婚約破棄は目の前で 〜没落令嬢は見た〜
瑪々子
前編
「……ジョセフィーヌ、君は聖女であるこのティナに、度重なる嫌がらせをしたそうだな」
セイチェーニ王立学園の卒業パーティーの場で、煌びやかに輝くシャンデリアの下、華やかに着飾った卒業生たちがにわかにざわついた。
皆の視線の先にいるのは、このコダリー王国の第二王子、マキシミリアーノ様。美貌の王子として知られる金髪碧眼のマキシミリアーノ様の後ろには、彼の姿に半分隠れるようにして、先日この王国で聖女認定を受けたティナ様の姿があった。
薄緑色のふわふわとしたウェーブヘアに、金色に輝く大きな瞳を潤ませた彼女は、いかにも可憐で、守ってあげたくなるような雰囲気の少女だ。第二王子と彼女を取り囲むように、第二王子の親しいご友人たちが、揃って冷ややかな視線をジョセフィーヌ様に向けている。
ジョセフィーヌ様はマキシミリアーノ様の婚約者で、ボロニア侯爵家の長女。栗色の艶のある髪を腰までなびかせた、大変に美しい方だ。彼女のアメジストのように輝く切れ長の瞳は、そっと下方を向いていて、その表情は窺い知れない。
マキシミリアーノ様が、婚約者のジョセフィーヌ様ではなく、平民出身で、飛び抜けた魔力と治癒能力で聖女として認められたティナ様を伴ってこの卒業パーティーの場に現れたことに、皆驚いてはいたものの、一様にその気持ちは心のうちに隠していた。あからさまに表情に出しでもすれば、第二王子への不敬罪にもなりかねない。そっと息を飲むように様子を見守っていた学園生徒の前で始まった、この断罪劇だった。
ジョセフィーヌ様の後ろには、彼女の執事で、今年この学園を卒業するダレル様が静かに控えていた。
マキシミリアーノ様が氷のように冷えた低い声で続ける。
「聖女の存在がどれほど尊いものか、君もわかっているだろう。その聖女に向かって害なす君を、このまま私の婚約者にしておく訳にはいかない。君のしたことを目撃した者も少なからずいる」
第二王子を取り巻く3人の友人たちが、視線を交わして頷き合う。
「よって、ジョセフィーヌ、君との婚約は破棄し、君を国外追放に処す」
(まあ、何てことでしょう……!!)
たまたまこの婚約破棄の場面を、最前列とも言えるべき場所で目撃してしまった私は、没落しかかっているフランツ伯爵家の一人娘、セシリア。まあ私のことはどうでもいいので、今は置いておこう。私は驚きに口元を両手で覆って、目の前で起きていることをただ見つめていた。
(お似合いのお二人だと思っていたのに……)
完璧王子と完璧令嬢の、非の打ち所のない組み合わせだと、誰の目にも映っていたはずだ。確かに、ここ最近、マキシミリアーノ様がティナ様とよく一緒にいるという噂を、何度か聞いてはいたのだけれど……。
「……承知いたしました、マキシミリアーノ様」
ジョセフィーヌ様は、言葉少なに深々と一礼をする。こんな状況にもかかわらず、とても優雅で気品を感じる礼だった。
(もしかして、マキシミリアーノ様はティナ様と婚約なさるのかしら……?)
その場の流れから、私だけでなく、多分多くの者がそう思って見ていたはずだ。
けれど、マキシミリアーノ様は、ジョセフィーヌ様が顔を上げる前に、無言で一人、ティナ様も残したままに、くるりと背を向けて踵を返すと、その場を立ち去って行ってしまった。
第二王子がパーティー会場を退出して、会場のドアが勢いよくバタンと大きな音を立てて閉まると、今度こそ場が騒然となった。皆、王子の去って行ったドアを呆然と見つめながら、ひそひそ、ざわざわと、皆あることないこと噂している。
「……驚いたな」
私の隣でそうぼそっと呟いたのは、この卒業パーティーで私をエスコートしてくれている、隣家に住む幼馴染みのジャレッドだ。彼は漆黒のさらりとした髪に、タンザナイトのような青紫色の瞳をした、まあ顔立ちはとても美しい青年なのだけれど、そんな見目に騙されてはいけない。彼は、その髪色もかくやというばかりの腹黒さなのだ。
学業にも秀でた彼は、この学園の女生徒にも人気があって、何でジャレッド様があんな女に、なんて私が睨まれることもしばしばだ。私はとりたてて特徴のない、薄い顔立ちをしていて、目立つよりは背景に溶け込むほうがよほど得意だと言ってもいい。ジャレッドの隣に立つと、私は輝くような美貌の彼とは対照的に、影のように霞むこともよく自覚している。
私は、彼に熱を上げる女生徒たちに声を大にして言いたい。……この男に引っかかるのが得策とは思えないけれど、それでも構わないという方がもしいるのなら、ぜひ引き取って欲しい。なんなら、熨斗をつけて、全力で彼を突き出してでも差し上げたい。
……その辺りの背景説明は、また後ほどするとして。
話が逸れたけれど、この事態をこれほど間近で見ることになったのは、野次馬根性逞しいジャレッドに、ぐいぐいと婚約破棄の舞台まで連れて来られたからなのだ。
そして、私は見てしまった。
マキシミリアーノ様が立ち去ってから、ゆっくりと顔を上げたジョセフィーヌ様が、ほんの微かに、その美しい口角を上げているのを。
