第21話 返してよっ!
キースは己の身に起こったことを理解した。
理解してしまった。
確かに感じたからだ。
あの時の感覚___魂が抜ける感覚を。
「……はは、参ったなこりゃ。」
覆すことの出来ない現実に、ただそう呟くしか出来なかった。
シルビァーナもまたキースと同じように状況を理解していた。むしろ治療師だからこそ、より明確に理解することが出来たのかもしれない。これまで数多の死傷者を診てきたシルビァーナは、人が死ぬ瞬間を幾度も目にしてきた。その魂が抜ける瞬間を誰よりも目にしてきたのだ。だからこそ、キースのこの状況を把握することが出来たのだ。
「……えっとね、」
ただ、この場において、キースの身に起こったことを理解出来ていない者が一人いた。その者は、これまでの話を聞いても___いや、聞いていたからこそ、その言葉の真意を受け入れられずにいた。
「だってね…。キース、さん…こうしてちゃんと生きてますよ? その、魂とかなんとか、私にはよくわからないですけど……。平気ですよ? キースさんが屍人とか、冗談ですもんね……?」
ナタリーは、努めて明るく、笑顔でそう言葉を口にする。しかし、その唇は真っ青になっており、その顔は今にも倒れてしまいそうな、そんな血の気の引いた顔に笑顔を貼りつける。
「ねっ、そうすよね? キースさん。シルビァーナさんも言ってあげてくださいよ。」
キースもシルビァーナも、応えることが出来なかった。理解できてしまっていたから。それが偽りではないということが。
「ほら、冗談だって言ってくださいよ。何時もみたいなおふざけですよね。私驚いちゃいましたよ。……ははは。もうキースさんったら。私怒りますからね。」
「ナタリー……」
「……なんですか、その顔は……。キースさんにそんな顔は似合いませんって。何時もみたいに笑ってくださいよ。私、キースさんの笑顔好きですよ? ね、笑って下さい。笑って……わら……て……」
一粒の涙が頬を伝う。それは最後の防波堤だったのか。それが決壊した今、その瞳からは止めることの出来ない涙が、溢れ出てくるのであった。
「ね…え……、笑っ…て、下さいよ。…ね? キースさん… キー…」
ナタリーは必死に笑顔を作る、その瞳から涙が流れるのを拭うこともせず、ただキースに微笑んで欲しいがために、自身が笑顔であり続けねばならないとでも言うかのように。
「……ごめんな、さい……」
ソフィアが涙ながらに謝罪する。謝った所で、どうにかなるものでは無いのは判っている。でも、謝り続けるしかソフィアに出来ることがなかった。
「…ごめんな…さい……」
「……」
ナタリーがソフィアの方へと視線を向ける。その表情は何かが抜け落ちたような。そこには感情が見えなかった。
「ナタリー?」
キースの呼びかけにも反応することなく、ただじっとソフィアの方を見ていた。
「…………」
ナタリーはゆっくりと歩き出し、ソフィアの元へ近づいていく。
手にはナイフが握られいた。
そしてそれはソフィアの胸へと突き立てられ____
寸前のところで止められた。
「何をしているんだっ!!」
キースが後から抱きしめるようにな形でナタリーを抑えたため、大事に至ることはなかった。そこへシルビァーナが急いで近寄って来てナタリーの手からナイフを奪い返す。
「ナタリー!自分が何しているのか分かっているのかい!?」
物凄い剣幕でナタリーに詰め寄るシルビァーナあったが、そんなシルビァーナに対しまったく意に介さない様子のナタリーは、抑揚のない声で返事をする。
「何って……、取り返すだけですよ?」
「取り返す? ナタリー、アンタいったい何を言って……」
「ただキースさんの魂を取り返すだけですよ。人のものを取っちゃったんだから、返すのが当然じゃないですか。ね、そうですよね。ソフィアさん。」
ナタリーはさも当然といった風にそう言ってみせる。
「……馬鹿なことを、言うんじゃないよ。そんな簡単に魂を取ったり返したりなんて、出来るわけないさね……。」
「でも、キースさんの魂を取りましたよ? なら返さなきゃ駄目じゃないですか。それはキースさんのものなんですから。」
シルビァーナは奪い取ったナイフを一瞥する。
「……それがソフィアの命を、奪うことになってもかい?」
先程の行動、あれには一切の迷いがなかった。だからこそキースは全力でナタリーを止め、シルビァーナは彼女を怒鳴りつけたのだ。
対してナタリーの表情は、そうするのがさも当然だと言うような表情をしていた。
「……この子を殺めたって、キースの魂が戻るとは限らないじゃないさね……。」
そこ初めてナタリーの表情に変化がみられた。
「……やってみないと分からないじゃないですか…。」
「そんな思いつきで人を傷つけるもんじゃないよ。」
「…………」
ナタリーにはそうすることしか出来なかった。それ以外考えられなかった。何も考えられず、固まった思考で、ただ目の前のことに目を向けることしか出来なかった。殺して奪い返す。しかし確証などありはしない。そんな簡単なことも考え浮かばなかった。
「そんな簡単な話じゃないんだろう。」
