第9話 「マズカの黒鷲」と「魔弾の射手」
アステラ王国王立騎士団とマズカ帝国大鷲騎士団との合同訓練は3日間の日程を終了した。天馬騎士団と黒獅子騎士団、2つの騎士団が合併して誕生した新生王立騎士団を率いるシーザー・レオンハルトはまずまずの結果に胸を撫で下ろしていた。
(まあ、まだまだ課題も多いがな)
少なくともよその国の騎士たちに恥ずかしい姿を見せなかっただけでも上出来と言える。それに異国の騎士団と交流したことで、部下たちにも得るところは多いだろう、と見込んでいた。それを生かして、明日からまた激しい訓練が始まるはずだった。そして、今、アステラ王国の王宮近くにある訓練場ではある種の「余興」が始まろうとしていた。
「始めて構いませんよ」
自らを取り囲んだアステラの騎士たちに鷹揚に話しかけたのは「マズカの黒鷲」の異名をとる大鷲騎士団長ソジ・トゥーインだ。黒々とした髭を整えた伊達男であった。
「よろしいのですか?」
「ええ。いつでもどうぞ」
では、と王立騎士団の団員が答え、しばしの静寂が流れたのち、黒光りする鎧をまとった騎士を囲んだ男たちは皿を空中へと投げ始めた。宙に舞う皿は「マズカの黒鷲」が放つ矢によってことごとく砕かれていく。
(すごい)
アリエル・フィッツシモンズは思わず息を飲む。投げられた皿は高さもタイミングも勢いもてんでばらばらで、それらを全て射抜くのが至難の業だというのは少年にも理解できた。それでいながらソジ・トゥーインは余裕たっぷりの態度で笑みすら浮かべている。
(やられたかもしれない)
とも少年は思っていた。余興、というかお遊びではあるが、これだけの超絶技巧を披露されては、王立騎士団にマズカへの苦手意識が生まれても仕方がなかった。あえて自分の部下ではなく異国の騎士たちに皿を投げさせたのも示威行為の意味合いもあるだろう。同盟国とはいえ外国なのだ。力を誇示しておく意味は大いにあるはずだった。
(あれ?)
とアルが思ったのは隣にいるシーザーの表情をうかがった時だった。「マズカの黒鷲」の妙技を目にしていながら、その眼には感嘆の色は見られない。それどころか退屈そうにしているようにも見えた。あんなすごい技を見てどうしてそんな、と疑問を覚えた時に訓練場に拍手が鳴り響いた。
「見事。いや、実に見事だ、『マズカの黒鷲』よ」
用意された皿をすべて砕いたソジ・トゥーインにアステラ国王スコットは賛辞を惜しまなかった。その横に控えた宰相ジムニー・ファンタンゴも拍手を送る。両国の訓練を締めくくる場に国王をはじめとした重臣たちも臨席していた。
「聞きしに勝る腕前だ。楽しませてもらったぞ」
「お褒めにあずかり光栄です、国王陛下」
優雅に礼をするソジ・トゥーイン。
「トゥーイン殿こそまさしく大陸一の名手と呼ぶにふさわしいお方ではないかと」
宰相の言葉に王は頷く。
「うむ、確かにそうであるな。いや、しかし、わが国にも凄腕の持ち主がいると余は聞いたことがある」
「『魔弾の射手』でございますか」
「マズカの黒鷲」の目が鋭く光る。それまでの余裕が一変して、真冬のごとき冷たさすら感じさせる冷たい閃きを見せる。
(「魔弾の射手」か)
アルもその噂は聞いていた。アステラ王国には伝説的な弓の名人がいて、戦場で軍が窮地に陥ると奇跡的な活躍を見せて、幾度となく勝利をもたらしてきたのだという。しかし、その実体を知る者はなく、その正体は謎に包まれていた。
「おそれながら国王陛下。『魔弾の射手』の技量をぜひともこの目で拝見したいのですが」
「マズカの黒鷲」の申し出に国王も大きく頷いた。
「うむ。余も一度見てみたいとは思っていたのだ。のう、レオンハルト、そなたなら何か知っているのではないか?」
王に問いかけられた騎士団長から返ってきたのは、ぶっきらぼう、ともとれるものだった。
「そんなものはいません」
訓練場の空気が固まる。
「いない、とはどういうことだ、レオンハルトよ」
「『魔弾の射手』は実在しない、幻想にすぎない、ということです、陛下」