そして、彼女が、聖女ティナ様と意味ありげに、ちらりと視線を交わすのを。
ジョセフィーヌ様やティナ様をじろじろと見るのも気が引けたのか、その場にいた多くの者が第二王子の立ち去った方向を見ていたようだし、または彼女たちとは多少の距離があったからか、誰もそのちょっとした表情の変化に気付いている様子はなかったけれど、私はまるで犯罪でも目撃したかのように、見てはいけないものを見てしまったような気分になっていた。嵐が来る前触れのような……。
「……そうね、ジャレッド。私も驚いたわ」
いろんな意味で、驚いた。もちろん、こんな場所での突然の婚約破棄にもとても驚いたのだけれど、あの、ジョセフィーヌ様とティナ様の表情は、何を意味するんだろう。
あなたに引っ張られたばかりに、こんな間近で衝撃の場面を見てしまった。
そんな気持ちを込めて、少しジト目で彼を睨んだけれど、彼はそんな私の非難のこもった視線を気にもしていないようだった。
彼は少し屈んで、私に顔を寄せると小声で囁いた。
「で、セシル。俺との婚約は、いったいいつ受けてくれるわけ?」
私はびくりと身を竦めた。彼から婚約の申入れがあったのを、のらりくらりとかわし続けて来たのだ。
「うっ、いや、それは……」
「今日だって、新しいドレスくらいプレゼントさせて欲しかったのに。……まあ、今セシルが着てるドレスも似合ってるけど」
社交界で、同じドレスを二度着ることが忌避される中、私は以前に着た薄紫色のドレスを手直しして、新たに別色のフリルをあしらって、どうにか再利用していた。常に家計が火の車の、我が落ちぶれ伯爵家に、新しいドレスを買うお金なんてあるはずがない。
でも、ジャレッドとの婚約だなんて、何があっても願い下げだった。彼に金銭的に甘えでもすれば、あっという間に彼に絡め取られてしまうだろう。それだけは避けるために、私は学校が終わると、すぐさまお父様の運営する市街地の店へと向かい、店頭に立って陽が沈むまで働いた。帰宅すると、成績優秀者のみに認められる奨学金を得るために、毎晩遅くまで眠い目を擦りながら勉強した。お金持ちのご貴族様の多いこの学園で、女性陣が開催するお茶会にも、舞踏会など社交の場にも、滅多に顔を出すことのない私は、ただひたすらに影の薄い存在だった。
学園でも目立つ存在のジャレッドが、なぜ私などに婚約を申し込むのか。
……私は知っている。彼は、私への愛情からではなくて、私の特殊な魔法の能力を、これからも独占して使い続けたいがために、私と結婚したいのだということを。
彼が今みたいに優しげに微笑んで見せたって、それは演技に過ぎないのだとも知っている。
私の能力、それは、時間を巻き戻す能力だ。
この能力は、我がフランツ伯爵家の長子に受け継がれる能力で、使いようによっては色々な不都合が生じ得るので、一部の王族以外には、この能力を口外しない原則になっている。よって、学園での私は、単に魔法の使えない生徒という位置づけである。
うっかり、本当についうっかり、幼い時にジャレッドにぽろりとこの能力をこぼしてしまったばっかりに、その後の私はジャレッドにいいように使われることになった。
あの時の私の軽い頭を、できることなら拳骨でごつんとぶん殴ってやりたい。
やれ怪我をした、家の調度品を壊した、試験の点が悪かった……そんな諸々の理由で、彼にはいったい、何回私のこの能力を使ったことだろう。我が家と彼の家は力が(持っているお金の量が)違い過ぎて、私はただ彼の言うなりだった。
しかも、この魔法はちょっと使いづらい。本人だけでは使えずに、時間の巻き戻りを願う誰かの依頼とセットでないと、使えないのだ。私と私への依頼者だけが、巻き戻り前の記憶を保ったままで、時間を遡ることになる。
お父様に、ジャレッドにうっかりこの魔法の力のことを言ってしまう前まで時間を戻したいから、依頼者になって協力して欲しいと懇願したら、ジャレッド様はそれでお前を気に入ってくださったのか、時間を戻すなんてとんでもないと、耳を貸してもくれなかった。
そう、ジャレッドは我が家の店の上客だった。絶妙な匙加減で、フランツ家に余裕を持たせるほどには商品を買わないけれど、完全に破産して没落しきらないくらいには買ってくれていたのだ。それでも、彼のお陰で何とか家を保っていられるのだから、文句は言えない。彼の言うことは聞くしかなかった。
彼にとっての私は、都合よく、いつでも押せるリセットボタンだ。
ただ、私は自分の人生全部まで彼に売り渡すつもりはなかった。
***
波乱含みの卒業パーティーが終わった後、ジャレッドに馬車で家まで送ってもらってから一息吐いていると、私の部屋のドアがノックされた。
ドアを開けると、なぜか緊張の面持ちのお父様がいた。
「どうなさいましたか、お父様?」
私が首を傾げると、少し震える声でお父様が答える。
「ああ。……セシル、お前に会いたいという方が、お忍びでお見えになっていてな。今からお前の部屋にお通しするが、よいな」
「はあ……。はい、わかりました」
まだドレスも着替えていないけれど、そもそもお忍びで私に会いに来るような方なんて、知り合いにいただろうか?
