24.流星の下、再会の日

──年に一度、ディクライットには星が降る。


 その日も星が降る夜だった。幾度目かのそれは、もう何度も二人で見た空だ。二人は毎年少し小高い丘まで足を運んで星を見る。

 まだ降りはじめない星はキラキラと夜空を煌めかせている。瞬く星々は暗い夜空に散りばめられた硝子のようだ。

「それで、そのときアメリアがね」

「ああ、幽霊と勘違いしたってやつ」

「そうそう! 大騒ぎで大変だったのよ。上官に報告するかまで言うんだからあの子」

「あはは、アメリアらしいや」

「でしょう? ふふ、まだ降らなそうね。もう少しかしら」

「そうだね……ねぇティリス、見て」

 たわいのない談笑の中、不意にディランは夜空に向かって手をかざす。首を傾げながらティリスが顔を上げると、ディランは集中する。


──それはとても美しい魔法だった。


 星が煌めく夜空を埋め尽くすように、氷の結晶が広がっていく。美しい結晶の模様が空に少しずつ広がり、その冷気が夏のディクライットの夜に煌めいた。

 ティリスの深い緑色の瞳にはその輝きが映っている。彼女が体を寄せると温もりが広がって、組んだ腕の先で互いの指が絡む。

 このままずっと、この景色が、この温もりが永遠に続いていくような。そんな錯覚すら覚えるような刹那。

 その透き通った結晶を広げていく氷の奥には尚も輝く夜空が見えている。その輝きの中に一筋、流れるものがあった。

 流れる星が何処かへといってしまうその時。広がっていた氷の結晶が一斉に弾け、ディランは何かを握りしめた。辺りは氷の煌めきが散っていて、この世のものとは思えない幻想的な光景だった。

 青年は振り向くと微笑む。それは愛する人へ向ける笑顔だ。彼女の手に握りしめたそれを渡すと、彼はそれを開いて見せる。

 白い金属に彫られた細やかな模様。所々を彩るのは彼女の髪の色と同じ澄み渡った空の碧だ。それはディクライットでは婚姻の約束をするときに贈るものだ。

「やっぱり。とっても似合ってるよ」

 首飾りを纏ったティリスは笑顔を綻ばせる。それは大輪の花のようで、贈られた首飾りに負けないぐらい可憐だ。その笑顔から、答えは明白だった。

 星はもう降りはじめていた。流線を描く星々の元で、彼らは永遠を望み言葉を綴る。それはどこにでもある幸福へと至る一節。されどその瞬間だけは世界の誰よりも幸福だ。そんな気持ちが二人を包んでいくのだった。


*****


 目を閉じた青年は安らかな寝息を立てている。ティリスはその若葉色の髪を撫でて目を細めた。

 彼の事情は仲間達から全部聞いた。自分が何も知らずにこの長い年月を過ごしてきたことが恥ずかしくて、悲しくて、そんな自分の不甲斐なさに怒りすら感じる。

 でもきっと彼は私が事情を知ったとしても一人で行っただろう。どんな時も自分が真っ先に重荷を背負おうとする。そう言う人だ。

 九年前、ある日から自分の髪の先が紫がかっていることに気づいた。元々は混じり気のない青なのに不思議だと思いながら数年。

 段々とその範囲が広がっていることには気づいていた。でも元の色が視認できなくなるほどになった頃にはもう気にしなくなっていた。それが魔女にかけられた呪いの印だなんて思っても見なかったから。

 今は元の群青色で、いまでは逆に違和感のあるその色に、彼が本当に救ってくれたのだと言う実感が湧く。

 もう三日。薔薇の魔女アルベルティーネとの死闘に勝利してから、彼は眠り続けたままだ。ガクが命に関わるような傷を閉じてくれたらしいが、だからといって万全の状態というわけではないらしい。

 握った彼の手は暖かかった。もう二度と会えないかもしれないと思っていた彼が生きていてくれただけで嬉しい。その気持ちはあの最悪の再会を果たした時から変わらない。

 でももし彼がこのまま目を開かなかったら。そんな嫌な想像を押し込めるように自分も目を閉じた。少しだけ眠ったら一度仲間たちの元に戻ろう。今後の務めもある。私は私情で動くことのできる人間では、もうないのだ。

 ふと、握っていた手の中で、彼の指がぴくりと動いた。その手は私の手を握り返している。

「ティ……リス…………」

「ん……」

 少し眉を顰めて彼が目を開けていた。透き通った朝の海色の瞳。吸い込まれそうなその瞳と目が合った。

「ディラン? ああ、目を覚ましたのね! ……私……!」

 目頭が熱い。彼の手を両手で包み込むと、頬を熱い涙が流れていく。

「私、みんなからすべて聞いたの。あなたが私のためにどんなつらい思いをしてきたか。あの朝の私、何もわかってなかった。なのに私、あなたを傷つけてしまうようなことばかり。本当に、本当にごめんなさい……!」

「ティリス……」

 せきを切った水溜のように言葉は流れ続ける。何を伝えたいか、考えていたはずなのに頭は真っ白になって、何か言わなきゃと、ただそれだけで口が開いていた。

 そんな私を彼の暖かい腕が包み込む。

「ティリス、謝らないで。これはすべて僕が決めてやったことだ。僕がどうしても君を失いたくなかったから、一番先に相談するべき君に何も言えないで城下町を出た。君がこんなに長い間僕を思って待っていてくれたのに、あの朝酷い嘘をついて君を傷つけたのは僕だ。謝らなければならないのは、僕のほうだよ」

 彼の言葉が終わる前に私が我慢できずにくすりと笑うと彼は不思議な顔でこちらを見返す。首を傾げた姿は子供の頃によく似ていて、私はまた笑った。

「それならわたしたち、おあいこね」

──おあいこ。

 幼いころ。喧嘩をするときは大抵どちらも意地を張りあって終わらないことがほとんどだった。きっかけは何にせよ、そんなときはどっちかが折れないと終わらない。

 そんなずっと続くような小さな喧嘩。それを見かねた彼の母がこう提案してくれたのだ。それならおあいこにしてしまいましょう、と。喧嘩をながびかせてしまったのはお互い様なのだからどっちも悪くて、どっちも悪くない。

 それからはどんなにひどい喧嘩をしても私も悪かったな、とその言葉で終わりにしていたのだ。そんなの変だという人もいたけど私たちの間に限ってはそれで十分だった。喧嘩なんてやめてまた仲良くしたい。そんな言葉を素直に言えない私たちの、合言葉。

「でも、今のは喧嘩じゃないよ」

「ふふ……そうね。でも、おあいこよ」

 また私は笑った。彼も釣られて微笑み、二人の笑い声だけが部屋に響く。

 彼のそのまっすぐな目を見つめると、彼は少し戸惑ったように私を見つめ返した。そして、ずっと言いたかった言葉を、綴った。

「おかえり、ディラン!」

 満面の笑み。彼とこれからも一緒にいたい。そんな気持ちを込めて。再び彼の暖かい腕が私を強く抱きしめ、唇が触れる。その温もりが離れた時、彼もこれまで見たことない笑顔を見せていた。

「……ただいま!」

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