19.黒煙

 倒れた狼の脳天に水の魔法を伴った打撃が打ち込まれた。その場所から飛び降りたのは女性用の騎士団服を纏った屈強な男だった。

「おまたせしたワ! ティリスちゃん!」

「ジギスヴァルト!」

「この調子で行くわヨォ!」

 ジギスヴァルトと呼ばれた男の後ろからは騎士団服を纏った人間が何人も見えた。援軍だ。

「全く! 無謀な突っ込み方しないでよねティリス! 守る方の気にもなって!」

 防御の魔法を編みながら団長に文句を飛ばしたのはアメリアだ。先ほどの見えない壁は彼女等の功績だ。

「アメリア! 結局来たんですか!」

「じっとしてられるわけないでしょ! ティリス!」

 エインとアメリアの会話を聞いてティリスは頷くと指示を出す。彼らが再び魔法の詠唱準備に入ったその瞬間、凄まじい炎柱がシュピーリエ丘陵の空に伸びた。

 三頭の巨狼は炎に包まれ──そして、後には人間に戻ったジェダン軍の三人の亡骸が横たわっていた。一部が炭化したそれからは灰色の煙が上がっている。

 その様子を見て会話をする者たちがいた。

「あーあ、このぐらいの大きさじゃやっぱりダメねぇ」

「ちょっと姉さん、殺したら奪えないよ」

「あらあら、レオ。怒らないでねぇ。人間ならまだ沢山いるじゃない」

「それもそうだね……っと」

 彼らは炎柱が上がった中央に立っていた。激しい炎に包まれたはずのそこで、いっぺんたりとも焦げていない黒い服の二人は悠長に話を続ける。

 周りを固めていた人間はディクライットもジェダンも関係なく、ただその様子を伺っていた。先ほどの炎柱はとても人一人に繰り出せるような魔法ではないのだ。下手に動けばどうなるかわからない。

 ゾッとするほど美しい女、隣に立つのはまだ成人していないだろう子供。

「じゃ、もらっちゃおっか。この姿嫌なんだ」

「そうねぇ。可愛いレオには沢山の人間が必要だものねぇ」

 遠くの喧騒の中、静まり返ったあたりの中、騎士団の一員に刃を向けるものがいた。膠着状態を崩そうという彼に一気に注目が集まる。

 そして、その視線は女と子供のものも例外なく彼に注がれていた。

「キミ、空気読めないねぇ。軍でも嫌われてるでしょ?」

「っ……子供が何を」

 ジェダンの彼が反論しようとした時、ティリスの目が見開かれ、彼女の声が飛んだ。

「っ退避!!」

 反応できたものは少なかった。ほんのひと時、景色がゆっくりと見える。丸く黒い煙が男に向かって飛んだかと思うと、周りの何人かを伴って包み込んだ。

 レオと呼ばれた少年が手を開いて男に向けていた。その手が閉じられると同時に纏わりついていた黒い煙が消える。静寂。

「っなんだ? 何も起きねえぞ? ……命をかける戦場で子供騙しとは」

「おまえ、顔が!」

「……っえ? なにをいっ……ぁあ!?」

 男の声は喋るごとにしわがれていった。男が見た自分の手はみるみるうちに水分が失われ皺が刻まれていく。周りのものが見た彼の顔は先ほどまでの若い男ではなく年老いた老人のそれだ。

 巻き込まれた他の者たちにも同様なことが起きている。その発端である少年は口元に笑みを浮かべてただ彼らが急速に老いていくのを見ていた。

「文字通り命を懸けれてよかったでしょ」

「何をしたのです!」

「ああさっきの退避命令出してたやつか。勘はいいけど魔法は苦手なんだね。教えてあげようか? まぁ見てればわかるけどね」

 少年の姿はみるみるうちに変化していく。元々十四、五歳だった見た目はあっという間に九歳ほどの子供に若返ってしまったのだ。

「なっ……一体」

「あらあらあらあら〜! 可愛いわレオ、ほんとに可愛い」

 文字通り命を奪った少年を見て周りが硬直する中、構わず女は少年をわしゃわしゃと撫でる。頬擦りする姿は本当の姉のそれだ。ひとしきりそうしたあと、急に静かになった女は顔を上げる。その目は氷のように冷たかった。

「さてさて、私のレオがレオに戻ったところで、仕事しましょうか」

 女の口の端が嫌な笑みを浮かべ、指を鳴らすとジェダン軍の何人かが急に煙に包まれる。その煙が消え去った時、先ほどの三頭より大きな狼たちが戦場に出現した。

「続きよ人間たち。せいぜい頑張ることね」

 放たれた狼たちはどこか苦しそうだ。戦士たちを飲み込もうとするその大きな口が、敵も味方も関係なく牙を剥いたのだった──。

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