たんですよね?」
アリエル・フィッツシモンズがテーブルを叩いた。彼もまた酔っていて、いつもより声が大きくなっていた。美少年が「裸」「裸」と連呼しているので、他の客も様子をうかがわずにはいられないようだった。
「うるせえな。別にごまかしてねえよ。本当に聞こえたんだよ」
「大事な話なんですから、しっかり説明してください」
部下の追及は執拗だった。「そんなに必死になることか?」と上官には思われてならなかったが。シチューの謎が解けて安心した2人の騎士は酒を飲みだしたのだが、どういうわけでこの話題になったのか、シーザーにもよく思い出せなかった。
「と言っても、入団したばっかの頃で、だいぶ昔の話だぞ?」
「でも、見たことは間違いないじゃないですか」
「だから、あいつもまだ全然子供だったから、大したことないんだって」
「うわ。本当に13歳の女の子の裸を見たんだ。完全に変態じゃないですか。性犯罪者じゃないですか」
半目になって上官を睨む少年騎士。
「おれも13歳だったんだって。しかも、あいつが自分から脱いできたんだ」
「はあ? 団長を痴女みたいに言わないでくださいよ」
「あのなあ。言っておくが、おれだって被害者みたいなもんだったんだからな」
そう言ってから、酒をあおって天井を見つめた。
(この野郎。しつこくからみやがって)
腹立ちまぎれに事情を詳しく説明することにした。そうでもしないと少年の疑いを晴らせそうにない。
「ある土地で天馬騎士団と黒獅子騎士団が共同戦線を張ることになってな。合流してしばらく経ったときに森の中で大きな泉を見つけたんだよ」
ふーん、とアルは頬杖をついてシーザーの話を聞いている。上官に対する態度とも思えないが、あまり気にせず話を続ける。
「ずっと行軍が続いてすっかり埃まみれ汗まみれになって気持ち悪いから、ということで、そこで行水をすることになったんだ。天馬も黒獅子も一緒で水浴びをして、おれは一番下っ端だったから泉の隅っこで体を洗っていたら、あいつがやってきてな」
「あいつ、って誰ですか?」
「話の流れを考えろよ。セイしかいないだろうが。『うわ、裸を見られた』と思って慌てていたら、あいつがシャツを脱ぎだしたからもっと慌てて。それどころか、下も脱いで、あいつ、泉に近づこうとしたから、『馬鹿、やめろ』って叫んだんだけど、全然止まらなくて、こっちに近づいてきたんだな、これが」
「それで、どうしたんですか?」
鼻息を荒くして少年が聞いてきたので、
(こいつ、かなりのムッツリだな)
と思いながらも青年は話を続ける。
「スバルさんが駆けつけてきて止めてくれたんだ。『もっと慎み深く行動しろ』と言って、あいつの頭をぽかっ、と叩いたんだけど、『わたしは騎士になった時点で女であることを捨てたのです。何故みんなと同じように扱ってくれないのですか』って、あいつ、全然ひるまないで反論しやがるから、さすがのスバルさんも困ってたな」
しかも、その間ずっと裸のままで身体を隠そうともしなかった、という情報は、少年が余計に逆上しそうなので黙っていた。
「うわあ。ずるいですよ、レオンハルトさん。自分だけそんないい思いをして。ぼくなんか逆なのに」
テーブルに顎を乗せたままぶつぶつ文句を垂れる少年。
「逆、ってなんだよ?」
「ぼくの裸を団長に見られてる、ってことですよ」
「いや、言ったろ? おれもその時裸を見られてるんだって」
「それ1回だけじゃないですか。ぼくなんか何度も何度も見られてるんです。見られまくりですよ」
「見られまくり、って」
言い方が変なのでつい笑ってしまう。アルコールが入ったことで副長の優秀な頭脳は障害をきたしているのかもしれなかった。
「どうして見られまくってるんだよ?」
