23.幼年の想
ただの幼馴染への親愛。それが恋心に変わったのは一体いつのことだっただろうか。
それは幼き日の出来事だ。
「なぁ、今日はあっちの方まで行こうぜ!」
いつもの三人。かけっこをしていた彼らの中、太陽のように赤い髪の少年、チッタが目を輝かせてそう言ったのがきっかけだ。
ディランは深い青の瞳を少し揺らして口を開く。彼はいつも模範的だ。
「あっちは街門の外だからお母さんたちに知られたら怒られるよ。今日はロナがお家にいるからフィリスおばさんは着いて来れないし」
ディランには一つ下の弟、ロナウドがいたが、体が弱く一緒に遊べないことも多かった。彼らが遊ぶ時にはティリスの母フィリスが見守ることがほとんどだが、ロナの体調が悪い時はそういうわけにもいかないのだ。
「大丈夫、ちょっとだけならバレないって! な、ティリスもそう思うだろ?」
「うーん。言いつけを破るのは悪いことだけど……外って少し気になる。綺麗なお花畑があるって聞いたの」
まだ出たことがない街の外への好奇心、それは言いつけを破る怖さよりも勝っていた。そうしてディランも二人に説得され、三人は街の外への探検へと繰り出したのだった。
「で、どうする?」
「どうするって……うーん」
三人の子供は頭を悩ませる。街の外に出るには街門を潜らなければいけない。しかし、そこは騎士団員が二人で門番をしている。どうやって彼らを出し抜こうか、そう考えていたのだ。
街を囲む壁は高く大人であっても登ることはできない。子供ならなおのことだ。
「僕に考えがある」
口を開いたのはディランだ。彼は見ててと言って三人で家の裏に隠れた。すると門番二人が驚いたように街の中に走っていく。
「いまだよ!」
彼の掛け声に背中を押されて子供たちは一斉に走り出した。うまく騎士団員の目をくぐり抜けた彼らは振り返ると感嘆の声を上げる。
「ディラン魔法使えたんだな! あれなに、こおり?」
騎士団員の二人が眺めているのは大きな氷塊だった。街中に急に出現した氷を見てしまっては不審がるのも当然だ。今頃誰が作り出した氷なのか捜索が始まってるころだろう。
「最近覚えたんだ。さ、見つからないうちに行こう」
「魔法って学校で勉強するやつだろ! 学校行ってるわけじゃないのにすげー! 俺にも教えて!」
目をキラキラさせて詰め寄るチッタにディランは一歩後ずさる。
「えーティリちゃんならまだしもチィに教えるのはめんどくさい」
「なんでだよ!」
「チィ、ディル君、早く行こ。門番の人たち戻ってきちゃう」
ひとまず持ち場に戻ることになったのか団員がこちらを向こうかというころ、ようやく子供たちはその場から走り去ったのだった。
街の外の森を駆け回ったり落ちている植物や岩で遊んだりしていると、気づけばもう外は日が落ちかけていた。
「そろそろ帰らないとだね」
「うん、夜になったら外に出てなくても怒られちゃう」
帰宅の相談をするティリスとディランに、チッタがむくれた顔で口を開く。
「えー、もう帰るのかー? もっとあそぼうぜ〜」
「だって夜は危険だって、お母さんが」
「大丈夫! 外には魔物がいっぱいいるからダメってお母さんも言ってたけど、全然いな……うぇっなにこれ!」
チッタは何か粘着質なものを手に取るとくっつけたり引っ張ったりして遊んでいる。その後ろをみてティリスは悲鳴を上げた。
「く、蜘蛛! チィ!」
「わ! でか!」
「驚いてる場合じゃない! 危ない!」
ディランが焦ってチッタの手を引くと彼が立っていた場所に蜘蛛の足が突き刺さる。子供の背丈ほどあるそれは八つの目をこちらに向けると鳴き声をあげた。それは到底普通の蜘蛛が出すようなものではない魔物のものだ。
子供たち三人は悲鳴をあげると一斉に走り出す。
「どうしよう、どうしよう!」
ティリスは涙目で走るがその足元はおぼつかない。木の根に引っかかって彼女が派手に転ぶとチッタとディランは立ち止まった。
「ティリちゃん!」
