第11話(第1章完) どこへ行く、女騎士さん

夜の訓練場で騎士たちが燃え上がる焚火を囲みながら酒を酌み交わしていた。風は既に冷たくなっていたが、酔いで火照った身体はさほどの寒さを感じなかった。

「なあ、おい」

団員がすぐ隣に座った団員に呼びかける。

「なんだよ」

「最近はそんなにしごかれることもなくなったよなあ」

「まあな」

「それに、訓練が終わると、こうやって酒と飯も出てきて、『こんなに楽でいいのか?』と正直思っちまうんだ」

「気にすんなよ。おまえだけじゃなくて、みんなそう思ってるよ」

ぐい、と酒をあおってからまた話を続ける。

「こうなったのは、団長の機嫌がよくなったのは、やっぱアレのせいなのかね?」

「アレだろうな」

そこまで話したところで、噂の主がやってきて2人の肩に大きな掌を置いた。

「おい、おまえら。元気がないじゃねえか。もっと飲めよ、もっと食えよ。歌ってもいいんだぞ」

そう言うと、アステラ王国王立騎士団団長シーザー・レオンハルトは「がはは」と大きな声で笑った。


ほろ酔いでこちらにやってくるシーザーを王立騎士団副長アリエル・フィッツシモンズは冷ややかな目で見ていた。

(浮かれてるなあ)

そう思いながら、手元の杯をちびちび飲む。どっか、とすぐ横の地面にシーザーが腰を下ろしてきた。

「小僧、おまえも元気ねえな」

あなたが元気よすぎなんですよ、と言うのも面倒なので少年は黙った。団長が上機嫌な理由は彼にもよくわかっていた。それはわかっていたが、それを素直に喜べない自分がいることもわかっていた。

「な? おれの言った通りだったろ?」

へらへら笑いながらシーザーが話しかけてきた。

「何のことです?」

「いや、だからだな、あいつがおとなしくしているわけがない、絶対何かやらかすに決まってる、っておれは言ったろ? そして、その通りになったろ?」

そう言って「がはは」と笑うシーザー。酔っぱらいの相手をさせられるのにうんざりしながらも、アルはシーザーが言わんとするところの意味を頭に浮かべていた。

キャンセル公爵家の当主カーニーとタリウス伯爵家の令嬢セイジアの婚約が破談になった事実は、3か月近く経った今でも国中の話題になっていた。貴族の醜聞がただでさえ人々の好奇心を掻き立てるものであるのに加えて、かつて天馬騎士団を率いて国民の人気を集めていた美しい娘が品行がきわめて悪い婚約者を叩きのめした、とあっては誰もが関心を寄せて当然、というものであった。

「『やらかす』とかやめてくださいよ、相手の男が悪いんですから。団長と結婚できるのに、それでも遊び回るとか信じられませんよ」

「おれも別にあいつが悪いとは思ってねえよ。『よくやった』って褒めてやりたいぐらいだ。ただよ、そうは言っても、他の人間がどう思うかはまた別の問題だろ?」

それはその通りだ、と少年は思う。淑女が紳士に暴力を振るうなど前代未聞の出来事で、旧態依然とした貴族社会ではセイへの処分を求める声も少なくなかった。ついに宰相ジムニー・ファンタンゴが重臣が集められた会議において国王スコットに彼女の処分の是非を伺う事態にまで発展したのだが、

「それには及ぶまい」

と若き国王は処分を認めなかった。

「婚約が破棄となったことでセイジア・タリウスは既に処分されたのと同じなのだ。さらに処分を重ねるのは酷であろう。それにキャンセル公爵の落ち度も大いにあると余は耳にしている。仮にタリウスを処分するのであればキャンセルも処分すべきではないのか? むしろ、キャンセルにより重い罰を課すべきかもしれん。タリウスには情状酌量の余地があるが、キャンセルにはないのだからな」

王の無感情な呟きを耳にした高級貴族たちに動揺が走る。現当主がろくでなしであってもキャンセル家は名門なのだ。名家に罰が加えられることで自分たちにもとばっちりが来るのではないか、と小心翼々とした貴族連中はたちまち提案の取り下げを求め、セイに処分が加えられることはなくなった。

「さすが、陛下はわかっておられます」

胸をほっと撫でおろしながら、アルはまた杯を口にする。

「でもよ、陛下は変なことを言ってたらしいじゃねえか」

シーザーの言う「変なこと」とは、セイへの処分を却下した後で、

「セイジア・タリウスが自由の身になったのなら、それはそれでいい」

と静かに笑った、ということだった。その意味するところを図りかねた人々は、ああでもない、こうでもない、と憶測を重ねていた。

「あれってどういう意味なんだ?」

「陛下の御心を下々の人間が推し量るのは不敬です」

そう言って話を打ち切った少年を、

(セイがやめさせられたとき、おまえ、陛下にめちゃくちゃ文句言ってたらしいじゃねえか)

とシーザーは思ったが、酔いで頭が回らないこともあって突っ込まなかった。それより何よりセイの婚約が破棄された、という事実に彼の心は浮き立っていた。チャンスが再びめぐってきたのだ。