「あの人、ぼくが着替えしてても水浴びしてても風呂に入っててもお構いなしに話をしに来るんですよ。やめてくれ、って何度言っても、『わたしは平気だから』って、全然聞いてくれなくて。こっちが平気じゃないんですよ」
あいつらしいな、と青年は笑ってしまい、また酒を飲む。
「まあ、でも、そのおかげでいいこともあったんですけどね」
「なんだよ、その、『いいこと』って?」
少年は「しまった」という表情を一瞬浮かべてから、観念して話し出した。
「団長はぼくが裸なのを気にしないように、自分のも気にしないんですよ。夜中に団長の部屋まで報告に行ったことも何度かあったんですけど、そのときに」
「おい、てめえ、まさか」
噛みつかんばかりに身を乗り出してきた「アステラの若獅子」にアルは慌てる。
「いえ、いくら部屋の中でも裸とかはないですよ。団長もさすがにお年頃なので。でも、下着だけだったり、お風呂上がりでタオルを巻いただけだったり、というのはあって、まあ、目の毒でしたね」
(嘘つけ。完全に目の保養になってるじゃねえか)
そう思ってから、シーザーはあることに気づく。
「なあ、アルくんよ」
「はい?」
上官から「くん付け」などされたことがないので少年はとまどう。
「おまえはずるがしこい男だからな、昼間にできたはずなのに、わざわざ夜中に報告に行ったこともあるんじゃねえのか? いい思いがしたくてよ」
眉間を撃ち抜かれたように副長は頭をふらふら揺らした。図星だったらしい。
「かーっ。人をさんざん罵っておきながらよ、おまえの方が全然どすけべじゃねえか。アル先生様よ」
「そっちこそ団長の裸を見てるじゃないですか」
「13歳の裸と18歳の下着なら同じようなもんだろ。いや、そっちの方が勝ちだ」
意味不明な勝負の方程式を披露した後でシーザーは黙り、アルもまた沈黙する。
「ていうかさ、おれら、別に悪くないと思うんだよな」
最初に口を開いたのはシーザーだった。
「まあ、そうかもしれませんね」
「あいつの隙が大きすぎるのが悪いと思うんだよな。こっちを無駄にドキドキさせやがって」
「そう! それは本当にそう思います!」
酔いで顔を赤くしたアルが椅子から腰を浮かして同意する。シーザーもテーブルの上に身を乗り出し、2人の男は顔を接近させて熱く語り出す。
「だろ? おれなんかそれで何度も何度も」
「ぼくだって何度も何度も」
セイジア・タリウスの恥ずかしい話をさらに暴露しようとした2人はすぐ横にまで迫った気配には気づかないまま、それぞれ後頭部に強烈な一撃を食らったのにも気づかずに、完全に意識を失った。
アステラ王国が誇る騎士団のナンバーワンとナンバーツーが突然昏倒したのに、「くまさん亭」の店員も客も驚きを隠せなかった。ただひとり、三つ編みの少女だけが倒れた2人を見下ろしてにこにこと笑っていた。
「あらー、お客さん、どうしちゃったんでしょうね? 飲みすぎちゃったのかなあ?」
ほほほほ、と妙な笑い方をしたバイト女子は、床に倒れ伏した2人の男を両手で引きずると、そのまま店の外へと出ていき、しばらくして手ぶらで戻ってきて、ぱんぱん、と手を叩き、一仕事を済ませたかのような雰囲気を醸し出した。
「えーと、セシル?」
厨房にに戻ってきた少女にノーザ・ベアラーが訊ねる。
「お客はいったいどうしたんだい?」
「お帰りになりました」
「ああ、そうなのかい。ならいいんだけど」
有無を言わせぬ口調にさすがの女主人も話を続けられなかった。
(よくわからないが、今は近づかない方がよさそうだ)
もうすぐ閉店の時間ということもあって、その準備をしようと女店長は少女から離れた。
(あの馬鹿ども。あんな話を人前でするなよ!)
