9. 発端
物音ひとつしない部屋の中、月明かりだけが差し込むそこに、密かに息を潜める者たちがいた。
目配せで動く彼らは魔導士の格好をしていて、中央のベッドを囲む。そして、それは放たれた。
ベッドを切り裂く風の音。凄まじい旋風に魔法を発動させた本人たちも目を細める。その中で寝ていただろう人間は、永遠の眠りについたに違いない。
切り裂かれた布や木の残骸が舞い散る中、魔導士たちの中で首を傾げるものがいた。
「おい、なんか変じゃないか?」
「変って……なにが」
「こんなになってるのに一滴の血も……」
その瞬間、彼らの会話を衝撃音が中断させた。今まで沈黙を貫いていた部屋の扉が突如として開け放たれる。
「エーフビィ・ファング!」
扉から先に飛び行ったのは剛健な縄だ。魔法使いの一人がそれに足を取られて倒れる。
「おいまずい、バレてた! 剣聖はここじゃない!」
その一言ではじまったのは魔法の応酬だ。部屋の中に押し入った薄い金髪の女性は守りの魔法でその全てを跳ね除ける。白い髪の男が続けて飛び込んだかと思うと、彼は恐ろしい棘のついたナックルで魔法使いに殴りかかる。
続いてエインとディランが加勢に入った。しかし魔法使いたちも必死だった。ハイデマリーの足元に鋭い風の魔法が襲い掛かる。彼女の足から血が噴き出て悲鳴が上がった、と同時に地を割る魔法がディランに襲いかかる。彼の足元は崩れ、巻き添えになってモーリッツも下の階へと落ちていった。
「くっ……強い」
並の傭兵や暗殺者ではないようだ。だとしたらなんなのか。ハイデマリーは雷を纏った魔法剣を振るうエインを援護しながら必死に考える。
──ジェダン国防軍?
考えうる中で最も最悪な候補。そして、彼女のその予想は次の瞬間、確信へと変化する。
彼らが掛け声を上げたその時、部屋の中は真っ白な煙へと包まれた。
目視できるは五匹の狼。先ほどまで猛攻をしていた魔導士たちはそこにはいない。そして、狼たちは勢いよく駆け出した。
「エーフビィ・ファング!」
ハイデマリーが放った捕縛の魔法は後一歩のところで素早い狼たちの足には届かなかった。彼らは部屋の扉から順に向かっていく。エインが一人の足を斬ったが他は外に出てしまった。
追いかけた彼が部屋を飛び出すと、狼たちはその歩みを止めていた。彼らの視線の先にいるのはティリスに剣を首筋に突き立てられた太った男の姿だった。彼は滝のような汗を吹き出して顔面蒼白だ。
「男に頼らねば何もできない女如きが……こんなことをして許されるとでも思っているのか!」
「そのまま返しましょうカールハインツ辺境伯。我が国の平和を脅かす隣国の軍に頼らねば私を殺すこともできぬあなたは、こんなことをして許されるとでも思っているのですか?」
彼の蒼白だった顔はみるみるうちに真っ赤なりんごのように紅潮していく。その手にはいつの間にか小さな炎の球が作られていて、自分の首筋の剣の存在も厭わず、彼はティリスにその魔法を放った。
しかしティリスの動きの方が早かった。彼の手の動きから逃れた彼女は炎の魔法と一緒に彼の腕を切り裂く。迸る鮮血と醜い男の叫び声。
「お、おいジェダンの犬ども……さっさとこの女を殺せ! 剣聖を引き渡せば私を助けてくれるという約束だろう!」
ボロボロの辺境伯の言葉を聞いて狼たちはティリスへと向かっていく。エインが剣に雷の魔法を込め直したその時、再び男の叫び声が砦の廊下にこだまする。その叫び声の元、黒い狼が辺境伯の首筋に噛み付いていた。
「助ける? そんな約束、した覚えはないな」
崩れ落ちる男の悔しそうな表情をみてその黒い狼は笑った。そして次の瞬間、彼も捕縛の魔法にその足を捕らえられた。
「これで全部ですね、よかった。辺境伯は、死んだのですか……。……っ!」
全ての狼たちに捕縛の魔法をかけたハイデマリーは、辺境伯を見て安堵し、怪我をした足のバランスを崩してよろける。それを支えたエインは神妙な面持ちで人の姿に戻った狼達を見遣る。辺境伯を殺した黒髪の男が口から真っ赤な血を吐きながらハイデマリーを見て笑った。
「……ふ、まさか俺たちを捕まえただけで終わりだと思ってはいないだろうな美人さん」
「どういうことですの? 剣聖暗殺のあなたたちの愚策はここで今潰えましたわ。本当は川の向こう側へ戻ってとても剣聖には敵わないと触れ回ってほしいところですのに」
「はは、教えてやろう、これが始まりだ。今頃この砦には沢山の仲間が入ってきてる。俺たちは危険因子の剣聖を先に潰しておきたかっただけだ。数人捕まえたところでお前たちはもうすぐ終わりってわけさ」
「まさかそんな……でも川の向こうにはなんの動きも」
「敵がどこから向かってくるかは先入観で語っちゃいけないぜ、お嬢さん。そこに転がってる汚ねえ豚に聞いたらいいさ……あ、もう聞けないんだっけ」
黒髪の男がニヤリと笑って、ハイデマリーが蒼い顔をしてティリスを見遣る。ティリスはカールハインツの成れの果てを見て一筋、冷や汗を流す。
──そして、砦の廊下に激しい爆音が響き渡ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます