第31話 生還への兆し
エルティナの氷結魔法は凄まじい威力であった。一瞬にして一面を極寒に変え、氷の牢獄へワイバーンを閉じ込める。間近でその衝撃を受けたキースは、ワイバーンと同様にその左半身を凍りつかせた。
朦朧とする意識の中、身体に温かいものが流れてくるのを感じる。それがエルティナの魔力なのだとなんとなく理解出来た。優しくて温かい。そんな力であった。
次の瞬間、死を予期させる力の奔流をキースは感じ取った。
それが何なのかすぐに理解できた。
その凄まじい力が、強烈な殺意が、キースとエルティナに注がれる。
頭で考えるよりも先に身体が動いていた。
エルティナを押し倒し、覆い被さるように上になる。
直後、背中に襲いかかる灼熱の獄炎。
またたく間にキースは火の渦に飲み込まれる。
肉が焼かれると共に身体中に耐え難い痛みが襲ってくる。熱せられた空気が喉を焼き、呼吸さえ満足にすることが出来ない。
地獄の苦しみ。まさに獄炎にとはこのことだ。
そんな苦しみの中、キースはただひたすら耐え続けた。
耐えなければならなかった。
もしキースがここで耐えきれずに気を失えば……
だからキースはこの苦しみを受けいれた。
死物狂いで苦しみに耐え、迫りくる炎をその背に受け
力の限り【身代】を使用し続けた。
キースに魔法など使えない。
炎を防ぐ手段など持ち合わせていない。
だからキースは、己に出来る事をした。
炎がキースを覆い尽くす。
皮膚が爛れ、脂肪や筋肉を燃やしていく。
こんな状況でもキースが即座に死ぬことはなかった。
人体の半分以上は水分だと言われている。
そのためすぐに燃え尽きるということはなかった。
肉が焼け崩れ、熱せられた内臓が腹からこぼれ落ちる。
多分に水分を含んだそれがジュウっと音を立てて表面を蒸発させていく。
しかし
それでもキースは耐えていく。
もはや意識など有って無いようなも。
意識という残滓が、ただひたすらキースを耐え支えていた。
永劫とも思える長き間、吐き出される炎。
それもやがてそれは終わりを迎える。
すでにキースの身体の一部は炭化し、体を動かす事は不可能であった。炎が止むと同時にキースはその場に崩れ落ちる。
だがキースは耐えきった。
身代によってエルティナは獄炎に焼かれることなく無事生き長らえる。
しかし、それまでだった。
キースは動くとができない。
瞬きすることすら出来なかった。
すでに目は潰れ蒸発し、エルティナの姿を見ることすら出来ない。
虚空の穴は、前に居るであろう彼女へと向けられる。
地面から伝わる振動が、ワイバーンが近づいてくるのをキースに伝えていた。
だがキースには何もすることが出来ない。
もはや生きているのか死んでいるのか、それすらわからないその身体では。
何もすることが出来なかった。
「……ぁ”ぁ”…………」
ワイバーンの尾によってエルティナは吹き飛ばされる。
「……ぅ…ぁ”……」
だがキースは何も出来ない。
目は潰れ、耳が破れ、身体は炭とかす。
身代すら使えない。
エルティナが殺されるのを、ただ見過ごすことしか出来ない。
「……ぁ”……ぁ”…」
突如キースの身体に激痛が走る。骨身が焼かれ、身体全てがグズグズに溶けていくような、例えようのない激痛が絶え間なく襲ってくる。身体が熱く、その全てが燃えるように、形がなくなるまで溶かされるよな。そんな痛みに全身を支配される。
この痛みは先程のワイバーンに身体を焼かれる痛みとは全くの別物である
その両者とも耐え難い苦痛である。
しかし___
この痛み____
キースは静かに笑っていた。
激痛の真っ只中、全身を貫かれるような、細切れにされるような、そんな痛みの中、キースは笑わずにはいにられなかった。
「あり…が………たい………!」
この場に居ない人物に感謝する。
この時、これ以上絶好の瞬間はないだろう。
キースは
焼けただれた肉体に力を入れ、しっかりとした足取りで前を進む。
「最高…だ…ぜっ………ソフィア…っ!」
下僕___魂の奴隷___
それがどうした。
そんなもの、キースにとってはどうでもいい。
今この瞬間、立ち上がることが出来た。
それが全てだ。
ならば、キースが今やるべきことはただ一つだ。
エルティナに止めを刺そうとしているワイバーンに、キースはナイフを投げつける。こんな小さなナイフでは傷一つ付けることは出来ないだろう。だが、それでいい。傷つける必要はない。ワイバーンの意識を、自分に向けれさえすれば。
思った通り、ワイバーンはキースの方に注意を向ける。そして、その姿を確認し驚いた表情をしている。竜種の表情などキースにはわからない。だが今目の前のコイツは確実に驚いている。それが手にとるようにわかった。
それでいい。
俺を見ろ。
「もう、大丈夫だ。」
倒れているエルティナに身代を使用。これで大丈夫、彼女の怪我は完治した。怪我がキースの身体に反映される。崩れ落ちそうになるのを、意地でも堪える。
エルティナが動くのが見えた。
そんな彼女にキースは優しく語りかける。
「もう大丈夫だ。 _____必ず、君を守るっ!」
キースの姿を確認したワイバーンは明らかに混乱している。虫の息だった人間が、こうして目の前に立っている、その光景が信じられないのだろう。
その姿を見て、キースは思わず吹き出してしまう。
「ワイバーンってみんな同じ反応するんだな。」
