第4話 女騎士さん、修道院の思い出を語る(後編)

0から1にするためにはかなりの労力が必要だが、1から2にするのはそれほど難しくもないのかもしれない。セイが小柄な娘クレアと仲良くなると、すぐに他の仲間が近づいてきて、セイは4、5人のグループでいることが多くなり、孤独な時間は明らかに減った。

「セイと話してるとさ、つまんないことでウジウジ悩んでるのが馬鹿らしくなって、気持ちが楽になるんだよ。なんだ、こんな大雑把でも生きていけるんだ、と思えてさ」

元麻薬中毒者のアンジェラがからかうように言った。

「そうね、セイさんはすごくシンプルな人なのよね」

息子を亡くしたカタリナも同意した。

「なんだか褒められてる気がしないぞ」

思わずむっとしたセイに

「そんなことないです。深く考えもせずに動けるのがすごい、ってわたしも思います」

「だから、褒めてるように聞こえないんだって」

クレアの言葉にセイが反論すると、他の3人は声を上げて笑った。

(クレアのおかげだな)

女騎士は小柄な娘に感謝していた。彼女が勇気を出して自分に話しかけてくれたから、今こうやって仲間に囲まれているのだ。最近のクレアは目に見えて明るくなった。以前は無口でおとなしいようにしか思えなかったが、それは彼女が望んでそうなったのではないのだ、と気づき、セイは痛ましく感じた。

「お願いします。わたし、強くなりたいんです」

クレアが真剣な眼で護身術を教えてくれるように金髪の少女に頼んできたのは、そんなある日の夕方だった。

「それは別に構わないが、ひとつだけ約束してほしい。わたしが教えるのはあくまで身を守る方法であって、人を痛めつけるやり方じゃない。もしも、きみが父親に仕返ししたい、とか、男の人をやっつけたい、と思っているのなら、教えられない。それだけはわかってほしい」

「はい。もちろんです」

クレアの明るい瞳に影がないのを見たセイは、彼女に護身術を教えることに決めた。といっても、むしろ体力を増やすことと自信を持たせることに重点を置いていた。生きていくためには体と心の力が大事であって、小手先の技術はどうでもいいものだ、というのがかつての騎士団長の考えだった。毎朝の礼拝の後で、暗い山道を一緒に走ったり、夜眠る前に筋トレをしているうちに、クレアの表情はますます豊かになり、以前はおどおどしていたのが嘘のように自信も出てきた。


「人は変われるんだな、ってわたしは感動したものさ」

うんうん、と頷くセイを見ながら、

(いい話みたいだけど、神の教えよりトレーニングが効果的、というのはどうなのかしらね)

と、リブはひそかに困惑していた。

「クレアだけでなくアンジェラとカタリナもどんどん明るくなって、そうしたら修道院全体の雰囲気も変わってきたんだ。冷たく静かだったのが明るくにぎやかになってきた。まあ、相変わらず罰は受けてたけど、一人で受けるよりは友達と一緒に受ける方がずっと気分は楽というものだ。晩ごはんを抜かれても、みんな一緒なら苦にならない」

やはりいい話に聞こえないことに困惑しながらも、占い師は疑問を投げかける。

「セイの話だと、結構うまくやっていたみたいに聞こえるけど、それならどうしてあなたは今ここにいるの? どうして修道院を出ちゃったの?」

「ああ、それはだな」

金髪の女騎士は気まずそうに頭を掻いた。


その日は朝から麓まで出かけて寄付を求めに行っていた。

「セイが来てくれると助かるんだよ。あんたは人気があるから、たくさん物がもらえる」

アンジェラにそう言われて、クレアとカタリナも連れて一緒に出掛けると、確かに村ではかなりの歓待を受けた。元騎士団長というネームバリューもさることながら、純白の修道服をまとった長身の美少女が人目を惹かないはずはなく、けしからぬ思いで彼女に寄付した者も少なくはなかったが、どんな気持ちだろうと浄財であるのに変わりはないので、有難く受け取っていた。

「ふふふ、大漁、大漁」

「たくさんもらったわね」

アンジェラとカタリナが村でもらった食べ物や日用品を抱えながら喜ぶ。

(役に立てたようだな)

セイの胸にも喜びが湧き、みんなとともに帰り道に着こうとしたそのとき、クレアの悲鳴が聞こえた。

「ああっ、あれ」

彼女は山の方を指さしていた。いつも暮らしている修道院の白い建物が見える。しかし、そこからは黒い煙が上がり、木々の間から赤いものも時折見えた。炎だ。

「後は頼む」

セイは荷物を放り出すと全力で走り出していた。クレアとアンジェラの声が聞こえたがそれどころではない。

(しまった)

女騎士の頭脳は事態を把握していた。修道院で火を使うのは食事の時間だけだ。今は冬だが、基本的に暖房は使わない。つまり、失火ではなく放火だ。彼女の俊足でも山を駆けあがるにはそれなりの時間を要し、修道院にたどり着いた時には教会は既に燃え上がり、手の付けようがないのは明らかだった。

