第2話 女騎士さんと悪友

(これからどうすればいいのだ)

城内の回廊を歩くセイの顔色は冴えなかった。中庭にふと目をやると、整えられた樹木と花々が天の頂に差し掛かりつつある太陽の光を受けていた。いつもなら心和ませる光景も、今はただ憂鬱を深めるばかりだった。

「何をしょぼくれてるんだ」

洩れかけた溜息をかろうじてこらえたのは、悪友に声をかけられたからだ。背の高い屈強な騎士が石造りの柱に背を持たれかけて、こちらをにやにや笑いながら見ている。

「しょぼくれてなどいない」

「ならいいんだがな」

シーザー・レオンハルト。彼が率いる黒獅子騎士団は、セイの率いる天馬騎士団とともに、アステラ王国の主戦力となっていた。セイとは同い年で、騎士になったのもほぼ同時期、ということもあって、互いに切磋琢磨し合ってきた関係だった。シーザーが近づいてくる。速足でも黒い鎧が揺れもせず音もないあたり、戦いが終わっても鍛錬を怠ってはいないようだ、とセイは頼もしく感じた。

「正直に言うと、おれも驚いた。まさかお前が外されるとは」

 短く刈られた黒髪をかきあげてから、若い騎士は顔一つ分背の低い金髪の女騎士の顔を見る。

「セイ、お前、本当に大丈夫か?」

「まあな。わたしもその時は驚いたが、でも、あの後で宰相殿が説明してくれただろう。それで納得がいった」

 騎士団長の職を解くことを承諾したセイが下がってから、宰相ジムニー・ファンタンゴは、

「これは戦後処理の一環だ」

と広間に集った一同に説明した。つまり、戦争が終結したことによって、戦力をある程度整理する必要があり、天馬騎士団と黒獅子騎士団を合併し、新たに王立騎士団を発足させることにした、というのだ。そうすることで戦力の維持にかかる負担を減らし、それに代わって国土の復興を可能な限り推し進める、というのが王国の方針であり、同時に国王スコットの考えでもある、という。

「さすがは宰相殿だな。わたしにでもよくわかるように言ってくれた。それに陛下の御心であるのならば、わたしは喜んで従いたい」

そう言ってセイが微笑んだので、シーザーも「ああ」としか返事はできなかったが、彼は彼女ほど前向きにはなれなかった。確かに宰相の説明は理路整然としたもので、疑いをさしはさむ余地のないものだった。しかし、そういう理屈には裏があるものだ、と考える癖がシーザーにはあった。セイのように素直には受け取れない。そして、それ以上に彼にはいくつか疑問があった。

「それから、新しくできる騎士団は、シーザー、お前が団長なんだろう? だったら何も心配はいらないな」

セイを安堵させたそれこそがシーザーの悩みの種だった。

(何故セイじゃなくておれなんだ?)

としか思えなかった。騎士としての技量を客観的に比べてみても、二人はほぼ互角だった。セイがどう思っているかは知らないが、少なくともシーザーは彼女に負ける気はしなかったが、勝てる気もしなかった。つまりは実力伯仲であり、技量をもって彼女を辞めさせる理由にはできないはずだった。それ以外の点を考えても、人柄もよく部下にも慕われていて一般の国民からも人気のある彼女を辞めさせる理由は見当たらない。もちろん辞めたくはないが、自分が辞めさせられた方がまだわかる、とまでシーザーは思っていた。それに、新たな騎士団を率いるのも楽ではない、というのも十分理解していた。同じ王国に属するとはいえ、異なる集団がひとつになって揉めないはずがない。特に女団長に心服している天馬騎士団の連中の気持ちを自分がつかめるか、と考えるとかなり不安だったが、かといって尻込みをするわけにもいかなかったし、彼の頭には具体的な対策もあった。

「フィッツシモンズを新しい騎士団の副長にしようと思っている」

シーザーの言葉に「おお」とセイが青い瞳を輝かせる。

「うん! それはいいな! アルならお前の右腕になってくれるはずだ」

アリエル・フィッツシモンズは天馬騎士団の副長として、セイの傍らに常に控えていた。武勇も知恵も併せ持つあの少年なら、自分がいなくてもきっと役目を果たしてくれるだろう。少女の胸が喜びで満ちる。

「でも、お前とアルはあんまり仲良さそうには見えないが、大丈夫なのか?」

「仕事に個人的な感情を持ち込むつもりはない」

軽く咳払いをしてから若干気まずそうにした青年を見て、セイは「ふーん」とだけ言って、

「まあ、アルはいいやつだし、お前もいいやつだからな、きっと仲良くなれるさ」

と、それ以上は突っ込まなかった。

(いいやつ、か)

