7.砦へ
その日は晴れていた。
「でも、よかったですよね。闇の魔物はいないみたいで。これで少し安心です」
丘が折り重なったシュピーリエ丘陵を歩くエインは、薄紅色の毛並みを持ったスペディを駆りながら口を開く。
「ええ、そうね。ディランが全て倒してしまったのかも……でも、砦の方はそうも行くかしら」
「薔薇の魔女は試作品と言ってた。彼女を一人倒しただけで終わりではない気がするけどね……それで、砦には何の用があるんだっけ」
「ジェダンの国防軍が国境付近に集まっているんです。牽制のためにティリスさんが呼ばれました」
「なるほど。剣聖の仕事ってわけだ。フィリスさんもそう言う話時々してたよね」
不意に母の名を呼ばれたティリスは少し目を細める。彼女は先代剣聖の母を超え、そして二代目剣聖となったのだ。
「私はどちらかと言うと団長業務の方が多いけれどね。母さんは今でもたまに呼ばれてるみたい」
「そうだ、ティリスさんとお母様の剣舞祭の試合、本当にすごかったんですよ! 先輩にも見てもらいたかったなぁ」
エインはまん丸の目をきらめかせて口を開く。その様子はまるで子犬のようだ。
「魔映写とかで残してないの?」
「あー! どうだろ、城の書記官が記録に残してるかもしれないです!」
「自分の試合を見られるのは恥ずかしいのだけど……」
「今はティリスが大トリでしょ? 毎年みんなに見られるよ」
「うーん……」
ティリスは悩ましそうに目を伏せる。どうにも見せ物のような感じがして苦手なのだ。母を越えようと必死で剣舞祭に参加していた時はそんなことは気にならなかったが、毎回その剣舞祭で最後の大舞台を任せられるとしたら話は別だ。
ふと彼女が乗っている馬を見て、ディランは首を傾げた。
「ティリス、そういえばスイフトはどうしたの?」
スイフトはかつてティリスが乗っていたスペディの名だ。優しい性格の彼をティリスは誰よりも可愛がっていたのだ。それなのに何故。
「スイフトは、引退したの」
「えっ」
「スペディって、馬よりも寿命が短いでしょう? もう高齢だからなかなか長旅にもついて来られなくなっちゃって」
「そっか……」
自分がいない間にティリスの周りも変わっているのだ。その変遷を少し遠く感じる。
ディランの気持ちを知ってか知らずか、エインは自分の乗ったスペディの背を撫でる。彼によく懐いたその獣はぶるると鼻を鳴らした。
「先輩、ダルパという街、知ってます?」
「ダルパ? えっと、ディクライット領内の街だよね。名前は聞いたことあるけど行ったことはないな」
「そう……スイフトはそこで生まれたの。今は故郷で、ゆっくり暮らしてる」
「なるほどね、よかった。その子は?」
「この子はユーゲン。長旅が得意な子よ。でも最近は決まった馬には乗らないの。……さぁ、見えてきたわ、シュピーリエ砦よ」
自然に作られた国境である川のほとりに建造されたその砦は少し歪な形で、三人を出迎えるように佇んでいた。
「ティリス様……ようやくきてくださったのですね。騎士団員の方とあと……そちらは」
砦の門番の男はディランを見るとティリスの顔色を窺う。元騎士団員の男は今、ただの旅人に過ぎないのだ。
「彼は協力者です。身元は私が保証します。ハイデマリーに伝えておいてください」
「かしこまりました。……お気をつけて」
すんなり砦の中に入った三人は門番の言葉に首を傾げる。エインはまん丸の目を少しの不安に曇らせて砦内を見渡す。
砦は無骨な作りで、石造りの壁と床が広がっている。居住用というわけではなくどちらかというと兵士の詰所だ。それもそのはず、ここはアウステイゲン騎士団にとっての軍事拠点、そして国を守る最前線の場所である。
「先輩、さっきの気をつけてって……」
「これはこれは! 剣聖ティリス様ではありませんか! その品のない男たちは取り巻きですかな? ご丁寧に二人も連れてわざわざこんなところまで、ようこそおいでくださいました!」
開きかけたエインの口を閉ざしたのは声の大きい男だった。豪奢なマントをつけて首や腕には宝石が散りばめられた装飾品をジャラジャラとぶら下げていて、その腹には装飾というには見るに耐えない肉が蓄えられていた。
「カールハインツ辺境伯。お久しぶりです。お変わりないようで。ハイデマリーはどこにいますか?」
カールハインツ辺境伯。彼はこの砦を含めた西方の地を収める領主だ。しかし、騎士団直属の砦内には彼の部屋こそあれど、実質的な主導権は騎士団にあった。
その最高責任者の名を呼んだティリスの言葉を無視して、辺境伯は下品な笑みを見せる。
「まぁまぁそんな焦らず。ついたばかりですし、どうですか、お茶でも一杯。あなたのようにお美しい方と飲むお茶はきっと美味いでしょう」
「……残念ですが、お気持ちだけいただいておきます。早急にハイデマリーに事情を聞きたいのです。彼女の居場所を教えてください」
辺境伯に手を取られかけたティリスはするりとかわすと笑みを返す。全ての嫌味を無視して事を急くティリスにカールハインツの舌打ちが飛んだ。
「チッ。女が……」
反応しそうになったディランをエインが無言で引き留める。ティリスは未だその笑顔から表情ひとつ変えない。
「カールハインツ辺境伯、この砦の指揮権はハイデマリーにあります。教えていただけないのであれば自分で探します。ありがとうございます」
それだけ言い残して彼女は去る。ディランは辺境伯を睨みつけ、エインは深々とお辞儀をした。そしてその場には顔を真っ赤にしたカールハインツのみが残ったのだった。
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