第22話 女騎士さん、オニギリを握る

「おねえさん、またあれを頼むよ」

昼食時の「くまさん亭」で労務者らしき男がライスの乗った皿をセシル・ジンバに差し出してきた。

「かしこまりました」

うやうやしく頭を下げると、少女は厨房に戻り、皿に盛られた白飯を素早く手で丸めて、紙袋に収めた。

「はい、どうぞ」

「お、すまないねえ」

ご満悦、といった表情で男は女子店員から袋を受け取る。男と一緒に食事をしていた仲間が袋を見て不思議そうな顔をする。

「なんだい、ゴウさん、それ?」

「ああ、前にな、余ったライスを持ち帰ろうとしたら、あのおねえさんがこんな感じにしてくれてな。スプーンを使わずに手で持てるから、現場で作業しながらでも食べられてちょうどいいんだ。しかも塩味がついていて美味い、ときてる」

「へえ、おれも今度やってもらおうかな」

そう言いながら男たちは店から出ていった。

「変わったことをするんだな」

オーマが後輩の少女に訊ねる。

「そうですか?」

「ああ。確か、東方の料理でそういうものがあった気がするが、この辺では見かけない」

「はい。『オニギリ』というらしいです」

「ほう。『オニギリ』、か」

三つ編みの少女が何処でその技術を覚えたか、小柄な男は気になったが口にはしなかった。詮索しないことで守られる平安があることをベテラン料理人はよく知っていたのだ。その一方で、「くまさん亭」の女子店員は汚れた手を洗いながら、いつしか物思いに沈んでいた。


彼女がオニギリを作れるようになったのは、セイジア・タリウスとして騎士の任務を果たしたことがきっかけだった。ある時、戦いで捕虜となった東方の戦士を首都まで護送するよう命じられた彼女は粛々とその務めを果たしていた。出来る限り話も聞き出しておくように、とも命じられていたので、毎晩尋問も行っていたのだが、

(何かを聞き出すのは騎士の仕事ではない)

と考えていた彼女はあまり熱心に戦士から話を聞こうとはしなかった。というよりも、彼を一目見た時から話を聞き出せるとは思わなかった。さほど年を取っているわけでもないが、古木のような静かで端然としたたたずまいを持つ戦士が重要な秘密をべらべらしゃべるとも思えない。むしろ、自分の世界をしっかりと持った姿勢に敬意すら抱き、心ならずも捕らわれの身となった彼を尊重するのが騎士としての役割だ、ともセイは考えていた。

そういうわけだったので、少女は男から話を聞き出すのではなく、逆に自分のことを語っていた。これまでの経験、そこから感じたこと、思ったことを頭に浮かぶままに口に出したが、それを聞いても男の顔に変化はうかがえなかった。だが、セイはそれならそれでいい、と思っていた。話さえしておけば、一応は尋問したが黙秘された、という申し訳も立つのだ。

そんなある日、男に何か食べたいものはないか、と質問してみた。彼は表情も目線も変えぬまま、ぼそっと小さな声でつぶやいた。片言ではあったが白飯を所望しているのがわかった。

「それだけでいいのか? おかずはいらないのか?」

そう聞いてみたが、追加の注文もなかったので、部下に頼むと、しばらくしてご飯の乗った白い皿が届けられた。机に置くと、男は黙って目の前の皿に手を突っ込み、見る見るうちにそれを丸め、丸めたそれをがつがつと食べた。あっという間の出来事だった。

(なんと見事な)

感心したセイは、今の出来事について質問してみたが、男は答えなかった。それなら、ともういちどごはんを持ってこさせて作ってもらおうとしたが、男はぴくりとも動かない。

「じゃあ、わたしがやってみるから、気になるところがあったら言ってくれないか?」

そう言うと女騎士は、見よう見まねでごはんを握ることにした。男ほど上手く行くはずもないが、それでもできそうな気がしたのだ。しかし、いざやってみると、案外難しく、手のひらに飯粒がくっつくばかりで、白飯はきれいにまとまらない。気がつくと、セイの白い掌の中で、正体不明の物体が爆誕していた。それでもなお、うんうん唸りながら悪戦苦闘していると、

「そうじゃない」

と、ぼそっと東方の戦士が呟いた。驚いて振り向くと男が珍しく険しい表情を浮かべている。食べ物を粗末にすることへの嫌悪感があるらしい。男は続いて、いくつかの言葉を少女に向かって告げた。短くはあったが無駄のないアドヴァイスで、セイはどうにかご飯を丸めることに成功した。

