第1章 序:奴隷の少女

1章1話「AD2065年:天狼学園」

 気がついたら、ここにいた。


 ここがどこかは分からない。自分が誰なのかも分からない。現実を認識しようと手を握り、そして開く。恐る恐る顔を触れても、そこには柔らかい人の肌があるだけ。それを確認しただけで俺は一気に冷静さを取り戻す。普通の人なら慌てたり、喚き散らしたりするのかもしれないが、俺は至って冷静で、自分がそういう存在であるという事実に一番自分が驚いていた。


「……ぁあ」


 意志に反することなく、声が出る。その当たり前の事実に安堵を覚える。闇の中で何か大事な作業をするように、漠然とした不安を一つ一つ取り除いていく。


 近くに噴水があったので、水面を覗く。特別な痣や傷などはなく、普通の人間の顔をしている。身体も触ってみるが、特に不思議なことはない。強いて言うなら痩せ型で筋肉がそれなりについている。化け物のような類いに変化はしていないようだ。自分の常識が正しいのかが分からないので、実際のところはなんとも言えないが。


 辺りを見回ても普通の人間しかいない。少なくとも、異世界などではないらしい。だが、服は特徴的だ。ほとんどの人が同じ服を着ている。ちなみに俺はその服を着ていない。


 次に背負っている鞄だ。1冊のノートだけが入っており、とりあえず開く。


『これを見ているということは、貴方は記憶を失っているということです』


 筆跡は女性のもので、十中八九俺の物ではないだろう。

 それにしても、記憶がなくなっていることを予言されているとは、一体何があったのだろうか。


『なので、貴方の個人情報を事細かに記しておきます。貴方の名前は天蓮あまはす玲一れいいち、生年月日は2049年5月17日、恐らく本日は2065年6月4日、つまり、貴方は17歳の高校2年生ということです』


 高校2年生、親は心配していないのだろうか。


『そして、貴方がいる場所は我が国、日本が誇る特別国立学園の1つ、生徒数約3000人の巨大な学園、天狼学園です。貴方は本日この学園に転入しましたので、校内に肉親はもちろん、知人はいないはずです』


 俺の問いに答えるように無常な言葉が書き連ねられている。先程のあの服は恐らく制服だったのだろう。


『この学校で残った約2年間の学園生活を好きなように過ごしてください』


 そこでメモは終わっており、次のページをめくると、左のページにはバスの時刻表、右のページにはざっくりとした学園全体の地図が載っており、それ以降のページは全て白紙だった。随分と投げやりなものだ、訳のわからない現状に訳の分からないことがつらつらと書き連ねられて何が分かるというのだろうか。


 記憶に関しては、不安に思っても仕方がないのでひとつでも多く情報を集める方が先だ。


 5分ほどすると、近くのバス停にバスが到着する。目的地はないが、何も目的がないということを他人に悟られることになんとなく嫌気が差し、バスに乗り込んだ。


 座席に座り、ノートに書いてある地図を眺める。この学園は7つに分かれており、巨大なドーナツを大小合計6個に分けたような地区分けがなされ、図の中に短い解説が書かれていた。


 4つの巨大な校舎から成る、第1区『学園本部』


 寮や家などが立ち並ぶ、第2区『住宅街』


 森や山で出来た、第3区『自然公園』


 ショッピングモールなどの商業施設が多く存在する、第4区『歓楽街』


 7つの競技場兼闘技場が存在する、第5区『武闘街』


 役所や相談所などがある、第6区『総務区』


 中央に位置する立ち入り禁止の地区、第7区『緊急区』


 とてつもなく広いが、学園内にバスや電車が通っており、交通には困らないようだ。とりあえずは現状を知りたいため、第6区に向かうことにした。不正侵入などで捕まるのは御免だ。

 

