第2話 女騎士さんに恋する2人の男
天馬騎士団と黒獅子騎士団が合併して誕生した、アステラ王国新生王立騎士団の訓練は熾烈を極めるものとなった。
「なあ、おい」
元天馬騎士団団員が地面にへたり込みながら訊ねる。
「なんだよ」
既に倒れていた元黒獅子騎士団団員が息も絶え絶えに答える。
「おたくはいつも、こんな風に厳しかったのか?」
「いいや。いつもはここまでは無理はさせねえよ」
「そうかあ。そうなるとやっぱり」
「アレのせいだな」
「だなあ」
2人の意見が一致したところで、
「オラァ! いつまでも休んでんじゃねえぞ!」
地を揺るがすような怒声が飛んできて、2人は慌てて立ち上がった。
王立騎士団新団長シーザー・レオンハルトは、荒々しい足取りで井戸に近づくと、桶に水を汲んだ。なみなみと満たされた桶に直に口をつけごくごくと飲みだし、飲みきれなくなった残りを頭からかぶった。火照った全身の熱がたちまち冷めていく。
「行儀悪いですよ」
振り返ると、王立騎士団新副長アリエル・フィッツシモンズが石造りの壁を背にして座っていた。うるせえ、と吐き捨ててから、シーザーはアルの横まで行き、壁に背中をもたれさせた。
「飛ばしすぎだ。抑えないと潰れちまうぞ」
結局、訓練はすべての団員が体力を使い果たし、立ち上がれなくなるまで続いた。
「わかっているなら自分で何とかすればいいじゃないですか」
副長は涼しい顔で団長の言葉を受け流した。こいつ、やっぱりかわいくないな、とむかついたものの、目の前の少年よりもずっと腹立たしい存在を思い出してしまい、不満がつい口から洩れた。
「あいつ、いったいどういうつもりなんだ?」
「団長を悪く言うのはやめてください」
独り言のつもりだったが、返事が来た。
「おれが誰のことを言ってるのか、どうしてわかるんだ?」
「わかりますよ。あなたみたいな単純な人の考えていることぐらい」
部下に生意気な口をきかれたのに、つい笑ってしまったのは、
(語るに落ちてるぜ、小僧)
と思ったからだ。この少年も自分と同じ人間に対して不満があるから、そう思ったのだろう。実家に戻るなりさっさと婚約してしまったセイジア・タリウスについて驚きとも怒りともつかない感情を抱いている点で、2人は同志である、とも言えた。もっとも、当の本人たちはそれを決して認めはしないだろうが。
「団長はご実家の言いつけに従っただけだと思います。貴族とはそういうものです」
アルがそう言ったのは、シーザーに対して説明している、というよりは自分自身を納得させるために発したように聞こえた。
「そうかい。そりゃおれみたいな身分の低い人間にはわからん話だな」
溜息をつきながら見上げると、今日も晴れ渡っていた。激しい訓練に倒れた人間がいても、かなわぬ恋の悩みに苦しむ人間がいても、空は相変わらず青い。
「だが、おれでもわかることがある。あいつの相手はろくでなしだ」
セイの結婚相手となるキャンセル公爵は根っからの遊び人であるという評判はシーザーの耳にも届いていた。そのことが青年の怒りを倍加させているのは事実だった。
「そんな相手とも結婚しなければならないとは、貴族様もつらいな」
「ぼくは別に気にしてません」
言葉とは裏腹に大いに気にしている顔で少年が言ったので青年は面食らう。
「相手がろくでなしだろうと、立派な人だろうと関係ありません。あの人がぼく以外の誰かと一緒になる、というだけですごく嫌なんですから」
(こいつ、言うじゃねえか)
半ば感心し半ば同意しながら薄笑いを浮かべていると、
「レオンハルトさんは団長と一緒に暮らそうとしたみたいですね?」
下方からいきなり攻撃を仕掛けられて咳き込んでしまう。
「はあ?」
「今お住まいになっている街中の狭い家で2人きりになろうだなんて、魂胆見え見えじゃないですか」
「おれがどんな魂胆だって?」
「アステラの若獅子」と他国から恐れられた勇士ににらまれて少年騎士もさすがにたじろぐ。
「いや、それは。団長が夜中に寝込んだところを襲い掛かるとか」
