第29話 極・氷結魔法
冒険者でも実力者と言われるC級上位。その後ろ姿が消えていくのを呆然と眺めていたキース。しかしそれも一瞬のこと、すぐに意識を戻しワイバーンに対峙する。
致命的な隙を見せていたキースであったが、エルティナが魔法を放ちワイバーンを牽制してくれていたお陰で難を逃れる形となっていた。
「エルティナ、すまないっ!」
「いえ大丈夫です! それよりもっ……!」
ザイルの敗走。それがもたらす意味。その事実を受け止めなければならなかった。
「いよいよもってやばくなってきたな。」
「あのクソバカ……っ」
忌々しげに吐き捨てるエルティナであったが、その表情は怒りとは別に焦りや困惑の色が見て取れた。彼女も余裕がなくなってきたのだろう。それも無理からぬことではあるが、冷静さを失っては助かるものも助からなくなってしまう。キースはなんでもないといった口調でエルティナに話しかける。
「こらこら、女の子がクソなんて汚い言葉吐くもんじゃないぞ。それに、あまり眉に力を入れすぎると、せっかくの綺麗な顔が台無しだ。女の子には笑顔が一番。おじさんはそう思うぞ?」
「……フッ 私もう女の子なんて歳じゃないですよ?」
「おじさんからしたらまだまだ。可愛らしい女の子だよ。」
「その女の子に助けてもらうおじさんって、少しかっこ悪くないですか?」
「ぐはっ! それは言わない約束でしょ。」
くだらないやり取りをしたおかげで、肩の力が抜け程よい力加減となりこわばった身体の硬さが取れていく。エルティナはキースに感謝しつつ、改めて気を引き締める。
この間もワイバーンの攻撃が繰り出され、それを受け止め、回避し、わずかばかりの反撃。それを幾度も繰り返す。なんとか状況を維持し、壊滅を防いでいるが、それもいつまで保つかわからない。
二人の疲労は確実に蓄積していく。特にキースのソレが如実であった。身代を使ったことで左腕を失った身体では、この攻防は負担が大きすぎた。そんなことはわかっている。だが状況を打開する一手が足りなかった。
このままでは……
エルティナは覚悟を決める。
疲労の色が濃いキースにエルティナは言葉を投げかける。
「キースさん。」
「……どうした。」
「___私が囮になります。その隙にキースさんは撤退して下さい。」
「何をバカ言って__」
「このままではジリ貧です。ならば撤退するしかありません。そして情報を組合に持って帰り、そこで討伐隊を結成しなければなりません。ですから、絶対に生きて生還する必要があります。だからどちらかが囮となり、もう一人を逃がす必要があります。……失礼を承知して言います。キースさん、貴方では力不足です。貴方程度の実力では囮にすらなりません。ですが、私ならかなりの時間を稼ぐことが出来ます。ですので、貴方は生きて帰り組合に報告して下さい。」
エルティナの考えは至極まっとうだである。今は個人の命より情報を持ち帰ることが優先である。一つの情報が沢山の命を救う事もある。だからこそ個人を犠牲にしてでも情報を持ち帰らなければならない。だからこそ犠牲を無駄にすることは出来ない。だがキースではそんな犠牲すらただの無駄になる。だからこそエルティナを自分の命をもってキースを逃がす選択をしたのだ。
「何をバカな事言ってるんだよこの娘っ子は。」
だが、その考えには一つ欠点があった。
キースは呆れた顔でエルティナを見る。
「年寄りから先に死ぬってのが世の常識だろうがまったく……。女の子を囮にして逃げでもしたら、それこそシルビァーナに殺されちまうよ。」
欠点、それはキースが思っていたよりも頑固だった事である。
「エルティナ、それは出来ない。たとえ死んでもそれを許すことは出来ない。生き残るべきは俺ではなく君だ。」
「キースさん!!!」
エルティナは怒りの声を上げる。何故従ってくれない! せっかく腹をくくったというのに、その決断にケチをつけるような真似をするなんて! 何故理解してくれない!? 今は言い争っている場合ではないというのに。それが腹立たしかった。
だがそんなエルティナの感情を他所に、キースは笑みを浮かべて受け流す。
「それと、何か勘違いしてやいないか? 確かに俺は下っ端だが、何も手がないワケじゃない。こんな時の為にとっておきの秘策ぐらい用意している。だからただ無駄死するだけじゃないぞ?」
「秘策……?」
「ああ。実際それで逃げ延びることが出来たしな。あそこで倒れているワイバーンだが……。アイツと一番最初に遭遇したのはこの俺だ。」
そう、キースは前にワイバーンと対峙している。そして生還しているのだ。その事実を知らなかったエルティナは驚いた表情をしてキースを見つめていた。
ただ、事実は少し異なる。キースは無事生還出来たわけではない、実際は無残にも殺されてしまっていた。だがその事を今は言う必要はない。あくまでエルティナに納得してもらう為のその場しのぎである。
「そういう事だ。だから君が無駄に命を散らす必要はない。」
ワイバーンの爪を剣で受け流し、弾き返す。だが疲労した身体ではすべてを弾き返すことが出来ず後ろに吹き飛ばされる。しかし、そんな状況でもキースは笑みを絶やさない。
「それに、まだ負けと決まったわけじゃないしな。エルティナ、まだ魔力に余裕はあるか?」
「ええ、これまで単発的な魔法しか使用していませんし、まだ半分以上残っています。」
「そいつぁ僥倖ってもんだ。」