 しばらくすると、校内役所という建物に到着する。外見は真っ白でどこか現実離れした感じだったが、中は至って普通の建物だった。


 中に入った瞬間、不思議と少し身体が重くなったように感じた。


 転入手続きのカウンターには誰も並んでいなかった。6月に転入してくる生徒など殆どいないのだろう。本当に転入しているのであれば、ここで受け付けてもらえるはずだ。


「天蓮玲一さんですね?」


 ノートに書いてあった名前を受付の女性から笑顔でそう尋ねられる。気難しい人ではないらしい。


「そうです、天蓮……玲一です」


 どこか他人を演じているようで気恥ずかしかったが、彼女は別段疑問に思っているようではなかった。


「担当の久坂、久坂くさか有栖ありすと申します。天蓮さんと同じ歳ですので、楽になさってください」


 役所にアルバイトというのは考えにくいが、ここでは有り得るのだろうと無理矢理自分を納得させ、久坂さんと机を挟んで座る。


「始める前に身体検査をさせて頂きますが、大丈夫ですね?」


 身体検査をするのか。別に持っていなかったと思うので、素直に了承すると、俺の椅子の近くの床が一瞬光る。


「はい、問題ないです。刃物も電子機器もないようですし、手間が省けて助かります」

「電子機器も?」

「ええ、この学校はセキュリティ保持の都合上、校外と交流ができないようになってるんですよ」


 流石は特別国立高校と言うべきか、少々怖い気もするが、仕方ない気もした。

久坂さんはせわしなく動かしていた手を止める。


「せっかく時間もありますので、この学園のことを話しましょうか?」

「良いんです?」

「ええ、思ったよりも知らないように思えたので」

「じゃあ……よろしくお願いします」

「ふふっ、同じ歳ですし、敬語じゃなくて結構ですよ」


 久坂さんはそう言ってから、改めて説明を開始する。転入生という立場でなければ、こうはいかない。俺が転入生であることは紛れもない事実らしい。


「まず、この学園には通常の学園とは大きく異なる点が3つあります」

「3つ?」

「はい、1つ目は先程言った情報統制です」


 久坂さんはそう言うと、机の引き出しから見慣れた電子機器を取り出す。スマホというやつだ。ここまで常識が備わっていると、自分が本当に記憶喪失なのか心配になってきてしまう。


「校内ではこの携帯電話を使ってもらいます。一部制限はありますが、ご自由に使ってください」


 そう言うと、彼女はあるアプリを開き、俺に見せる。そこには+20000円と書いてあった。


「これは?」

「校内で使える仮想通貨です。月初めに人によって振り込まれるので、好きに使ってくれて構いません」


 人によって変わると思うが、なにもしていないのに2万円の支給は多すぎるだろう。嬉しいことではあるが、どこか騙されている気もしてしまう。


「ちなみに、金額は一律ではありません」

「じゃないのか?」

「はい、これが2つ目で、学園の核となる『階級制度』です」

「階級制度?」


 良い気持ちはしない名前だ。内容も知らないというのに心の底の方で嫌悪感が渦巻いているのが分かる。


「この学園の生徒は『奴隷』から『皇帝』までの12個の階級のいずれかが与えられています」

「上だったら何か良いことでも?」

「この学園はテストがありません。階級に応じて、成績が決まるからです。その成績を使うことで希望の大学、就職先に試験無しに進むことができるんです」


 にわかには信じ難いが、国家の直属の学園であれば、そんなこともあり得るのだろう。


「ですが、入学して少しすれば、そんなことを覚えている人はほとんどいません」


 そんなことがあるのか。国家直属というのなら、きっと志も高く、頭も良い生徒が揃っているはずなのに。


「階級制度にはもうひとつの特徴があるからです。少し後ろを見てみてください」


 言われた通りに後ろを向くと、体格の良い男と細い男の2人組みが『階級書き換え』というカウンターの前にいた。体格の良い男だけが椅子に座り、細い男は多くの荷物を持ちながらも、横で微動だにせずに突っ立っていた。


