第3話 女騎士さんと腹心

「だんちょーっ」

白馬にまたがり城の正門を出たセイに向かって男たちの野太い声が飛んだ。驚いた少女が目をやると、天馬騎士団の面々が顔を揃えていた。その誰もが悲しそうな顔で涙を流している。

(しょうがないな、こいつら)

苦笑いしながらセイが馬から降りると、その前に茶色い髪の少年が歩み寄ってきた。彼だけはただ一人泣いていなかったが、両目の端には涙が溜まって今にもこぼれそうになっている。

「ぼくには、陛下のお考えがわかりません!」

アリエル・フィッツシモンズの瞳は怒りと悲しみで燃えていた。セイより2歳年下の彼は、天馬騎士団の副長として彼女を常に支えていた。2年前に入団した頃と比べると身体もたくましくなり、見違えるようだった。野性味あふれるレオンハルトと端正なフィッツシモンズの2人は、この町の女性人気を二分している、というのがもっぱらの噂だった。

(もうすぐ背も越されてしまうな)

セイが嬉しさと寂しさの入り混じった気持ちを抱きながら見た少年はまだ感情をほとばしらせていた。

「あんまりですよ。陛下のため、国のために尽くしてきた団長にこんな仕打ちをするなんて、ひどすぎます。ぼくらは一体何のために戦ってきたのかわからなくなってしまいます」

「こら」

セイの右拳がアルの頭を軽く小突いた。ガントレットをはめたままだが、もちろん痛くないように加減してある。

「そんなことを言うんじゃない。陛下は国のためを思ってやっておられるのだ。それにわたしも受け入れてるんだ。なのに、おまえが怒ったらおかしいだろ、アル」

でも、でも、と言った少年の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。少女の胸に甘い痛みのようなものが押し寄せる。彼女にとって彼は部下というよりも弟に近い存在だった。

「ああ、もう。泣くなよ。もう大人なんだろ、男なんだろ?」

「大人でも男でも泣きたいときはありますよ!」

逆ギレされて笑いそうになる。

「そうか。それもそうだな。なら、泣きたいだけ泣けばいいさ」

「そう言われると、泣けなくなります」

うらめしげに睨んでくるアルをセイは微笑みとともに見つめ返す。

「新しく出来る騎士団だけどな、シーザーが団長になる、というのは知ってるな?」

「はあ」

いかにも不服そうな返事に、少女騎士はシーザーとアルの関係に一抹の不安を覚える。こいつら、わたしがいなくなったら喧嘩したりしないだろうな。

「で、シーザーは、お前を副長にしたいんだそうだ」

「ぼくを、ですか?」

少年は一瞬きょとん、としてから、

「団長が推薦してくれたんですか?」

「いや。あいつが自分から言い出したことだ。なんだかんだ言っても、ちゃんとお前を評価してるんだよ、あいつも」

「はあ」

さっきと同じ返事だったが、ずっと柔らかな響きになっていた。これなら大丈夫かな、とセイの不安も少し消えた気がした。

「それで、アル、お前に頼みがあるんだ」

「はっ! なんなりとお申し付けください!」

姿勢を正して恐縮する少年。呆れつつ苦笑いする少女。

「いや、そんなかしこまることじゃないから楽にして聞いてくれ。これから2つの騎士団が合併したら人員整理が行われる、と宰相殿が言っていたんだ」

それで真っ先に団長を辞めさせたのか、と副長の胸に炎がともりかける。

「だから怒るな、って言ってるだろ。さっきも言った通り、わたしは納得しているけれど、うちの騎士団からも解雇される人間が出てくると思うんだ。だから、アル、辞める人間を路頭に迷わせないように気を配ってやってほしいんだ」

「再就職先の斡旋をしろ、ということですか?」

「お前は賢いな。わたしの言いたいことをいつもすぐにわかってくれる」

まっすぐな褒め言葉を聞いた少年の耳が赤くなる。この人が褒めてくれるのならぼくはなんだってやれる、いつもそう思っていた。だからこそ、聞きたいこと、言いたいことがあった。

「それを言うなら、団長はどうなんですか?」

「わたしの何がどうだっていうんだ?」

「いや、だから、ちゃんと身の振り方を考えてるんですか、って聞いてるんです」

「うーん、まあ、それはなんとかなるんじゃないかなあ? アルは心配しなくてもいいから」

「心配するに決まってるじゃないですか。しっかり考えてくださいよ」

わかった、わかった、と気まずそうに笑うセイ。

(この人はいつもそうだ。他人の心配ばかりして自分のことは後回しにする)

アルの胸に不満がわだかまる。戦場でも部下を守るためにひとりで危険な状況に身をさらし、そのたびに泣いて怒って注意したのに、決してやめてくれない。そんな彼女が騎士を辞めてどうなるのか、少年は不安で仕方がなかった。だからこそ、少女とどこかでつながっていなくてはいけない。そう思って秘めていたアイディアを口に出した。

