第5話 女騎士さん、パーティーへ行く(後編)

アステラ王国の中央からやや南西に外れた場所にある街・ツキムではその日、ある貴族が自らの屋敷に友人や知り合いを集めてパーティーを開いていた。静かな盛り上がりを見せる宴で、その日一番に注目を集めていたのがキャンセル公爵の婚約者だった。癖のないストレートヘアーを背中の中ほどまでに伸ばし、頭にあしらわれた桃色の花が金色の髪の美しさを一段と引き立てていた。袖のふくらんだ淡い黄色のドレスは長身の肢体にぴったりと合っていて、彼女が会場をゆっくりと移動するたびに、招待客たちの視線を集めずにはいられなかった。表情、姿勢、挙措、受け答え、どれをとってもケチの付け所がなく、

「素敵なお嬢さんね」

「まだ若いのにしっかりされている」

「あんな娘と結婚できるとは公爵殿は幸せ者だ」

と賛辞がいたるところでつぶやかれていた。セイ本人にはそういった言葉が聞こえているのかどうかわからなかったが、キャンセル公爵夫人は義理の娘となる少女への褒め言葉を耳にするたびに、いたたまれなくなる思いを感じていた。いつも屋敷で破天荒に振る舞っているあの野生児が、今夜は完璧なレディになっているのだから、嬉しいというより呆れる気持ちの方が強かった。

(なんなのこの子。本番に強いタイプなの?)

さっきまでは席について会食をしていたのだが、そこでのマナーも見事なものだった。もちろん、屋敷でも食事の席で少女はそれなりに礼儀正しくやろうとはしていて、夫人から見れば80点くらい、ギリギリ合格くらいのものであったのが、今日はいきなり120点をとってきた。それを自分の教育の成果だ、とうぬぼれることは夫人にはできなかった。一番に結果を出さなければならない状況できちんと結果を出せる、というのは本人の才能にほかならない、というのを長年の経験からこの淑女はよく知っていたのだ。

とはいえ、少女の立ち居振る舞いの細かい点を見れば文句がないわけではなかったが、そういった些細なところを注意する気持ちがキャンセル公爵夫人からはなくなっていた。たとえ、正式な作法から外れていたとしても、それはそれで見苦しくはなく、下品でもない、と思うようになっていたのだ。豹が野を駆け、鷲が天を征く、その姿が美しいのと同じことで、自然そのままに身に備わった行いは人の心を動かすのだ。タリウス家の娘はそういった野生の美、とでも呼ぶべきものを生まれつき持ち合わせて、それを失うことなく成長してきたのだろう。たとえそれが貴族の世界から外れていても否定できない、と夫人は思っていた。この世界には自分の考えとは異なる価値観がある、というのを半世紀以上生きてきて彼女は初めて知ろうとしていた。

「まあ、本当にいらっしゃったのね」

「おう、これは本当に美しい方ですな」

「今度の婚約者の方は当たりのようですね、キャンセルの奥様」

そう口々に言いながら、友人たちがやってきたのを見て、公爵夫人は舌打ちしたい気持ちになったが、もちろんそんな下品な真似はできない。彼ら彼女らに乗せられて、今日ここまでくる羽目になっていた。そして、ここからが正念場だった。

(お願いだからボロを出さないでちょうだい)

頭の中がセイにお願いしたい気持ちでいっぱいになっていた。連中は若い娘を取り囲み、どうにかして彼女の欠点や至らないところを見つけ出そうとしている。もしもそういった弱い部分をさらけ出したが最後、肉食の獣に囲まれた草食動物のようにたちまち餌食にされてしまうことだろう。そして、その時は母親である自分も道連れになるに決まっていた。なんとか助けてやりたかったが、貴族たちの執拗な攻めには隙がなく割り込めない。はらはらしながら見守ることしかできずにいたが、そのうち様子が変わってきた。いくら意地の悪い言葉を浴びても、金髪の令嬢の表情や言葉にはまるで変化はなく、攻め立てている方も明らかにとまどっていた。

(お義母様のお小言に比べれば楽なものだ)

実を言えば、これまで長い間義理の母親となる女性からお叱りを受け続けることで、セイには貴族特有の悪口や文句への対処法がすっかりできあがっていて、今もそんな自分の中のマニュアルに則ったリアクションをしているだけだった。だから、娘の防御を鉄壁のものとしたのは間違いなく公爵夫人の功績だったのだが、そうとは知らない貴婦人はまるで安心できないまま祈るように成り行きを見つめていた。