セイジア・タリウスは厨房の隅で恥ずかしさに身を震わせていた。羞恥心の薄い少女でもさすがにこたえることはあるのだ。いまだに顔から赤みが引かないのが自分でもわかる。
(そりゃあ、わたしだって昔は常識とか礼儀とかちゃんとしてなかったのは確かだけど、それをこんな他のお客さんもいる場所で話すことはないじゃないか)
ただし、シーザーとアルに性的な眼で見られていた恥ずかしさ、というわけではなく、知り合いに昔の失敗談を馬鹿にされた恥ずかしさであったのだが。依然として自分が女の子(しかもかなりかわいい)である、という自覚が彼女にはなかったのだ。
(もういい。正直に話そうとしたのが間違いだった。あいつらのことなんか、もう知るもんか)
セイの不機嫌は店を出るまで続いた。家に帰ってリブ・テンヴィーにその出来事を説明すると、女占い師は大笑いした後で、
「許してあげたら? 2人ともあなたを心配して探してくれていたのを忘れたらいけないわ」
とフォローしてきたので、少しだけ怒りは収まった。
(確かにそれは嬉しかったしな。まあ、次に会ったら2人とももう一発殴って、それでチャラということにするか)
それが女騎士なりの落としどころ、ということらしかった。
「んあ?」
シーザー・レオンハルトは路地裏で目を覚ました。夏とはいえ、夜風は冷たい。
「なんだこれ?」
顔に何か貼りついている。甘いにおいがした。
「って、おい。アル」
すぐそばでアリエル・フィッツシモンズが横たわっているのに気づいた。彼の顔にもやはり薄く平べったいものが貼りついている。
「うえ?」
上官に揺さぶられて副長は目を覚ました。
「レオンハルトさん、ぼくらはどうしてここに?」
「おれにもわからん」
自覚はなかったが、かなり飲みすぎたらしい。後頭部がずきずき痛んだ。まるで誰かに殴られたかのようだった。
「まあ、いい。帰るぞ」
「はあ」
騎士団の本部を目指して歩き出す。2人の住まいはともにその周辺にあった。
「これ、パンケーキですね」
「は?」
自分の顔に貼りついていたものをしげしげと見つめながらアルが呟く。
「なんだってそんなものが顔に?」
「ぼくにわかるわけないじゃないですか」
そう言いながら少年はパンケーキを口にした。
(おいおい、食うのかよ)
とシーザーは呆れたが、部下の少年が目を丸くして立ち止まったので、彼も足を止めた。
「おい、どうしたんだ?」
「これ、団長が作ったのとそっくりだ」
「はあ?」
パンケーキに視線を注ぎながら少年は話を続ける。
「遠征中にたまたま材料が手に入って、みんなに作ってくれたことがあるんですよ。それにそっくりなんです」
うれしそうな顔でアルはもう一度パンケーキを頬張った。
「それもやっぱり、あのセシルさんが作った、ということか?」
「おそらくそうでしょうね」
セイジア・タリウスと同じシチューを作ったセシル・ジンバという少女ならば、同じパンケーキを作っても不思議ではない、ということになるだろうか。今一つ釈然としないままシーザーは歩き出す。
(うまく言えねえが、不思議な娘だったな)
自分もパンケーキを手に持っていたのに気づいて、シーザーもそれを口にした。といっても、少年と違って青年は自分が恋する少女の作ったお菓子を食べたことはないから、味など確かめようもない。そのはずだったのだが。
「本当だな」
「はい?」
「このパンケーキ、あいつの味がする」
優しく甘くそして懐かしい味だった。金髪の少女の笑顔がふと思い浮かんだ。
「あいつの味とか、言い方がいやらしくないですか?」
「そんなことを気にするのは、おまえみたいなムッツリスケベだけだ」
「誰がムッツリスケベですか!」
憤る副長を無視しながら、騎士団長はいずれまた近いうちに「くまさん亭」を訪れよう、と思っていた。店の雰囲気がどことなく気に入ったのだ。その時には、あのセシル・ジンバという娘ともう少し話をしてみるのもいいかもしれない、とも思っていた。
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