チッタが魔物に石を投げて気を逸らせた隙にディランはティリスの手を掴んで立ち上がらせた。また走り出した彼らは段々と森の奥深くまで追い詰められて行く。
「あそこに窪みがある! 隠れよう!」
ディランの一言で三人はちょうど子供が隠れられそうな岩の影を見つけるとそこに身を潜めた。魔物は近くを探しているようだ。チッタはきょろきょろと辺りの様子を窺っている。
「チィはもう変身できるんだっけ」
「ん? できるよ!」
ディランの突拍子のない質問に元気に答えた彼は白い煙に包まれて狼の姿へと変化する。
「よかった……まだ走れる? たぶんあの魔物から走って逃げ切れるのはチィだけだ。それに狼の姿なら森の中では目立たないでしょ? 僕はティリちゃんとゆっくりここから離れてみるから」
「! わかった! 誰か呼んでくる!」
ディランの言いたいことをすぐに理解したチッタはそのまま勢いよく駆けて行った。
「僕らもすぐでないと。……ティリちゃん?」
みるとティリスはぽろぽろと大粒の涙を流していた。外遊び用のワンピースの裾はちぎれ、先ほど転んだ時に擦りむいた膝からは血が滲んでいる。
おおよそこのままここから移動するのは難しそうだ。ディランは泣いているティリスの背中をさすると自分の服の袖を破き始めた。
「……ディルくん、なにしてるの?」
「ちょっと待ってて」
少年は破いた服の布をティリスが擦りむいた足に巻き付けるとしっかりと結んでいく。
「これで大丈夫」
「ありがとう……でも、ディルくんの服が」
「きにしないで。実はこの服気に入ってなかったんだ。お母さんには内緒だよ?」
ディランはそう言って微笑んだが、ティリスはそれが余計な心配をかけまいとする嘘だというのがわかっていた。彼は母親に汚れるからやめなさいと言われてもこの服ばかり着ていたのだ。ティリスの目からは再び涙がこぼれ落ちる。
「ティ、ティリちゃんごめん、僕結ぶの下手だったよね。痛かった?」
「ちがうの……ディルくんが優しいから…わたし、足引っ張ってばっかりで……ごめんなさい、はやくいこ」
ティリスは涙を拭いて立ち上がるとディランの背後を見て悲鳴を上げた。
「どうしたの?」
魔物の叫び声。間一髪飛び退いたディランがいた場所には魔物の鋭い足が突き刺さっている。
「っ……エーフビィ・アイジィ!」
集中できていないディランの手からは微々たる量の氷しか生まれない。非力な少年と少女は段々と窪みの奥に追い込まれていく。
「ティリちゃん、僕がどうにかして気を逸らすからその隙に!」
「でもそれじゃディルくんが!」
「いいから!」
ディランはティリスから離れて落ちていた石を投げつけた。しかし彼の思惑とは別に駆け出そうか迷っているティリスの方に魔物は向かっていく。
「ティリちゃん!」
少年は考える前に飛び出していた。ティリスの前に立ち塞がった彼の左腕に魔物の鋭い牙が刺さる。飛び散る鮮血。
「ディルくん!」
血に興奮した魔物が少年を仕留めようと脚を大きく振りかぶったその時、聴きなれない音が響いた。
魔物の叫び声、黒い煙に変化して消えていくその後には魔物が絶命した嫌な匂いだけが残っていた。
狼姿のチッタが飛び込んできて、その後にはティリスによく似た女性が剣を携えて入ってくる。その顔は焦りに満ちていた。
その後のことは正直よく覚えていない。傷ついたディランを急いで家に運んで彼の両親が飛んできて、気づいたら私たちは長い長い説教をされていた。
でもこれだけは確実だ。必死に守ってくれた彼を自分にとって特別な存在だと思い始めたのはあの出来事がきっかけだった。
彼の両親が亡くなった時も、彼のそばにいて、少しでも支えになりたいと思った。彼が他の女性と親しくしているとくだらないヤキモチを妬いたりした。
そんな若い日の甘酸っぱい日を繰り返して、私たちはようやく結ばれたのだった。
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