1章8話「琴葉の因縁」

「天蓮は金剛に勝てると思うか?」


 珍しく不安を感じたのか、鴉羽は俺に聞いてくる。


「余裕だ。1ヶ月とはいえ、玲一の吸収力は凄まじいものだった。常人の1年分の訓練に匹敵するぐらいには強化されていると考えて良い」


 剣の立ち回りと魔法の斬り方、かなりスパルタな指導で叩き込んだが、よく付いてきたものだと教えた立場ながらそう思う。それでも、あの成長はおかしい。当初の予想通り、玲一は記憶を失っていると考えれば、少しずつ本来の実力に戻っていると考えるのが妥当だろう。


「鴉羽、ひとつ聞きたいことがある」

「なんだ?」

「音波琴葉のことだ」


 少し食い気味にそう言うと、鴉羽の表情が露骨に固まる。


「お前が玲一に執着する理由は前にも聞いた。では、音波琴葉はなぜだ」


 天空都市に音波が来た時、彼女は鴉羽に対して明らかな敵意を持っていた。しかも、玲一と違って、彼女は1ヶ月間なにもしなかった。効率をおもんじるこの女がそんな人間をわざわざ滞在させた理由が分からない。


「私なりの罪滅ぼしみたいなものだ」

「理事会の最高幹部に罪滅ぼしという考えがあったとはな」

「からかうな、あの事件はさすがの私も堪えるものがあった」

「高杉和正の事件か」


 俺は天空都市に篭っていたのであまり知らないが、稀に見る大事件だったらしい。


「当時の西条派幹部の1人、高杉和正。彼は自室に5人の女子生徒を軟禁し、連日のように暴行、強姦、輪姦を繰り返した。軟禁された5人の生徒はいずれも奴隷であり、普通に学校に登校はしていたものの、誰もその状況を報告しなかった」

「監査委員会は?」

「もちろん、買収されていたとも。そのせいで証拠が揃わず、理事会も動くことが出来なかった。最終的に私が単身で突入し、現行犯で捕らえたが、凄惨なものだった」


 鴉羽は遠くを見つめて、静かにそう言って続ける。


「高杉は階級制度違反の容疑で処罰され、退学処分。5人の精神状態は極めて不安定だったため、休学ということで今も理事会で療養中だが、音波琴葉だけはこれを拒否し、今に至る」


 通りでああなる訳だ。『ジュピター』における魔法の原動力が感情である以上、精神が病めば、魔法は使えない。


「だが、天蓮と出会ってから、彼女も少しずつ変わってきている」

「……そうか」


 少しずつ……か、それが許されないほど、この学園は目まぐるしく動いている。それが分からない彼女ではない。



「高杉……?」


 九頭龍を倒した後で見た映像の中で出てきた男の名前だ。あれは間違いでも勘違いでもなかった。


「あの4人は薄情だな、俺の帰りを待たないだなんて。それに比べてお前は従順。やはり、俺にはお前しかいない!」


 そう言って高杉は笑うが、音波はなにも言わずにただ震えている。


「お前は一体……」

「知らないのか。俺はお前より先にそこの琴葉を持ってた人間だ」

「持ってた……?」

「俺が倒したから、その女は奴隷なんだよ」


 つまり、前の派閥。1番最初の派閥。音波がトラウマを持っていると言っていた男。


 直感が告げる。この男は危険だと。


 俺はなにも言わずに地面を蹴り飛ばし、彼に襲いかかる。


「幻想種タケミカヅチ解放」


 高杉は冷静にそう言い放つと、雷の槍を4本生成し、その中の1本を即座に射出する。


魔法スペル破壊ブレイク!」


 軽快な音と共に槍が砕け散るも、高杉は別段驚く様子もない。

 今まで戦ってきた人間とは明らかに違う。


「なるほど」


 彼は小さく呟くと、余った3本を射出する。その中の2本は起動を逸れ、真正面から向かってくる1本を破壊し、一気に首を狙いに行く。


「琴葉を見捨てるのか、薄情だな」


 やられた。


 振り返る暇もない。俺はその言葉の意図を読み取り、高杉とは真反対の方向に走り始める。


 軌道を逸れた2本はその軌道を大きく曲がり、琴葉を目指していた。今の琴葉に転移で避けるなど出来るはずがない。


「魔法……破壊……!」


 寸でのところで破壊に成功するが、背中を見せた敵を逃すはずがなかった。


「うぐっ……!」


 内蔵が焼けるような感覚。3本の雷槍が俺の身体を貫き、口の中は血の味がする。


「今の盤面は琴葉が死んだとしても、俺を狙うべきだった。だが、その選択をお前はしなかった。ここは『ジュピター』だ。現実と混同しない方が身のためだぞ?」


 そんなことは俺にも分かっている。高杉の狙いはあくまで音波。だが、音波を倒してすぐに撤退できる盤面ではなかった。勝てる可能性があった。勝ちさえすれば、あとは幾らでも階級も振り直せるはずだった。


