第12話 傷だらけの人

「ばかやろー! そっちじゃない! こっちにもってこい! 松明をありったけかき集めろ! それと新人共は外に出ないように令を出しておけ!」


「商業組合にも要請を出しておけ! 鳩を各街へ飛ばせ! 向こう数日はいっさい街道を使わせるな!」


「既に街から出ている者たちはどうます!?」


「早馬を翔ばせ! 街道にいる連中に片っ端から声をかけていけ! もうすぐ完全に城壁は閉じられる。間に合わない場合は周辺の村々に避難しろ!」


 冒険者組合の建物の中、そこは怒号が飛び交い、人はみな焦りの表情を見せている。ある者は建物の外へ飛び出し、またある者は組合に飛び込んでくる。



 ワイバーンが出現した。


 その知らせを受けた辺境の町イデアランは、皆がそれぞれが忙慌ただしく動き出していた。ワイバーンは言わば厄災だ。空から突如襲ってくるそれは、人々に恐怖と混乱をもたらす。種としての強さは他の生物を圧倒する。そしてもっとも最悪なのは、群れで襲ってくる可能性があることだ。こうなれば、もやはそれは天災であり、街そのものに甚大な損害が生じるだろう。


 今回知らせを受けた情報によると、ワイバーンは一匹だけだったと言うが、だからといって楽観視して良いはずがない。常に最悪を想定して行動するべきである。


 町の中を兵が走り回り、動けるものは防衛に乗り出す。それ以外の者は家に籠もり、ただ見守るしか無かった。





――――――――――――――――――――




 討伐隊が編成され、町を出立してしばらく。


 いつ来るか分からない厄災に怯え、人々は家に引きこもっていた。こんな時に家の外をうろつくのは間抜けのすることだ。通りは閑散としており、町は静まり返っていた。


 やがて日は沈み、完全な闇が空を覆い尽くす。そんな暗闇に包まれた町のとある建物の一室で、ナタリーはただ一点を見つめていた。その視線の先、そこには寝台の上に寝ているキースの姿があった。


 全身が傷だらけで、身体の至る所に包帯が巻かれている。左腕は肘から先が欠損しており、キースがいかに過酷な状況から戻って来たことを物語っていた。




 ナタリーが一報を聞いたのは組合で事務仕事をしていた時だ。町に帰ってきた冒険者のうちの一人が、目を覆いたくなるほどの重体であったという。


 すぐに現場に駆けつけたナタリーであったが、そこでの光景に思わず叫び声をあげてしまった。そこにいたのは、全身傷だらけで、ソフィアを抱えるようにして座り込んでいるキースであった。あまりの衝撃にナタリーは我を忘れそうになる。しかし今は取り乱している場合ではない。やるべき事をしなければ。


 キースに駆け寄り、状況を説明を求める。傷だらけで、意識が朦朧としているキースであったが、なんとか気を保ち、起こった出来事を話しはじめた。


 キースからもたらされた情報は、場を凍りつかせた。ワイバーンが出現した。キースはそう話したのだ。この傷だらけのキースをみれば、それが真実であるのだと誰もが予想できた。


 伝えることを伝えたキースは、その場で気を失ってしまった。ナタリーは急いで治療院を確保し、傷だらけのキースとソフィアを建物へ移送した。


 そして冒険者組合へ戻りワイバーン討伐編成の内務に取り掛かり、討伐隊を送り出した後、こうしてキースの元へ駆けつけたのだった。





「こんなに傷だらけになって……。」


 薄暗い室内、ロウソクの炎に照らされたナタリーの顔には、悲しみの表情が浮かんでいた。寝ているキースの顔を優しくなでる。


「いつも傷ついてばかり……。本当馬鹿じゃないの……。」


 一緒に運ばれてきたソフィアのことを思い出す。

 彼女は傷一つ付いていなかった。



 つまり、そういうことだ・・・・・・・




 キースの髪を優しく撫でる。不器用に切りそろえられた髪は泥に塗れ、顔も同じように泥や血で汚されていた。それを濡れた手拭で優しく拭き取っていく。汚れた布を手桶の水で洗い、再び優しく顔を拭きく。布が汚れたらまた水で洗う。何度も同じことを繰り返す。そして腕や身体、足も同じように優しく。包帯が巻かれていない場所をナタリーは丁寧に拭き取っていく。


 汚れた手桶の水を外へ捨てに行き、井戸で綺麗な水を汲む。そして部屋へ戻りまた同じように綺麗に拭き取っていく。



 綺麗になったキースの顔をナタリーは憂いた表情で見つめている。


 淡いロウソクの炎の光が二人を静かに照らし、時はゆっくり流れていく。



 ナタリーは右手を伸ばし、キースの左頬にある古い傷跡をそっと優しく撫でる。そして反対の手で自分の左頬を撫でていく。


「……また、傷が出来ちゃったね……。」


 優しい声で、誰に聴かせるでもなく。

 ナタリーは一人そう呟くのであった。




――――――――――――――――――――




 窓から入る日差しが室内を明るく照らす。

 朝……いや、日の高さから恐らくもう少し遅い時間であろう。

 窓からの日差しを受け、キースはぼんやりと天井を見ていた。


「森の中かと思ったら、次は知らない天井と来たか……」


 ボソっと冗談を呟くキースであるが、おおよその状況は理解していつもりであった。朧気な記憶の中で思い出す、ボロボロの状態でなんとか町まで辿り着き、ナタリーと出会い、そこで気を失ったのだ。


 体中を襲う痛みが、先の出来事が夢ではなかったことをキースに知らせていた。


「やはり夢じゃなかったか……。我ながらよく助かったと思うわ本当……。」


 上手く体を動かすことが出来ない。色々とガタが来ているようだ。しかしそれも仕方がないこと。あれ程の怪我だ。死んでいてもおかしくはなかった。


 いや、実際は……一度死んで______ 


「あれはどういう事だったんだ……。」


 思い返してみても、未だに理解できない。


 キースは己の左腕を見る。そこには肘から下が欠損し包帯が巻かれている自分の腕があった。


「まさか、二度も左腕を食いちぎられるとはなぁ。笑える冗談だよまったく……」


 反対の腕でその傷跡を触ろうとした時、右腕が動かないことに気がつく。


 顔を傾けて視線を向けるとそこに思いもよらぬ人物がいた。


「……ナタリー?」


 キースの右腕を抱えるようにして、静かに寝息をたてているナタリーの姿であった。そこで改めて周囲を見渡してみる。


 おそらくこの部屋は治療院の一室であろう。キースも何度か見た覚えがある。寝台の周りには治療に使ったであろう血塗れの布や、水が張られた手桶が用意されていた。


 あれだけ汚れていたキースの身体は綺麗に拭い取られていた。


「……どうやら、また心配かけさせちまったみたいだな。」


 右腕を抱えるようにして寝ているナタリーの、その暖かな体温を肌で感じながら、キースは優しく彼女に語りかけるのであった。

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