第3話 女騎士さん、修道院の思い出を語る(前編)

「そんなに笑わなくてもいいだろ」

ようやく笑いが収まったリブ・テンヴィーに向かってセイジア・タリウスが唇を尖らせて不満を漏らす。

「ごめんなさい。でも、世の中にこんなに似合わないこともあるのね、と思ったら我慢できなくなって」

鷹が地を這い、魚が葉叢はむらで泳ぐようなものだ、とつい考えてしまい、リブの発作が再発する。

「もうっ、わたしは本気だったんだぞ!」

涙目になって訴えかけるセイ。

「悪かったわ、もう笑わないから許して」

ふんっ、とそっぽを向いた金髪の少女を見て、女占い師は立ち上がり、台所の戸棚から駄菓子が盛られた器を持ってきた。それを見たセイの青い瞳が光る。

「こんなもので、むしゃむしゃ、機嫌を直すと思うなよ、ぱくぱく」

「はいはい、思ってないわよ」

両手に持ったチョコとビスケットを食べながらこちらを睨みつける女騎士にリブは微笑みを返す。

(この子、わかりやすくて本当にかわいい)

少しだけ人の悪い笑みを浮かべながら、リブはお菓子に夢中になる友人を優しく見守った。器を空にすると、へそを曲げたことも忘れてセイは修道院の話を始めた。


大陸の中央にそびえたつ最高峰ヒーザーンの頂は神の住まう場所とされ、人々の信仰を集めていた。アステラ王国の北端に近い山間にあるリヴェット修道院には悩みと罪を抱えた女性たちが集まり、神の教えに従ってつつましい生活を送り、霊峰の頂を見上げてから目を閉じて手を合わせ静かに祈りをささげるのを朝晩の日課としていた。

セイがリヴェット修道院の存在を思い出したのは、婚約破棄の後、キャンセル家を出てしばらくあてどもなくさまよっていたときのことで、思い出すとすぐに足を向けた。結婚が失敗したのは自分の中に何か問題があったからではないか。そういう思いが彼女を神の家へと向かわせていた。

「ここは迷える者たちの住みかです」

痩せぎすの院長ははるばるやってきた女騎士を拒まなかった。というよりも、入りたいと希望する人間を追い返したりはしない、というのがこの修道院の決まり事であった。セイは入会を認められた。

「ここでの生活は非常に厳しいものです。覚悟してください」

院長は冷酷とも取れる口調で純白の修道服を少女に手渡した。

(今までとは違うわたしになるのだ)

いつになく厳粛な思いがセイの胸を満たしていた。院長の言った通り、修道院での暮らしは苛酷なものであった。陽も昇らないうちから礼拝が始まり、それが終われば院内を清掃し、昼日中は労働に明け暮れ、自らの食事のために畑を耕したり、時には寄付を求めに麓の村まで出かけることもあった。夕方にもう一度礼拝して、そして夜は早めに眠りにつく、というのが一日の生活だった。食事も極めて質素なものしかなく、部屋も8人が一室を使う共同生活でプライヴァシーと呼べるものはなく、私物の持ち込みも最小限に指定されていた。普通の女性ならすぐに音を上げてしまってもおかしくはない厳しさ、と言えた。

しかし、セイジア・タリウスはもとより普通ではなく、修道院での暮らしにすぐに順応した。考えてみれば、キャンセル家でも彼女は婚約者の身でありながら朝から晩まで働き詰めであったので、きつい労働に従事したところで特に変わりはなかったのだ。食に関してもこの少女の欲望は極めて薄く、むしろ逆に粗食を喜んだほどだった。戦場で何度か敵に囲まれ兵糧攻めにあったことを思えば、食事にありつけるだけありがたい、とセイは考えていた。


「かえって体調も良くなったくらいだったな。昼間汗を流しているから夜もよく眠れる。身体は軽くて気分も良くて、いいことずくめだ」

そう言って笑うセイに、

(ダイエットのために行ってるんじゃないんだから)

とリブは呆れたがそれは口に出さなかった。


そんな具合に、修道院の生活に満足していたセイだったが、問題がないわけでもなかった。彼女自身は気にしていなかったが、他の修道女が彼女の存在を気にしていたのだ。セイジア・タリウスの武名は王国中に鳴り響いていたが、裏を返せばそれは汚名でもあり、彼女の手は血に染まっている、と白い眼で見る者、あからさまに避ける者も中にはいた。また、女性が集まって共同生活をしていて、他に娯楽もない以上必然的に互いの身の上話をすることとなるのだが、そういった話を聞いていると、

