第7話 女騎士さん、カジノで勝負する

青いシンプルなつくりのドレスを身にまとい、束ねた金髪を頭の後ろから垂らしたセイジア・タリウスに、カジノ中の視線が集まっていた。こんな夜更けに、しかも繁華街の地下にいていいとは思えない、清らかさが彼女から漂っていた。

「どうしてここに?」

カーニー・キャンセル公爵が驚きからようやく立ち直って婚約者に訊ねる。

「屋敷に使いの者がやってきたので事情を聞いたところ、公爵様が大至急お金を必要とされているということなので、そういうことなら、とわたしがお届けに参りました」

そう言ってから、

「お義母様には内緒にしてあります」

と付け加えて、人差し指を柔らかそうな唇にあてて「しー」と小さく呟いた。

(余計な真似をしてくれる)

金を届けてもらったのに公爵に感謝の気持ちは全くなかった。自分の領域に足を踏み込まれた苛立ちしかなかった。しかも、自分の半分ほどしか生きていない少女に気まで使われた。なにが「そういうことなら」だ。普通の令嬢らしくおとなしく家に閉じこもっていればいいものを。

「わざわざ説教でもしに来たのか?」

「はい?」

「わたしに賭け事をやめろと、生活態度を改めろとでも言いに来たのか?」

追い払ってしまいたくて強めの口調で皮肉を言うと、だしぬけに「ははははは」と明るい大声で笑われて腰が抜けそうになった。

「まさかそんな。そのつもりなら金を持ってきたりしません」

確かにその通りだった。考えればすぐに分かったはずなのに、負けが込んでいるせいか頭の働きが鈍くなっている。しかし、それならこの娘はどうしてここまでやってきたのか。男はその意図を測りかねた。

「それでは、公爵様が勝負されるのを見学したいのですが、よろしいでしょうか?」

「なんだと?」

「わたしはいずれキャンセル家に嫁ぐ身なので、公爵様のことは一つでも多く知っておきたいのです」

婚約者としての使命感がうかがえる言葉だったので、公爵も断るに断れなかった。この少女ならそのうち、愛人の家にも押しかけてにこにこ笑って「今後ともよろしく」などと挨拶しに来そうだ、と考えて心の底から震えがくるのを感じた。冗談ではない。賭け事も女遊びも隠れてこそこそやるからこそ楽しいのだ。暖かな眼で認めてなど欲しくはなかった。

(この娘はわたしから楽しみを奪おうとしている)

男の心にセイへの憎しみが生まれつつあった。どうにかして痛い目に遭わせて、泣き面にさせてやりたくなった。

「勝手にするがいい」

しかし、その方法が思いつかず、吐き捨てることしかできなかった。

「はい。それでは、ご存分に勝負なさって、勝利をお収めください」

公爵は彼女を無視して勝負を再開することにした。同じテーブルを囲んだほかの3人も戸惑いながら、配られたカードに手を出した。

何回かの勝負が行われ、カーニー・キャンセルは勝ちも負けもせず、セイが持ってきた金を増やしも減らしもしなかった。負ける一方だったさっきよりはましな状況と言えた。しかし、男が気になっていたのは勝負がさっぱり盛り上がらないことだった。手札を切り出そうと、役が出来ようと、さっぱり熱を感じないのだ。ギャンブル特有の脳がひりつくような感覚がまるでなく、ただ事務的に流れ作業でカードを手にするのは苦痛でしかなかった。

そうなった原因はわかりきっている、さっきやってきて自分たちの勝負を見守っている少女のせいだ。といっても、彼女は特に何をするわけでも何かを言うわけでもなく、ただすぐそばに立っているだけだ。しかし、ただそれだけのことでも、そこに存在するだけでどうしようもなく場をかき乱される気がしてしまう。

それは自分に限ったことではない、と公爵は気づいていた。他の3人も揃って苦しげな顔をしていた。彼らも勝負に集中できずにいるのだ。一度、セイが自分から離れてテーブルを一回りした時には、彼女が近づくたびに「カッパ」も「猿顔」も「白豚」も今まで見たこともない、おじけづいたような顔になっていた。清純な少女の探訪が、彼らが暮らす夜の世界の闇の深さを思い出させているのかもしれなかった。

