14.戦場に立つ意味

 ティリスは味方の進軍する道を開きながら相手方の指揮官を探していた。指揮系統を壊して仕舞えば混乱に陥るのは敵も味方も同じことだ。

 砦の前の橋を渡り切るかという頃、その中程から

風が空気を切る音と、ひときわ大きい悲鳴が聞こえた。

 人で埋め尽くされていたはずの橋、その真ん中にポッカリと穴が空いていた。正確にはそこにいた人々が薙ぎ倒され、血塗れで横たわっている。

「あれは……」

 ティリスがそれを確認したその時には次の攻撃が渦巻き、橋から落ちるものもいた。被害は甚大だ。

 斬り掛かってきた男の剣を流して弾き飛ばすと、ティリスは来た道を駆け抜ける。あんな攻撃を続けられたら味方は耐えきれない。

 橋に差し掛かると様子が見えてきた。黒いバンダナをつけた男が攻撃の中心となっている。周りで援護していた者たちを蹴散らすとバンダナの男がこちらを振り向いた。

 憎悪の目。しかしそれはジェダン族の者がもつ縦長の瞳孔ではなかった。やはり出会ってしまった同胞を見て、ティリスは眉を顰める。

「……ディクライットに生まれた貴方が、どうしてジェダン国の侵攻に加担するのですか!」

「国が俺に何をしてくれた! 国民一人も守れないクソども……騎士団が聞いて呆れる!」

 激昂した男の旋風が飛んでくる。ティリスは小さな火を撃つと目視できるようになったそれを飛び退いて避ける。今まで攻撃を外さなかった男は、目を見開いた。

「お前……エーフビィ・ヴィント!」

 男の旋風は再び彼女を襲う。しかし次の瞬間、男の喉元には鋭い刃が突きつけられていた。

「くっ……」

 刹那、ティリスの体が宙に浮く。風によって弾き飛ばされた彼女は空中で身を捩ってうまく着地する。長く青い髪がはらりと彼女の体にかかる。

「なんて動体視力だ……いや、お前なんかに構っている暇などないんだ。俺は騎士団長に用がある!」

「では貴方は幸運ですね。私がディクライット騎士団団長、ティリス・バスティードです!」

「……! 聞いていた情報は紫の髪だったが……その身のこなしはどう考えても剣聖……死ねえ!」

 ティリスは再び放たれた旋風を避ける。彼の攻撃に慣れてきた彼女は目を細めた。名乗った彼女に向かってかなりの数の魔法が浴びせられたが、そのどれもが彼女の素早い動きを捉えられない。いつのまにか激しい旋風に巻き込まれることを避けた周りの人間たちによって橋の上には広場ができていた。

「私に用があると言いましたね。何が目的ですか。ジェダン国としても無用な争いは避けたいはず」

「そんなこと知ったこっちゃねえ! 俺はただ、娘に会いたいだけなんだ!」

「……それがなぜ戦いに身を投じることに繋がるのですか」

「俺の娘はジェダンに連れ去られたんだ! お前たち騎士団はその時、何もしてくれなかった!」

 ティリスの動きに迷いが生じた。その一瞬を逃さなかったバンダナの男の攻撃がティリスの肩を掠めて、鮮血が散る。

「貴方の言い分はわかりました。けれど、今を生きるディクライットの民を脅かす理由にはなりません!」

「御託を並べるな! お前のようなものは末端のことを全く知らない、それどころか知ろうともしないだろう! 脅かされていると言ったディクライットの一部、ダルパの民のことを誰か一人でも知っているか!」

「ダルパ……」

「誰も知らないだろう! だから俺は」

「……ディクライット領、西端にある牧羊が盛んな街」

「えっ……」

 それはダルパの謳い文句だ。しかし、そんなことは、ディクライットの人間なら誰でも知っているものだろう。

「 ですが、実際の交易では羊よりもディクライットの騎士団向けのスペディの養育が盛んです」

「なに……」

「私の相棒はそこで育ちました。団長になってから数年かけて、領内の全ての町や村を回りましたが、ダルパはその中でも際立ってのどかな街でした。街の南西部に小高い丘があってそこから見える夕日が綺麗で……。牧場の方々もとてもよくしてくれました」

 男が彼女に向けた攻撃は止まっていた。そればかりか会話を邪魔するように飛び交う魔法を防いでいる。ティリスは真っ直ぐバンダナの男を見つめた。

「……そういえば、武器職人のバーデさんが、こんな話をしてくれましたよ。数年前、友人がジェダンの人攫いにあった娘を追いかけて、国境を越えて出ていったと、彼とその娘をどうか見つけてほしい。そして無事に町まで連れ帰ってほしい。そう請われました」

「な……」

「その男の名はリュディガー。リュディガー・バルツェット。貴方は、バルツェットさんですね」

「……そうだ。だが、それが分かったところで何になる。娘はもう帰ってこない。俺の全てはお前らのせいで奪われたんだ!」

「……娘さんはディクライットで結婚し、幸せに暮らしています」

「……は?」

「五年前、大規模な奴隷救出作戦を決行しました。その時に彼女は保護され、一度ダルパの街に戻りました。しかし直ぐに婚約者の元に再び嫁ぐことが決まったのです。子宝にも恵まれ、今は二歳と三歳の息子たちと幸せに暮らしています」

「そん……な。俺は」

 男の頬に一筋の涙が流れる。それは彼が振り上げていた手を下ろさせるのには十分な事実だった。

 それならば、自分は今、何のために戦っているのだろうか。唯一無二の家族が生きている。孫まで産まれている。それが分かった今。

 この手もかつては誰かを愛するための手だった。それが人を殺すための手に変わった理由は、もう失われてしまった。それならばもう、やめてしまってもいいんじゃないか。こんな戦場に立つ意味は、もう……。

「そうです。戻りましょう、ディクライットへ、城下町へ行きましょう。カルラさんはずっと、お父さんが戻ってくるまで式は上げないと、そう言って貴方のことを待っているのですよ」

 自分があれだけ憎悪していた騎士団長の表情は、とても柔らかく、慈悲に満ちていた。こんなに沢山の仲間を傷つけた俺に、どうしてそんな声をかけられるのだろう。俺もまだやり直せるのだろうか、沢山の人を傷つけたこの手で。

 ティリスが差し伸べた手を、男は取ろうとしていた。震えながら彼が伸ばした手をみて微笑んだティリスの表情は次の瞬間、驚愕に変わった。

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