第30話 獄炎

 時が止まる


 凍てつく氷


 極寒の嵐が吹き荒れる。


 生きとし生きるもの。


 それらすべてが氷尽くされる。


 そう錯覚してしまうほどの現象。


 それらがこの場を支配した。




 エルティナが放った氷結魔法。


 凍てつく氷柱はワイバーンを覆い尽くした。

 氷柱からは幾多もの氷槍が突き刺しワイバーンを貫いていた。

 氷像となったワイバーン。

 森の中にそびえ立つ巨像はどこか神秘的にさえ思えるものであった。


「はぁ… はぁ… はぁ…」


 肩で息をし、口から白い息が吐き出される。疲労困憊といった様子をみせ、今にも倒れ落ちそうであった。一気に魔力を放出した事による魔力酔い。体力の消耗、血の気は失い唇は真っ青になり、そして意識は混濁していた。


 術者にとっても危険な極大魔法、その反動は軽視出来るものではなかった。しかしその威力は絶大。目の前の現象がそれを物語っていた。


 激しい吐き気、そして頭痛、それらが襲う中、エルティナはなんとか意識を保つ。まだ倒れるわけにはいかなかった。


「はぁ… はぁ…  キース…さん…。」


 氷像となったワイバーン。そこにキースの姿はなかった。

 エルティナは周囲を見渡す。

 

 エルティナが魔法を放つ瞬間、キースがワイバーンから離れていくのを彼女は知覚していた。だが手加減などはすることは出来なかった。もしあの場でそんな事をすれば、ワイバーンを仕留めることは出来なかっただろう。


 エルティナは必死にキースの姿を探す。




 そしてそれは見つかった。


 ワイバーンから少し離れた場所。

 そこにキースは横たわっていた。


「はぁ… はぁ…  キースさん…」


 おぼつかない足取りで、キースに近寄ろうとする。途中足をもつれさせ転倒してしまう。身体に力が入らず無様にも顔面から地面に激突してしまう。顔を上げ、鼻血を拭いゆっくりと立ち上がる。そしてまたたどたどしい足取りでキースの元へと歩み寄る。


 エルティナがその歩みを止める。


 そこには左半身を氷漬けにされた姿のキースがいた。

 

「はぁ… はぁ…」


 ゆっくりと腰を下ろし、手を伸ばしてキースを抱きかかえる。

 氷漬けにされた左半身は冷たく、体の熱を奪っていく。特に左腕は完全に氷結しており、二の腕より先が完全に砕け散っていた。不幸中の幸いか、傷口が凍って塞がっている為、大量出血する心配はないようだ。



 エルティナはキースの胸に顔を近づける。


 力強い鼓動が聞こえてくる。


「はぁ… よかった… 生きて…る…」


 キースが生きていたことに安堵し胸を撫で下ろす。


 一緒に行動してまだ僅かな時間ではあったが、キースのその人となりはエルティナに好印象を与えていた。同じく同行することになったザイルの性格がアレだったこともあり、余計好感を抱く結果になってはいたが。それを差し引いたとしてもおそらくはそう違わない印象を抱いていたであろう。


 そんなキースをむざむざ死なせるのは忍びなかった。

 たとえ他人であっても、見捨てることは出来なかった。


 結果として、こうして二人とも無事生き残るできたのだ。

 その事に喜び安堵し、ほっと一息つく。


 だがまだ気を失うわけにはいかない。


 エルティナは腕の中にいるキースを見つめる。全身ボロボロで、体の一部が氷漬けである。いくら生きているとはいえ、安心して良い状態ではない。


「……ふぅ……」


 意識を集中させ、体内に残っている僅かな魔力を循環させる。練り上げたその魔力を手に集中させキースへと流し込む。そしてキースの身体と自分の身体を繋げるような感覚で魔力を循環させる。


「……はぁ… …はぁ……」


 練り上げた魔力により身体を活性化させ、生命力を向上。その場しのぎの応急処置である。本来であればスキルや回復魔法で治療するべきであるが、残念ながらエルティナはそのどちらも使えない。だが、それでもやらないよりは幾分マシであると言う考えだ。


