第8話 女騎士さんの変身と食堂の面接

「あんた、セシルっていうのかい?」

アステラ王国の首都チキ、その繁華街の一角にある食堂「くまさん亭」の女主人、ノーザ・ベアラーはテーブルを挟んで向かい合って座った娘に向かってそう言った。

「はい、そうです」

娘の返事を聞いて、ふーん、と言ってから、

「いい名前だね」

褒めるつもりでもなくなんとなくそう言うと、

「ありがとうございます!」

娘は満面の笑みを浮かべ全力で礼を返してきたので女主人は驚いてしまった。

(どうも変わった子みたいだ)

午後は遅い時間で、昼食を摂るには遅く、夕食を摂るには早い、ということで食堂は空いていた。その時間を利用して、アルバイトを希望してきた娘の面接を店内で行っていた。

「ジンバ村から来た、と書いてあるけど」

娘が持ってきた履歴書に目を通しながら質問する。

「はい。東の国境近くにある村です」

聞いたこともない場所だった。相当な田舎なのだろう、というのは娘の外見からでもわかった。シンプルなベージュのワンピース、くすんだ黄色い髪を三つ編みにして、長い前髪を垂らしているので目はよく見えず、顔の中心にはそばかすがパッと散っている。おしゃれに気を使っている様子は全くない。しかし、その点は女主人も似たようなもので化粧っ気は全くなかった。やや上がり気味の目を含めて顔の部品は小さくはあったがバランスよく配置されて整った美しさを感じさせる。肩までぎりぎり届かない黒髪に白いタオルを巻き、労働者用のデニムを履いて、黒いTシャツには「くまさん亭」と白い文字が筆で太く書かれている。全体的にさっぱりとした清潔感を持った女性、と言えた。

(体力はありそうだ)

むしろ女主人は娘の体つきに注目していた。長身でしっかりしていて、力仕事にも耐えられそうだ。食堂の仕事は重労働で、やわな人間にはつとまらない。

「で、炊事の経験もある、と」

「はい。そこまで大した料理は作ったことはありませんが」

それを聞いた女主人が笑う。

「それは気にしなくてもいい。いきなり厨房に立たせたりはしないし、下手に自分の色を持っているよりは、多少経験不足の方がいいくらいさ。ここで作るのはうちの料理であって、あんたの料理じゃない」

はあ、となんとか納得しようとしている娘に、

「まあ、だんだんとうちのやり方を仕込んでやるから安心しなよ」

と、ノーザはもう一度笑う。それから娘と再び言葉のやり取りを続けているうちに、いつの間にか採用するつもりになっていることに彼女は気づいた。受け答えはきちんとしているから、接客にも問題はないだろう。人柄もたぶんいいはずだが、それだけは時間をかけないと分からない部分もある。最初はいい人だと思っても嫌な面が見えてくることが、この仕事をやっていると多いのだ。簡単に人を信じてはいけない、という教訓を何度かの苦い経験から食堂の女主人は学んでいた。

(なんとなくだけど、この子は大丈夫だと思う)

しかし、それでもノーザはセシルという娘を信じる気になっていた。若いからまだ至らない点もあるだろうが、それは自分が教えていけばいいことだ。何よりこの食堂には人手が足りていないのだ。贅沢を言っている余裕はない。

「よし、わかった」

立ち上がった女主人を見て、くすんだ色の髪の娘もあわてて立ち上がる。

「セシル、明日からここで仕事をしてもらうよ。最初は食器洗いやら片付けからやってもらうからそのつもりでな」

「ありがとうございます! このセイ、いやいや、セシル・ジンバ、一生懸命働かせてもらいます。よろしくお願いします!」

向かい合ったノーザに風圧を感じさせるほどの勢いで娘が頭を下げた。

「あんまり気負わないでおくれよ。長く働いてもらわないと困るからね」

「はい! 気負わないことにします!」

気負いたっぷりにそう言われて、

(大丈夫かね?)