複雑な思いを飲み込んで、シーザーはもうひとつ気になっていた事柄を問い質すことにした。もしかすると、騎士団の行方よりもそっちの方が重大な問題かもしれなかった。

「お前はこれからどうするんだ?」

「へ? わたし?」

最強の女騎士も気の抜けた表情をすると、年相応の少女のように見えるものらしいが、そんなセイの顔を見て、

(こいつ、何も考えてねえな)

とシーザーは確信する。

「いや、だから、騎士を辞めてこれからどうするんだ、という話だ」

「そう言われてもなあ。ついさっきいきなり言われたばかりだし、わたしは戦い以外何も知らないし、何もできないからなあ」

「何もかもすぐに決める必要はないだろ。どこか落ち着いた場所でゆっくり考えればいい」

「そう言われてもなあ」

んー、と困った顔で首を捻る女友達に青年は攻撃を仕掛けることにした。

「どこか行く当てはあるのか」

「そうだなあ、あまり思い当たらないけどなあ」

青年騎士の屈強な肉体に緊張が走る。大軍を目の前にしてもまるで震えない心が動揺していた。

「もし、行くところがないなら、おれの所に来ないか?」

「え?」

セイが目を丸くする。丸くしたまま黙ってしまった。

(こいつ、言われた意味わかってんのか?)

と思ったシーザーの頭にますます血が上ってくる。

「いや、だから、おれと一緒に住まないか、って言ってるんだ」

「おまえの屋敷にか?」

騎士団の団長には城の近くに屋敷があてがわれていた。そういえば、あそこも引き払わないといけないのか、とセイの胸に寂しさが去来する。

「あんな広いところ、落ち着かなくて住めるか。おれは町中で家を借りてる」

シーザーは集合住宅の一室を借りて、そこから城まで通っている、といつか聞いたことがある、と少女騎士は思い出す。

「一人で住むにはそれで十分だ。それどころか実は部屋も余っている」

それでだな、と少しだけ躊躇ってから、

「その部屋をお前に貸してやる」

とシーザーは告げた。精悍な顔立ちの大柄な青年にそう言われて心ときめかない女子もいないはずだったが、

「お前の気持ちはありがたいが、シーザー、それには及ばない」

とセイはあっさりと言った。真っ向から向かい合った敵に脳天から切り下げられた気分になりながらも、シーザーは懸命になって平静を保とうとする。

「いや、どうして断るんだ? 何かおれに問題があったか? やっぱりおれが嫌いなのか?」

おろおろする同僚の気も知らず、少女は「ははははは」と快活に笑ってから、

「そうじゃない。お前が悪いんじゃない。それだとわたしの気が済まないんだ。シーザー、お前にはこれから新しい騎士団をまとめるという大事な仕事があるんだ。そんなお前に甘えて迷惑をかけるわけにはいかない」

(かまわねえよ! 迷惑かけてくれよ!)

と青年は言いたかったが、セイのさばさばとした表情を見ると、説得しても無駄だ、というのはすぐにわかった。負け戦にこだわって退かないのは騎士の心得に反している。

「なら仕方ないな。だが、何かあったら遠慮せずに言えよ。セイ、お前が騎士じゃなくなっても、おれたちは、その、なんというか、ダチなんだからな」

「ああ、そうだな。また連絡する」

こつん、と黒獅子騎士団団長の胸当てが鳴ったのは、天馬騎士団団長のガントレットで覆われた右の拳があてられたからだ。

「あとは頼んだぞ、シーザー」

そう言って、セイはシーザーの顔を見上げてにっこりと笑った。黄色く大きな夏の花がたくさん咲いたのが見えたかのようで、青年はわずかの間呼吸をするのを忘れてしまう。

「じゃあな」

それに気づかずに、セイはさっさと回廊を歩いていく。慌ててシーザーが振り向いても、彼女の頭の後ろで束ねられた金髪が揺れているのが見えるだけだった。大きく溜息をついてから若き騎士は肩を落とした。

(また勝てなかったな)

セイジア・タリウスこそ、シーザー・レオンハルトの宿敵だった。もちろん命のやり取りはしたことはなかったが、訓練の場では無数に競い合ってきて、何より勝ちたい相手だ。しかし、勝利以上に彼が欲しかったのは彼女の心だった。そばにいるだけで心が明るくなる天真爛漫で美しい少女が自分だけを見てくれたらどんなに幸せだろう、と常に思っている。しかし、だからと言って、自分から告白はしたくなかった。彼女から彼に愛を告げてほしかった。そう思って何度もアタックしてみたのだが、上手く行ったためしはない。今回も、一緒に住んで距離を縮めていければ、と目論んでいたのだが見事に失敗してしまった。

(そんな甘い相手じゃないとわかっていたつもりなんだがな)

知らず知らずのうちに苦笑いが漏れる。やれやれ、と中庭に入り、空を見上げた。青く晴れ渡り、雲もまばらに見えるだけだ。

(あいつ、どうするつもりなんだ?)

春の風に吹かれながらも、シーザーの頭の中はまだセイで占められていた。

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