中編

 私が時間を巻き戻した先は、半年前のセイチェーニ王立学園の教室だった。ちょうど、先ほど授業が終わったところだ。


 この学園は成績別にクラスが分かれている。マキシミリアーノ様もジャレッドも、そしてジョセフィーヌ様も、私と同じクラスだ。今年度の始め、今よりさらに半年前にこの学園に編入したばかりのティナ様は、隣のクラスにいる。

 マキシミリアーノ様が取り巻きのご友人がたに囲まれる姿が前方に見え、きょろきょろと周りを見回している様子だった。

 私の姿がようやく彼の視界に入ったようで、視線で合図をされた。


 どこか教室の外にでも出て、マキシミリアーノ様を待った方がよいかとも思ったけれど、彼はご友人たちを残してつかつかと私の方に歩み寄って来た。


「セシリア、君、同じクラスだったんだな」

「……はい」


 いくら消え入りそうなくらいに私の影が薄いとはいえ、第二王子にはクラスメイト認識さえされていなかったらしい。さすがにショックを受けた私の表情に気付いたように、彼は薄く笑った。


「なんてな。冗談だ」

「……」


 どちらが本音かわからないけれど、とりあえず私は曖昧に笑っておいた。

 マキシミリアーノ様の目つきが真剣なものに変わる。


「今後半年のことについて、相談する時間が欲しい。これから何処かで…学園内は生徒の目があるから、君の家か、または王宮内ででも話せないだろうか。馬車はこちらで用意する」


 第二王子が焦っている様子だったので、……それと目の前の大金に釣られて、さっさと時間を巻き戻してしまったけれど、考えてみれば事前に打ち合わせくらいしておけばよかった。


「……恐れ入りますが、」


 私は小さく首を横に振った。


「私には、これから所用がございまして。そちらにお付き合いいただけるのであれば、構いませんが」

「ああ、よかろう」


 第二王子の頼みを無下にはできないけれど、こちらにも都合というものがある。彼が前金で魔法の対価をくれなかったせいで、私はこれから学園卒業まで、また必死に働かなくては家が立ち行かない。背に腹は変えられないのだ。あの辛く苦しかった半年間をもう一度、と思うと、涙が出そうだった。


 私は行き先を書いてマキシミリアーノ様に手渡すと、先に学園を後にした。


***


「いらっしゃいませー」


 笑顔で大きな声を出し、お客様をお迎えする。なかなか板についたものだと、自分でも思う。私が今いるのは、お父様の経営しているパン屋である。お父様の領地からはそこそこ小麦が取れるので、お父様は一般市民向けのパン屋を、城下にある街で営んでいる。

 貴族ならばまず普段近付くこともないであろうこの場所に、私は毎日のように通っては、接客をしたり、レジ対応をしたり、帳簿をつけたりしている。時々パンを焼くこともある。


 しばらく店頭に立っていると、店のガラス張りのドアが開いて、一人の青年が入って来た。パンを選んでいた数人の客が、ちらちらと彼を振り返っている。一般市民とは明らかに異なる堂々たるオーラの漂う、濃紺の髪で際立って美しい顔をした彼は、パンの並ぶ棚の前を素通りして、レジ前の私のところにやって来た。


「いらっ……あ、マキシミリアーノ様」

「待たせたな。……ほう、その格好、よく似合っているじゃないか」


 髪色ではじめは気付かなかったけれど、顔を見てようやく彼だと気が付いた。金髪が紺色の髪に変わるだけでも、随分と印象が変わるものだ。

 私は、貴族ならまず着ることのない、市井の人々と同じ質素な麻のワンピースを着て、その上から店名入りのエプロンを付けていた。それが似合うと言われても、褒められているのか貶されているのかわからない。


 私は近くの店員の女の子に、少しの間レジを頼むと、店の奥の喫茶スペースにマキシミリアーノ様を案内した。一番奥まった場所にある、人目につきづらいテーブルの横の椅子を引く。


「こちらへお掛けください。あ、紅茶を淹れてまいりますので、少々お待ちくださいね」


 店で一番高い茶葉を使って急いで紅茶を淹れてから、二人分のティーカップを持ってテーブルに戻り、うち一つのティーカップをマキシミリアーノ様の目の前に置いた。


「……君は、こんなところで何をしているんだ?」


 紅茶を一口飲んでから、訝し気な顔で尋ねるマキシミリアーノ様に、私も紅茶を飲んでから答えた。


「ご覧になった通りです。ここで働いているんですよ」

「貴族の君が、町民に混じって?」

「ええ。うちは大変に家計が苦しいので、私がこうして少しでも父の店の手伝いをしているんです」

「……そうか」


 しばらく無言になったマキシミリアーノ様に、今度は私から話しかけた。


「こんな場所まで遥々、マキシミリアーノ様自らお越しくださって、ありがとうございます」

「マキシムでいい。私も目立つのは避けたいから、その方が好都合だ。この髪も、魔法で色を変えている。私は君をセシルと呼んでも?」

「はい、どうぞお好きなようにお呼びくださいませ。ではマキシム様、早速本題に入りますが、今後のご相談というのは? 私は、何をお手伝いすればよろしいのでしょうか」

「その前に。誤解を解くために言っておくが、ジョセフィーヌとの婚約破棄は、私の意思で行ったものではない」

「と、言いますと……?」

「あの時、私がジョセフィーヌに言った言葉は、何者かに魔法で操られた結果だ。私が何を言ったのか、それは私も覚えているが、口が勝手に動くのを、まるで他人のように、自分の中から意識だけが聞いていたんだ」