と女主人は少しだけ不安そうに苦笑いをした。それでも新しく店の一員となる少女を他の店員に紹介するため、一緒に厨房へと向かった。


「やったー!」

扉を勢いよく開けて家の中に飛び込んできたセイジア・タリウスを見て、リブ・テンヴィーは面接の結果を知った。少女の顔を見れば聞くまでもないことだった。セイは就職の手助けをしてしてくれた友人に飛び込んできた勢いのまま全力で抱きついた。

「うまくいった。リブのおかげだ。本当にありがとう。わたしだけだったらとても無理だった」

ありがとう、ありがとう、と何度も言う少女にしがみつかれてリブは困りながらも胸が温かくなるのを感じていた。

「そうじゃないわ。セイ、あなたが頑張ったからよ」

「いや、違う。リブが助けてくれたからだ」

その点は頑として曲げるつもりはないようだったので、女占い師は反論するのを諦めた。気はいいものの頭のあまりよくない大型犬みたいだ、と自分へと感謝している年下の友人を見て考える。

(馬鹿だからかわいい、ということもあるのよ)

もっとも、この評価を聞いて当のセイが喜ぶかはわからなかった。

「でも、よかったじゃない。仕事が見つかって」

「ああ、本当にそうだな。明日から来てくれ、と言われた」

今日は夕食を兼ねて就職のお祝いをすることになった。といっても、料理を作るのは祝われる側のセイなのだが、彼女は調理をいつも楽しくやっていたのでその点は全く気にしなかった。

「でも、昨日ここに戻ってきて、リブの話を聞いた時は驚いたけどな」

台所で準備しながらセイは昨日の出来事を思い出す。


「だから言ったじゃない。仕事探しするのは大変だ、って」

リブは家に戻ってきたセイの話を聞くなり笑い転げた。バイト希望者の正体が元騎士団長だと知った店長に門前払いを食らった、とあっては笑わずにはいられなかった。

「それはわたしだってわかってるさ」

むすっとした顔でセイは店でもらってきたロールケーキを頬張った。腹は立つが甘くてとてもおいしい。

「ごめんなさい。でも、その店長さんの言うことはもっともだと思うわ。あなたみたいな有名人を部下として働かせるのは大変だもの」

「そうかなあ?」

「それはそうよ。だって、あなたが騎士団を率いている時に、王様が新しく兵隊として入ってきたら、あなた、他の兵隊さんと同じに扱える?」

それはもちろん、と言おうとしたが、国王スコットを新兵としてびしびし鍛えられるか、というと正直疑問を持たざるを得なかった。依怙贔屓をするつもりはなくても、忠誠心がつい邪魔をしてしまいそうだ。

「そう言われてみると、確かにそうかもしれない」

「でしょう? 偉い人に指図をするのは難しいのよ」

「わたしは偉くなんかないぞ」

(あなた、国からいくつ勲章をもらってるのよ)

そう突っ込みたい所だったが、リブは自重する。ここで考えるべきは、あくまでセイの就職の話だった。

「つまり、あなたがセイジア・タリウスであることが問題なのよ。あなたはそのつもりはなくても、周りはあなたに遠慮して一緒に仕事をしたがらないのよ」

「ひどいぞ、リブ。そんなことを言われても、わたしにはどうしようもないじゃないか。生まれてこのかた、ずっとセイジア・タリウスとしてやってきたんだ。やめられるわけがないじゃないか」

「そうでもないわ」

けろっとした顔で美女に答えられて女騎士は目を丸くする。

「みんながあなたをセイジア・タリウスだと思わなくなればいいのよ。伝説の女騎士なんかじゃなく、普通の女の子として見てくれれば、仕事もきっと見つかるはず」

「でも、そんなの一体どうするんだ? まさか、魔法でも使うのか?」

「まあ、魔法と言えば魔法かしらね」

そう言いながらリブは立ち上がって、居間の隅にある鏡台に近づいた。彼女が今着ているのは青いロングドレスで、セイが出て行ってからすぐに着替えていた。

「すごいな、占いだけじゃなくて魔法も使えるのか」

感心するセイを振り返りながらリブは苦笑いする。

「勘違いしないで。わたしにできるのは占いくらいでそんなに大したことはできないわ」

そう言いつつもリブはテーブルへと戻ってきた。

「それに、女の子なら誰でも使える魔法があるのよ。セイ、あなたにもね」

ごとごと、と音を立ててテーブルの上にいくつもの瓶と小箱と一緒に化粧のための道具が置かれた。


「しかしまあ、うまく化けたものね」

玻璃の杯から白く濁った酒を飲みながらリブが向かいに座ったセイを眺める。

「われながらいい仕事をしたわ」

くすくす笑いながらまた杯に口をつける。

「酒ばかり飲まないで料理もちゃんと食べろよ」

苦情を申し立てるセイの姿は昨日までとはまるで違っていた。くすんだ黄色い髪を三つ編みにして長い前髪を下ろしたその姿は、さっきまで「くまさん亭」で面接を受けていたセシル・ジンバそのものだった。