「彼は自分の意志で動いていないと思いますか?」


 あの身体には似合わない大荷物。近くには誰も座っていない椅子がある。座らない方が不自然だ。


「彼はきっと『動くな』と命じられたのでしょうね」

「命じられた?」

「階級上位の人間は下位の人間にいかなる命令を下すことができる。これが天狼学園の絶対なる掟、『階級制度』です」


 国家直属とは思えない前時代的な掟に不信感を感じてしまう。本当にこんなものが存在して良いのかと。


「例外はないのか?」

「もちろんあります。金銭の強奪、性的脅迫に関する命令、現実の死を直結させる命令などは禁止です」


 極端な話、『死ね』などの命令は下せないということなのだろう。だが、『現実の』というところが妙に引っかかった。


「もし、違反すれば、学園を追放となり、然るべき法的処置を受けることになるのでくれぐれも気をつけてください」

「実際に違反者は?」

「もちろん、いたことはあります。それも前年度に1人」


 思ったよりも最近で少し衝撃を受ける。なにをしたのかを聞こうと思ったが、想像以上の事態の可能性もあるため、気が引けた。


「階級の変動を起こす方法は主に『交換』、『戦闘』の2つです」


 交換はなんとなく分かるが、戦闘だけやけに物騒で想像ができない。殴り合いでもするのだろうか。


「交換はその名の通り、任意で階級を交換すること、命令で強制することは制度違反です」


 そう言うと、先程の机の上にピラミット状の分布図が映り、それぞれの定員が表示される。4位の辺境伯は10人、3位の公爵は5人、2位の王・女王は男女1人ずつ、1位の皇帝は1人となっていた。


「ですが、結局のところは戦える人がこの学園では強いんです」

「戦うっていっても、なにで戦うんだ?」


そう言ったものの、生徒が殴り合いをする学校とは考えにくい。

 

「魔法ですよ」

「……魔法?」


 急に飛び出る一際現実味のない言葉に自分の耳を疑う。


「少し、外に出ましょうか」


 久坂さんに連れられて、扉を抜けた瞬間、身体が浮遊感を覚えた気がした。入った時とは逆の感覚だった。


「今、身体が軽くなった気がしませんでしたか?」

「気のせいだと思ってたけど、やっぱりそうだったのか」

「この学園には『ジュピター』というバーチャルを現実に投影するシステムが張り巡らされています。システム下では実際よりも身体に補正が入るため、身体が軽く、より動きやすくなるんです。建物の中に入ると遮断されるようにもなってるんですよ」


 だから、入った時は身体が重くなった気がしたのか。疑問は一つ解けたが、目の前の疑問が大き過ぎて解決した心地がしない。


 久坂さんは「少々お待ちください」と言って、自分の携帯を取り出して、忙しなく指を動かす。


「はい、今申請してきました」

「申請?」

「理事会職員は許可なく魔法を使ったらダメなんですよ、危険ですから」


 そう言うと、彼女は右手を掲げる。すると、その手のひらに槍が出現する。彼女はそれを器用にクルクルと回し、構える。


「どうです? 様になってますか?」


 久坂さんはニコニコしてそう言うが、その華奢な身体でよく自在に操れるものだ。


「『ジュピター』で使われる戦闘方法は主に2つ、武器と魔法です」


 シンプルで分かりやすいが、現代の学校での出来事だとは思えない。魔法学校かなにかだろうか。新しいことに直面しすぎて、なにがあっても驚かないぐらいには冷静だ。


「武器はこういう槍や、剣、人によっては弓矢なんて人もいますね」


 そう言うと、久坂さんは槍を置き、もう一度右手を掲げる。


「そして、これが魔法です」


 彼女の右手が青白い光に包まれ、バチバチと音を立てる。驚きはしないが、見た事の無いものに単純な恐ろしさを感じる。


「雷撃」


 一際大きな音が鳴り、彼女の右手から青白い稲妻が空に発射される。稲妻は天高く駆け上がり、彼方に飛んで行った。


「凄いな……」


 自然と声が漏れる。少なくとも、俺の持っている常識にこんなものはない。だが、一方でそれを受け入れられている自分もいた。記憶がない分、あっさり受け入れることもできるのかもしれない。


