第3話 公爵夫人の嫁(候補)いびり

キャンセル公爵夫人の苛立ちは日々募る一方だった。タリウス家からやってきた一人息子の婚約者に我慢できなくなりつつあるのを彼女自身が感じていた。正式に結婚するまでに伝統あるキャンセル家にふさわしい人間になるように、修業させるべく挙式に先立って同じ屋敷で暮らしているのだが、いずれ息子の花嫁となるはずの少女は夫人の思惑から外れた行動ばかりして、老境にさしかかりつつある女性に大いにストレスを与えていたのだ。

といっても、花嫁修業が上手く行っていないわけではない。逆にここまでは至極順調に来ていた。婚約者である金髪の背の高い少女は義母となる女性から雑用を命じられれば嫌な顔ひとつせずに何でもこなしたし、礼儀作法を厳しく注意されると、次の日にはきちんと修正してみせていた。端から見れば「よくできた花嫁さん」としか言いようがなく、外からやってきた少女に対してよそよそしかった召使たちが段々と暖かな眼を送るようになってきたことに、この屋敷の女主人は気づいていた。

(これはよくないわね)

こんなことは今までなかった。今までやってきた婚約者たちは皆すぐに音を上げて退散していたのに、タリウス家の少女は最長記録を更新し続け、既に3か月になろうとしている。そのことにキャンセル夫人は苛立ち、焦ってもいた。

もともとは、息子に早く身を固めてほしい、という一心で花嫁を探していた。40近くになって、貴族としての務めを果たそうともせず、毎晩遊び回っては、家の財産を食いつぶすことしかしない息子も結婚すれば立ち直るのではないか、という母親の切実な願いから始まったことだった。しかし、彼女の眼鏡にかなう女性は現れなかった。最初は息子の嫁にふさわしい、と思っても必ずどこかに気に入らない、認められない点を見つけてしまい、責め立てては家から追い出すことをくりかえし、いつしか花嫁を探すことよりもうら若き女性を責め立てることの方が主たる目的になってしまった、そんな本末転倒な事態になっているのだが、そのことに夫人は気づかずにいた。

(あんな子を認められるわけがないでしょう)

そもそもあの婚約者は最初から気に入らなかった。女騎士、などという野蛮な存在を栄誉あるキャンセル家の一員にするなど考えたくもなかった。しかし、度重なる破談、そして息子の行状は王国でも悪い意味で評判になっていて、かつては常に舞い込んでいた縁談も今や途絶えがちになり、「どうか」と思ってしまうものにも飛びつかざるを得ない状況になっていた。その結果、どうにも気に入らない少女が自分の家にやってきて、追い出す理由を見つけられずにいる、という事態に陥っている、というわけだった。

「ははははは」と息子の婚約者の朗らかな笑い声が夫人の耳に届き、落ち込んだ気分を一層不快にさせた。今日も早朝から埃まみれの屋根裏部屋から元気に起き出した少女は、今は庭で洗濯を手伝っているはずだった。貴族の娘ならとても耐えられない苛酷な暮らしであるはずなのに、どうしてそこまで前向きなのかと、そうさせた張本人であるにもかかわらず、腹が立って仕方がない。もう我慢できなかった。一刻も早く追い出してしまいたかった。そういうわけで、キャンセル夫人は「いつもの手」を使うことにした。


「それでは、やってちょうだい」

「かしこまりました」

若いメイドは女主人の命を受けると、しずしずと廊下を歩いて行った。

(これでおしまいね)

キャンセル公爵夫人はひそかにほくそえんだ。これまでこの屋敷にやってきて頑張り続けた女性たちも、「いつもの手」を使えば必ず陥落していた。夫人がメイドに命じたのは、「息子の婚約者を召使たちのおやつの時間に招待するように」、ただそれだけであった。しかし、これはとても効果的な罠でもあったのだ。

この屋敷にやってきた女性たちは、朝晩の食事を常に夫人と二人きりで摂っていて、その際夫人はフォークの上げ下げから何から何までマナーを厳しく注意するので、食事とはいえとても心休まる時間ではなかった。そんなつらい生活を送っている時に、大勢の人が集まるおやつの時間に招かれて楽しい会話をして優しい声をかけられた人間はどうなるか。間違いなく心を許すに決まっていた。健気に頑張ってきた人ほど感情を爆発させ、ある女性は夫人への不満を言い立て、ある女性は実家に戻りたいと泣きじゃくった。このおやつの時間の後で、屋敷に残った婚約者は一人として存在しなかった。