「ああっ、セイジア」

院長が悲嘆のあまり地面に崩れ落ちているのが目に入った。そして、何頭もの馬の嘶きと何十人の男たちの歓声が耳に入る。前に叩きのめした顔も見えた。借金の取り立てを名目に因縁を付けてきたごろつきどもが、別のならず者を引き連れて仕返しにやってきた、というわけだ。男たちと馬がセイを取り囲む。

「あんたがめちゃくちゃ強いとかいうおねえちゃんだな」

古い鎧を身に着けたいかつい男が馬上から声をかけてきた。騎士のなれのはての盗賊、といったところか。セイの中の騎士としての誇りが白熱していく。

「あんたがいくら強いかは知らないが、この人数を相手にするのは無理だ。どうだ? 今詫びておけば悪いようにはしねえ。たっぷり可愛がってやるから素直にぐべっ!」

下衆の言葉を聞く必要もないのでジャンプしてからの右の回し蹴りでさっさと仕留める。吹き飛ばされた男が山の斜面を転がり落ちていくのを見た無法者の集団に動揺が波のように走る。

「セイジア、あなた」

院長は止めはしなかった。たとえ止めようとしてもセイに止まるつもりはなかった。

「わたしも一応は神のしもべだ」

その言葉を聞いた人間は、ごろつきも修道女もみな震え上がった。まるで感情のない、非人間的きわまる声だったからだ。

「だから、命は取らない。だが」

女騎士の瞳が冬の海のように青く澄みきって、そして凍えるほどに冷たく光る。

「命は取らないが、それ以外のものは全て置いていってもらう」

死の天使が宣告した瞬間に、セイを囲んだ男たちが襲い掛かった。彼らはまだ自分たちの優位を信じていた。いくら腕が立とうと数十人を相手にして勝てるはずがない、というのが常識的な考えだった。しかし、その優位が幻に過ぎず、常識ではとらえきれない人間が広い世の中に存在することを思い知らされるのに長い時間は必要なかった。そこで行われたのは襲撃や戦闘ではなく、虐殺であり惨劇であった。少女からの一方的な攻撃とただ蹂躙されるだけの男たち。地獄がこの地上に出現するのを、神のしもべたちは目撃した。

「セイジアさん!」

「セイ!」

「セイさん!」

クレアたちが追いついた時には全ては終わっていた。打ちのめした連中をすべて斜面へと転がり落としたセイが仲間たちの方に振り向く。燃え上がる教会を背景に修道服を赤く染めた少女が一人立つ姿に誰も言葉をかけられない。敵を倒した少女の胸に喜びはなく後悔だけがあった。がっくりと膝を落とし、手を地面につけてセイは嘆いた。

(わたしのせいだ。わたしがあいつらをやっつけていなければ。わたしがここから離れなければ)

人一倍責任感の強い少女はただひたすら自分だけを責めた。たくさんの女性が心穏やかに暮らす大事な場所を台無しにしてしまったのだ。取り返しのつかない失敗だった。クレアたちも慰めようもなく、セイに声をかけるべきか迷っていると、誰かが近づいてきた。院長だ。きっと叱られるのだろう、と覚悟した金髪の少女の耳に届いたのは意外な言葉だった。

「あなたが悪いのではありませんよ、セイジア・タリウス」

驚いて見上げたセイの瞳には涙が光っていた。それを見たクレアはたまらなくなって、しゃがみこむと美しい友人の肩を抱き寄せた。

「すべてはわたくしの責任です。わたくしが毅然とした態度をとらなかったから、このような事態を招いたのです」

「でも、わたしはまた暴力をふるってしまいました」

「あれは暴力ではありません。神罰です」

院長の薄い唇にかすかな笑みが浮かんだのにセイは驚く。初めて見る表情だった。

「しんばつ、ですか?」

「ええ。神が不届き者たちに罰を下したのです。あなたは神に代わって罰を執行したにすぎません。だから、気に病むことはないのですよ。以前、あなたを叱ったのもわたくしの誤りです。どうか許してちょうだい」

様子を見守っていた修道女たちがどよめく。院長が謝罪するなどこれまで有り得ないことだったからだ。

「でも、わたしのせいで、教会が燃えてしまって、どうやってお詫びしたらいいのか」

「まだまだ修行が足りませんね、セイジア・タリウス」

院長が教会の方を見る。セイが立ち上がると、彼女と抱き合ったクレアも立ち上がり、そのまま長身の友人の胸に顔をうずめた。

「信仰というのは教会にのみ存在するのではありません。ひとりひとりの胸の中に存在するものなのです。教会がなければ神を信じられないとでもいうのですか? そういうわけではないでしょう?」

