8. ハイデマリー

 近くにいた団員にこの砦の責任者の居場所を聞いてティリスたち三人は食堂へと訪れていた。堅牢な砦にしては大きなそこは、この場所の規模の大きさを窺える。

 シュピーリエはディクライットの中でもとりわけ大きい砦だ。近くに大きな商業都市トーテがあるのも理由だが、まだ存在していたシェーンルグドとの国境も近かったここは過去幾度も戦乱の危機に晒された場所なのだ。

 食堂の中、一番奥で何やら会話をしていた騎士団員の二人はティリスの姿を見つけると駆け寄ってきた。

 薄い金髪の女性はマントをつけた魔法部隊の姿だ。制服の胸元には攻撃をしない癒魔法専門部隊である金色の証がきらりと光っている。彼女がこの砦の最高責任者、ハイデマリーだ。隣には彼女の直属の部下である白髪の背の低い男が並ぶ。二人は軽く挨拶を済ませると頭を下げる。

「ハイデマリー、モーリッツ。お疲れ様。久しぶりね。シュピーリエにきたのは二年ぶりだわ。……あら?」

 ティリスが見遣ったハイデマリーの顔には傷が残っていた。まだ新しいそれは殴られたようなアザになっている。

「ハイデマリー、その顔はどうしたのですか?」

「なんでもないですわ」

「……何かあったなら話してください」

 ティリスの表情は彼女を叱責するものではない。純粋な心配の感情だ。黙ったハイデマリーの代わりにモーリッツが口を開く。

「ティリス様、私はもう我慢なりません。ハイデマリーが癒魔法部隊で抵抗できないのを知っていてあの男は」

「モーリッツ、黙りなさい!」

 ハイデマリーはすごい剣幕で彼の言葉を遮った。苦虫を噛み潰したような顔でモーリッツは俯く。

 どう見ても普通の状況ではないそれについての言及を避けるように、周りの騎士団員たちも黙って俯く。

「……大体把握しました。ことが済むまではその傷は治さない方が良いでしょう。それで、ジェダンとの状況はどうなっていますか?」

「……私のことは気にしないでくださいまし。状況は膠着状態です。川の向こう岸には着実に兵力が集まっていますが、攻めてくるような様子は見られません」

「そうですか、後ほど私も砦の状況を確認します。あと……しばらくこちらに滞在するわ。どこか部屋を借りても?」

「ご用意がありますわ。モーリッツがご案内いたしますが、お連れ様は……」

「別がいいわね。彼らは一緒で大丈夫だから」

「承知致しましたわ。少し離れた場所になりますが大丈夫ですか?」

「ええ、構わないわ。荷を下ろしたらまた来ます。ありがとう」

「……ではご案内いたします」

「モーリッツ」

「なんでしょう」

「くれぐれも余計なことは」

「わかってる。……悪かったよ……さぁ、行きましょう」

 再度念押しをされたモーリッツは怒られた子供のような態度で三人の移動を促す。砦内の異様な光景に、三人は不穏な空気を感じ取りながら案内された部屋へと腰を落ち着けたのだった。




 砦から見える景色はもうずっと変わらない。広い川の向こうに落ちてゆく夕日は砦の最上階に立つ薄い金髪の女の姿をオレンジ色に染める。

 川の周りには蜘蛛のような形の真っ赤な花が咲き乱れている。それは蜘蛛百合シュピーリエと呼ばれるもので、この砦の語源になったものだ。風で揺れるそれが川の流れのようにゆったりと揺れていく。

「いつになるか……ティリス様が来ても状況が好転するか」

「ハイデマリー」

 不意にかけられた声にハイデマリーは振り向く。そこには騎士団長のマントをつけた美しい女性が立っていた。前にあった時とは何かが少し違う、その違和感を彼女は口にした。

「ティリス様……髪の色、もっと紫でしたよね?」

「……いろいろあってね。こちらが本当の色」

 髪の色が変化してもなお美しい騎士団長は儚げに微笑む。そこにはなにか、一言では表せられない深い理由があるのだろう。騎士団長と剣聖、二つの大きな称号を背負う彼女の重荷は一介の騎士団員では理解しかねるものだ。

 しかしその真っ直ぐな瞳は髪の色が移ろっても変わることはない。ハイデマリーは初めて彼女と会ったその日から、その芯のある姿にひどく憧れていた。

「それにしても。食堂にいないから随分探したわ。なぜこんなところに?」

「すみません。……景色を、見ていたのです」

「シュピーリエの川を?」

「ええ。……この川の向こう側はジェダンの領域です。そこに彼らの姿が見えたら」

「衝突は近い……ね。トーテの方にも手紙は届いていたわ。向こうの数は」

「ざっと四百ですわ。向こう側に潜入している団員からの連絡だと、いつ彼らが川を渡ってきてもおかしくはありません。剣聖が砦にいると言う情報はもう流しています。これで考えを改めてくれるといいのですが」

「私一人の名で、どうかしら……。でも、これまでよく頑張ってくれたわ。この砦はジェダン側の様子が掴みにくい。それを一人で守護は大変だったでしょう」

「いえ、騎士団員としてなすべきことしているだけです。戦えぬ私についてきてくれる部下たちは、かけがえのない存在ですわ」

「そうね。大丈夫、あなたはみんなに慕われているわ。だからこそ今の状況は……いえ、まずは衝突が始まらないことが一番ね」

「そうですね。……ティリス様、あなたがきてくれただけで幾分か皆の士気が上がったように見えますわ、本当にありがとうございます。さぁ、砦をご案内します。以前は構造の話などはできませんでしたから」

 まだ若い騎士団員の女性はその薄い金髪を靡かせて微笑んだ。仲間の補助や傷を癒すことに専念するために攻撃を禁じられた癒魔法部隊の証が、夕日に照らされてきらりと光った。

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