突然の告白、しかも驚くべき内容に周囲がざわつきだした。
「レオンハルト、だが、『魔弾の射手』がわが軍を救ってきた、というのは明らかな事実ではないか」
そう問いかけたのは今は一線を退いた老将軍だ。シーザーもかつて戦場を共にしたことがあった。
「閣下、明らかなのは『何者かの放った矢がわが国に優勢をもたらした』ことだけです。確かにそういった幸運に恵まれたことは何度もあります。そして、そのような幸運をもたらした矢を放ったのがすべて同一人物だという幻想、それが『魔弾の射手』なのです」
驚きとともに落胆の空気が場に流れる。わかってみれば単純な話ではあったが、伝説的な名人が架空の存在に過ぎなかった、というのは人々を少なからず落ち込ませるのに十分なのかもしれない。
「レオンハルト殿には申し訳ないが、額面通りには受け取れない話ですな」
ソジ・トゥーインが笑みとともにシーザー・レオンハルトに話しかける。
「何が言いたいのですかな、トゥーイン殿」
「いや、あなたほどの方がわざわざ手の内を明かされるのか、と思ってしまうのでね。『魔弾の射手』が実在すると信じさせておけば、他国はアステラを大いに恐れるでしょうに」
「居もしない人間に頼ってまでわが国を強く見せたいとは思わないだけですよ。そんなものに頼らなくてもわれわれだけで十分やっていけるし、そうあらねばならない」
ふっ、とシーザーは軽く笑って、
「だから、トゥーイン殿、安心してくれ。『魔弾の射手』はもういないのだから、あなたこそが大陸一の名手であるのは明らかだし、そのような方が敵ではなく味方であることを実に頼もしく思っている」
「うむ、よくぞ申したレオンハルトよ。わが国とマズカが共に繁栄していくことを祈ろうではないか」
相手を褒め称える部下の謙虚さに心打たれた国王はもう一度拍手を送り、臣下もそれに続き手を叩いた。盛大な拍手を受けた「マズカの黒鷲」は再び礼を取った。
「思ったんですけど」
訓練とそれに伴う一連の儀式が全て終了した後で、シーザーと肩を並べて歩いていたアルが話し出した。
「『魔弾の射手』って実在しますよね?」
「ああん?」
実にいまいましそうに部下を睨む王立騎士団団長。
「何故そう思う?」
「だって、レオンハルトさん、言ってたじゃないですか。『魔弾の射手はもういない』って。『もういない』ってことは前にいた、ってことですから」
シーザーは舌打ちしたい気分になった。実に憎たらしい小僧だが、裏を取られるようなことを言った自分が悪い、というのはわかっていた。それに頭の回る副長が騎士団にとって頼りになる存在だというのもわかっていた。
「え? どうしたんですか?」
目の前の青年に突然頭に手を置かれたので少年はとまどう。
(つまらないことまでよく気づく、その賢い頭でおれのことを助けてくれよな)
そう思いながら少年の茶色い髪の毛を、わしゃわしゃ、と乱暴に撫でまわした。
「え、ちょっと、やめてください、やめてくださいったら」
アルが本気で嫌がっているのに満足したシーザーは少年から手を離すと、また歩き出した。
「なんなんですか、もう」
乱れた髪のままぶつぶつ言いながら副長は団長の後を追う。
「つまんねえことを考えるんじゃねえよ。おまえにはやってもらわなきゃいけないことがいくらでもある」
はあ、ととりあえず返事をする少年。
「ぼくはそこまで気にしてませんけど、『マズカの黒鷲』もたぶんそう思ってますよ」
「かもな」
満場の拍手の中で冷たく目を光らせるソジ・トゥーインの姿がまだシーザーの脳裏に残っていた。自分の説明で『マズカの黒鷲』を納得させられなかった自覚もあった。『魔弾の射手』の存在が同じ弓の名手としてのプライドを刺激しているのだろう。
「まあ、奴がまた何かしてくるかもしれんが、その時はその時だ」
「はあ」
少年はまたそう言ってから、
「話は変わるんですけど」
「なんだ?」
「団長の噂を聞きました」
「なに?」
驚いて立ち止まるシーザー。マズカ帝国との共同訓練からセイジア・タリウスに移るとは、いくらなんでも話題が変わりすぎだ。