「ああ、もうダメだ」

たまりかねた様子で「白豚」が突然立ち上がった。

「なんかダメだ。全然気合が入らない。すみません、ちょっと休みます」

そう言ってテーブルを離れようとする。確かに今夜は「白豚」も負けが込んでいた。上手く行かない時は切り上げるのも肝心、というのは賭け事の心得でもあるので、公爵も他の2人も特に疑問は感じない。自分も酒のお代わりを頼もうか、と公爵が思ったその時、「白豚」が座っていた席にセイがすべりこみ、腰を下ろした。一体何のつもりだ、と男が婚約者に目をやると、

「そういうことなら、一度だけ、わたしが代わりにやってもいいですか?」

「え?」

公爵、そして他の3人が同時に驚きの声を上げる。この娘、また何かしでかすつもりなのか。

「代わり、ということは、どういうことですかな、お嬢さん?」

「いえ、この方の代わりにみなさんと勝負させてもらう、ということなんですけど。やっぱり見るだけではなく、実際に体験しないとわからないこともあると思うので」

「この勝負のルールを分かっておられるのですか?」

「ポーカーですよね? ええ、昔、遠征中に大雨で足止めを食らった時に仲間とやったことがあるので、ルールくらいはなんとか分かってるつもりです」

思いがけない体験談が飛び出して「カッパ」も黙ってしまう。キャンセル公爵の今度の婚約者が女騎士である、というのは周囲にも知れ渡っていた。

「しかしですな、キャンセルくんのお嬢さん。われわれは遊びでやっているわけではないのですよ。金を賭けてやっている。タダでやるというわけにはいかない」

「猿顔」が皮肉な笑いを浮かべる。

「もしかして、ぼくのお金をあてにしてるんですか?」

「白豚」がさらなる苦情を申し立てようとしたその時、セイが大きな音とともに袋をテーブルに置いた。さっき公爵に渡したのと同じもので、同じように金貨が入っているのは明らかだった。

「これなら大丈夫ですよね?」

「猿顔」から笑みが消え、「白豚」が驚いて目を大きく剥いた。

「おい、それはうちの金か?」

「いえ、わたしの持参金です。こういうこともあろうかと用意してました」

公爵の問いにセイは笑って答えた。嫁入りのために使われるはずの金をこんなところに持ってくるなんて、という思いが、彼女たちが囲んだテーブルだけでなく、事の成り行きをなんとなく気にしていたカジノ全体に漂う。

(馬鹿なことをしたものだ)

キャンセル公爵はひそかに思った。もちろん、大事な持参金を賭け事に使うのも馬鹿げているが、それ以上にギャンブラーの面前に大金をさらしたのがまずかった。「カッパ」も「猿顔」も目の色が変わっている。どうにかしてあの金をむしり取ってやろう、という欲がこちらまで臭ってくるようだ。彼らにとって素人から金を奪うことなど実にたやすい。めったにないチャンスがめぐってきたのだ。

(まあ、良いだろう)

公爵の中でも欲望が目覚めていた。あの金を奪い取り、少女に一泡吹かせてやる。そのうえで軽はずみな行動を戒めてやれば、もはや婚約者に頭も上がらなくなるだろう。美しい娘が屈服する姿を想像して男の胸は高鳴る。いつの間にかテーブルの周りに勝負の行方を見守ろうと人が集まり出していた。

「それでは、まいりましょうか」

男たちが自分を食い物にしようとしているのも知らずにセイが声をかける。それまでは各自が交替でカードを配っていたが、今回は勝負に関わらない「白豚」がディーラーを務めることになった。5枚のカードが4人に配られる。公爵の手元にはすでに2のペアがひとつできていた。悪くない。ペアとハートのクイーンを残して2枚切る。右隣の「カッパ」も2枚、対面の「猿顔」も3枚切った。

(どちらも悪くないようだ)

警戒を強めたその時、左隣に座っていたセイが5枚すべての手札を切った。

(はあ?)