ならばキースのやるべきことは一つである。たとえこの身がどうなろうと。
「___俺が時間を稼ぐ、その隙に特大氷結魔法を打ち込んでやれ。」
「でもキースさんっ!」
それは無理だ。キース一人ではそれほどの時間を稼ぐことは出来ない。だからこそこうしてジリジリと消耗しているのだ。
しかしキースは笑顔を絶やさない。
「大丈夫、なんとかする。言ったろ? 秘策があるって。だが、これは何度も使える手じゃない。一度限りの博打みたいなもんだ。失敗は出来ない。だからエルティナ、魔法に全神経を集中させるんだ。 その一瞬に全力を注ぎ込むために。その為の隙きを必ず作る。」
「でも……っ!」
エルティナの言葉を最後まで聞くことなくキースは走り出す。
言葉ではエルティナを納得させることは出来ない。だからこそ、既に動き出す事でその状況を作り出すことにしたのだ。
「うおぉぉーーー!!」
キースは吠える。
少しでも己の存在を大きく見せるために、少しでもワイバーンの注意をこちらに向けさせるために。
自身に近寄ってくる人間にワイバーンは己の爪を繰り出す。小さな虫けらを叩き潰すように。
体重の乗ったその攻撃をキースは剣で受け止め、そして受け流す。
しかし、これまでと同じようには行かなかった。これまでは攻撃を避けるために、身を躱しながら攻撃を受けてきた。だが今回は自分から突撃しそして攻撃を受け止めたのだ。逃げながら受けるのと向かいながら受けるのでは、その衝撃はまったくの別物である。当然剣にかかる衝撃は比べるべくもない。
当然その勢いを受け止め切ることは出来なかった。
攻撃を受けた剣は簡単に砕け散る。そして剣を砕いた爪はその勢いのままキースの胸を切り裂く。傷口から大量の血が周囲に撒き散らされる。
しかしキースは止まらない。
剣が砕け、肉が裂かれ、それでもその足を止めることはしかなかった。
剣が砕けるのは想定の範囲。だからこそあえて爪を受け止めたのだ。
爪の一撃を繰り出したワイバーンは、その爪を大きく振りかぶったせいで体勢が崩れキースの接近を許してしまう。
そのワイバーンの顔面めがけ、キースは跳躍する。
「ぐぉぉおおおおーーっっ!!!」
勢いを乗せた跳躍からの斬撃、その折れた剣の切っ先をそのワイバーンの巨大な顔に叩きつける為に、全体重を乗せた一撃を繰り出す。
ガキンッッ!!
ワイバーンの鼻っ柱に叩きつけた剣は、その強固な鱗に弾かれてしまった。
もともと刃先はボロボロで、尚且刀身が砕けた剣、その切れ味は既に無いに等しかったのだ。
斬撃を防がれたキースの身体が宙に浮く。
剣は砕け、体勢を崩し、無防備になったキースの隙きをワイバーンは見逃さなかった。
ワイバーンの巨大な牙がキースに襲いかかる。
人間程度容易く噛み殺すことができる巨大な口、鋼すら貫く鋭利な牙。
それがキースの身体を貫いた。
左上半身を口で咥えられ、幾多の牙が肉に食い込む。
完全に捕らえられたキースは___
笑っていた。
「隙だらけになれば、噛み付いて……くると思った…ぜ…」
ここまで思い通りになるとは。キースは心の底から歓喜した。
キースを噛み殺そう牙を突き立てるワイバーン。
その目の前にある鼻先に、キースは手にした物を投げつける。
「これでも……くらい…なっ!」
それがキースの秘策。
それは攻撃でもなんでもない。
相手に手傷を負わせることなんで出来ない。
単なる嫌がらせ。
だが、この距離で喰らえばその嫌がらせもさぞ効くだろうよ。
「グギグガァァーーー!!!!!!!!」
苦しみの悲鳴を上げるワイバーン。
キースお手製刺激臭袋である。
効果は見ての通り。
すでに以前ワイバーンて試してその有用性は証明されていた。
「ワイバーンってのは……。本当学習しない間抜けだなぁ……。いや、あれは別の奴か……。こでは失礼、訂正する…よ。」
血を流しながらも、傷だらけになりながらキースはワイバーンの顔にしがみつく。こんな奇襲何度も使える手ではない。だからこそこの一回を成功させる必要があった。だからあえて噛みつかれ、絶対に回避することが出来ない状況を作り出す必要があった。そしてそれは上手く言った。
離されないように全身に力を入れて必死にしがみつく。苦しそうにするワイバーン、その鼻先に、さらに追加で投げつける。目の前に顔があるのだ。外す方が難しい。
強烈な刺激に、苦しみ悶え、そして暴れ狂うワイバーン。
その巨体を激しく打ち付ければ、当然キースにも衝撃が伝わる。全身を強打し、牙が食い込んだ傷から血が吹き出す。それでもキースはワイバーンから離れなかった。
「そら…っ! おまけ……だ…っ!!」
更なる刺激袋、それを鼻へと勢いよく突っ込む。
「グギャァァーーーーー!!!!!!!!!」
「へっ……。おっさんを舐めるからそうなるん……だぜ」
下っ端の意地、底辺冒険者の覚悟。
それがワイバーンを苦しめた。
だが、そこまでだ。
いかに嫌がらせをしたとしても、そんなもの負傷でもなんでもない。倒すことなど出来やしないのだ。
だが、それでいい。
倒す必要はない。
ほんの少し、時間が稼げれば……
「…へっ…… だから言ったろ? 時間は稼ぐって……」
キースは笑顔を見せる。口から血を流し、その笑顔を向けた先を見つめる。
「……ブチかましてやりな…っっ!!」
_____唸れ、氷柱爆裂
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