「魔法の出し方はシンプル、イメージして放つだけ」


 再び久坂さんは自分の右手に雷を纏い、役所に向かって放つ。一瞬焦りを覚えるが、止める前に放ってしまったので止めようがない。


「ああ、大丈夫ですよ」


 雷撃は役所に当たる直前に紫の障壁に阻まれ、消滅した。


「建物には魔法がぶつかっても傷1つ付きません」


 便利なものがあるものだ、と思ったが、バーチャルなのだから当然か。


「ちなみに武器と魔法の強さに関しては、魔法の方が圧倒的に強いです」

「圧倒的に……?」

「はい、優先度の差で武器は魔法に勝てません」


 久坂さんは左手に雷の魔法弾を作り、右手に槍を取る。そして、魔法弾を上に投げる。


「そい」


 可愛らしい声と共に槍を魔法弾に向かって投げる。すると、ぶつかった瞬間、槍は弾け飛ばされ、魔法弾はそのままだった。

 実際の戦闘の時にああも簡単に弾かれてしまってはどうしようもないな。


「ですので、頭の良い人はこんなことを考えた訳です」


 久坂さんは槍を再度掴み直し、再び雷の魔法弾を作り、上に投げる。


「魔力注入、魔槍化」


 槍が赤い光に包まれ、刃の部分が紅く染まる。


「そーーれ!」


 再び可愛らしい掛け声と共に槍を投げるが、速度は段違いに変わり、とても声の主が投げたものとは思えない。そのまま、槍は魔法弾を貫き、上空で破裂させることに成功した。


「武器に魔力を注入することで、優先度をなくせるってことか」

「そういうことです」


 理論は分かるが、現実味がない。


「さて、帰りましょうか。早く手続きも済ませないと」



「はい、これで終わりですね」


 戻った久坂さんは人が変わったように作業を進め、あっという間に終わってしまった。

 

 彼女は引き出しから箱を取り出し、俺の前で開ける。


「学生証、校章、携帯電話、自室の鍵、制服、どれもなくしたら大変ですので、しっかり管理しておいてください」

「分かった」

「校章ですが、皇帝は水晶、王・女王は金、公爵は銀、辺境伯は銅のような色にそれぞれなっています。それ以外はほとんど変わりませんが、奴隷だけは校章が付いていません」


 奴隷はもはや学園の生徒ではないということか。この学園の思想が透けて見えるようで、少し気分が悪い。


「そういえば、俺の階級はなんなんだ?」


 校章があるということは奴隷ではないが、高いに越したことはない。


「天蓮さんは階級10位『庶民』ですね」

「下から3番目か……」


 なんとも微妙な位置だと思ってしまいそうだったが、転入生なのだから最下位でなかっただけでありがたいと思おう。


「上の人を倒すだけで上がります。簡単ですよ」

「どこでも戦って良いのか?」

「もちろんです。学園内でも放課後や学校が始まる前の時間までは好きに戦えます」


 ということは朝の登校の段階で襲われる可能性もある。あまり目立たない方が身のためだろう。


「最後に魔力の測定をしますね」


 俺が頷くと、座っている椅子の真下の床が再度光る。


「出ました。放出可能力:Sランク、保有可能力:S+ランク、魔力密度:Sランク、総合推定魔力はS〜S+ランク」

「……高いのか?」

「はい、学園トップクラスの中でも稀に見るほどの」


 そう言われても、にわかには信じられない。だが、そこまで言われて悪い気はしない。


「正直私も驚いています……」

「そういえば、どうやったら魔法は出るんだ?」

「使いたい魔法をイメージすれば簡単に出ます。感覚と言った方が早いので、実戦をすればすぐに使えるようになりますよ」


 久坂さんは「ですが」と言って、そのまま続ける。


「油断はしないように。数値はあくまで机上のもの。実戦ではなにが起こるかは分かりません」


 そう言うと、久坂さんは剣を取り出し、俺に渡す。かなり重かったが、案外普通に持つことはできた。


「魔法に慣れるまでは帯刀しておいてください」

「分かった、ありがとう」


 貰った物を全て鞄に入れ、俺は役所を出る。


「久坂さん、良かったら連絡先教えてくれないか? まだまだ聞きたいこともあるし……」


 見送りに来てくれた久坂さんにそう頼むと、彼女は少し照れたような表情を見せる。


「い、良いですよ……」


 久坂さんに携帯を渡し、登録してもらう。その瞬間、今日一日抱えていた不安が弱まった気がしたのは、それが普通の学生らしい行動だったからだろう。


「天蓮玲一さん。悔いのない学園生活を」

「今日は助かったよ。本当にありがとう」


 そう言って、俺は駅に向かい、第2区『住宅街』にある自分の家に戻った。


 ロビーで鍵を受け取り、自室に入る。中には備え付きの家具があり、疲れからか、そのまま眠りに就いてしまった。

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