それまでナタリーを抑えていたキースであったが、沈痛な面持ちで語り始める。
「もし、ソフィアが死ぬことで俺の魂が戻るのなら、彼女は既に自らの命を断っていたんじゃないか。」
あの取り乱し様からして、死ねば済むという単純なものではない。キースはそう考えていた。彼女は自らの生に固執していなかった。ワイバーンに襲われた時も、一人で逃げられた筈なのにキースの元に戻ってきたほどだ。そんな人間が己の身可愛さに他者の命を奪うとは思えなかった。
「ソフィアが命を断っても俺に魂は戻らない。そして恐らく____ソフィアが死ねば俺も死ぬ。そういうことじゃないか? ソフィア。」
沈黙____
そして、その沈黙は小さな返事で破られた。
「…………はい」
ソフィアが消え入りそうな声で肯定する。
「……私が死んでも…、キースさんに魂は、戻り…ません……。私が死んだ時、私の魂と共にキースさんの魂も……消滅します。」
それはある程度想像出来ていた事であった。
そしてそれがソフィアの言葉で確証となった。
判っていた事とは言え、その現実にキースは顔を歪める。
様々な感情が渦巻く。そのなかで一際大きな、ある感情がキースを襲っていた。それは自身に魂が戻らなかったことへの苦痛ではない。
それは罪悪感であった。
もし自分が逆の立場で、他人の魂を奪ってしまった時、自分か死ぬことでその魂が戻るのなら、迷うことなく自決という道を選ぶ。だが自分が死ぬ事によって、奪った魂も同時に消滅するとしたら、それさえも出来ないということだ。
死ぬことさえ出来ない苦しみ。
ソフィアはその苦しみを一生背負う事になってしまった。
キースがワイバーンに殺されるその時、ソフィアはスキルを使ってしまった。キースを生かす為に。
消えることのない贖罪を、キースはソフィアに背負わせてしまったのだ。
「……なんでよ…」
震える声を上げ、ソフィアに詰め寄ろうとするナタリー。しかしキースに抑えられていて動くことは出来ない。それでも、湧き上がる感情を抑えきることが出来ない。
「…ふざけるな、ふさけるな、ふざけるな!ふざけるな!!! 返して! 返して! 返してよ!!!! キースさんの魂返してよ!!!!!! 」
「ナタリー……」
キースの腕に抱かれながら、ナタリーはただ叫ぶことしか出来なかった。涙を流し、声を震わせ、そして力なく崩れ落ちていく。
「どうして、どうしてよ……。」
キースに抱えられるように、その場に座り込んでいるナタリーを、キースは優しく抱きしめる。そして、声を和らげて諭すように話しかける。
「ナタリー、俺は大丈夫だ。だから落ち着け。」
ナタリーを落ち着かせるように、そしてソフィアやシルビァーナにも聞かせるように、ゆっくりとしゃべる。
「…ヒック…… なに…が、大丈夫なの……」
未だ身持ちが収まらないナタリーの背中を、キースはあやすように擦る。
「さっきナタリーが言った通りさ。確かに魂はなくなっちまったかもしれないけど、でもそれだけだろ?俺は此処に居る。こうしてナタリーの前にいるじゃないか。 」
ナタリーの頭を自身の胸に引き寄せ、己の鼓動を聞かせる。
「なっ? こうしてちゃんと心臓も動いている。俺は此処に居るぞ。それともあれか? ここにいる俺は偽物か何かとでも言うつもりか?」
キースの問いかけに、ナタリーは首を横に振る。キースに抱きつき、顔を押し当てる。その鼓動を全身で感じようと、腕に力を込め強く抱きしめる。
「俺という存在が消えたわけじゃない。俺という意思が消えたわけじゃない。だったらさ、そこまで悲観する必要はないんじゃないのか?」
ナタリーに言うと同時に、それはソフィアに向けた言葉でもあった。
「俺は何も気にしてない___とは流石に言えないか。でもまぁ、なんとかなるんじゃないのか?」
何でも無いといった風に、キースは努めて軽く言い放つ。
「それに、確かに魂は無くなったけど、もしあの時ソフィアがスキルを使ってくれなかったら、魂どころか俺そのものが死んでいなくなっちまうところだったんだ。だがら俺としては、感謝こそすれ恨みなんて無い。」
あの時キースは間違いなく死んでいた。それを救ってくれたのはソフィアである。それは紛れもない事実だ。
「だがらあまり気にするなよ。な? それともナタリーは、魂が無い俺のことが嫌いか? あのまま居なくなった方が良かったか?」
ナタリーは首を横に振る。たとえ魂が無くとも、それでもキースであることには変わりないのだ。
「ということだ。だからソフィア、君もあまり自分を責めるな。俺は助けてくれたことに感謝している。こうしてナタリーやシルビィと再び顔を合わせることが出来るのもソフィアのおかげだ。」
確かに魂は無くなってしまったのかもしれない。だが、この感情は偽りではない。だからこ、キースはソフィアの瞳を真っ直ぐ見つめ、感謝の言葉を口にする。
「ソフィア、ありがとう。」
キースのその真っ直ぐな瞳を前にして、ソフィアはただ泣くことしか出来いのであった……。
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