第4話 女騎士さん、パーティーへ行く(前編)

キャンセル公爵夫人は憂鬱だった。これから待ち受けているはずの事態を考えると、とても前向きにはなれなかった。夕闇が迫る中、走り続ける馬車の車内で、ずっと目的地に着かなければいいのに、と思っていたが、世の中はそんなに甘くはない、というのも幾多の経験を積んできた彼女にはわかっていた。

「いやあ、わたしは馬車にはあまり乗ったことがないのですが、これはこれでなかなかいいものですね」

対面に座った金髪の少女の気分は、夫人と対極的に晴れやかなようだった。時折鼻唄がこぼれるほどに、短時間の旅を楽しんでいるように見えた。考えてみれば、セイがキャンセル家にやってきてから、初めての外出でもあった。

(騎士だったからいつも自分一人で馬に乗っていたのでしょうね)

夫人はなんとなくそう思う。あのお茶会から息子の婚約者に対する悪印象が薄れつつあるのをしっかりと自覚していた。とはいえ、今日の彼女の憂鬱が目の前の少女に起因しているのは紛れもない事実だった。

事の発端は、つい10日ほど前、ある貴婦人の集まりに参加した時のことだった。知り合いの婦人たちとお茶を飲んでいると、いきなり話を振られた。

「公爵様の今度の婚約者、まだお屋敷にいらっしゃると聞きましたけど」

「ええ、まあ」

あまり触れられたくない話題なので、曖昧な返事をすると、

「あら、今度の子は頑張るのね。ねえ、どんな子なの?」

それで説明せざるを得なくなって、適当に話をしていると、

「きっとお綺麗な方なんでしょうね。実際に一度お目にかかりたいわ」

そうね、そのとおりね、と賛同の声があちこちから上がり、ついには今度のパーティーにセイを連れていくことになってしまっていた。

(なんて意地の悪い人たちなのかしら)

公爵夫人は、はらわたが煮えくり返る思いを感じていた。友人ではあるが、あの貴婦人たちには明らかに悪意があった。何かにつけて「今度」と付け足してくるあたりにも貴族特有の性格の悪さが出ているように思っていた。婚約というのは普通は一度きりのはずなのに、あなたの息子さんは何度目なんですか? という揶揄が多分に含まれているように感じるのは決して被害妄想ではない、と彼女にはわかっていた。以前、彼女もまた家庭内にトラブルを抱えた友人を別の友人と一緒にからかったことがあったから、それと同じことなのだろうし、因果が巡って今度は自分がそれをやり返される番なのだろう、とも思っていた。

「ねえ、お願いだから、おとなしくして、今日はいい子にしてちょうだい」

屋敷を出る前から何度も夫人はセイにそう頼み続けていた。年頃の娘ではなく幼女にするようなお願いだったが、とにかく今日だけはこの少女に面倒事を引き起こしてほしくはなかった。貴婦人たちが息子の婚約者のつま先から頭のてっぺんまでくまなく粗さがしをして、少しでも気になる部分があれば情け容赦なく笑いの種にするであろう、ということは目に見えていた。恐るべき破局が迫りつつある、と思うと背筋が凍る思いしかしないのだが、義理の母となる女性から注意されても「ははははは」と能天気に笑うところを見ると、この少女は状況の深刻さがまるで理解できていないとしか思えなくて、夫人の不安は高まる一方だった。

「心配には及びません。このセイジア、決してお義母様に恥をかかせるような真似はいたしません」

力強い言葉だったが、公爵夫人の心は全くもって休まらなかった。昨日も庭の隅にある物置小屋の整理整頓をするように言いつけたら、この騎士あがりの少女がいきなり小屋そのものを破壊しだして(しかも素手で)、危うく卒倒しかけた記憶が今も生々しく残っていた。

「建物がボロボロになっていたから、修理するよりは一から新しく小屋を建てた方がいいですよ」

夫人にがみがみ怒られてもセイはけろっとした顔でそう言って、あっという間に物置を地上から消滅させると、自分で材料を調達してきて小屋を建て直しだした。手慣れた様子で金槌やのこぎりを使う少女に公爵夫人が驚き呆れていると、お嬢様にだけそんなことはさせられない、と庭師のじいさんが近所から大工の親方を呼んできて一緒に手伝った結果、その日のうちに新しい小屋は完成してしまった。物置どころか民家と言ってもいいくらい、しっかりした立て付けになっていた。

(もう一体何なのよ、この子)

夫人は大きく溜息をつく。毎日毎日必ず何か騒ぎを起こす少女を信用するのが無理というものだった。いつもこちらの予想を裏切って、想像を超えていくのだ。そして、そんな息子の婚約者の行動を不満に思うだけではなく、どこかわくわくする気持ちも同時にあることに、この貴婦人はとまどっていた。そこでふと思う。

「ねえ、前から気になっていたんだけど」

「なんでしょう?」

ご主人に呼ばれた忠犬のようにセイが目を輝かせたので、夫人はどぎまぎしてしまう。

「あのね、あなた、わたしがマナーを注意すると次の日には必ず直っているでしょう? あれは一体どうしてるの? そんなに簡単に身につくものではないのよ」

他ならぬ夫人自身が礼儀作法を身に着けるのに若い頃にとても苦労したので、セイがたちまち修正してくるのは驚きでしかなかった。

「いや、単純な話で、一夜漬けをしてるだけですよ。夜中に特訓して直してるんです」

「でも、いくらなんでも、一晩のうちに覚えるのは無理よ。そんなに時間はないでしょう?」

「寝なければいいんです」

平気な顔で言い放った金髪の少女に夫人は言葉を失う。

「睡眠時間を削って努力すれば何とかなります。世の中、大抵のことは体力と根性で押し切れますから」

さすがは女騎士、脳味噌まで筋肉で出来ているようだ、と感心している場合ではない、とキャンセル公爵夫人は我を取り戻す。

「そんな、寝ないと体がもたないでしょう。あなた、大丈夫なの?」

「昼間に少し時間が空いた時に、座ったまま目をつぶってすーっと力を抜けば、身体も心もだいぶ楽になります。3分でも30秒でも、それをやるだけで全然違います」

戦場で覚えたコツです、とセイは笑って言った。

(無茶苦茶だわ)

もはや呆れることしかできなかった。とんでもない娘を花嫁候補にしたことを諦めるしかないのだろう。しかし、いずれは娘になるかもしれない少女にせめて注意はしておくべきだ、と夫人は思った。

「でも、夜はちゃんと寝なさい。身体を壊されると、こちらが迷惑しますから」

セイが目を丸くしたのは、よそよそしい言葉の裏に自分を心配する暖かさを確かに感じたためだ。それは夫人と生活するようになってから初めてのことだった。

「はい」

と静かに呟いて、少女は胸の内でひそかに喜びをかみしめた。ちょうどその時、2人を乗せた馬車は、今日の目的地である、パーティーが開かれる屋敷へと到着した。

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