20.橋上の凶煙
未だ橋の中腹で交戦中のフォティスとディラン、モーリッツは互角の戦力に膠着状態を抜け出せないでいた。
「ああ〜、お前ら。悪いことは言わねえから逃げたほうがいいぜ。あいつらがきたら終わりだ」
「……は? 今更脅しか?」
長い金髪の男は相変わらず凄まじい身体能力で跳ねながら戦っている。そして橋の付け根の方を見て二人の男にそう言ったのだ。先ほどの凄まじい炎柱が上がったあと、どうにもあちらの様子はおかしいが、一体何があったのだろうか。
「そうだね。逃げられるものならだけど」
瞬間、ディランとモーリッツの目の前に黒い出立ちの少年が現れた。彼の黄色い目が光って手から黒い煙が洩れる。
「橋のど真ん中でこう激しく戦われると迷惑なんだよ。砦は堕としてもらわなきゃいけないからね」
「邪魔すんなよレオニダス! こいつらは俺の獲物だ!」
「ボクの名前を軽々しく呼ばないでよ、汚い奴隷さん。キミのつまらないこだわりに付き合っている暇はないんだ」
レオニダスと呼ばれた少年が放った黒い煙が二人に向かっていく。彼らに煙が触れるその直前、彼らと煙の間に見えない壁が生み出された。煙はそのまま行手を失って拡散する。
「よかった……防壁魔法は効くようですわね」
彼らの後ろから援護したのはハイデマリーだ。それを見て少年の表情が歪んだ。
「戦場の天使とか言われてる部隊か。小賢しいね。キミから奪ってあげるよ」
少年の表情は天使のように愛らしい。しかし彼の瞳に光は宿っていない。そこからは人のものとは思えないほどの殺気を放っていた。怯んで動けなくなったハイデマリーに漆黒が迫る。
黒い煙は近づいていた。
詠唱を。いや、動いた方が早い。でも間に合わな、い……。ああ……。
──しかし、呪いを受けたのはハイデマリーではなくモーリッツだった。
「嘘……そんな、どうして!」
モーリッツの体にはまだ変化はない。しかしハイデマリーはリュディガーの傷を癒しながらそれを目撃していた。少年がこちらに移動するのを見て追いかけてきたのだ。これ以上の犠牲者を出さないために。
「? 大丈夫だハイデマリー。きっと子供騙しの煙を出す魔法だろ? 実際なにも……え」
ハイデマリーは何も答えなかった。ただ彼女の頬を流れる涙がその状況を物語っている。
「な、なんだこれ……手が……」
「あーあ……お前はこれから急速に老いて死ぬ。お前の寿命はそこの子供に奪われたんだ。だから早く逃げろって」
「そ……んな……ここまでかよ。……なら」
「モーリッツ!? 何を!」
「死に際に伝えることじゃないけどなぁ! お前を愛してた、ハイデマリー! 来世でな! すぐ来んなよ!」
モーリッツは急速に老いていくその体で勢いよく踏み込んだ。そして彼のナックルがレオニダスにぶつかろうとしたその瞬間、その場所には黒い女が立っていた。白い髪の男はぶたれて地面に倒れ込んでいる。
「あらあら、私のレオに汚い蝿が。困っちゃうわ」
「っふ……ただの蝿じゃなくて残念だったな!」
初めからそれが目的だったのだろうか。モーリッツは最後の力を振り絞ると腰につけていた魔宝石を砕いた。
「っ……エーフビィ・ヴァンド!」
ハイデマリーの防壁の魔法が周りにいた群衆を包み込んだそのとき、モーリッツが砕いた魔宝石から凄まじい爆発が起こった。強烈な光に視界が奪われる。巻き込まれたのはレオニダスと連れの女。
きっとひとたまりもないだろう。全ての人間がそう思った。しかし、視界が元に戻ってくるにつれ、その希望がいかに安直なものだったかを、皆は思い知る。
「やっぱり、ただの蝿じゃない。服が汚れちゃうわ」
「ほんとうるさいね。まぁでも戦力はこれで大丈夫。作戦は成功するさ。ふぁ〜あ、姉さん。そろそろ帰ろうよ。僕眠くなっちゃった」
「そうねレオ。目的は果たしたことだし。人間たちの匂いで吐きそうだもの」
文字通り、蝿がまとわりつくのをただ嫌がるだけかのようなそぶり。欠伸をするほど退屈そうにしている二人を見て群衆の誰かが声を上げようとしたその時、女が指を鳴らした。すると景色に溶け込むかのように彼らの姿は忽然と消えてしまったのだった。
「馬鹿……馬鹿ですわ……どうしようもない馬鹿……」
モーリッツの遺体は塵となりあたりに散っていて、ハイデマリーは崩れ落ちる。凍りついた空気の橋の上、彼女の啜り泣きだけがただ響く。
──塵が混じった雪が、しんしんと降り続いていた。
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