セイ以外のカジノ内の全員が心の中で叫んだ。「白豚」の顔がいつもより青白い。

「おい、いいのか?」

思わず声をかけてしまった公爵に、

「なんだかピンとこなくて」

と頭をかくその婚約者。

(なんだ、本当に素人じゃないか)

公爵の呆れる気持ちがさらに強くなった。そんな真似をして勝てるほど勝負は甘くない。もういい、他の2人さえ気を付けていればいい。そう思いながら、男は新たに配られた2枚のカードを手に取った。クラブのクイーンと2がもう1枚。フルハウスだ。

(勝ったな)

喜びを押し隠してなんとか平然としようとする。娘は論外としても「カッパ」と「猿顔」もそれなりのカードを作ったようだが、自分には及ぶまい。勝利を確信してベットする。「カッパ」と「猿顔」は降りなかったが、驚いたことにセイも降りなかった。賭けられた金をどんどん吊り上げていく。自分から金をドブにするような真似をするとは愚かとしか言いようがない。少女の持参金のほとんどを一回の勝負で奪える算段がついて男はほくそえむ。

最初に手札を開いたのは「猿顔」だった。8と9のツーペア。次に「カッパ」。3のスリーカード。フルハウスを見た2人が愕然とするのを公爵は天にも昇る思いで見つめていた。これこそがギャンブルの喜びだ。

「さあ、きみも見せたまえ」

余裕たっぷりに婚約者に告げる公爵。決して負けるはずがない状況とはいいものだ、と最上級の葉巻をふかしたい気分になっていると、

「えーと、ひとつ確認なんですけど」

気まずそうな顔でセイが訊ねる。何を今更。往生際の悪い。

「マークが全部同じ場合も役になるんですよね?」

地下にある建物がどよめきに包まれる。

(フラッシュだと?)

手札を全部取り換えて強い役が出来るとは信じがたい。それはセイ以外のカジノにいる人間全てがわかっていることだった。

(だが、それがどうしたというのだ)

それでも公爵の勝ちは揺らがなかった。フルハウスはフラッシュよりも強い。あらためて勝利を宣言しようとしたその時、

「ああ、違う。お嬢ちゃん、そうじゃないよ」

少女の手札を覗き込んだカジノの常連の老人が言った。もとは宿屋の主人で、今は息子夫婦に経営を任せて悠々自適に暮らしながらたまに賭け事をしている、という話を公爵も耳にしたことがあった。

「これとこれはつながるんじゃよ」

「え? でも、これは『1』ですよね?」

「そうじゃが、この場合はつながるのじゃ」

うんうん、と痩せた老人が若い娘に向かって頷く。

「いいから早く見せなさい」

何を話したところで負けは変わらないではないか、と思ったカーニー・キャンセルがセイを急かす。

「はい、それでは」

少女が5枚のカードをテーブルの上に広げた。確かに彼女の言う通り全てスペードだった。そして、数字は10、J、Q、K、A。

「えーと、ロイヤルストレートフラッシュ、ですか?」

最強の役は疑問形とともに出された。その時起こった歓声は地上まで聞こえているはずだった。

(ありえない!)

よく磨かれたテーブルの上で「カッパ」と「猿顔」が崩れ落ちているのが見えた。おそらく自分も同じだろう。名うてのギャンブラーがずぶの素人に見事にしてやられたのだ。簡単には立ち直れない。普通ならこの場合、イカサマを疑うところだ。しかし、セイジア・タリウスにそんな真似ができるとは思えなかった。カードを切るたどたどしい手つきは演技などではない。それに、顔から汗をダラダラ流して放心状態の「白豚」がカードに細工できるとも思えなかった。つまり、彼女は全くの強運で勝利を収めたことになる。ただ、金を奪われただけではない。これまでの知識と経験を、男たちはまだ20歳にもならない娘に粉砕されたのだ。