広場中に大きな笑い声が響く。すぐ間近にいるアルはあまりの声量に内臓が震えるのを感じた。
「馬鹿言ってんじゃねえ。あいつがそんなことでどうにかなるタマかよ。それに、そんな真似をしたら半殺し、下手したら全殺しだぞ? おれだって命は惜しい」
「はあ」
勇猛果敢な青年騎士が恐れを隠さないのをアルは目を丸くして見つめる。
「それによ」
シーザーがまた天を見上げた。
「あいつの方からおれに惚れてほしいからさ。あいつの嫌がるような、あいつを傷つけるような、そんな真似は絶対にしねえ、それだけは決めている」
「団長があなたに惚れるなんて、天地がひっくり返っても有り得ませんよ」
生意気を言ったのに、シーザーがにやにや笑って自分を見ているので少年はとまどう。
「なんですか。気持ち悪いですよ」
「そういうおまえこそ、何かこそこそと企んでいたみたいじゃねえか」
今度はアルが咳き込む番だった。
「はあ?」
「聞いたぜ。あいつを実家に連れ込んで、何やら既成事実でも作ろうとしてるとかなんとか。若いのに姑息だな、おまえ」
「別にこそこそしてませんよ。堂々と企んでましたから」
どう違うんだよ、と思ったが、面倒なのでシーザーは突っ込まなかった。
「まあ、おまえもおれのことを言えねえと思うぞ。そんなことぐらいで上手く行くなら苦労はしねえし、そんなことぐらいで上手く行く女ならおれは惚れてない」
少年の茶色い髪を見下ろして、
「おまえもそうだろ?」
そう言うと、
「はい」
と副長は静かに頷いた。小鳥が2羽、彼らの頭上を横切っていく。それを見ながら、青年騎士の胸中には後悔が渦巻いていた。
(もっと自分から攻めるべきだった)
そう思っていた。セイを待つのではなく自分の方から積極的にアプローチしていくべきだったのだ。いつも一緒にいてチャンスはいつでもあると思い、あまりに悠長すぎたがゆえに、今の状況があった。
(次こそは絶対にやってやる)
それはいつもは馬鹿にしている考えだった。戦場には「次」などはない。死んでしまえば「次」などはないのだ。ただ、この場合に限って言えば、「次」があるとシーザーは信じていた。
「このままで終わるとは思えねえ」
その思いが口を衝いていた。
「どういうことです?」
訝しげにアルが訊ねる。
「あいつがおとなしく貴族の奥方様なんてやるタマかよ。絶対何かしでかすに決まっている」
「そんな、団長を疫病神みたいに言わないでください」
(トラブルメーカー、の方が正しいだろうな)
と思いながら、青年騎士は歩き出す。団員の誰かが放り投げたらしい槍を拾い上げ、その先をアルに向けた。
「今度チャンスがあれば、おれは躊躇しない。必ずあいつをモノにする」
ごくり、と少年が息を飲むのが伝わってきた。
「ぼくだって負けるつもりはありませんよ、レオンハルトさん」
(レオンハルトさん、ね)
騎士団が改編されてもいまだに少年の中での「団長」は彼女のままらしい。それを咎めるつもりはなかった。相手に合わせて態度を変えるよりはむしろ好感が持てた。
「小僧、おまえを鍛えるつもりはねえ。セイに関してはおまえはおれの敵だからな」
槍を右肩に担ぎ直す。
「ただ、おれと一緒にいたら、今よりずっと強くなれるとは思うぜ? まあ、いくら強くなろうとおれには届かないだろうけどな」
「はい。勝手に強くなります」
お互いが笑いながら話していることに、彼らは気づいていなかった。
アルが立ち上がり、シーザーのそばに近づく。広場のあちこちで、騎士たちがふらふら立ち上がっているのが見えた。ようやく体力が回復してきたのだろう。
「まだいけそうだな」
「ですね」
副長と確認を取り合った団長が地面が割れるほどの大声で号令をかける。
「オラァ! 貴様ら! まだ終わりじゃねぇぞ! ここからが本番だからな!」
地獄のような訓練は夕暮れまで続いた。
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