頭の中のクエスチョンマークは、訪ねてきた本人を目の前にして、消えるばかりか、よりいっそう大きくなった。
控えめな目立たない服装に……とは言っても、品質の良さは隠し切れていないのだけれど……、目深に帽子を被ったその人は、私の部屋に入るなり帽子を取って、真正面から私を見据えた。
目の前の、驚くほど整った顔立ちをした彼は、ついさっき、間近で婚約破棄の断罪劇を演じていた、マキシミリアーノ第二王子に他ならなかった。
慌てて椅子を勧める。テーブルを挟んで向かい合って座ると、彼は口を開いた。
「君がセシリアか。君は時間を巻き戻す魔法の能力を継いでいる、という理解でよいな?」
「ええ、間違いございません」
「……君は、今日の学園の卒業パーティーには出席していただろうか」
「はい、出席しておりました」
あんなに婚約破棄の舞台の目と鼻の先にいたのに、それでいてマキシミリアーノ様に気付かれないなんて、私の背景同化能力も相当らしい。今も同じドレスを着ているというのに。
「では、私がジョセフィーヌへの婚約破棄を告げたところも見ていたな?」
鋭い視線を投げかける彼に、私がこくりと頷くと、彼はポケットから1枚の紙を取り出した。
「時間を巻き戻して欲しい。もちろん、ただでとは言わない」
ひらりと目の前に差し出された小切手に記載された金額に、私は思わずごくりと唾を飲んだ。目が飛び出るほどの大金だった。
「今日の、ジョセフィーヌ様との婚約破棄の前まででよろしいですか?」
「いや、半年ほど前だ。できるか?」
「はい。遡る時間が長いほど、魔力の消耗は激しくなりますが、半年くらいでしたら何とか可能です」
半年前というと、第二王子とティナ様との噂が囁かれ始めた頃だ。いったい、彼は何がしたいのだろう。
それよりも、私の視線は目の前の小切手に釘付けだった。このジリ貧のフランツ家にとって、天からの助けのような金額だ。これだけあれば、ジャレッドからも逃げられるかもしれない。
そもそも、このフランツ家が伯爵家の称号を与えられたのは、この魔法の能力のお陰らしい。戦時下においては、この能力は非常に有用だった。戦局が不利になれば、相手の戦略を把握した上で時間を巻き戻せば、有利に戦を展開できる。そのため、魔法を使う対価として、相当な金額を王家から褒賞として得ていたようだ。
けれど、祖父の代からは、ありがたいことではあるけれど、近隣諸国とは友好的な関係を維持していた。国外とも、そして国内でも戦争は起きず、平和な時期が続き、したがってこの能力を使う機会もなくなって、我が家は坂道を転がり落ちるように没落していったのだ。
私がそろそろと小切手に手を伸ばすと、私の手が届く直前に、第二王子がそれをひらりと取り上げた。
私は怪訝な顔で、彼に尋ねた。
「あの、前金でいただけるのでは……」
失礼にもつい真顔でそんなことを聞いてしまった私に、彼は薄く笑った。顔立ちが綺麗なだけに、何とも言えない凄みを感じて、びくりと身体が震えた。
「いや、君には、時間を巻き戻してからまた今日のこの日を迎えるまで、協力してほしいことがある。この謝礼は、それまでの君の協力を含めてのものだ。……いいかい?」
第二王子の言葉を、私が断れるはずもない。私が頷くと、彼はそれは美しい笑顔を浮かべると、小切手をまたポケットにしまった。
私は背中にぞくりと寒気がした。マキシミリアーノ様の笑顔の奥に、黒いものが見えたような気がする。私の幼馴染みと同じ匂いがしたような。そう、私の幼馴染みによってトラウマになった、あの腹黒さが垣間見えたような……。
私の嫌な予感はよく当たる。
今回はそれが当たらないで欲しいと、私は強く願いながら、マキシミリアーノ様の依頼に応えて、半年前まで巻き戻す魔法をかけた。
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