 キースの顔色がいくらか良くなったような気がする。それを確認し、エルティナは静かに微笑む。


「…よかった……。 これで、しばらくは大丈夫…だよね。はは……」


 そして崩れるようにキースに覆いかぶさる。


「…はは……、あたしも、少し……疲れ…ちゃった……。ほんの少し、休憩…するね……」


 瞳を閉じ、ゆっくりと呼吸をし、そして静かにその意識を手放し____






 バキッ




「 ……え?」


 何かが崩れるような、砕けるような、そんな音かエルティナの耳に届く。


 重い瞼を開き、顔を上げ、そして____



「……うそ…」




 エルティナの渾身の一撃。


 そのすべてを賭けた氷結魔法。


 それにより氷柱へと姿を変えたワイバーン。


 動くはずのない氷像。






 それがゆっくりと動き出す。




 身体に纏わりついた氷を音を立て剥がし、突き刺さる氷槍を砕きなながら。


 その瞳に憎悪の炎を灯しながら。



 閉ざされた氷の向こうから光が漏れる。

 それは次第に強く、そして大きくなっていく。

 ワイバーンの口から漏れ出す炎のゆらぎ。


「あ、ああ……」


 恐怖、混乱、絶望、それらの感情が身体を縛り、動くことが出来なかった。いや、たとえ意識が正常だったとしても、魔力を使い果たしたこの身体では満足に動くことも出来なかったであろう。

 


「_____ゥゥウグォオオオオーーーーーー!!!」


 纏う氷が砕け散る。


 唸るワイバーン、その口から凄まじい熱量の炎が吐き出される。


 竜の吐息


 圧倒的なまでの獄炎が森を真っ赤に染め上げる。


「あっ…」


 目の前に迫ったと認識した時には既に遅かった。とっさに目を閉じ身を固くする。次の瞬間、まるで質量が伴ったかのような衝撃が身体に襲いかかる。


 エルティナは地面に叩きつけられる。


 身体に襲い来る熱、肌を焦がす感覚、肉が焼ける匂い。

 それらを感じ取る暇も無く、周囲は獄炎に包まれた。


 死


 それを自覚するには十分な炎であった。脆弱な人間では耐えることの出来ない死の炎。それに焼かれて生きていけるはずがなかった。


 ゆっくと炎に包まれながら、ルティナは自分の死を意識した。



 だが



 何かおかしい。



 確かに炎はこの身を焦がし、焼き尽くすしたはずだ。

 なのに何故まだ……


 この肉の焼ける匂い、肌を焦がす感覚、圧倒的な熱量。

 それらは確かに存在した。

 なのに何故……


 あまりの恐怖に痛みを感じなくなったのか……

 それともあまりにも強大な炎のせいで痛覚すら燃やし尽くされてしまったのか…



 焼けて潰れ、使い物にならないであろう瞳を、ルティナはゆっくりと開ける。


「……え?」


 その瞳に写ったもの。


 その光景がエルティナには信じられなかった。





 地面に押し倒されたルティナの上、そこにキースが覆い被さっていた。

 まるでワイバーンの炎からエルティナの身を守るかのように。

 いや、実際守っているのかもしれない。

 キースは焼けただれた顔に笑みを浮かべ、エルティナを見つめていた。


「……キース…さん…?」


 何…どういうこと…?


 エルティナ混乱する。


 未だ吐き出されるワイバーンの炎は周囲を焼き払い、その圧倒的な熱量、二人は炎に包まれていた。


 しかし、エルティナは無事であった。


 いくらキースが盾となったとしても、それで炎の全てを防げるはずがない。事実、エルティナの周囲の草木は燃え上がり灰となっている。実際エルティナは炎の熱を肌で感じ取っていた。そしてこの鼻につく肉が焼ける匂い、それも確か感じ取っていた。しかし、炎がエルティナの身を焼くことはなかった。


