第8話 公爵、決意する
「セイジア、あなたいったい何を考えているの?」
屋敷に戻ったセイに向かってキャンセル公爵夫人の叱声が飛んだ。
「わたしに黙って、カジノになんか行くなんて、どういうつもりなの?」
「いや、黙って出かけたのは悪いと思ってますが、幸いにも公爵様の借金をだいぶ返すこともできましたので」
「そういう問題ではありません!」
しどろもどろになって言い訳をするセイをぴしゃりと夫人は叱りつける。
「借金などは後でどうとでもなります。わたしが心配しているのは、あなたのような若い娘がこんな夜更けにいかがわしい場所に出入りしたら、周りからどのような眼で見られるか、ということです。あなたには自覚が全然足りてません」
そこから夫人のお説教が始まった。夜中に無断外出するなど、全くもって言い訳のできないことで、セイとしても大人しく頭を下げるしかなかったのだが、夫人の言葉の端々に、涙を流さんばかりの表情に、そういったものに対して、どういうわけか金髪の少女の胸には申し訳なさとともに温かい気持ちが湧きあがってきてしまう。
(お義母様に心配をかけて本当に悪かった)
そう思うと泣きそうになってしまう。戦場での苦しみは耐えられても、この女性につらい思いをさせたことには耐えられなかった。かつて騎士団を率いた勇敢な女戦士も、夫人の前ではただの少女に戻ってしまうようだった。
「ねえ、お願いだから、もう心配をかけないでちょうだい。あなたを待っている間、わたしがどんな思いだったか」
「申し訳ありませんでした、お義母様」
「わかってくれればそれでいいの。セイジア、もう遅いから、今夜はゆっくり休みなさい。明日からまたしっかり頑張りましょうね」
「はい。セイジア・タリウス、この失敗を必ず取り戻して御覧に入れます!」
(相変わらず勇ましいこと)
微笑ましく思いつつ、夫人がセイとともに玄関から立ち去ろうとすると、
「母上、こんばんは」
振り返ると、カーニー・キャンセルが一人ぽつんと立っていた。
「あら、カーニー。あなたもいたの? 全然気が付かなった」
「最初からいましたよ。セシリアと一緒に帰ってきたのです」
「セイジアと一緒に、ね」
婚約者の名前も覚えていないのか、という蔑みが母の言葉に込められているような気がしてこの家の一人息子は身を縮こまらせた。気まずさのあまり、2階の自室に戻ろうと階段を上ろうとして母に呼び止められた。
「何処へ行くのです?」
「何処へ、って、そりゃあ自分の部屋に決まっているでしょう」
「あら、ということは今夜はここで泊まるの? 珍しいこともあったものね」
母は別に息子を揶揄しているつもりではなく、ただ単に事実を述べているにすぎないようだった。半年近くも自分の屋敷で寝ていないことを事実そのままに説明すれば、誰が語ったところで皮肉めいてしまうのは当然かもしれなかった。親不孝者に立つ瀬はなかった。
「でも、そうなると困ったわね」
「何が困るのです?」
「あなたのお部屋、今散らかってるのよ。昨日、セイジアたちがこの屋敷の要らないものを全部運び込んでおいたから。帰るなら帰ると前もって連絡してくれれば片付けておいたのだけど」
「いや、それならそれで、別に構いませんが」
この屋敷において自分がすっかり不要な存在と化していることに閉口しながら公爵は母に訊ねようとする。
「母上はさぞかしわたしに不満がおありなのでしょうね?」
「何の話です?」
「いや、だって、わたしはろくに家にも寄り付かず、遊び歩いては借金をこさえていたわけで。亡き父上の名誉を汚し、母上にも大変な迷惑をかけてしまったと思っているのです。わたしに言いたいことがあるのなら、遠慮なくおっしゃってください。何を言われても甘んじて受け入れますから」
公爵夫人は階段を上りかけている息子を少しの間見上げてから、
「あなたに特に言いたいことはありません」
とだけ言って、軽く微笑んだ。そこへ明るく元気な声が聞こえてきた。
「お義母様、アメリがお茶を入れてくれましたよ」
「あら、セイジアったら。じゃあ、カーニー、おやすみなさい」
そう言いながら、公爵夫人は厨房の方へと足早に立ち去った。
(何も言われなかった)
