第1章 女騎士さん、花嫁修業に励む

第1話 女騎士さん、実家に戻る

「恥ずかしながら戻ってまいりました。何も言わずに家を飛び出し、長い間帰らなかったことをどうかお許しください」

 都から西方に少し離れた場所に位置する屋敷の広間で一人娘のセイジアが頭を下げているのを見たタリウス伯爵家の当主と先代当主の胸中は複雑だった。彼女が騎士になるためにこの家を出て行ってもう5年が過ぎていた。その時のまだ幼さの残る少女の面影しか記憶に残っていない2人には、目の前で礼を取っている一人前の女騎士が、娘だと妹だと信じられない思いを打ち消せないでいた。

「よくもまあ、のこのこと帰ってきたものだな」

セドリック・タリウスの言葉が必要以上にきついものになったのは、そんな思いがあったせいかもしれない。兄から叱責を受けた妹は気まずそうに笑って、

「正直に申しますと、あんな風に飛び出した以上、もうこの家には帰ってこられないと思っていたのです。でも、兄上からお手紙をいただいて、こうやって帰ってきて、父上と兄上にお会いすることができました。わたしとしてはもう思い残すことはありません」

曇りのない目で兄を見る。

「しかし、兄上がそうおっしゃるのであれば、わたしは今すぐ出ていくつもりです。わたしがこの家にはふさわしくない人間だというのは、十分わかってるつもりですから」

セイの言葉に皮肉めいた響きが全くないことがかえって兄の心にダメージを与えていた。自分から呼びつけておいて非難するのは筋が通らない、というのは聡明な彼にもわかっていたが、昔から何故か妹と話すと当たりが強くなってしまう癖を治せないでいた。

(こいつ、中身はちっとも変わっていない)

素直で生意気な妹は5年経ってもやはり素直で生意気なままのようだった。

「ああ、いやいや。出ていかんでくれ。やっと帰ってきてくれたのに、もう出ていくなんてとんでもない」

父が慌てて椅子から腰を浮かし、娘を引き留めようとする。

「わたしはここにいてもよろしいのですか?」

「もちろんだとも。さあ、セイジアよ、いつまでもそうしてないで、立ち上がってくれ。この父によく顔を見せてくれ」

音もなく立ち上がった少女を見て、父と兄は息を飲んでしまう。美しい娘だった。幼い頃から母譲りの美貌を持ち合わせてはいたが、その時には無かった強さとたくましさが加わることでさらに磨きがかかっている。温室育ちの可憐な花が室外に植え替えられ、寒風と炎天にさらされた結果、野生の美まで獲得したような、そんな趣きがあった。セイの容貌に今は亡き妻を見出した父の胸に愛情があふれていく。兄もまた妹の美しさを認めながらも、彼女がこれまでくぐりぬけてきた苦難も同じように見出してしまい、素直に賛美する気持ちになれずにいた。

(なぜだ。おまえなら何不自由なく暮らすこともできたのに、どうしてわざわざつらい思いをするんだ?)

貴族であることを誇りにするセドリックには妹の生き方をどうしても認められなかった。彼女が騎士として戦功をいくら立てたところで評価がプラスに転じることはなかった。騎士であること、それ自体が大きなマイナスだ、という概念がタリウス伯爵の脳内には確固として存在していたのだ。しかし、妹がもう騎士ではないことを兄は承知していた。

「父上、そろそろ本題に入りたいのですが」

思い出話に興じていた先代タリウス伯爵とセイに冷たい声が割り込む。

「おお、そうであったな。セイジアよ、大事な話があるのだ」

「それでわたしは呼ばれたのですか?」

快活な笑みを浮かべるセイを兄はしっかりと見据える。単純にできた妹には余計な前置きをするより単刀直入に告げた方がいい、と判断して話を切り出す。

「セイジア、おまえに縁談が来ている」

金髪の美しい娘は一瞬きょとんとして、

「えんだん、ですか?」

「縁談」の意味自体がわかっていないのではないか、と不安になったセドリックが急いで付け足す。

「そうだ。おまえを嫁に欲しい、という申し込みが来ている」

すっ、とセイが立ち上がったのを、父と兄が座ったまま見上げる。

「了解しました! このセイジア・タリウス、見事に嫁いでみせます!」

力強い大声が広間中に響き渡る。どん、と豊かな胸を右手で叩いて、タリウス家の娘が仁王立ちする。

(ええーっ?)

伯爵と先代伯爵の声を出さないままの叫びが期せずしてハモってしまう。まさか即答するとは、2人にとって全く予想外の展開だった。

「ちょっと待ってくれ、セイジア。いくらなんでも少しは考えた方がいいのではないか?」

おろおろした声で父が娘をたしなめる。

「考えるとは、何をですか?」

「いや、だから、相手はどんな家柄だ、とか、夫になるのはどんな男だ、とか気にはならないのか?」

「それは気にはなりますが、しかし、父上と兄上が選んだ話なのでしょう? まさかおかしな相手を選ばれることもありますまい」

内心見下している妹から信頼を寄せられた兄の心が大きく揺れる。

(こいつ一体何を考えてるんだ?)

