第11話 落ちこぼれに出来ること

 これはいったいどういうことだ。

 キースは自身に起こっている出来事に対して、理解することが出来ないでいた。


 ワイバーンの一撃を喰らい、この身は引き裂かれたはずだ。宙を舞い、臓物を撒き散らし、最後にこの心臓を貫かれたはずだ。あの感触は今でもはっきりと覚えている。


 キースは、自分の身体から魂が抜けるのを確かに感じていた。


 ああ、これが死なのだと。


 キースはそう理解した。

 


 だが、これは……

 この状況はいったいどう説明すればいいのだ。


 キースの意識は未だこの身体に宿っている。

 目で見て、耳で聞き、肌で感じている。


 いや、それだけではない。あれだけ傷ついていたはずの身体が、何事もなかったかのようにここに存在していた。


 自分は幻でも見ているのか、それともこれが死後の世界だとでも言うのか。キースにはその判断が出来ないでいた。



 キースは森の中で仰向けに寝転がっていた。先程までいた森で間違いない。これが死後の世界でないのであれば、キースの身体は未だこの世に存在しているということだ。


 その真上、そこには忘れもしない、キースを殺したワイバーンがいた。その存在が放つ威圧感は、決してそれが幻なんかではないことを物語っていた。


 思わず息を呑む。


 おかしなことにワイバーンはキースの方を見てはいなかった。まるで要はもう済んだとでも言うように、興味をなくしているかのように……。


 ワイバーンは明後日の方向に視線を向けている。キースはその視線の先を目で追った。


 心臓を鷲掴みにされたような感覚がキースを襲い、その全身に緊張が走る。





 ソフィアが地面に倒れていた。




 ワイバーンはソフィアに意識を向けていたのだ。その瞳は完全に彼女を捉えている。


 ワイバーンが動き出す。倒れたソフィアの方へ向かおうとしているのだ。


 倒れている彼女に近寄って何をする……?


 殺そうというのか……

 

 この俺のように……




 キースは即座に動き出す。


 これが夢だろうが、幻だろうが、はたまたあの世だろうが。

 そんなものは関係ない。

 どうだっていい。

 今はただ彼女を守るだけだ。


 立ち上がり、落ちている剣を手にし、ワイバーンへ接近する。キースに気がついたワイバーンは驚きの表情をしている。竜種の顔だというのに、それがはっきりとキースに見て取れた。それほど驚いていたのだろう。


 ワイバーンは状況を理解できていないのだろう。そのため動くことが出来ないでいた。そんなワイバーンに向かって、キースは剣を突き出す。


 狙ったのは首。顎の下、喉にあたる場所だ。硬い皮膚に覆われている竜種といえでも、ここは弱点になりえる急所である。


 キースが放った突きがワイバーンの喉に深々と突き刺さる。


「グギャァァアアアガアガウギュアアガアガガーー!!!!!!」


 ワイバーンの絶叫、しかしそれは喉を突き刺されているからか酷く濁り耳障りなものであった。


 剣を突き刺したままキースは、ワイバーンの首へと飛びかかる。そして無傷の両手両足で首にしがみつく。もし手を離してしまったら、先程と同じように嬲られ殺される。そうなったらキースにはもうどうしようもない。だからたとえ手足が千切れようとも、この場所から離れてはいけないのだ。


 首に掴まったまま、さらに剣を深く刺していく。


「グッガガアアアーーー!!!!!!!」


 ワイバーンもただ黙って掴まれているわけではない。のたうち回り、首を振り回し、キースを引き剥がそうとする。


 岩に、地面に、大木に。


 キースの身体はそれらに激しく叩きつけられる。すぐに身体はボロボロになり、骨が砕ける嫌な音が体中のそこらから聞こえてくる。


「グッ…… 離すかよぉおお!!」


 それでもキースはその手を離さなかった。たとえこの身が朽ちても、手だけは絶対に離さない。その執念がキースを動かしていた。たとえ死んでも刺し違える。その思いで、剣を喉の奥へと突き入れる。


 ワイバーンが激しく動けば動くほどキースの身体は傷ついていく。そしてそれは突き刺さっている剣にも言えることであった。何度も地面に叩きつけられたそれは、ついに限界を超えた。


 バキッ!!