キースは亡骸になっているワイバーンの方を指差しす。このワイバーンもキースの復活を目にした時、かなり混乱していたのを思い出す。もしワイバーンが知性も何もない生き物であったら、このような反応はしなかっただろう。なまじ高い知性を持ち合わせているからこそこういった混乱をまねいているのだろう。
ワイバーンは混乱し、そして警戒しながらキースを睨みつける。その反応にキースはほくそ笑む。
「そう、それでいい。お前の相手は俺だ。目を離さずこっちを見るんだ。」
挑発するようにワイバーンに話しかける。無論人間の言葉がわかるわけではないのだろう。それでも構わずキースは話しかけるのを止めない。
「お前もさぞ混乱してるだろう。その気持ちはわかる。俺だって最初は結構混乱したもんだ。」
言葉巧みにワイバーンの注意を己へ向けるよう誘導する。身振り手振りで、大げさに動き、一挙手一投足をもってワイバーンを引きつける。
キースはゆっくりと亡骸の方へ歩いていく。それに反応したワイバーンは口を開けて唸り声を上げる。それでもキースは歩みを止めない。そして亡骸へたどり着くと、その身体に刺さっている剣に手を伸ばしそれを引き抜く。
引き抜いた剣を肩に担ぎ上げ、挑発するようにしてワイバーンの方へと手を向ける。
「ほら、来いよ? これがこのワイバーンに止めを刺した剣だ。お前も同じようにしてやるよ。」
直後、ワイバーンが跳躍する。その巨体を感じさせぬ凄まじい速度でキースへと迫りくる。圧倒的な質量がを襲う。剣で受け流そうとするが、その勢いを全ていなすことは出来ず、吹き飛ばされる。
勢いそのままワイバーンはキースに追撃するべく尾を振り下ろす。まともに喰らったキースは地面へと叩きつけられる。受け身を取るとか、そういう次元ではない。その一撃で身体中の骨が砕け散り、折れた骨が肉を突き破る。どう考えても致命傷。命を失ったとしても不思議ではない。ただの人間ではもう動くことすら出来ないだろう。
しかしそれでもキースは笑う。
「…グハッ……ごほっ……ごほっ…… お前も…大した事…ねぇな…」
地面にへばりつくようにしながらも、頭を動かしワイバーンを見つめ、皮肉たっぷりと嘲笑う。
「どうした…… 俺は、まだ…… 死んで…ねぇ…ぞ…」
ザッシュ!!!
ワイバーンの尾がキースの背中を貫く。
地面に縫い付けられるような形となり、動くことすらままならない。それをワイバーンはじっくりと眺めるようにキースを睨みつける。
「…へへっ……」
キースは死に体になりながらも、嘲るように笑ってみせる。
ワイバーンが激高するのが分かった。怒るワイバーンは地面に縫い付けた尾を勢いよく持ち上げる。そして突き刺したキースを天高く打ち上げる。
宙高く舞うキースの身体。
それはやがて重力に従い、速度をもって地面へと激突する。
肉が潰れる嫌な音が森に鳴り響く。血の花を咲かすキースの肉体をワイバーンは睨みつける。ピクリとも動かないその肉塊を確認したワイバーンは、エルティナの方へと歩み始め___
「……ごほっ……」
振り返るワイバーン、そこには朽ちた身体をゆっくりと動かし、血だらけの顔をこちらに向けるキースの姿があった。
「…おい……俺はまだ……元気だ…ぜ…」
剣を杖のようにし、ゆっくりと立ち上がる。震える膝を気合で支える。
身体の感覚は、これが痛みなのか何なのかもはやよくわからない。
しかし、それでもキースは笑ってみせる。
このまま倒れていた方が楽だろう。
死んだふりさえしていれば、ワイバーンはキースを見逃すだろう。
そうすれば、何事もなく無事生還出来るだろう。
クソ喰らえだ
「そうだよ……な…。諦めの…悪さ…が……俺の…だ。」
「ググギァアアァーーーーーーーーーーーー」
ワイバーンの咆哮をその身に受ける。身の竦むような迫力、だがキースを退けることは出来ない。
「キャンキャン吠えてないで、襲ってきたらどうだ。」
「グオォォー」
キースへ向かって突進する。口からは赤い炎の光が見て取れた。
巨大な口を大きく開き、キースへ向かって灼熱の吐き出____
「 氷結槍ッッ!! 」
地面から突き出された巨大な氷槍が突如ワイバーンの目前に現れる。いきなりの出現にワイバーンはそれを回避することが出来ず、顎下をモロに貫かれる。
「グギギギャーーーーー」
顎を貫かれたことで強制的に閉じられた口、そして行き場を失った炎が、破裂するようにワイバーンの身を襲う。
「はぁ……はぁ……」
ワイバーンを挟んで森の反対側、そこに顔を真っ青にし肩で息をするエルティナの姿があった。彼女は震える膝を手で支えながら、しかし力強い目で前を見据えていた。
「はぁ…はぁ…… 私も役に…」
突然出現した氷結の槍の正体は、エルティナが放った魔法であった。体力を消耗し、疲れが見えるその様子に、キースは、しかしながら力強いものを感じる。
「エルティ…ナ…」
「はぁ…はぁ… キース…さん…」
エルティナはキースを上回る冒険者だ。キースごときに守られるだけのひ弱な存在ではない。それを感じさせる力強いものをその目に宿していた。現にエルティナの一撃はワイバーンに確実に手傷を負わせるものだった。
ならばキースがやるべきことは、決まっている。
身代を使いエルティナの体力を回復させる。顔に赤みが戻り、震える膝も今はしっかりとしている。
「…エルティナ」
キースの問い掛けに、エルティナは肯いて応える。
「…絶対に二人で…生還するぞ…っ!」
「…はいっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます