第4話 TENの始まり
梅雨にはいったばっかりの六月の試験あけ。部室の窓から土砂降りの雨を咲良と二人並んでボーと見ていた時だった。
「八木先輩。…俺と漫画書いてくれません? あ、違った。俺らと漫画書いてくれません?」
なんでこんな時にって思ったから、物忘れの酷い僕でも覚えている。
「俺、ネームとか得意なんですけど、デザイン弱いんですよね。話は司音が書いてくれてるから役割分担でこうなってるけど、懸賞とか出してもいつも絵がダメって評価なんすよ」
絵に於いて自信に満ちている咲良から想像も出来なかった弱音だった。
「先輩のデザイン力あったら絶対に賞、狙えるんです」
受験はまだ先だったし、勉強もそんなに出来ないほうではなかったし、絵を描くのは好きだったし、それに何もない自分を褒めてくれる咲良の力に少しだけでもなりたかった。
つまり深くは考えてなかった。
誰かに誘われた、頼りにされた、それだけが理由だった。
「僕の絵で大丈夫なの?」
「八木先輩の絵じゃないとダメっす」
二人で窓の外の雨を見たままで、僕は小さく頷いた。
「いいんですか!」
気怠く両肘をついていた咲良がパッと体を起こして、そう叫んだ。
「僕が協力するくらいで賞とれるなんて思わないけど、必要とされてるなら」
「絶対とれますよ」
左上から声がして僕は顔を向ける。隣で座っている咲良も一緒に。
その視線の先には、男でもドキッとする司音くんのキラースマイルが見下ろしている。
「俺が話を書いて、咲良がネームに起こして、そこに八木先輩のデザインが加わったら、絶対賞とれます。協力してよかったって思ってもらえる、めちゃくちゃ面白い話絶対書くんで、お願いします!」
二人に挟まれた僕は妙に緊張しながらも、その熱量にちょっとだけ感化されていたと思う。可愛い後輩のおねだりと、思わず恋に落ちそうなイケメンからの切望に、僕はある種の優越感なんぞを生まれて初めて感じつつ、最初の一歩を軽いジャンプをするかのように踏み出した。
「八木ちゃんが協力するなら俺も参加したい!」
一人真面目に部室で漫画を描いた早ちゃんの声が聞こえ、僕ら三人は振り返る。
「いや、晴ちゃんには声かけてないし」
いつになく真剣な声で咲良が拒否すると、早ちゃんは唇を尖らせて司音くんを見上げる。
「あのさ、そういう先輩かぜふかして司音を味方につけようとするのはなしだから!」
必死で阻止する咲良の声に司音くんは反応せず、早ちゃんの描いていた漫画をのぞき込むと、その原稿を掴んで僕に渡してきた。
「八木先輩はどう思います?」
差し出された原稿には枠とまだ背景しか描かれてない。けれど、その絵は失礼だけど、早ちゃんの性格からは想像も出来ないほど丁寧で綺麗な絵だった。
「めっちゃ上手くなってる」
思わず見入って、僕はそう感想を口にした。
「去年の文化祭で出した俺の漫画、全然売れなかったじゃん。で、練習した。一つくらい強みが欲しくて。で、結果」
「背景で止まってるんだね、成長」
立ち上がった咲良が僕の掴んでいる原稿を覗き込んで酷評する。咲良の言葉は辛辣だけど、表現には温かみがある。だから決して否定ではないことが僕にも分かった。
「俺はアリだと思うけど。このレベルの背景、咲良でも描けないでしょ」
「そう言うのは簡単だけどさ。晴ちゃんって友達としてはいいけど一緒に何かするには疲れるよ」
「咲良、それどういう意味だよ~。幼なじみでも先輩だぞ」
弱気な声で早ちゃんが嘆いている。
だけど容赦のない咲良の発言は続いた。
「言葉の通り。テンションとか大雑把なとことか。晴ちゃんは自覚ないと思うけど、それって司音と八木先輩が一番ついていけないとこでしょ」
咲良の指摘に僕は原稿を掴んだまま司音くんと顔を見合わせる。要するに咲良の見解は大正解なわけで。反論の余地もないのだ。
だけど僕はなぜか掴んだ原稿を放せなかった。
「八木先輩はアリみたいだけど。どうすんの、咲良?」
僕の気持ちを代弁するかのように司音くんがそう決断を咲良に求めた。
「はぁ~。司音と書いているだけでも遊び半分って思われてんのに晴ちゃんまでかよ~」
咲良は僕が持ったままの原稿を覗き込んで、腕を組んだまま体を左右に何度も揺らしながら、最後はすくっと立ち上がって僕の手から原稿を奪い取ると、それを早ちゃんに差し出した。
「じゃ条件。背景しか書かせないよ。それでもいい? 自分の漫画書けないよ」
いつになくピシッと口調を強めた咲良の発言に、僕はなぜか急に自分の背筋をピンと伸ばしてしまった。
彼にとって漫画を描くということは本気なんだと知った。
「別にいいよ。俺は絵が好きなだけで、漫画家とかそういうのになりたいわけじゃないし、面白くて楽しいことが好きなだけだもん」
早ちゃんは僕よりもさらにふんわりとした返事をした。
それが何か可笑しくて、僕は思わずクスっと笑ってしまった。
「本気の奴二人と、ふんわりな奴二人で作る漫画って、意外と面白いかもね~」
部員でもないのに、毎日早ちゃんと一緒にやってくる啓くんが部室の長机の上で寝ころんだまま週刊キングの雑誌を読みながらそう言った。
「あの~篠崎先輩は何でいつもここにいるんですか?」
勝手に話に入ってきたのが気に入らなかったのか、咲良は早ちゃんに原稿を返しながら言った。
彼は寝ころんだまま、僕たちの四人の方に顔だけ向けると笑って告げた。
「オレ、漫画好きなんだよね~読むの。だからここに来てる。ダメだった?」
「い、いえ。ダメじゃないですけど」
「じゃ、よかった。あ、絵は全く描けないけど読めるよ。っていうか、四人で書き上げたら読ませてよ。客観的で、尚且つ、適切なアドバイスするよ~」
彼は両手で広げた雑誌を揺らしながら、僕たちを見てまた笑った。
その笑顔が本当に待ち望んでいるかのように僕には思えた。
だから僕らは五人で一つ。
最初の一歩を踏み出す僕らの背中を押したのは啓くんだから。
彼がいないと僕らは何も始まらなかったのかもしれない。
「作品も出来てないのにファン一号ですか?」
司音くんが誰よりも先にキラースマイルを繰り出しながら、そう啓くんに尋ねた言葉がTENの始まりだった。
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