「なるほど。これは本当にしっかりされたお嬢さんですな」

どれくらい時間が経ったのか、友人たちはようやくセイを解放した。どうしても文句の付け所が見つからなかったのだろう。夫人がほっとしたのもつかの間、

「ところで、奥様、公爵様は今日いらっしゃっているのですか?」

ぎくり、と心が大きな音を立てた気がした。

「いえ、来るように言いつけてはあったのですが」

「いけませんなあ。こんな素敵な方をほったらかしにしては」

そう来たのか、と暗澹たる思いがキャンセル公爵夫人を包み込んだ。目の前の少女にケチがつけられないので今度は息子に照準を合わせたのだ。たちまち、この場にはいない公爵の話が始まった。どれもこれも悪いものばかりだった。夜ごと遊び歩き、散財しては、いかがわしい酒場に女性を連れていき、あちこちに迷惑をかけている、そんな話ばかりだ。母親である自分にも初耳の話もあってショックを受けてしまう。婚約者の悪い噂をセイに吹き込まれたくはなかったが、うわべだけは愉快な楽しげな話として語られているので、止めにも入れない。

(もうおしまいだわ)

もはやとてもこの場を乗り切れるとは思えなかった。自分がセイだとしたらとても耐えられない。まだ20歳にもならない少女には中年の男の乱行を受け流せるほどの余裕があるとは思えない。仮にこの場を乗り切れたとしても、セイの中には息子に対する嫌なイメージが残り続けるはずだった。息子たちの結婚生活を面白半分でぶち壊しにしようとしている友人たちに、今でもセイを追い出すのを諦めていないことを忘れて、夫人は全身で怒りを覚えたが、ひとつだけ見落としている点もあった。それは、セイジア・タリウスはキャンセル公爵夫人ではない、ということだ。

「なるほど。公爵様はそのような方なのですね。勉強になります」

ふむふむ、と金髪の美しい少女が顔色も変えずに頷いているのに、夫人も貴族の男女も呆気にとられる。

「あの、勉強になる、というのはどういうことです?」

「いえ、わたしはこれからキャンセル家の嫁として公爵様と添い遂げていくつもりなので、公爵様のことは一つでも多く知っておきたいのです。みなさまからの情報提供に感謝いたします」

役人みたいな口調とともに頭を下げられて貴族連中は面食らう。

「セイジア様、あなた、なんとも思わないのですか?」

「なんとも、というのは、どういうことです?」

「いえ、だって、今までの話はどれもよくない話ばかりでしょう。婚約者のそういう話を聞いてなんとも思わないのですか?」

それを聞いた夫人は心底呆れてしまった。自分からセイに嫌な話をしていたのを認めてしまっている。手品師が自分から種を明かすようなものだ。別の視点で見れば、彼ら彼女らは本音を隠せないほど動揺している、ということでもあった。それに対して、公爵の婚約者である娘は落ち着き払っていた。

「都合のいい話に飛びついて痛い思いをしたことが戦場で何度もありますから、むしろよくない話の方がわたしにはありがたいですね。いいところだけを見ていては決して勝利は得られません」

貴族たちの表情が苦いものとなる。日陰でいじましく生きてきたひねこびた虫がいきなり直射日光を浴びたのを思わせる顔だった。

(わたしとあの人たちと同じだったんでしょうね)

キャンセル夫人の胸中は複雑だった。セイのまっすぐな考えに衝撃を受けて、おのれの生き方の歪みに否応なく気づかされるのだ。しかし、娘を囲んだ貴族たちはまだ諦めることなく、さらに攻め立てようとしたその時、会場がにわかにざわついた。