 まるで何かに肩代わりされているかのように。



「…ぁ… ……ぁあ………」


 絶え間なく吐かれる炎、焼かれ続けるその肉体。

 すでに身体の一部は炭化し人のそれではなくなっていた。

 

 しかし、それでもキースはエルティナの上から動こうとはしなかった。

  




 永遠とも思える長い時間


 ワイバーンから吐き出された炎は、次第に威力が収まっていく。

 そして完全にそれが止まった時、同時にキースはその場に崩れ落ちた。



 エルティナは身体を起こし、倒れるキースの身体を支える。

 腕で支えたそれは、すでに肉体とよべる物ではなかった。


 炭化した身体は赤く熱を持ち、支えるエルティナの腕を焼いていく。

 自分の腕がその熱で火傷してく中、それでもエルティナはキースを支え続けた。



 エルティナは、ただただソレを見つめていた。


「……キースさん… …キー…   …起きて…下さい…よ…… ねぇ…」


 わかっている。


 頭では既に理解していた。


 でも感情がそれを否定していた。


 だからエルティナは、ただひたすら声をかけるしかなかった。


「…ねぇ…… 起きて下さい…… ねぇ…  起きて…よ…」




 __シュッ__



 空気の切り裂く音、そして訪れる衝撃。




 エルティナの身体が宙を舞う。


 ワイバーンから繰り出された尾による攻撃、それをモロに受けてしまう。勢いよく吹き飛ばされたエルティナはそのまま地面を何度も跳ねるように転がり、木にぶつかることで、ようやくその勢いを止める。


「……ぅ……」


 無防備な状態への一撃。


 エルティナは完全に行動不能へと陥った。手足は幾重にも折れ曲がり、内臓も深く損傷、口からは大量の血が吐き出される。


 重傷を負った事を不運と取るべきか、死ななかったことを幸運と取るべきか。


 だか、そのどちらだとしてもでも、次に訪れる結果は変わらない。


 エルティナには、もはやどうすることも出来なかった。


 大量の血液と共に身体から力が抜け落ちていき、弛緩した身体から様々なものが漏れていく。


 口から吐き出される血を、瞳から流れる涙も拭うこともできず。

 エルティナは芋虫のように地に這うしか出来なかった。


 ワイバーンの足音が聞こえてくる。その振動が地面から伝わってくる。エルティナに止めを刺すために近寄ってくる。


 身体中がボロボロで、顔を上げることすら出来ない。そんな力すら残っていなかった。



「……ごめん…な……さい……」


 もっと上手く立ち回っていれば、死ぬことはなかったかもしれない。もっと的確に状況を判断できていれば、キースは殺されずにすんだかもしれない。


 今更悔やんでも、もはやどうにもならない。ならば死ぬその前に、せめて謝罪だけでも。もはや動くことは出来ないその身体で最後に出来ることを。そう思いエルティナは謝罪の言葉を口にした。




 ワイバーンの歩みが止まる。



 ああ、止めを刺されちゃうんだなぁ……


 エルティナがそう思い、静かにその瞳を閉じる。

 あれほどあった痛みや苦しみも、もやは何も感じない。

 静かに己の最後を待っていた。 





___もう、大丈夫だ____




 静かな森の中、誰かの声が聞こえてくる。


「……ぁ……」


 その声を聞いて、エルティナは不思議と心が落ち着いてきた。

 身を挺してエルティナを守ったその人の声。

 今は亡き人の声。


 ああ、お迎えが来たのかぁ……


 確かに死ぬのは怖い。

 嫌だ。


 もで……


 一緒に逝く人がいるなら、それならそれでも良いのかも知れない……。


 そうだ、せっかく一緒に逝くのだ。ならせめて、そこで改めて謝罪しよう。


 心の中でそう思い、動かぬ身体に鞭打って、首を動かし顔を上げる。


「……キース…さん。 すみません…でした……。」


 顔を上げた先。


 そこにはキースが立っていて、優しくエルティナを見つめていた。

 エルティナにはそう幻視して見えた。


 幻のキースは、優しくエルティナに声をかける。






「もう大丈夫だ。 _____必ず、君を守るっ!」

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