「なるほど、なかなかスリリングなものですね。公爵様が夢中になられるのもわかる気がします」

言葉とは裏腹にスリルなど全く感じていない表情でセイがつぶやき、席を立とうとする。

「もう一度だ」

地獄から響いてきそうな低い声で「猿顔」がうなる。

「もう一度勝負だ、お嬢さん。このまま帰られるわけにはいかない」

「でも、一度だけ、とわたしは最初に言いましたけど」

「冗談じゃない。こんなのとても納得出来やしませんよ」

「カッパ」にもそう言われて、

「そうですね、勝ち逃げは卑怯かもしれませんね」

金髪の娘は座り直した。

(当たり前だ。最後に勝つのはわたしだ)

公爵が何も言わなかったのは、口を開けないほどにプライドを傷つけられていたからだ。他の2人は彼女とは何の関係もないだけまだいい。しかし、彼は婚約者に敗北したのだ。ダメージはより深く、勝ちへの執念はより強かった。今度こそこの娘に目に物を見せてやるのだ。

そして、再戦が始まった。結果を先に書いてしまうが、彼らは勝負すべきではなかった。かなわない相手とは戦うべきではない、というのもまた勝負の鉄則だが、相手の力量がわからないほどに、男たちはパニックに陥っていた、と言えるのかもしれない。

(いいぞ)

ハートとダイヤのJがいきなり手元に来た。それを残して3枚切る。ばさっ、と音が聞こえ、セイがまた手札を全部取り換えたのがわかった。

(かまうものか)

公爵は何も考えないようにするが、どうしても彼女のことが気になってしまう。今度は何が起こるのか。新しく配られた3枚はクラブのJと7のペア。つまり、またフルハウスだ。通常なら強い役が来て喜ぶべきはずなのだが、今は逆に不安しかなかった。

(またか)

ついさっきフルハウスで負けたばかりなのだ。今度こそ勝てる、ではなく、今度も負ける、としか思えなくなっていた。そんな馬鹿な、あんなことが2度もあるものじゃない、となけなしの勇気を奮い立たせて勝負に出ようとしたその時、気配を感じた。顔を上げると、「カッパ」と「猿顔」が目くばせをしている。どういうことか、と少し考えてから愕然とする。2人の手元にはスペードの10からA、最強のロイヤルストレートフラッシュを構成するカードがないのだ。そして、それは自分の所にも来ていない。

(嘘だろ?)

そう思いながら婚約者を見る。落ち着き払った表情をしている。まるで敗北など有り得ないと、勝利を確信した顔つきだった。

それが決定打となった。もはや勝負する気は完全になくなっていた。

(降りよう)

そう決めた。しかし、「カッパ」はともかく「猿顔」の表情が暗くなっているのは少し気にかかった。おそらく、2回連続のロイヤルストレートフラッシュなどイカサマに決まっている、と思っているのだろう。やり方はわからないが、不正をしない限り有り得ない、と抗議をしようとしているのではないか、と公爵には見えた。

(まあいいさ)

たとえそうなったとしてもそれは娘の自業自得というものだった。助けるつもりは全くない。とにかく、今はこの不愉快な勝負を早く終わらせてしまいたかった。

「いきます」

「降りる」

「降ります」

「降りだ」

「えっ? ということは、どうなるんです?」

自分以外の3人が勝負を辞めたことに驚く少女。

「あんたの勝ちじゃよ、お嬢ちゃん」

宿屋のご隠居にそう言われて、セイは照れくさそうに笑う。

「でも、これでいいのかなあ」

そう言いながらテーブルの上に手札を抛り投げた。

「こんなので勝っちゃって、なんだか申し訳ないなあ」

カードは完全にバラバラで何の役もできてない、ブタだった。それを見た3人の男の精神は完全に崩壊し、ディーラーである「白豚」の手から使われなかったカードがこぼれ落ちる。カジノ中が少女の勝利に沸き立つ。

「お嬢ちゃん、あんたは大したギャンブラーじゃな」

老人に肩を優しく叩かれて、

「いえ、わたしはただの騎士です」

セイはにっこり笑ってそう答えた。

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