「……」


 私は言葉を失った。あの断罪劇は、彼の意思ではなかったというのか。

 第二王子を魔法で操るなんて、不敬どころか普通に首が飛ぶだろうし、そもそも強い魔力保持者の彼に、彼の意思に反して魔法をかけられる者なんて、そうはいないだろうと思うのだけれど。


 彼は一つ溜息を吐いた。


「ジョセフィーヌのことは、大切に思っていた。あのような形で婚約破棄をするつもりなどなかった。あの場では私に魔法をかけた者もわからなかったし、弁明もできなかったが、その後ジョセフィーヌを探しても、既に国外に出た後で行方知れずになっていた」

「そうだったのですね……」

「ティナにしたことへの詫びをしたためられた彼女からの手紙だけが、俺の元に届いたんだ。ジョセフィーヌの誤解を解くことも、謝罪の言葉を届けることすらできなかった。彼女をさぞかし傷付けてしまったことだろう」


 目の前のマキシム様は辛そうな表情で目を伏せている。


(きっと、心からジョセフィーヌ様を想っていらっしゃったのね……)


 私の胸は、彼の気持ちを思うとつきりと痛んだ。好きな相手に対して、自分の意思に反して婚約破棄を行うなんて、悲劇としか言いようがない。

 ジョセフィーヌ様が婚約破棄後に微笑んでいたように見えたのは、私の見間違いかもしれないし、私の心にそっとしまっておこう。


「だから私は、未来を変えたい。誰とも知れぬ輩に魔法にかけられて、卒業パーティーの場であのような婚約破棄をすることは回避したい」

「それでは、マキシム様に魔法をかけた相手を探されたいということですか?」

「それもあるが、もう一つ。ジョセフィーヌがティナに嫌がらせをしたことが、彼女の断罪の理由になっていただろう?」


 私は彼の言葉に頷いた。


「だから、ジョセフィーヌがティナに対して手を下すのを止めたい。そもそも理由がなければ、私に魔法にかけたところでジョセフィーヌの非をあげつらうことができず、彼女の断罪のために私に魔法をかける意味もなくなるからな」

「あの。マキシム様がティナ様といらっしゃるところを、よく目撃されたとの話もあるようなのですが、それは……?」


 私は噂では聞いてはいたけれど、その辺りの事情にはかなり疎い方だったので、本人に直接聞くことにした。

 彼は微かに顔を顰めた。


「ああ、それは本当のことだ。実は、ティナは隣国から来た少女だ。この国の聖女として認められた彼女の機嫌を損ねてしまい、隣国に戻られることがあってはならないからな。この王国で権威のある者が、特に彼女を丁重に扱う姿勢を見せる必要があるということで、私も、私の友人たちも、ティナと過ごす時間を増やしている」

「そういうことだったのですね」

「……そんな私たちを見てジョセフィーヌがもしティナに悪意を持ち、仮に何かしらの嫌がらせをしたとしても、ジョセフィーヌに一方的な非がある訳ではないと、私は考えている。あんな魔法にかからなければ、私は彼女にあのような酷い仕打ちなどしていない」


 マキシム様は一拍置いてから続けた。


「ただ、ジョセフィーヌがティナに手を出せば、客観的に、聖女に対する嫌がらせと取られてしまうのは事実だ。だから、ジョセフィーヌを止めるのを手伝ってくれ」

「では、ジョセフィーヌ様を見張っておいて、何かあればお止めすればよろしいのでしょうか?」


 私は、マキシム様に残念なものを見るような目で見られた。


「いちいち見張るなんて、わざわざそんなことをするのは非効率だろう」

「もしかして、今までにジョセフィーヌ様がティナ様に手を出したのがいつかを、すべて覚えていらっしゃるとか……?」

「そんなことまで覚えているほど、私は暇ではない」


 ふっと鼻で笑われてしまった。


「君には便利な魔法が使えるじゃないか」

「えっ」

「問題が起こったら、その前まで時間を戻すほうが効率的だろう」

「……ああ、はい。ええ、まあ、そうですね」


 報酬を前金でもらえなかった理由がよくわかった。

 ……人使いが荒いですね、あなた。


「では、何かが起こったら時間を巻き戻して、ジョセフィーヌ様をお止めすればいいと。私一人ででしょうか、それとも、マキシム様や、ご友人の方々にもご協力いただけるのですか?」