「で、あいつが一体どうしたんだ?」
「ぼくの知り合いが聞いた話ですけど、団長は北の方の修道院にいたそうなんです」
それを聞いた大柄な青年は、いつぞやのリブ・テンヴィーのように笑いを爆発させた。あのじゃじゃ馬が修道院だと? 似合わないにも程がある。
「そんなに笑うことないじゃないですか。ひどいですよ」
思わずむっとする少年に、
「いや、だってよ、想像できるか? あいつが祈っている姿なんか」
「確かに想像つきませんけど」
(おまえだってひどいことを言ってるじゃねえか)
と思うシーザー・レオンハルト。
「でも、きっと結婚が上手く行かなくてショックを受けたんですよ。だから、そういうところに行ったんです」
「ふうん」
青年が視線を上に向けると夕焼けがよく見えた。ショックを受けたなら自分の所に来ればいい、とも思った。
「おまえ、さっき『いた』って言ってたが、すると、あいつはもう修道院にはいないんじゃないか?」
アルの頭の良さに常々感心しているシーザーだが、彼もまた頭の回転は速かった。そうでなければ騎士団長は務まらない。
「その通りです。実は団長のいた修道院は火事で焼けちゃったらしくて」
「焼けた?」
それからアルはリヴェット修道院が数十人のならず者に襲われて、それをセイがひとりで撃退した顛末を語った。
「まあ、呆れるというか、感心するな。騎士をやめようが、何処に行こうが、あいつはあいつだ。ちっとも変わらねえ」
「そうですね」
同じ少女に恋する2人の男の胸に似たような感慨が湧く。早く逢いたい、という思いもまた同じだった。
「大事なのはここからなんですけど、修道院を出た団長は都に向かったらしいんです」
「戻ってきてるのか?」
驚きと喜びでシーザーの声は大きくなる。
「みたいですよ。だから、ぼくも心当たりを探してるんですけど、まだ見つからないんです」
少年は肩を落とす。
「戻ってきてるなら、会いに来てくれればいいのに」
「かくれんぼでもしてるつもりかよ」
青年はいまいましそうに吐き捨てる。
「まあ、いいさ。向こうに会うつもりがなくても、こっちが探せばいいんだ」
「はい。ぼくももうちょっと探してみます」
そう言ったアルをシーザーはじろりと見る。
「しかし、おまえ、どうしてそれをおれに言うんだ?」
「えっ?」
「黙っておけばおまえひとりであいつを探せて、見つけたら独り占めにできたかもしれねえのによ。いや、別にそれを卑怯とは思わねえ。勝負のために手段を選ばない、ってのはそれはそれでありだからな」
正直なところ、何故打ち明けたのか、アルにもわからなかった。わからなかったが、
「ぼくは正々堂々とやって、あなたに勝ちたいんです」
そう言っていた。いつしか、こそこそと振る舞っている自分が嫌になってもいた。
「それで負けたなら納得できる、ってか」
「負けません。必ず勝ちます」
ふうん、と青年はにやにや笑う。
「なあ、アル」
珍しく名前で呼ばれて少年は驚く。
「今度一緒に飲みに行こうや」
「は?」
「『は?』ってなんだよ? おれと飲むのが嫌なのかよ」
「いえ、一体何を企んでるんだろうな、と思って」
「何も企んでねえよ。ただ一緒に酒を飲もう、って言ってるだけだ」
「そうですか」
いつもはいがみ合っているが、実はひそかに尊敬している年上の騎士から誘いを受けた少年は微笑みを隠しながら言う。
「ああ、でも、どうなんだろう。ぼくは上品な店が好きだから、レオンハルト団長と趣味が合うかどうか」
「てめえ、おれを下品だと思ってるだろ」
「思ってません。ただ、貴族のぼくと庶民のあなたでは住む世界が違うと思うだけで」
「そっちの方がもっとひでえよ! 堂々と差別するんじゃねえよ」
そういう具合に仲良く喧嘩しているうちに、とりあえず今度の休みに2人で飲みに行く方向で話はまとまっていた。
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