(さあ、本音を吐き出すがいいわ)

自分が人間性を踏みにじる卑劣な行為をしていることに気づかないまま、夫人は意気揚々と厨房へと向かった。厨房には使用人が食事をするテーブルが備えられていて、おやつを食べる時もそこに集まることになっていた。厨房の入り口にさしかかったところで、どっ、と笑い声が中から沸き上がり、キャンセル家の女主人は驚いて足を止めた。今までにない事態だった。タリウス家の少女が何かを話すと、召使たちがまた笑い声をあげる。

(あんな大声で。なんて下品な)

物陰で聞き耳を立てている自らもまた品がない、とは夫人は思わないようだった。とにかくこの屋敷から追い出せるだけの言葉を聞きたかった。断罪のための証言を聞くために彼女は耳を澄ませた。

「いやあ、みんなに招いてもらって、本当にうれしい」

息子の婚約者の言葉が何やらもごもごしているのは、口の中にお菓子を詰め込んだまま話しているからだろう。それに言葉遣いもかなりラフだ。イラッとしたが、それで追い出すわけにはいかないのでじっと我慢する夫人。

「でも、セイジア様、おつらくありませんか?」

さっき夫人の命を受けた若いメイドが問いかける。セイジア、とは誰か、と一瞬考えて、あの娘の名前だ、と気づく。どうせすぐに追い出すのだから覚えても仕方がない、と思っていた。

「つらいって、何のことだ?」

「だって、奥様はとても厳しい方でしょう? セイジア様も細かく注意されてお気の毒だな、といつも思ってたんです」

同情に見せかけた巧みな誘い水だった。今まで何度もやったことなので、メイドも慣れたものだった。

「どうですか? 奥様に不満などはあるんじゃないんですか?」

「さあ。別にないな」

そっけない返事に若いメイドは少し慌てる。

「でも、かなりきついことを言われても平気なんですか?」

「平気だとも。何を言われても言葉では死なないからね。わたしは今まで戦場で弓矢や刃をくぐりぬけてきたんだから、今更言葉を恐れることもないよ」

ぐび、とお茶を飲む音がした。なんて無作法な、と腹が立つ。

「それに、お義母様はわたしのことを考えて言ってくれているんだ。わたしのような至らぬ者をこの家にふさわしい一人前の人間にしようと心を砕いてくださってるのがわたしにはよくわかる。だから、厳しくしてもらってありがたいと心から思ってるんだ。お義母様の行動は全て娘となるわたしへの愛情の表れなんだから、それを間違ってはいけないよ」

断固たる言葉に、テーブルに集った使用人たちが、おお、と感嘆の声を上げ、「誠に申し訳ありません」と話を向けたメイドも謝ってしまった。

(何を言ってるのよ。愛情なんてあるわけないじゃない)

作戦が思い通りに行かないのと的外れな言葉にキャンセル公爵夫人の脳が熱くなった。この娘、下品なだけではなく相当な馬鹿らしい。絶対に追い出さなければならない。

(まだよ。まだ終わらないわよ)

しかし、仕掛けられた罠はそれだけではなかった。

「しかし、奥様はいいとしても、ぼっちゃまはどうですかな」

執事がぼそっと呟いた。彼も女主人の企みを当然知っていた。

「カーニー様に何かあったのか?」

婚約者の疑問に老人は陰険な響きをもって答えた。

「いや、まことに残念ではありますが、ぼっちゃまはなかなかこの屋敷にお戻りになられず、セイジア様もここに来られてお会いになられたのは数えるほどしかないでしょう。あなたのような若い方が婚約者として来られたというのに、我が主人ながらいささか情がない、というか、セイジア様も寂しい思いをされているのではないかと存じますが」

執事の言葉には、彼自身の本音も含まれているように女主人には聞こえた。とはいえ、彼女自身が息子に大いに不満を抱えているので、執事だけを咎めるわけにはいかなかったし、婚約者も当然不満はあるに決まっている、と思い、いかなる言葉が吐き出されるのか、期待して待った。

「今、こうしてみんなに囲まれているのに、寂しいわけがないよ」

おお、とまた歓声が上がり、暖かな空気が部屋の外にいる夫人にまで届いた気がした。

(なにこの娘。生まれつきの善人なの?)

