11.始まりの矢
争いとは時として避けられぬものだ。一方的な憎悪、暴力。例えそれが正当な理由を持って行われる抵抗だとしても、結果として奪われる命の重さに違いなどない。
初めは小さな火種でも、いつしかそれは始まりなど忘れてしまうほどの大きな戦火となって全てを焼き尽くしていく。それは自分達が生まれる少し前、隣の大国がほんの少しの間に滅びた歴史から学んだことだ。
だから今、この火種が自分達に降りかかってきたこの時こそがそれを食い止める最後の砦だと思うのだ。
「ティリス」
若き騎士団長はかけられた声に振り向く。砦の屋上の扉を開いて出てきたのはディランだ。
「仮眠しなくていいの? いつ事が動くかわからないわ」
「こっちの台詞だよティリス。結局一睡もしてない」
「……できないわ」
「……そうだね」
青年はティリスの隣に並ぶと砦から見える景色を眺める。夕方ティリスがハイデマリーと眺めたそれとは、かなり様相が変わっていた。
砦を囲む何百という軍勢。それはジェダン国防軍のものだ。しかし、その中には彼らの制服を纏っていないものも多くいる。ティリスの長いまつ毛が、その光景を憂うように伏せられる。
「奴隷上がりの傭兵なんて、許されることじゃないわ」
「……ああ。だから報告よりかなり数が多いんだろう。軍属じゃない者の数なんてそう簡単に計れるもんじゃない。戦に勝てば解放を約束……といえば聞こえはいいけど実際は戦場で死ぬのがほとんどというのを見越してだろうね」
ディクライットの隣国ジェダンには古くから奴隷制度というものがある。それは狼に変身するジェダン族以外の種族を認めないという選民思想のもとに生まれた。
ジェダン族だけでは賄えない労働力を不当に連れ去ってきた別種族の者で補い、彼らは生活を保障される代わりにそれ以上の全てを望めない。結婚や出産も全て主人の指示によるものだ。だからこそディクライットはジェダンの国境付近を普段から警戒しているのだ。
「卑劣だわ。……最近、国境付近での行方不明者が多いのは知ってるかしら」
「ジェダンからの亡命者が多いのは知ってたけど、ディクライットでは行方不明の人が多いの?」
「ええ。と言っても噂の域を出ないのだけれど。行方不明者は決まった雇い主のいない傭兵や旅芸人ばかり」
「いなくなっても不審がられない者達……か」
「……闇の魔物の出没情報が多いところには行方不明者も多い。どちらの被害かは簡単には断定できなくて、ひとまずは最も被害の大きい闇の魔物の討伐に重きを置いているの。本当はもっと……」
ティリスは言いかけた口をつぐんで首を振る。今彼女が抱えているのはこの国に住む者全員の命だ。何を優先して守るべきなのかは彼女が一番よくわかっていることで、でもそれを実行するためには犠牲が伴う。彼女はそう言うことを割り切れない人間だ。
ずっと守りたかった愛する人は、いつの間にかとても重いものを背負っていた。ディランは彼女の横顔を見つめる。その目は紛れもなく、騎士団長としてのティリスの瞳だった。
「それなら……覚悟しないといけないわけだ」
「ええ。同胞がいる可能性は十分にある」
ティリスは再び眼前の軍勢を見つめる。砦への侵入経路は絶ったが、いつ彼らが正門への総攻撃を仕掛けてくるかはわからない。そのなかには自分達の国の人間が不本意に戦いへと駆り出されているかもしれないのだ。
砦から出れない以上、その攻撃に備えて十分な準備をしておくしかない。砦を捨てるなどもってのほかだ。ここを陥されて終えば次に標的になるのは民間人のいる街、トーテが真っ先に狙われることになる。
やがて城下町までその進軍は続き、最終的には王国を支配下に置くのが目的だろう。ジェダンのような考え方の国の下ではディクライットの民は虐げられる存在。不遇な扱いは容易に想像がつく。
不意に風向きが変わった。冬の冷たい風がティリスの髪を撫でて揺らし、その一瞬発された小さな声と魔力の揺れを逃さなかったディランがティリスの肩を抱いて倒れ込んだ。水飛沫が彼らを襲い、ティリスが立っていたところには矢が刺さっている。この魔宝石つきの矢尻、見覚えがある。
「まーた外しちゃった! なんで分かるんだよ!」
当たりだ。狙撃手の方向に飛ばされたディランの炎の魔法によってその姿が露わになる。長い金髪によく鍛えられた体。鋭い眼光。先ほどの男だ。
彼は自分を照らした炎を易々とかわして階段の屋根から飛び降りる。ディランは素早く雷の魔法を駆り出したが当たらない。剛健な弓を持ってそんな動きをするなんて並の人間ではない。
そして彼は再び詠唱すると、あらぬ方向へと矢を放った。それは砦の門の前に落ちる。次の瞬間、それまで全く動かなかった敵勢が一斉に動き始めた。
「合図か! くっ……お前の矢はその馬鹿の一つ覚えみたいな水をやめたら少しは当たるかもね!」
ディランは煽るように吐き捨てると魔法を当てることを諦めた。ティリスに目配せをして剣を引き抜くと氷の魔法を込めていく。冷気が柄まで伝ってくると彼は駆け出し、ティリスも同時に下へと向かう階段へと走り始めた。
「あっ待てよ! 女を殺すのも仕事なのに!」
追いかけようと駆け出した男の行手を分厚い氷の壁が阻む。振り返った男の前には剣に宿った氷よりも冷たい殺気を放つ魔法剣士が立っていた。
「ティリスには指一本触れさせない。君の相手は僕だ」
「あっはは! お前、意味わかんなくて面白いな! いいだろ、お前から殺してやる! この俺、フォティス・ヴァイロン様に殺されるのを喜ぶんだな!」
雪がちらついていた。彼らの距離はそう遠くない。そして、再びフォティスがつがえた矢が放たれたのを皮切りに、屋上での戦闘の幕は開かれたのであった──。
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