第2話 女騎士さん、ガールズトークをする
セイジア・タリウスからキャンセル家での出来事を聞き終えたリブ・テンヴィーは、赤い酒を口に含んだ。酔いが回ったせいで丸い眼鏡の奥にある目元は赤くなり、瞳もとろん、としている。知的で整った容貌が少し崩れかけて、なんとも色気のある表情になっていたが、頭脳の働きはいつもと変わらずに明晰だった。
「そういうことだったの。あなたも大変だったのね」
正直に言えば、噴き出しそうになった場面もあったし、突っ込みを入れたくて仕方のない場面もあったが、目の前の少女が俯き加減でいつになく寂しそうな顔をしているのを見ると、茶々を入れるわけにはいかなかった。
(普通の娘として生きられると思っていたのだがな)
ようやく忘れかけていたことを思い出してしまったセイがかすかに溜息をついたのをリブは見逃さなかった。戦場では勇敢な戦士であっても、結婚の失敗に少女は少女なりに傷ついているのだ。優しくしてあげたい、という気持ちが大きくなっていくのを感じた。
「まあ、何故ダメになったのかは今でもよくわからないのだが、わたしの不徳の致すところなのだろうな。もっと上手くやれたんじゃないか、と今でも思う」
「セイ、自分を責めてはダメよ。あなたが悪いんじゃないわ」
「そう言ってもらえるとうれしい。でも、お義母様には本当に申し訳ないと思ってるんだ。おこりんぼだけどとても優しい人で、わたしは大好きだったから」
そこでリブは気になっていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、さっきから、そのお義母様の話はよく出てくるんだけど、肝心の婚約者の話が出てこないのはどうして?」
そう言われたセイが目を丸くする。
「公爵様か? ああ、もちろんいい人だったぞ」
「いい人なのはわかるけど、どういう風にいい人なのか、さっぱりわからないんだけど」
「いい人はいい人さ。それ以上でもそれ以下でもない」
(つまり、いい人はいい人でも「どうでもいい人」ということね)
セイがキャンセル公爵に関心がないのをリブは理解し納得してもいた。キャンセル公爵の悪い噂は彼女の耳にも届いていたのだ。真面目な友人が遊び人になびくはずもなかったのだが、そんなうぶな少女に明らかに不釣り合いな縁談を持ち込んだ人間にリブは腹を立てていた。
「あなたのご実家も何を考えてるのかしらね。今、話を聞いても、あなたは何も悪くないじゃない。なのに、縁を切っちゃうなんて」
憤るリブをセイは「まあまあ」となだめる。
「仕方がないさ。そもそも騎士になるために家を飛び出したわたしが悪いのだし、せっかくもらったチャンスをふいにしたわたしがやっぱり悪いのだ」
当の本人が受け入れようとしている以上、他人が怒るわけにもいかなかったが、たまたま思い出した別の怒りを目の前の友人に向けてリブはぶつけることにした。
「どうして何も言わずに行っちゃったの?」
「えっ?」
「あなた、騎士を辞めるときに、わたしに何も言わないでさっさと出て行っちゃったじゃない。あれはどうして?」
さびしかった、と向かい合った美女に言い添えられた、かつての騎士団長の顔がたちまち曇った。
「ああ、それはそうだな。それは本当に悪かったと思ってる。でも、言い訳になってしまうが、別にリブだけじゃないんだ。都にいる知り合いには誰にもあいさつしなかったんだよ。どうしてなんだろうな、ちっとも気が付かなかった。冷静なつもりではいたのだが、動揺していたのかな」
いきなりクビになって落ち着いていられるわけもない、とリブも納得する。
「ごめんなさい、言い過ぎたわ。あなたもつらかったのよね」
「言い過ぎなんかじゃないさ。リブに心配をかけたわたしが悪いんだから」
セイはそう言ってから「ふふふ」と笑った。
「でも、リブは本当に聞き上手だな。話しているととても楽しいし、話をしているうちに自分でも気づかないことに気づかされる。さすがだな」
「そりゃあ、それが仕事なんだから」
そう言ってリブ・テンヴィーはテーブルに肘を乗せたまま、両手の指を組み合わせた。彼女はアステラ王国随一の評判を誇る占い師だった。とりわけお悩み相談を得意としていて、首都チキのはずれにある彼女の家には悩みを抱えた多くの人々が訪れ、常連客の中には富豪や貴族も少なくなかった。
(聞き上手なのは相変わらずだが、服も相変わらずだ)
セイは向かいに座った占い師の全身を眺める。今、リブが身にまとっているのは紫のロングドレスで、腕と肩はあらわになり、スリットが深く入っているので歩けば白いふとももがチラチラ見えるのは想像がついた。こういった露出度の高い恰好を彼女はいつもしていて、いつだったかその理由を訊ねたところ、
「こういう服を着ると、お客さんがリラックスしてくれるの」
という答えが返ってきた。純情な女騎士は「そんなものなのか」と思っただけだったが、鼻の下を伸ばした男性客が足繁く訪れているところを見ると、営業としても見事に効果的なようだった。それにリブ自身が堅苦しい服を好まない、というのも大きかった。
(それにしてもやっぱりすごいな)
セイの視線は友人の胸元へと移った。上半分を露出させたまろやかな白い球体は、持ち主が酔っているせいもあって、かすかに桃色を帯びていつもよりもなまめかしく見える。セイよりも一回り大きなそれを、以前興味本位で正面から堂々と鷲づかみにしたところ、あまりの柔らかさと指に吸い付くかのような触感に脳がとろけそうになり、天国に上ったかのような気分になったものだった。その後、半狂乱になった友人が激怒しているのを申し訳なく思って、「わたしのも触っていいから」とシャツのボタンを外しながら申し出たら「馬鹿じゃないの」と余計に怒られた、というのはセイにとってなかなかいい思い出だった。もちろんリブにとっては悪い思い出ではあったが。
(いずれチャンスを見つけてもう一度触ってみたいものだ)
と思っていると、
「何か変なことを考えてない?」
と睨まれた。さすが女占い師の勘は鋭いようだった。「ははは」とごまかすように笑って、セイはカップに入ったお茶を飲む。
「それにしても、今まで何してたの?」
リブが訊ねながら、ほうっ、と息を漏らす。酒の色と香りがそのまま染みついたかのような溜息だ。
「何のことだ?」
「結婚がダメになって、あなた今まで何処で何をしてたの? わたしも気になってたけど、探してくれていた人もいたみたいよ」
セイの元同僚と元部下が彼女を探し回っていたのをリブは知っていた。もちろん、2人の恋心もしっかりと見抜いていた。
「そうなのか? 誰かは知らないが悪いことをしたな」
にもかかわらず、恋の標的となった少女に思い当たるふしはまるでないようだった。
(シーザーくんもアルくんもお気の毒さま)
哀れな男たちに妖艶なおねえさんが同情していると、
「キャンセルの家を出てから何処に行こうかわたしも迷ってたんだ。家にも戻れないし、かと言って都に行くと、騎士団のみんなに気を使わせてしまいそうで、それも嫌だったんだ」
お互いがお互いを思いやってもそれがいい結果を生むとは限らない世の無情をリブは感じていたが、6歳年下の友人が続けた言葉は彼女ほどの炯眼の持ち主でも予想のつかないものだった。
「だから、修道院に行くことにしたんだ」
一瞬わけがわからなかった。
「ちょっと待って、セイ。しゅうどういん、って一体何?」
「修道院は修道院さ。俗世間を捨てて神の教えだけを信じて生きていこうと思っていたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、リブ・テンヴィーはこらえきれずに笑いを爆発させた。
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