燃え上がる教会をセイたちだけでなく全ての修道女が見つめていた。この光景を決して忘れないように、脳裏に焼き付けようとしているかのようだった。

「そうですね。そうだったらいいとわたしも思います」

セイがつぶやいたのを見た院長がかすかに微笑む。

「むしろ、逆によかったのかもしれませんね」

「よかった?」

意外過ぎる言葉に豪胆な女戦士もさすがに驚く。

「ええ。やり直しをするいい機会かもしれません。セイジア、あなたがやってきてからずっと考えていたのです。わたくしのやり方は本当に正しいのか、と。いくら言って聞かせようとしても、あなたはちっとも聞いてくれずに勝手なことばかりして」

「ああ、いや、それは本当に申し訳ありません」

「別に怒っているわけではないのですよ。わたくしから見ても、言うことを聞かないあなたが完全に間違っているとは思えなくなってきて困っていたのです。それに、そこにいるクレアもアンジェラもカタリナも、あなたと仲良くなってすっかり元気になりましたね。わたくしにはできなかったことをあなたはやったのです」

「院長先生」

クレアたちの胸が感激で満ちる。いつも厳しかった院長が自分たちをちゃんと見て心配してくれていたのだ。

「修道院はまた建て直せばいいのです。実は以前に村長さんから『山中だと何かと不便だから村に近い場所に移らないか』とお誘いを受けていたので、もう一度相談してみたいと思います」

「おお、それはいいですね」

セイが頷くのを見た院長が他の修道女に呼びかける。

「そういうことなので、明日からさっそく再建に入ります。それから、再建が終わったらわたくしは院長を辞めて出ていくので、引き継ぎの方も頼みますからね」

悲鳴があがった。厳しくても慕われていた人なのだろう。

「院長先生、そんな。責任を取って辞めるなんてダメですよ」

「早合点はいけませんね、セイジア。わたくしは辞めたいから辞めるだけです」

「やめたい?」

「そうです。辞めたいのです。他にやりたいことができたのです」

(不思議だな)

とセイは感じていた。一言話すたびに院長に人間らしさが戻っていくようだった。

「院長先生がやりたいことってなんですか?」

アンジェラが訊ねたのに、院長は少しだけ口ごもってから、

「婚活をしてみたいと思うのです」

「こんかつ?」

セイたち4人の驚きがシンクロする。

「ええ。以前から興味はあったのですが、若い身空で信仰の道に入って、男性というものを知らずにやってきて、『それだとなんだかつまらないな』と近頃眠る前に特に思うようになったのです。もしかすると、セイジア、これもあなたの影響かも知れませんね」

そう言ってからセイたちを見て、

「あなたたち、わたくしには無理だと思っているのでしょう?」

と言ってきたので、セイとクレアとアンジェラとカタリナは返事をする。

「いえいえ、とんでもない。とても素晴らしいことだと思います」

「はい。わたしも応援したいです」

「そうですよ。院長先生、まだお綺麗なんですから、大丈夫ですよ」

「『まだ』とか言ったら失礼でしょ、アンジェラ」

カタリナに叱られたアンジェラが肩をすくめる。

(どうも素直に受け取れませんね)

そう思いながらも院長は皆に伝えるべきことを思い出した。

「それから、あなたたち4人は新しい修道院に入ることは許しません。世間で普通の人間として生きるのです」

「そんな。どうしてですか、院長先生」

驚いたクレアに院長は笑いかけた。

「さっきも言いましたが、あなたたちはここにやってきた時とは見違えるほどに元気にたくましく強くなりました。そんな人たちを置いておけるほどリヴェット修道院には余裕はないのです。世間に戻ってちゃんと幸せになりなさい。これは命令ですよ」

冗談めかして言ってから、痩せた女性はセイを見つめた。

「特にセイジア、あなたは必ず、出来るだけ早く出ていくのですよ。せっかく建物を新しくしてもまた備品を壊されたらたまりませんからね」

「そんなあ」

落ち込む女騎士の頬に院長が右手を当てる。暖かなぬくもりを感じた。

「あなたには果たすべき役割がまだあります」

「えっ?」

「なんとなくですが、そう感じるのです。わたくしに向かって神がそのように告げているのかもしれません」

「その役割というのはなんですか?」

「それはわかりません。それを考えるのもまたあなたの役割なのでしょう。いつまでもこんな山の中にいないで、広い世界を見るのです。そうすれば自ずとわかるはずですよ」

「はあ、そういうものなのでしょうか。どうせならもっとわかりやすく言って欲しいのですが」

「残念ながら神はそれほど親切ではないのですよ。意地悪と言っていいのかもしれません」

その時、音を立てて教会が崩れ落ちた。炎の勢いに耐えられなくなったのだ。

「怒られてしまいましたかね」

院長がぼそっとそう言ったのが冗談だと気づいて、セイたちは時間差で笑い声をあげた。真面目一辺倒の院長が冗談を言ったというだけで面白かった。

「若い娘が口を大きく開けて笑うものではありません」

そう咎める院長の口許にも笑みが浮かんでいた。

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