 刀身半ばから砕け散る。


 キースはすぐに腰に差している山刀を取り出す。


「こいつはおまけだ!! 受け取れぇえええ!!!!!」


 上半身を反らし、腕を振り上げ、その勢いのまま山刀をワイバーンの目へと突き刺した。

 

「グギャガガァァァアアアアアア!!!!!!!」


 これまでで一番の絶叫。

 ワイバーンは死物狂いで暴れだす。

 

 キースは山刀を抉るように突き入れる。キースにはもうこれしかすることが出来ない。手を離せばお終いだ。


 何度も地面に叩きつけられる。その度に何処かの骨が砕ける音がする。また叩きつけられる。今度は打ち所が悪かった。肩の骨が砕けてしまった。力なく垂れ下がる左腕、そこにワイバーンが勢いよく噛み付いてきた。


 腕に食いつかれ、そのまま勢いよく振り回される。骨は砕かれ肉は切り裂かれる。ブチブチと腕から嫌な音がする中、それでもキースは手を離さなかった。


 山刀はすでに取手の部分までめり込んでいる。それでもワイバーンは止まることなく暴れてる。竜種の凄まじい生命力に、キースの方が限界を迎えようとしていた。すでに身体の感覚が無くなってきており、目はかすみ、意識は朦朧としてきた。しかし、それでも手は離さなかった。


 さらに深く山刀を突き刺す。キースの腕もろともワイバーンの頭蓋へめり込ませる。


 突如ワイバーンが空へと飛び上がる。そして滑空する勢いを利用し首を物凄い勢いで振り抜く。その凄まじい衝撃に、これまで必死に堪えていたキースは、その身体を引き剥がされてしまった。深く突き刺したことが災いしたか、血糊でべっとりと濡れた山刀が手から滑り、抜けてしまったのだ。噛みつかれていた左腕はその衝撃で完全に引き千切れ、キースは飛び上がった上空から地面へ落下していった。


「がはっっ 」


 受け身を取ることすら出来ず、そのまま激しく地面に叩きつけられる。全身を強く打ち付けられたせいで上手く呼吸することが出来ない。それでもキースは力を振り絞って身体を起こそうとする。


 かすむ目を必死に開き、ワイバーンのいる上空へと顔を向ける。

 その視線の先__



 ワイバーンが落下していくのを視線の端にとらえた。

 

 直後、地面に衝突する音と振動が森の中に鳴り響いていった。




 しばしの静寂



「はぁ… はぁ…… はぁ…… 」


 静かな森の中、キースの吐く、その息だけがうるさいほどに場を支配している。


 キースはゆっくりと辺りを見渡す。木々がなぎ倒され、地面は抉られ、おびただしい量の血が辺り一面に飛び散っている。


 森の向こうへ視線を向ける。

 生き物の気配は感じない。

 しばらくの間そうして見つめていたが、やはりそれは動く気配がなかった。



「はぁ… はぁ…」


 キースは振り返り、ゆっくりと歩き出す。ボロボロの身体にムチを打って、重い足を引きずりながら、一歩ずつ歩いていく。



 そしてそこにたどり着く。


 キースは静かに腰を下ろすと、赤子に接するようにしてそれに触れる。

 

「……よかった…」


 泣いたせいだろうか。目元は真っ赤に腫れているが、それでも大した傷もなく、静かに目をつぶり寝息を立てているその女性を前に、キースはホッと胸をなでおろす。


 夢でも、幻でも構わない。

 生きている。

 それだけで十分だった。


「落ちこぼれにしちゃ、頑張った方じゃないか……。」


 ひとりそう呟き、キースは静かに笑ってみせるのであった。

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