「団長、ぼくの実家を知ってますよね?」

「フィッツシモンズ侯爵の? ああ、いつだったか、遠征に向かう途中で立ち寄らせてもらったっけ。盛大に歓迎してもらってとてもありがたかったな」

「あのですね、もしも団長が行くところがないのなら、ぼくの実家でしばらく暮らしてください。自然が豊かなところなのでのんびりできます。団長はずっと頑張ってこられましたから、少しくらいゆっくりされてもいいんじゃないですか?」

それこそが少年副長の秘策だった。フィッツシモンズの家を挙げて歓待する用意も整っていた。そして頃合いを見計らって、彼女との距離を縮めるつもりでいた。こういう事態がなくても、もう上司と部下の関係のままでいることに彼は満足できなくなっていたのだ。

「わたしの行き先をみんな心配してくれてるんだな」

「はい?」

「いや、さっきもシーザーに『一緒に暮らそう』って言われたんだ」

ぴし、とアルの顔面にひびが入ったのを、2人を見守っていた天馬騎士団の団員すべてが目撃した。ただ一人、セイだけはそれに気づかない。

「レオンハルトさんが、そんなことを?」

「ああ。友情に篤い男だよな」

(それは絶対に友情じゃないです)

自分と同じようにシーザーがセイを狙っているのをアルは理解していた。そして、シーザーもアルの思いを理解していることも察していた。つまり、セイジア・タリウスこそがアルとシーザーの不仲の原因なのだが、当のセイはそれに気づく様子は全くなかった。

「それで、その申し出を受け入れたんですか?」

「いや。あいつにそこまで迷惑をかけられないからな」

ほっとしたのもつかの間、

「だから、アル。お前の家にも行けない。気持ちだけありがたく受け取らせてもらう」

返す刀で切られた。だが、少年はそこで諦めなかった。

「どうしてですか。ぼくは全然かまわないですよ?」

「お前には新しい騎士団をまとめる仕事があるだろう。その邪魔をするわけにはいかない」

「全然邪魔じゃないです。それより団長、何処に行くつもりなんですか? 行くところがないんでしょう? でしたら、うちに来てください」

(こいつ、いやに粘るな)

女騎士は若干辟易していたが、行くところがないのはその通りなので、どう断ったらいいのか困っていると、

「タリウス団長ーっ」

城から小者が飛び出してきた。

「どうした?」

「団長に急ぎの手紙が来ています」

差し出された紙を受け取り目を落とす。

「驚いたな」

「どこからです?」

「わたしの家からだ」

「えっ?」

少年も驚く。団長が騎士になるために実家を出奔し、勘当同然になっていることは長い付き合いのうちになんとなくわかっていた。

「なんて書いてあるんですか?」

「とにかく一度顔を出せ、ってさ」

顔を上げたセイの表情は晴れやかなものになっていた。

「うん、そうだな。実家に戻ることにしよう。父上と兄上に謝らないといけない、とずっと思ってたんだ。それに母上にも」

少女にきらきら光る眼で見られてアルの全身が固まる。

「だからアル、わたしのことは気にしなくてもいい。お前がお前のやるべきことをやるのが、わたしの一番の願いなんだ。わかってくれるよな?」

そう言われては少年も頷くしかなかった。すっ、とその頭に少女の右手が伸びる。

「よし、いい子だ」

優しく撫でられた。喜びが半分と悔しさが半分あった。いつまでも子ども扱いされたくない、やっぱりぼくはこの人が欲しい、と強く思っていた。鎧を身にまとっているとは思えないほど軽やかに飛び上がり、セイは再び馬上の人となった。

「じゃあな、アル。じゃあな、みんな。達者で暮らすんだぞ」

そう言うや否や美しい騎士を乗せた白馬は颯爽と駆けていき、男たちの別れを惜しむ嘆きの声だけが後に残された。

(絶対にあきらめるもんか)

思いを寄せる人の後ろ姿がどんどん遠ざかるのを見ながら決意を新たにしたアルを年上の部下たちが取り囲む。

「副長、残念でしたね」

「でも、大丈夫ですよ、きっとまたチャンスはありますって」

「そうですよ。おれたちみんな副長の味方ですから。レオンハルト団長になんか負けないでくださいよ」

彼の恋心は部下たちにもすっかりバレてしまっていた。ついでにシーザーの思いもバレバレのようだった。

「うるさいな、もう! お前ら、ぼくは団長みたいに優しくないからな。これからはビシビシ行くから覚悟しろよ!」

えーっ、と汚い悲鳴があがるのを無視してアルは心を決める。今はとりあえず新たな騎士団をしっかりとまとめあげることだ。それが彼女の願いなのであれば、なんとしてでもやりとげよう、と少年騎士は別れの悲しみを振り払うように強く思っていた。

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