公爵はそのせいで階段の途中から動けずにいた。母が自分を叱らなかったのは優しさではなく無関心によるものだ、というのは実家を長くないがしろにしてきたこの男にもわかっていた。さっきまでセイを叱りつけていたのとは見事に正反対だった。あのお説教には相手を思う心が込められていた。それと比べて自分への言葉の熱のなさと言ったらどうだ。
(母上は実の息子より義理の娘が大事らしい)
そうなった原因を反省することもないまま、公爵は不満を抱えながら自分の部屋に入った。母の言う通り、床には荷物がたくさん置かれていて足の踏み場もなく、ベッドまで行くのに苦労する。
「くそっ」
ベッドに横たわると、シーツが湿っているように感じられて不快だった。おまけにかすかに埃臭い。換気もされているのか分かったものではなかった。
(ひどい夜だ)
あのカジノからまだ悪夢が続いているかのようだった。いきなり姿を現した素人の娘にポーカーで最強の役を決められ、再戦では幻影に怯えて自ら勝負を降りて敗北を喫した。ギャンブラーとしての誇りはずたずたになって、そのまま席を離れた。彼女と同じテーブルに居たくはなかったのだ。
(いや、わたしはまだいい。他の連中の方がずっとひどい目に遭っている)
「カッパ」と「猿顔」はそれでもまだ諦めきれずにセイに勝負を挑み続けた。カウンターでもらった酒を飲みながら様子を見ているうちに公爵にもひとつわかったことがあった。自分の婚約者は賭博師ではないが勝負師である、ということだ。最初の2戦で要領をつかんだのか、青いドレスを身にまとったポニーテールの少女はテーブルの上を完全に支配していた。とはいえ、カードのさばき方はあまり上手くはないし、最初にロイヤルストレートフラッシュを決めたような強運にも恵まれなかった。しかし、それでも彼女が負けなかったのは抜群の勘によるものだった。相手が弱いとみれば押し、強いとみれば引く。その駆け引きが絶妙なのだ。戦場での経験が生きているのだろうか。
「あの子、やばいですよ」
公爵の横で勝負を見物している「白豚」はそう言って震えた。まさしく傍目八目で、周りから見ればセイジア・タリウスの強さは一目瞭然なのに、実際に勝負している「カッパ」と「猿顔」にはそれがわからないようで、無謀なゲームを延々と続け、結局面白いように金を失くしていった。勝負が終わり、カジノから立ち去る二人の姿には生気がまるでなかった。ギャンブラーとして、というより人間として何かが終わったとすら思えた。しかし、それはカーニー・キャンセルにも言えることだった。彼の中からギャンブルに関する欲望が完全に消えてなくなっていた。あの娘との勝負で自分の中の何かが決定的に変わってしまったのだ。
(だが、まだ終わりではない)
明かりもつけない部屋の中で、公爵は上体だけを起こした。ギャンブルは諦めるとしても、別の方面に彼は活路を見出していた。
(あの娘を我が物にするのだ)
そう決めていた。田舎臭い娘だと決めつけて女として見てはいなかったが、そうではない、ということに今更ながら気付いていた。最初にそう感じたのは、カジノの客の態度からだった。あの少女を見る男たちの目には、美しいものに対する羨望と欲望があからさまにあった。まことに馬鹿げた話だが、公爵は自らの婚約者の真の価値を周囲の反応でようやく知ったのだ。それで、帰りの馬車の中で向かい合って座ったセイの顔をよく見てみると、確かに美しかった。ランプのほのかな明かりに照らされた顔には、化粧っ気も色気もなかったが、それは経験豊かな自分が教えていけばなんとかなる、と思えた。
(わたし好みに育て上げよう)
そう考えると笑いがこみあげてくるのを止められなかった。素材は間違いなくいいのだ。きっと美しい女になる。それに何より、彼女は自分の婚約者なのだ。好きに扱って当然だろう。母だって「優しくしろ」と言っていたではないか。だから、わたしなりに優しくしてやれば、なにも文句はあるまい。
(まずはあの娘の心を得ることからだ)
それは実にたやすいことに思えた。おそらく、いや、間違いなくあの少女は男を知らない。そんな娘を夢中にさせるのは簡単なことだ、とジゴロを気取った中年男は決めつける。そうして自分のものとした娘を
(今に見ているがいい)
若く美しい婚約者を手中に収める手練手管を考えているうちに、カーニー・キャンセルはいつしか眠りについていた。
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