その娘の義理の母となるはずの女性は妙な怒り方をしてしまうが、執事はあきらめることなく問いかける。

「いや、それはまことにありがたいお言葉ではありますが、しかしながら、ぼっちゃま、カーニー様があなた様に冷たいのは家来として気になります」

「カーニー様が冷たいのだとしたら、それはわたしのせいだと思う。だって、わたしは品がなく美しくもないから、相手にされなくて当然なんじゃないかな」

「そんなことはねえ。セイジア様、あなたはとてもお美しい方だ」

庭師のじいさんが慌ててフォローすると、そうです、その通りです、と同意の言葉があちこちであがり、その反応で少女が使用人たちから既に信頼を勝ち得ていることにキャンセル公爵夫人は気づき愕然となった。今までの息子の婚約者でそこまでこの屋敷に影響力を持った人間はいなかったのだ。

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい。みんなに心配されないようにわたしも頑張るつもりだ」

また、ぐび、とお茶を飲む音がしたが、その無作法を責める気持ちは盗み聞きをしている夫人にはなくなっていた。

「時間をかけてなんとかしようと思っている」

「時間、でございますか?」

メイド長が聞き返す。年長の彼女がタリウス家から来た少女に日を追うごとに優しくなっているのに女主人は気づいていた。

「うん。わたしから見るとカーニー様は、仕掛けだらけの入り組んだ作りになったとても一筋縄じゃ行かない城塞なんだ。そういう城を陥とすためには力任せに一気に攻めてはダメなのさ。時間がかかっても罠を一つ一つ解いていくしか方法はない。そのために一番大事なのは決して焦らないことなんだ。いかなる状況にあっても自分自身を保ち続ければ決して悪いようにはならない、というのがわたしが戦場で得た教訓さ」

その言葉には少女の口から発せられたとは思えない経験の重みがあり、戦争と結婚を一緒にするなんて、と突っ込みを入れることは誰にもできなかった。

「わたしがこの家になじむまでにはまだまだ時間がかかると思う。これからもたくさん失敗して、みんなを困らせたり、お義母様にも怒られると思う。でも、一生懸命頑張るから、広い目で見てもらえると助かる。この通りだ」

物陰にいたので見えるはずがなかったが、少女が使用人たちに頭を下げて金髪が揺れるのが目に浮かぶようだった。とんでもない、頭を上げてください、と男女の悲鳴が上がる。

(なによ。もうとっくにこの家になじんでるじゃない)

怒っているのか褒めているのかわからない言葉が公爵夫人の頭の中で渦巻く。命じられた雑用を真面目にこなしていくことで、家中に認められたのだろう。女主人の嫌がらせに等しい行いが少女のためになったのだとしたら、あまりに皮肉だった。ありがとう、ありがとう、と少女が礼を言って回っているのが聞こえる。

「それでは、もう少しだけお茶会を続けようか」

セイジア・タリウスはそう言ってから、

「せっかくだから、お義母様も一緒に飲みませんか?」

と、女主人の方へ呼びかけた。思いがけない言葉に夫人は飛び上がる。

「いらっしゃるのでしょう、お義母様?」

なんて勘の鋭い。そう観念して厨房へと足を踏み入れる。女主人がここまでやってくるのはあまりないので、使用人たちにも緊張が走った。

「さあ、どうぞこちらへ」

ぽんぽん、と隣の椅子を叩く少女。

「いつから気づいてたの?」

「どうして入ってこないのかな、とずっと気になってたんです」

セイの表情には意地の悪さというものがまるで見当たらなかった。

(こんな娘を必死でいじめていたなんて、馬鹿みたい、じゃなくて、馬鹿だわ、わたし)

粗末な椅子に腰を下ろしながらため息をつく。

「さあ、どうぞ」

ポットからカップにお茶をどぼどぼ注がれる。どう考えてもマナー違反だが、それを注意するのは後でもいいのではないか。心の厳格さを保ち続けようとはもう思わなかった。

「どうしたんだみんな。一緒に楽しくやろうじゃないか」

奥様と一緒に食卓につく、という有り得ない事態に動揺していた使用人たちは、セイの言葉でようやく再び動き出していた。

「このお菓子がおいしいんです。ステラの手作りだというから大したものじゃないですか」

焼き菓子を大量に盛った皿を金髪の少女に勧められてキャンセル公爵夫人は笑いそうになる。確かにこの娘は若く美しく、そして善良だった。残念ながらそれは認めざるを得ない。

(でも、まだ結婚を認めたわけじゃない。必ず追い出してやるんだから)

そう思いながらも、こんなに大勢でわいわいとにぎやかに食事するなんて、わたしの今までの人生であったかしら、と広いテーブルの片隅で女主人は考えていた。

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