「はいはい」

と文句を受け流しながら、よく煮こまれた肉を口にするリブ。彼女が化粧を手ほどきして、セイはセシルへと変貌を遂げたのだ。

「ただ、正直に言うと、心の中がもやもやしてるのよね。化粧って普通はきれいになるためにするものだけど、あなたの場合は逆だから」

女占い師の言う通りで、セイに施された化粧は彼女の美貌を抑えるためになされていた。前髪は美しく光る眼を隠すために下ろされ、そばかすもわざわざメイクでつけたものだ。

「ねえ、セイ。この仕事をしている間はしょうがないけど、そのうちちゃんとした化粧を覚えた方がいいわ。あなたなら絶対もっときれいになるから」

「わたしがきれいになっても仕方がないだろ」

そう言って「ははははは」と笑う少女に、

(この子はこれだから)

とリブは内心で閉口する。誰がどう見ても美形であることは明らかなのに、当の本人だけは自分の美しさを信用していないのだから妙な話であった。せっかくの才能をドブに捨てているようで全くもって感心できた話ではなかった。化粧で変装すると決めた時に、セイが躊躇なく金髪を染めることを提案してきたのも、自分の美貌に気づいていないせいなのだろう。


「だめよ、そんなの。そんなきれいな髪を染めるなんて。染めたりしたら痛んでしまうわ」

リブが強く反論してきたので少女は面食らう。

「しかし、わたしの髪は目立つだろう。このままにはしておけない」

「それはそうだけど、もっと他にやりようがあるから。あなたの髪はとてもきれいなのよ? お母様から受け継いだ素敵な金色の髪じゃないの。もっと大事にすべきだわ」

自分よりも友人の方が髪を心配してくれているのに感激しながらも奇妙に思っていたセイはもうひとつ妙なことに気づいた。

「あれ? 母上も金髪だったことを、わたし、リブに言ったことがあったかな? どうも覚えがないのだが」

「あなたが言ってなかったら、わたしにどうやってわかるのよ?」

そう言われて、それもそうだ、と思うことにした。それにこの女占い師は何でも知っているのだ。


そういうわけで、セイの髪には粉が振られて金色からくすんだ黄色に変わっていた。水に濡れると落ちてしまうが、雨降りにさえ気を付けておけば問題はないはずだった。

「ともあれ、化粧だけじゃなく、面接の練習にも付き合ってくれたし、履歴書の書き方も教えてくれた。リブにはどうお礼を言っていいのかわからない。この恩は必ず返すから」

ありがとう、と今夜何度目になるのか感謝の言葉を口にするセイ。

「別にそんなことしなくていいわよ。あなたとわたしの仲じゃない」

そう言うリブの胸にも女友達への感謝の念があった。ちゃんと自分の忠告を聞いて家まで戻ってくれたこと、就職のアドヴァイスを文句も言わずに聞いてくれたこと、そのどれもが嬉しいものだった。

(占い師が一番つらいのは、占った相手が自分の言うことを素直に聞いてくれないことだものね)

杯の中の酒に小さくできた波紋を見つめながら妖艶な美女は微笑む。

「さあ、明日から頑張らなければな。そのためには、たくさん食べておかなければ」

両手に持ったパンをがつがつかじるセイにリブが訊ねる。

「ねえ、そういえば、ジンバ村、っていうのはどうして思いついたの?」

セイジア・タリウスに代わる身分としてセシル・ジンバという娘の設定を考えた時に、その出身地としてセイが提案したのだ。

「なに、別に大したことじゃない。うちの、タリウス家の領地なんだ。わたしも行ったことはないくらいかなりの田舎なのだが、そういう場所なら誰も知らないと思ったんだ」

そうなのね、と言ってから、

「セシル、という名前はわかるわ」

占い師はそっと呟き、

「ああ」

とセイもそっと答えた。セシル・タリウス。それは彼女の母の名前だった。この世にはもういないが、今でも大好きな母の名だ。働くために別名を考えることになって、母から名前を借りることにしたわけだが、その名前を褒めてくれた「くまさん亭」の女主人が悪い人であるはずがない、とセイは信じていて、そんな人がやっている店で悪いことが起こるはずがない、と明日への希望のみをただ見つめていた。


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