「ああ、彼女を止めるのは、私も手伝う。私の友人に目撃されたら意味がないから、私と君とで防ぐことになるが、ジョセフィーヌ一人に対してであれば十分だろう」

「わかりました。では、そのような形でご協力させていただきます」

「ああ、よろしく頼む」


 椅子から立ち上がったマキシム様を見送ろうと立ち上がると、くらりと立ちくらみがして、一瞬目の前が真っ白になった。

 机に手をついて、何とか身体を支える。

 この時期は毎日身体を酷使して働いていた上に、半年前まで遡る魔法を使ったばかり。どうやら、身体が悲鳴を上げたらしい。

 しばし動けずにいる私を、マキシム様が気遣わしげな目で見ると、おもむろに口を開いた。


「この店は、まだしばらく営業しているのか?」

「いえ、そろそろ閉店の時間です」

「そうか。では、店にある商品をもらおう」


 彼の視線は店内のパンの棚に向いていた。


「ええと、どのパンがよろしいですか? それから、一般庶民の食べ物なので、お口に合うかはわかりませんが……」

「構わない。残っているもの全部だ」

「えっ。ほんとうによろしいのですか?」

「ああ。まとめて包んでくれ」

「……!!ありがとうございます。はい、ただいまお包みします」


 私は急に身体中に力が巡るのを感じると、店内の商品棚に残っていたすべてのパンを、急いで大きなバスケットに詰め、怒涛の勢いでレジ打ちをして、満面の笑みを添えて彼に手渡した。

 彼は支払いを終えると、大きなバスケットを抱えるようにして、じゃあまたよろしくなセシル、とだけ告げて店を後にした。何となく、彼の口元が笑いを堪えているように見える。


 下手に身体を気遣われるよりも、実益重視の私には、彼の対応は大変に嬉しい。現金だと言われようが、優しい言葉よりも、目の前のお金の方が、よっぽど私を元気にしてくれる。

 もしかしたら彼は新しい上客にでもなってくれないかしら、と、私はちょっとうきうきした気持ちで家路を急いだ。ちなみに、ジャレッドには小麦そのものを卸しているので、客としてはかぶらない。


 ……その後に待ち受ける困難を知らなかった当時の私は、まだ幸せだったと言えるだろう。


***


 ジョセフィーヌ様がティナ様にどんな嫌がらせをするのか、私はそっと観察することにした。

 私の親しい友人に聞いても、それまではジョセフィーヌ様がティナ様にあからさまな嫌がらせをしている様子はなかった。ジョセフィーヌ様の取り巻きのご令嬢が、マキシミリアーノ様との距離が近付いてきたティナ様に眉を顰めても、むしろジョセフィーヌ様は、そんなご友人を諫めているようだった。

とはいえ、マキシム様の元に、将来、ジョセフィーヌ様が自らの非を詫びる手紙を送るくらいなのだ。何かは起きるのだろう。


 かくして、事件は起こり始めた。


 ティナ様の私物が捨てられる、教科書が破られる、ティナ様に水がかけられる、足を引っ掛けられる……等々。


 小さな事件が起きる度に、私は時間を巻き戻した。

 けれど、そんな事件には毎回、どことなく不自然さが漂っていた。

 普通に考えれば、ジョセフィーヌ様は、自分のやったことを隠すように動こうとするはずだ。ところが、彼女はむしろ、人目につくようなところを選んでやっている節がある。

 そして、ティナ様も、なぜかジョセフィーヌ様と事前に示し合わせでもしたかのように、起きる時間を正確に把握していないと防げないような、滑らかな動きでその場に合わせて来るのだ。


 私は文字通り、身体を張った。

 ゴミ箱自体を隠したり、ティナ様の教科書を私のものとすり替えておいたり、ティナ様の前に飛び出してわざと水を被ったり。ジョセフィーヌ様が差し出した足の前に、ティナ様を遮るように走り込んだこともある。ジョセフィーヌ様だけでなく、ティナ様までもが狐につままれたような顔をしていた。

ちなみに、ジョセフィーヌ様を一緒に止めてくれるはずのマキシム様は、そんな私を見て、周りの目を盗んでは、毎回のように腹を抱えて笑っていた。……ちょっと、あんまりではないだろうか。

 こんな腹黒男と結婚するくらいなら、むしろ、ジョセフィーヌ様は婚約破棄された方が幸せなのでは…なんていう考えが頭をよぎる。

ジャレッドも、そんなおかしな動きをする私を見掛ける度に、訝し気な表情を浮かべていた。


 そして、私の涙ぐましい努力により何とかジョセフィーヌ様をくい止めていたある日、もっと深刻な事態が起こった。


 マキシム様やそのご友人方が見守る中、ティナ様が、ジョセフィーヌ様に階段から突き落とされたのだ。


 第二王子の視線を受けて、私はすぐさま時間を巻き戻す。

 ティナ様を庇う形で立った私は、代わりにジョセフィーヌ様に突き落とされることはなかったものの、繰り返し魔法を使って蓄積していた疲労感からか、突然の目眩にふらりと自ら足を踏み外すと、そのまま階段下へと落ちていった。

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