「まあ、それはいいさ。やっぱり、あいつには貴族の奥方様なんて似合わねえ、ってことだ。あいつにはもっとふさわしい場所があるのさ」

その言葉を聞いたアルが反論してきた。

「レオンハルトさんは団長がかわいそうだと思わないんですか?」

「あん?」

「処分されなかったのはよかったけど、それでも悪い噂をたくさん流されていて、しかもご実家からも縁を切られてしまったんですよ?」

キャンセル家から婚約の破棄が発表された直後に、セドリック・タリウス伯爵が妹と義絶する旨の発表をしていた。

「そもそも、団長だって若い女の人なんです。結婚がダメになって傷つかないはずがありませんよ。本当にお気の毒です」

少年はしょんぼりと顔を曇らせた。それを見た青年はどこかから持ってきた酒瓶に直接口をつけてラッパ飲みをする。

「まあな。そりゃあ、おれもあいつが心配じゃないわけじゃない。だが、あいつのことを信じてもいる。これくらいでダメになるようなやつじゃない、ってな」

もう一度瓶から酒を飲みだしたシーザーの方をアルが見る。

「傷ついたんなら、おれのそばに来ればいいんだ。傷なんかいくらでも治してやるからよ。野営であいつが怪我したときにおれが包帯を巻いてやったことだってあるんだ」

「逆に傷口に塩をすりこまないでくださいよ」

憎まれ口をたたいた部下を「てめえ」と睨みつけてから、シーザーは瓶に入った酒を最後まで飲み切った。

(この人にだけは負けたくない)

アルのその思いは日ごとに強くなる一方だった。シーザー・レオンハルトの能力の高さを痛感しない日はない。副官としてそばで見ていると彼と自分の力にはかなりの開きがあることを認めざるを得なかった。しかし、いつまでも負けているつもりはなかったし、何よりもセイを恋人にするのは絶対に自分の方だ、と朝も昼も夜も強く考えていた。

(何処に行っちゃったんだろう、団長)

少年は思わず溜息を漏らす。セイの行方は杳として知れないままだった。実家にも戻れなくなった彼女が行ける場所がそれほど多いとは思えなかった。この3か月、アルはフィッツシモンズ侯爵家の力も利用して王国全土に情報網を張り巡らせて愛しい少女の姿を探させているのだが、確実な情報を得るまでには至っていなかった。もしや外国に行ってしまったのだろうか。戦いが終わったとはいえ、いまだに物情騒然とした現状では考えにくいことだが、そうなったとしたらさすがに手の出しようがない。

(なんとかしてレオンハルトさんよりも先に見つけるんだ)

捜索の件はシーザーには黙っていた。彼より先にセイを見つけて、手の届かない場所で2人きりになるのだ。そうしたら今度こそ彼女に愛を告げるつもりでいた。

「おれもあいつを探してるんだけどな、ちっとも見つからねえんだわ」

ぼそっ、とシーザーがいきなり呟いたので、アルは驚く。まさか、こちらの心を読んだはずもないのだが。

「……へえ、そうなんですか」

「あちこちつてを頼ってはいるんだが、全然話がねえんだ。どこに雲隠れしやがったんだろうな、あいつ」

そう言ってから、青年騎士は茶色い髪の少年を見た。

「もし、確かな話を聞いたらおまえにも教えてやるよ。おまえだってあいつに早く逢いたいだろ?」

「はあ、それはもちろん」

頷きながら、少年の心は後ろめたさでいっぱいになる。こっちはこそこそしているのに、向こうは正々堂々としている。

(やだな、この人のことを嫌いになれない)

アルにとってシーザーはライバルなのだが、同時に上司として兄貴分として頼れる存在になりつつあった。そんな彼とどう接したらいいのか、少年は迷っていたのだ。迷ったついでに話題を変えることにする。金髪の娘のことを考え続けているのはつらくもあった。

「マズカから騎士が派遣されてくるそうですよ」

「なに?」

シーザーの目から酔いが消えた。いかなる時も騎士としての本分を決して忘れはしない男だった。

「まだ本決まりではないのですが、近々そういうことになると聞きました」

マズカ帝国はアステラ王国の西側と国境を接する大国である。先の戦争では同盟国として共に戦っていた。

「なんだって今そんなことになるんだ?」

「軍事交流、ってやつでしょうね。戦争が終わったからこそ改めて話をしておきたい、というか」

「ふうん」

そう言われてもシーザーにはいまひとつよく飲み込めなかった。政治だとか経済だとか難しい話はよくわからなかったし、わかりたいとも思わなかった。それでもただひとつ理解できたのは、

(よそ者の前で無様な姿を見せられない)

ということだった。平和な世が到来しつつあるとはいえ騎士がボケるわけにはいかない。大柄な身体の中で気合が満ちていくのが自分でもわかった。

「そういうことなら、明日からまたビシビシやっていかないとな」

「はい。そうですね」

青年が見上げると、満天の星空が広がっていた。セイも同じ空をどこかで見ているのだろうか。

「それに、あいつが戻ってきたときに、こいつらをしっかりまとめておきたいからな。あんまりみっともねえと、あいつに笑われる」

「はい。レオンハルト団長、一緒に頑張りましょう」

シーザーが自分を見てきょとんとしているのにアルは気づいた。

「どうしました?」

「おまえ、今初めておれを『団長』って呼んだよな?」

「え? そうですか? 前から呼んでるつもりですけど」

「いいや、違うね。おまえは隠しているつもりだろうが、おれを馬鹿にしてるのはわかってるんだからな、小僧」

「それを言うなら、『小僧』はやめてください。ぼくにはアリエル・フィッツシモンズという名前があります」

「うるせえ。おまえなんか小僧で十分だ、小僧」

「前から思ってましたけど、あなたって馬鹿ですよね? ただの馬鹿じゃなくてかなり馬鹿ですよね?」

「なんだと? てめえ、やっぱりおれを馬鹿にしてるじゃねえか」

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんです?」

「やんのか、てめえ」

「いくらでも受けて立ちますよ?」

夜空の下で、2人の騎士の言い争いはしばらくの間続いた。


アステラ王国をめぐる情勢の変化が、セイジア・タリウスの運命にもやがて関わってくることになるのだが、それはまだ先の話であり、彼女の第二の人生を探す旅もまだ始まったばかりであった。

(第1章 終)

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