彼は縁談を持ち出されたセイジアがきっと大いに渋るだろう、と想定していて、ねちねちと痛めつけるために皮肉を大量に用意していたのだが、それは全くの無駄になってしまった。思えば、子供のころからいくら言葉の刃で切りつけようとしても、この妹はいつも平気な顔をして、それが彼を苛立たせてきていたのだ。

「うむ。セイジア、おまえにはとてももったいない話が来ているのだ」

「はい。わたしのような無作法で不器量な者をもらってくれるだけでもありがたい話です」

またしても皮肉を切り返される。しかも、セイが無自覚に悪気なく言っているのもわかる。わかっていてもやめられない自分に腹が立ってくる。

「何を言うか。セイジア、おまえは美しい。おまえは何処に出しても恥ずかしくない娘だ。もっと自信を持ちなさい」

本気で憤る父に娘は「すみません」と微笑みながら小さく謝る。自分に向けられた父の視線に責めるものを感じた息子も、これ以上妹を貶めるべきでない、と考えてきちんと説明することにする。別に好きで貶めているわけでもないのだ。

「キャンセル公爵から話が来ているのだ」

「うちよりもずっと古い家柄の名門ですね」

「ああ。そこの一人息子がおまえを嫁に欲しいと言ってきた」

それからセドリックはセイに相手の情報を逐一説明していった。特に疑問をさしはさむことなく、素直に頷いて話を聞く妹を見ているうちに、だいぶ昔に勉強を見てやった時の思い出が頭をよぎり始めた。机に向かわせるだけでも一苦労だったな、とひそかに苦笑いを浮かべる。

「なるほど、お話はだいたいわかりました」

10分の後、説明が終わるとセイは大きく頷いた。

「では、話を進めてもいいのだな?」

「ええ。それはもちろん。父上と兄上におまかせします」

「嫌なら無理しなくてもいいのだぞ?」

心配げな父に向って「ははははは」と娘は笑う。

「嫌ではありません。タリウス家のため、父上と兄上のために働けるのなら、このセイジア、それに勝る喜びはありません。見事に役目を果たして御覧に入れます」

(嫁ぐというよりも、出陣するみたいだな)

と思ったものの、セドリックはあえて黙ることにした。

「うむ。そういうことなら、明日か明後日にでも早速向こうに行ってもらう」

「ずいぶん急ですね」

兄の言葉にさすがにとまどう妹。

「正式に結婚する前に家のしきたりに慣れてもらいたい、というのがキャンセル家の言い分だ。早ければ早いほどいい」

「なるほど。兵隊も早く陣地に着くのに越したことはありませんからね」

脳内がすっかり騎士になっている妹に呆れながら、兄はずっと気になっていたことを注意する。

「それから、その恰好はやめろ。もっと普通の、娘らしい恰好をしろ」

セイが今来ているのは黒っぽいシャツとズボンだ。よく言えば乗馬服だが、作業服や野良着、と呼んだ方が正確かもしれない。

「ああ、そうですね。どうしても動きやすい服を選んでしまうもので」

そう言うと立ち上がって広間を出ていこうとする。

「おい、どこへ行くんだ?」

「母上のお墓にあいさつに行ってから、着替えることにします。ドレスだと外は歩きづらいので」

その言葉にセドリックの怒りが爆発する。重い病気に倒れた母を抛って家を飛び出しておきながら、葬式にも出なかったのに、今更何を言うのか。

「ああ、行ってきなさい」

父がそう言わなければ妹の身勝手を力の限り罵倒していたに違いなかった。セイは頭を下げてから広間を出ていった。

「少しは妹に優しくしなさい」

息子の胸中を父は把握しているようだった。

「父上こそセイジアにもう少し厳しくされた方がいいのでは?」

皮肉混じりにそう言うと、

「何を厳しくする必要があるのかね? あの子は十分にタリウス家の役に立ってくれているではないか。おまえだってそれはわかっているだろう、セドリック」

小太りの先代当主の強い眼光に妹と同じく金髪の当主はたじろぐ。それは認めざるを得なかった。所用で都に出るたびに天馬騎士団の活躍を我が事のように褒められ、

「タリウス団長のご実家でしたら」

と便宜を図ってもらったことも一度や二度ではない。しかし、自分が認めていない、決して認めるわけにはいかない妹に助けられている、という事実はセドリックの心により強い反発を生んでいた。

「それよりも本当にいいのか?」

皮張りの椅子に身体を沈めながら父が顔を曇らせる。

「何がですか?」

「この縁談だ。セイジアは承知してくれたが、どうもわしは気乗りがしない。向こうの評判もあれこれ聞かないわけでもないからな」

セドリックもその「評判」はもちろんわかっていた。

「結婚というのは、個人と個人だけでなく、家と家がつながる、ということでもあります。そう考えれば、わがタリウス家とキャンセル家との間に関係ができる、というのは間違いなくいい話のはずです。何か問題がありますか?」

「まあ、それはそうだが」

先代当主が大きく溜息をついたのを現当主はあえて無視した。そうだ、我が家にとってはいい話に決まっていた。実際に嫁ぐ妹にとってはいい話ではないかもしれないが、少しくらい苦労してもそれは当然のことではないか。あいつはもう騎士ではないのだから、貴族としての役割を果たしてもらわないといけない。母上を見捨てた償いをしてもらわないといけない。そうだ。そうに決まっている。

 セドリック・タリウスが自らを正当化するために心の中で言葉を連ねていたそのころ、セイは白い石で作られた母の墓に向かって無心で祈りをささげていた。

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