13. 不運な男

 彼は不運だった。そういうより他にない。


「……お父さん。大丈夫?」

「ん、ああ……」

 ディクライットの辺境の街、ダルパに生まれた男、リュディガーは栗毛の馬の上で少し遠くの景色を眺める。

 これまで何の変哲もない生活をしていた。道具屋の父親の元で育ち、そのままその店を受け継いだ。嫁をもらって娘も授かった。それはそれは愛らしい子だった。

 娘が産まれてから数年で妻は亡くなってしまったが、それから十年余の間、父と子で二人、細々と暮らしていた。質素な暮らしながら幸せだった。やがて娘は成人し、それを見初めたディクライット城下町のある家に嫁ぐことになったのだ。

 その婚礼の儀式に参列するため城下町へと向かう旅の途中。明るい朱色の髪をくるくるといじりながら、父親の後ろに乗った少女は再び口を開く。

「もしかしてお父さん寂しいのー? やっぱり城下町に住む?」

「うるさいのがいなくなって静かになるなぁってな。……それはできないって何度も言っただろカルラ」

「ひっどーい! たった一人の家族なんだよ? そうだね、おじいちゃんのお店手放せないもんね」

「……ああ」

 男の返答はどちらに対する回答ともとれる。カルラは髪をいじるのをやめて父親の背中を見つめる。

「お父さん」

「なんだ? ディクライットに来いって話なら……」

 リュディガーは思わず馬を止める。娘は父親の背中に抱きついて埋もれていた。その表情は彼女だけが知るものだ。

「……今までありがとね」

「……」

 リュディガーは持っていた手綱をきつく握りしめた。たった一人の娘、たった一人の家族。彼女が幸せになるなら、そう思って送り出す唯一人の愛する人。

 なんて返すのがいいのだろうか。素直な気持ちを綴るのはなんだか気恥ずかしい。だからと言って照れ隠しにいつもと同じ憎まれ口をたたくのは違う気がした。こんな時ぐらいしか言える時はないだろう、とリュディガーは重い口を開く。


──次の瞬間、彼は逆さまになった視界で自分達を取り囲む狼の姿を見た。


「リュディガー! 逃げろ!」

 少し離れたところから護衛の友人の声が聞こえた。一面の空が青くてよくわからない。なにが起きた。そうだ、落馬したんだ。馬は興奮してないか、カルラは……。

 まだうまく動かない体を動かして、体を横に倒した。視界に倒れた栗毛の馬が映る。その奥に最愛の娘はいた。

「お父さん!」

  同じような服を纏った男達がカルラの手を掴んでいた。何を、俺の娘に、汚い手で触るな……!

 声が出ない。落馬した衝撃だろうか。非力な少女はあっという間に拘束されて男達に囲まれてもう見えない。

「……る……ら」

 手を伸ばしても、短すぎるそれに男達を引き止めることはできない。

 不意に自分の体が浮くのを感じた。みると友人が自分を担いで運んでいる。他の何人かも交戦していたが、その誰もが逃げるタイミングを窺っている。

「待て! カルラが! 降ろせ!」

「無理だ! 数が多すぎる! 全滅してしまう!」

 暴れる男を友人は押さえつける。リュディガーは再び手を伸ばした。

「カルラ! カルラ!!!!!」

 手も声も届かない。そうして男は、愛する一人娘を失った。




 どうしてだろうか。なんでこんなことになったのだ。長旅なんてしなければ。婚姻の話がなければ、今もあの道具屋で二人で慎ましやかに暮らせたのだろうか。

 娘を攫ったのは隣国ジェダンの国防軍に属する者たちだと言うことを聞かされた。ディクライットにはそれに相当する騎士団がいるはずだ。こんな辺境の人間など、守るに値しないと言うのだろうか。

 傲慢なことだ。きっと彼らは中央の城下町でぬくぬくとその安寧を貪っているのだろう。一人の少女が拐われたことも知らずに。

 そうだ。思い立ったその時にはもう、国境を超えていた。騎士団が、国が守り救ってくれないのなら、自分でやればいい。ディクライットのクソどもには頼らない。自分の手でカルラを見つけ出してやる。

 しばらくは一人で旅をしていた。しかしある時、異国の者を狩っていた国防軍に捕まり、そのまま奴隷となった。その中に娘がいるかと主人の目を盗んで探し続けたが、成果は得られなかった。

 幸か不幸か、その主人はディクライットへの侵攻を目論む国防軍の一人だった。いずれ来たる日のための戦闘訓練を積む日々。辛く苦しい毎日。

 こんなことになったのは全て、騎士団がうまく機能していなかったから。主人の怨嗟の声を聞き続けた男は、いつしか本当に祖国を憎むようになっていた。

「なぁリュディガー知ってるか? ディクライットの騎士団長が変わったそうだ」

「へー、どうせ貴族様お抱えの魔法剣士か何かだろ。金だけ持ってる奴らがよく国を守るなんて言えるよな」

「いや、それがよ。新しい騎士団長は若い女らしい。なんでも何年か前に剣舞祭で優勝した二代目剣聖って話だぜ」

「……そうか。どんなやつにせよ、その時が来たら俺たちの敵になる。この風の刃で切り裂いてやるだけだ。その新しい騎士団長の女を殺すのは俺だ」

 漆黒のバンダナを頭に巻いた男は詠唱する。男の手から漏れた旋風は人を切り裂くためのものだ。男の燃え上がる怒りを前にして、話し相手の男は深い悲しみに染まった目を向けたのだった。

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