「部下の死が怖いか。だが、これは仮初の死だ。要するに、お前が抱いているのは正義感でもなんでもない。例え、仮初であっても、目の前で人が死ぬという状況を見たくないというエゴだ」

「お前……!」


 全身から黒い蒸気が噴き出す。死の淵の極限状態、狂化。理性が吹き飛ぶものだと思っていたが、案外冷静に見えることに驚いた。


 再び高杉は目の前に1本の雷槍が出現させ、まっすぐ射出する。俺はその単調な攻撃を破壊し、ものの数歩で距離を詰める。


「狂化は身体的強化。勘も理性も幅が狭まる」


 斬りかかろうとした瞬間、地面から3本の雷槍が出現し、身体を貫いた。鮮血が飛び散り、俺は高杉の前に力無く倒れた。


「さぁ、帰ろう、琴葉」


 高杉は先程までの冷静な声から明るい声に変わり、音波の方に向かう。


「待て……高杉……」


 気力だけで身体の向きを変え、音波の方に向かっていく高杉に手を伸ばす。


「まだ息があるのか、見上げた男だ」


 雷槍が再び出現すると、音波が高杉の腕を掴む。


「もう……決着は着きました。だから……やめてください」

「そうか、お前がそう言うなら仕方がない! 命拾いしたな、天蓮玲一」


 死を覚悟したことは何度もある。九頭龍の時も、金剛の時もそうだった。今回は違う。奇跡が起きて、誰かが高杉を倒しても、俺は死ぬ。


「仮にも派閥の構成員。最後の挨拶ぐらいしとけばどうだ」


 高杉は下衆めいた笑みを浮かべ、音波にそうけしかける。


「……こうなってしまったのは、私の責任です。きっと、貴方は強くなります……奴隷なんかじゃ終わりません……だから、次は西条派の軍門に下って……平和な学園生活を過ごしてください。私は……大丈夫ですので」


 音波は震えた声でそう言うと、無理矢理笑みを浮かべる。


 ああ、なんだ、この不快感は。


「お前は……分かりづらいんだよ……いつも無表情で……」


 残っていない精神力を振り絞る。剣を地面に突き刺し、立つ。


「大丈夫なら……大丈夫そうな顔しろ……俺は単純だから……すぐ勘違いするんだよ……」


 剣を構える。視界は血で赤に染まっている。動けるかなんて分からない。


「俺は……お前を助けたい……きっと、それはエゴなんだろう。だから……」


 動いているかすら分からない脚で、身体を進める。


「絶望させてやる」


高杉は吐き捨てるようにそう呟くと、身体中に青白い雷が高杉を包み、一際大きな雷槍が出現する。


「模倣神器、天逆鉾あめのさかほこ


 魔法の核があまりにも多い。時雨の魔法よりも強い魔法。今の俺にはどうやっても斬れない。


「誰でもない……!音波琴葉の意志で選べ!」


 剣を振りかぶり、魔法の奥にあるものを見据える。


 これで、決まる。


 魔法に直撃する瞬間、景色が変わり、高杉の前に瞬間移動する。


「ありがとう、琴葉」


 俺はそう言って、目の前の首を斬り捨てた。俺に当たるはずだった魔法は彼の絶命と共に消滅した。


 頭痛と共に、景色が切り替わる。そこに映っていたのは薄暗い部屋の中で泣き叫びながら犯される琴葉の姿だった。


 景色が元に戻り、俺はフラフラの足取りで振り向くと、俺が元に居た位置に無傷の琴葉が立っている。

 彼女の転移で座標を入れ替えた。この能力があるのは知っていたが、使ってくれるかどうかは賭けだった。


 俺はよろよろした足取りで琴葉に近づく。


「すいません……私のせいでこんなに傷だらけに……」


 ビクビクしながら、そう言う琴葉を俺は力なく抱きしめる。


「嫌なら……振り払ってくれ」


 琴葉は首をゆっくりと横に振る。


「お前の……過去を見た」

「……失望しましたか?」

「ううん、逆だよ。ここまで……よく頑張ったな。でも、もう良いんだ。自由に生きていい。お前の過去がどうであれ、俺は受け止めるから。今まで……辛かったな」

「ありがとう……怖かった……」


 それだけ言って、音波は泣いていた。ずっと、ずっと、泣き続けた。とうに限界を迎えているはずの俺の身体から傷は消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る