(そんなことくらいで悩むものなのだな)

とエネルギッシュな女騎士にはピンと来ないものも多く、見当はずれの返事をしてしまい、不興を買うことも珍しくなかった。彼女のモットーである「世の中の大抵のことは体力と根性でなんとかなる」は神の教えと相性がよくないようでもあり、ついでに言えば、貴族の生まれと持ち前の美貌が嫉妬の材料になってもいた。リブが笑ったように、いかなる状況でも陽気さと快活さを失わない少女騎士に修道院は本質的に似合わない場所なのかもしれなかった。しかし、それでもセイは静かな生活を送ろうと努力を重ねる日々を送っていた。

運命の分かれ道がやってきたのは、彼女が修道院に入って1か月が経ったある日のことだった。午前中の畑仕事を終えて仲間と教会に戻ってみると何やら騒がしい。行ってみると、人相の悪い男たちが院長を初めとした幹部たちに食って掛かっている。話を聞いてみると、この修道院の建っている土地が抵当に入っているなどと言いがかりをつけ、金を払うように求めているようだった。もちろん、修道院は貧しく大金などあるはずがなく、院長が怯えた姿を見せまいと努力しながらなんとか断ると、

「それだったらお嬢さんたちに稼いでもらうしかねえな」

とリーダー格の男が言うと、居並んだ部下たちは近くにいた修道女たちにつかみかかった。「おやめなさい」という院長の静止も効き目はなく、乱暴に扱われた娘たちが悲鳴を上がる。

「おっ、すげえ別嬪さんがいるじゃねえか」

髪を黒と金のまだらに染めた男が、少し離れた場所に立っていたセイを見つけてちょっかいを出そうと近寄ってきた。毛がびっしり生えた両手が修道服に触れかけたその時、ノーモーションで放たれた右のジャブが男の顔面をとらえた。強烈な一撃に神経を絶たれ、男はその場で崩れ落ちる。それを見て顔色を失う男たちと修道女たち。

(やってしまった)

神のしもべが暴力をふるうことを禁じられているのはセイも当然理解していたが、騎士としての本能が神の教えに勝ってしまった。そして、何よりも仲間がひどい目にあっているのを見過ごせるセイジア・タリウスではない。決断した彼女の動きは早かった。

「なんだあ、このアマ」

「やってくれたな」

「犯してやるからなテメエ」

男たちは女騎士に襲い掛かろうとしたその瞬間に襲い掛かられていた。自分たちは狩る側のつもりでいたのに実は狩られる側だったのを、わずか数秒足らずで骨身に染みるまで思い知らされる。神の家に血しぶきが飛び骨の砕ける音が響く。

「ほほへほへよ」

リーダー格の捨て台詞が聞き取れなかったのは、彼の顎がセイの膝蹴りで砕かれたためだろう。山を下りていく男たちは一人として無事ではなく、ある者は折れた腕をぶらぶら垂らして泣きじゃくり、ある者は流血が止まらない鼻を押さえながら、美しい獣と遭遇した自らの不運を呪っていた。


(無茶苦茶だわ)

修道院での生活を聞いていたはずがいつの間にか凄惨なバイオレンス描写になっていたのにリブはまたしても呆れる。

「すっかり生まれ変わったつもりでいたんだけどな。でも、やっぱり人間はそんなに簡単には変われないものらしい。あの時はつくづく自分というものにガッカリしたものだ」

腕組みをして反省するわんぱくな娘を見て占い師は笑いそうになる。

「いいじゃないの。無理していい子になるよりは、元気に暴れ回っている方が、ずっとあなたらしくて、わたしは好きよ」

「そうかあ?」

少女は褒められても全然嬉しそうにしないので、リブはとうとう噴き出してしまった。


ごろつきを撃退したセイを待っていたのは、お褒めの言葉ではなく厳しいお叱りだった。神に仕える者が言葉ではなく力で解決しようというのは認められない、と院長から長時間にわたって叱責された。仲間たちからも感謝されず、野蛮人を見るかのように軽蔑の視線を送るものもいた。「それなら、どうすればあの場を乗り切れたのですか?」と反論することはできたが、女騎士は自分の正しさを認めてもらいたいわけではなかったので、甘んじて注意を受け入れ、謝罪の言葉を繰り返し続けた。

(結局わたしはわたしなのだ。どこまで行ってもそれは変わらない)