「これ、何という名前だ?」

興味津々な様子で訊ねてきた金髪の少女に、

「オニギリだ」

と溜息をつきながら男は答えた。敵に対してのんきに食べ物の話をしている自分自身に呆れているようにも見える。

「ほう、オニギリ、というのか。なるほどな」

手についた飯粒をひとつひとつ食べながらセイが感心する。初めてなので上手く行かなかったが、練習すればもっときれいに握れるようになるのではないか。もっと上手くなりたい、と少女は考えていた。

「じゃあ、明日も頼むぞ」

「は?」

思わず声を漏らしていたのに気づき、男が顔をしかめる。

「このオニギリ、明日も作ってみるから、また教えてくれ。いずれわたしも嫁に行くかもしれないから、料理のレパートリーは多ければ多いほどいいんだ」

そう言いながら取り調べをしていた部屋を出ていく騎士団長の後ろ姿を、東方の戦士は糸のような眼を見開いて凝視していた。

「さあ、早速やろうか」

次の日、いきなり白飯の乗った皿を持って部屋に入ってきた少女を見て、男は心底呆れた。ちゃんと尋問しなくていいのか。答えるつもりなどないが、敵に向かってそう言いたくなった。そして、そんな敵につかまった自分自身を不甲斐なくも思っていた。

しかし、生まれつき真面目な男は、セイにオニギリの作り方をしっかりと教えてしまっていた。不出来なものには酷評を加え、まずいものは容赦なくこき下ろしたが、女騎士はまるでへこたれなかった。最初のうち、少女は慣れない手つきで苦戦していたが、じきに上手く白米を丸められるようになっていた。覚えが良く器用で何事にも真剣に打ち込むあたり、戦士として優秀でもあるらしい、と男は目の前の少女への評価をいつしか改めていた。何より敵であっても素直に教えを乞う柔軟さは彼には無いものだった。戦場で刃を交えていれば危うかったかもしれない。

「うむ。上等だ」

セイの作ったオニギリを頬張りながら男が頷いたのは最後の晩、首都に到着する前日だった。

「本当か? よかった。ギリギリ間に合ったようだな」

「短い時間でよく上達したものだ」

「先生の教え方がよかったからさ」

そう言って笑ってからセイは俯いた。明日には男は牢獄に入り、そこからは苛酷な取り調べが待っているはずで、その後には厳しい処罰も待っているはずだった。短い時間ではあったが、同じ戦士として気持ちが通い合ったはずの男に向かって最後に何か伝えたかったが、暗い未来が待ち受けている人間にかける言葉を若い娘は持ち合わせていなかった。

(いや、それなら)

と思い直して、セイは男の左肩に右手を置いて、戦士の顔をじっと見つめた。男は一瞬だけ少女を見てから、すぐに視線の向きを真直ぐに変えた。いつも通り、何を考えているのかよくわからない表情になっていた。上手く伝わらなかったのかもしれない。だが、伝えようとはしたのだから、それで良しとすべきだった。

「じゃあな」

とだけ言って、セイは部屋を後にした。最後まで男は何も言わないままだった。

それから間もなく、セイジア・タリウスは男の死を耳にした。取り調べを受けるために護送されていた時に、一瞬の隙をついて逃げ出し、高い塔までよじ登るとそこから身を投げ自ら命を絶ったという。

「タリウス団長宛てです」

セイの部屋まで知らせに来た兵士は手紙も携えていた。男が入っていた独房に残されていたのだという。中を開けてみると、東方の文字が筆で流麗に書かれているが、言葉のわからないセイにはそれを読み取れない。

「これ、なんて書かれてるんだ?」

「はっ。通訳によると、『団長殿の丁重な扱いに心から感謝する』、ただそれだけだそうです」

「そうか。ご苦労だったな」

兵士が部屋を出ると、セイは一人で静かに涙を流した。

(馬鹿だな。何も自分から死ぬことはないんだ)

たとえ、死罪になるとしても少しでも長く生きようとしてほしかった。だが、それは自分のわがままにすぎない、というのも少女はわきまえていた。時として、人は大事なもののために命を捨てることがある、というのを彼女はオージン・スバルの最期から教えられていた。東方の戦士が何を大事にしていたのかはわからないままだ。ただ、彼が命を懸けて何かを守ろうとした、というのは忘れないようにしよう、とセイは自室の窓から夕方の青空を悲しみとともに見上げていた。


オニギリを作ろう、と思いついたのは、あの労務者の申し出がきっかけだったが、セイはそれを幸運だと捉えていた。

(おかげであの男のことを忘れずにいられる)

シチューを作る時にスバルとツンジを思い出すように、彼女の料理にはここにはいない誰かの思い出がつきまとうのかもしれなかった。だが、それを悪いとは思わず、それならそれでいい、と思うようになっていた。

「こんにちはー」

そのとき、店の方から可愛らしい声が聞こえた。

(この声は)

はっ、となったセイが厨房から飛び出すと、少女が跳ねるようにやってくるのが見えた。

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