「陛下だ。陛下がやってこられた」

誰かが叫んだ。見ると、国王スコットが供を連れて大広間に入ってくるところだった。恐縮して静まり返った一同に、

「ああ、いや、みんな楽にしてくれ。前触れもなくやってきた余が悪いのだ」

若き王は柔和な笑顔を浮かべてから、

「今、国中を一度見て回っているところなのだ。戦も終わったことなので、しっかりと様子を確かめたくてな。それに宰相にもそのように勧められたのだ」

首都にいるはずの王がツキムのような地方都市にやってきた理由がわかって、会場の緊張が若干緩む。

「おお、これはこれは」

王がゆっくりとこちらにやってきたので、キャンセル夫人とその友人たちは驚き立ちすくむ。しかし、国王の目当ては彼女たちではなかった。

「見違えたな、セイジア・タリウス」

「陛下。お久しくお目にかかります」

そう言うと、セイはドレスの裾を両手で軽く持ち上げて、淑女らしく礼を取った。花の化身のような優雅さに、おお、とあちこちから感嘆の声が上がる。どこからどう見ても完璧な生まれながらの貴婦人だった。

「かつて、勇ましく戦場を駆けていた騎士団長とはとても思えぬぞ」

招待客たちの考えを代弁した王に、

「おやめください、陛下。それは過ぎたことです。今のわたしはキャンセル家に嫁ごうとしている身なのです」

謙遜する少女にキャンセル夫人は感心する。軍人を蔑む貴族は少なくない(夫人もそうだ)。武勲を鼻にかける態度は貴族社会ではとるべきではない、というのがセイにはわかっているのだろう。

「うむ、それもそうだな。ところで、そのキャンセル公爵も来ていると聞いたのだが」

「公爵様は今日おいでになっておりません」

「む。それは残念だな」

(本当に何やってるのよ、あの馬鹿息子)

母の憤りは王の次の言葉で散り散りになって消えた。

「まあ、良い。いい機会だからここで言っておこう。キャンセル公爵の婚礼には余も参加させてもらおう」

会場を歓声が包んだ。貴族の婚儀でも国王が臨席するのは稀である。その数少ない栄誉にキャンセル公爵家が浴することになったのだ。驚きのあまり倒れそうになる公爵夫人。

「よろしいのですか、陛下?」

「そなたは余に尽くしてくれた。これくらいのことはしなくてはな、タリウス団長。いや、セイジア・タリウスよ」

「ありがたき幸せに存じます」

再び礼を取ったセイを見下ろすスコット王の脳裏には、まだ見ぬ彼女の花嫁姿が浮かんでいた。

(さぞかし美しかろう)

今夜のセイを見た国王の胸中にある変化が生じつつあるのを、王自身もまだ気づかずにいた。


(大変なことになってしまった)

帰りの馬車の中でキャンセル公爵夫人はいまだに気持ちを抑えられずにいた。なんとか場を乗り切れたのはいいとしても、なんと息子の結婚式に国王が参加することになった。キャンセル家始まって以来の一大事だ。そうなると最初に想定していたよりも大掛かりな準備をしなければならず、それを考えると今から頭が痛い。

「ぐう」

そんな夫人の思いも知らずに、向かいに座った娘は眠りこけていた。だらしない顔をして、よだれまで垂らしている。貴族にあるまじき、という以前に年頃の少女として失格であったが、公爵夫人は苦笑いを浮かべるだけで起こそうとはしなかった。

(今日は頑張ってくれたものね)

おそらく睡眠時間を削って準備していたのだろう。それにいつもの生意気さが嘘のようにあどけない寝顔を見ていると心が温かくなるのは否定できなかった。

こうなってはこの娘の扱いをちゃんと考えないといけない、とやがて母になる女性は思った。何よりも国王のお墨付きが出たのだ。ちょっとやそっとのことで追い出すわけにもいかない。それに、夫人自身の少女への反発心も、今夜の出来事でまた一段と弱まっていた。

(でも、問題はまだある)

結婚が上手く行くと決まったわけではまだなかった。最大の難関は夫となるキャンセル公爵にあった。セイと直接会ったことも数えるほどしかなく、妻となる少女にまるで関心を示さない息子をどうすればいいのか、母親にはわからずにいた。結婚は当事者同士だけの問題ではないのかもしれないが、しかし、結局一番重要なところは当事者にしか決められないものなのだろう。

(あとは2人でなんとかしてもらうしかないのかしら)

そう思ってから、キャンセル夫人は腰を浮かせて、セイの隣へと移動した。何故かはわからないが、そうしたくなったのだ。相変わらず眠ったままの少女と肩を並べて、夫人は馬車の振動をいつになく心地よいものに感じ、悩み事はひとまず忘れることにした。

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