説教の後で、罰として狭い個室に閉じ込められたセイは明かりを取るための窓からのぞく満月を見上げながら考える。神に仕える身であることをやめようとは思わない。ただ、自分を押し殺して自分を捨ててまで何かになりきることはできない、という諦めが昼間の一件でついていた。

(本当なら結婚に失敗した時点で気づくべきだったのかもな)

金髪の少女は苦くそれでいてさわやかな笑みをひとりきりで浮かべた。

罰を終え、個室を出たセイは変わった。反省して慎ましくなったのではなく、逆に遠慮がなくなり行動も奔放になっていた。以前なら皮肉を言われても受け流していたのに反論するようにもなり、その結果として揉めることが多くなって、トラブルはセイが招いたものとして彼女一人が罰を受けるのが常になっていた。端から見れば明らかな不公平がまかり通っていたわけだが、セイは別に不平を漏らすわけでもなく、修道院を出ていくそぶりも見せなかった。おまけに罰を受けるのに段々慣れてきてしまって、ある日いつものようにトラブルになった後で、

「それじゃあ、個室に入ってきます」

と、罰を受ける前に自分から部屋に行こうとして、院長を逆上させたこともあった。女騎士がどんな罰にも平気な顔をしていたのも真面目な老女の怒りの原因になっていて、少女を改心させるべく院長はほとんどヒステリーを起こしているようにも見えた。

そんな状況が変わったのは、セイがやってきて2か月半が過ぎた日のことだった。周囲から孤立していた彼女は昼間の仕事もひとりでこなしていて、その日も大量の薪割りをするように言いつけられていた。

「あなた、騎士だったんだから刃物には慣れてるでしょ?」

とセイを日ごろ敵視している、比較的若く比較的美しい女に皮肉っぽく言われて、

「その通りだ。わたしがやろう」

とにこやかに応じたら、相手が明らかにイラついたのはどうしてなのか、よくわからないまま作業していると、小柄な娘が近づいてきた。とても無口な娘でセイもそれまで話をしたことはなかったが、父親からの虐待に耐えかねてここに逃げ込んだことは一応知っていた。黙ったまま娘はセイが割るための薪を台に置いていく。どうして手伝ってくれるのかはわからないが、娘が置くたびに「ありがとう」と必ず言っていた。手間を省いてくれてありがたい、というのは偽らざる本心でもあった。何度目かの感謝を告げた後で、

「こないだはかっこよかったです」

と娘が消え入りそうな声で話しかけてきた。

「こないだ、って?」

金髪の長身の少女に優しく訊かれて小柄な娘は思わず顔を赤くする。同性から見てもセイは美しく魅力的だった。

「あの、男の人たちがたくさん来て大声を出して暴れて、わたし、とても怖かったんですけど、セイジアさんがやっつけてくれて、すごくかっこよかったです」

「ああ、あれか」

セイは鉈を振る手を止めて苦笑いをする。

「でも、あれはよくなかったんだよ。そのせいでわたしも叱られたから。暴力をふるうのはよくないことなんだよ」

「そうかもしれません。でも、わたし、お父さんにいつもひどいことをされてくやしくて、わたしがもっと大きくて力が強かったらやっつけられるのに、って思ってたから、あのときのセイジアさんを見てとてもうれしかったんです。ああいう風になれたらいいのに、って。それもよくないことなんですか?」

セイは黙って微笑んだ。娘の抱えている苦しみを思えば何も答えるべきではない、というのが人生経験の浅い彼女にもなんとなくわかったのだ。女騎士の微笑みに何を見て取ったのか、娘は微笑みを返すと、また薪を置き、セイは「ありがとう」とまた言った。手伝いがあったおかげで、作業はかなり早く終わった。

「あの、これからもこんな風にお話していいですか?」

「ん?」

娘の言っている意味がわからずにセイは首を傾げる。

「なんというか、セイジアさんって近寄りがたい感じがして、今まで話しかけられなかったんですけど、初めてお話できてとても嬉しかったから、また話せたらいいな、って」

(ずいぶんおくゆかしいな)

自分とはまるで傾向の異なる娘をセイは好ましく感じ出していた。

「話したいなら話せばいいじゃないか」

「え?」

「遠慮なんてしなくていい。きみはきみのやりたいようにやればいいんだから。わたしでも誰でも話したければ話せばいい。一緒に居たければいればいいんだ」

そう告げられた娘はつつましく微笑んだ。そのつつましさが逆に喜びの大きさを表しているようにセイには見えた。こうして、セイに修道院で初めての友達ができたのだった。


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