22.薔薇の最期

「キリがない! どうする!」

 黒い魔物たちはいまだエインたちを襲っていた。それは彼らを足止めするには十分で、魔女がいる最奥にはまだ辿り着けそうにない。

「多分後もう少しです!」

 エインが倒した魔物の奥からさらにもう一匹が飛びかかる。馬乗りになられたエインは腕を切り裂かれて悲鳴を上げる。チッタが横から魔物の首に噛みつき、それは絶命して黒い液体へと変化した。

「大丈夫か!」

 ガクは駆け寄ってエインの腕を取った。血まみれのそれに精霊の力を使うとみるみるうちに傷は塞がっていく。

「何度見てもすごいですね、ありがとうございます! チッタさん!」

「おう!」

 エインの声かけに応じてチッタは交戦していた魔物から飛び退く。直前までチッタがいた空間を電光が貫いた。凄まじい音と共に魔物が絶命する。

「これで全部だ。行くぞ!」

 エインたちは走り出した。大きく開ける場所にたどり着くかつかないかと言うころ、ディランの声が聞こえて来る。

 決意の名乗り、必ず彼女を倒すと言う意志を聞いて、魔女は不敵に微笑む。

「面白い。どのくらい楽しめるかな」

「ディラン!」

 ようやく辿り着いたチッタ達はその入り口を見て彼の名を呼ぶ。ディランと魔女が対峙している広場の入り口には茨が生い茂っていた。

「このままじゃ入れないです、避けて!」

 エインが焼き切ろうとしたその瞬間、魔女が広場の外を見て、悍ましい笑い声をあげた。

「はは、はははは! 面白いプレゼントを持ってきたなぁ!」

 変なことをいう魔女にディランは眉を顰める。

「なんのことだ」

「私が欲しいもの、知っているんだろう?」

 その言葉を聞いて、ディランは振り返ると目を見張った。ガクと目があったその瞬間、なぜか茨の上にさらに氷の魔法がかけられる。完全に閉じられてしまった広場の入り口を叩いてチッタが叫んだ。

「嘘だろ! ディラン何してんだ!」

「わかりません、でも……」

「何してるんだ、中に入るぞ!」

 ガクは炎で氷を溶かし始める。中ではディランがなぜか闇の魔物ではなくそこらに散っている氷の塊めがけて光の魔法を放っている。それは至る所に反射し、闇の魔物たちが叫び声をあげた。

 ディランは怯んだ彼らの頭を狙い、氷の魔法が宿った刃を振り下ろしていく。一匹、また一匹と闇の魔物は倒れていった。魔女の瞳は怒りに燃えていた。

「お前……! 私の試作品を……!」

「試作品ということは、まだ完成していないんだな。お前の仕事が遅くて助かったよ」

 彼は続けて闇の魔物を屠っていく。エイン達はまだ入り口で立ち往生しているが、魔女は彼らが氷を溶かしたり茨を切ったりすることに気を取られているようだった。

 その度に彼女は再びツルを伸ばし、隙がある。いつ魔女に一撃を与えようか、タイミングを見計らっていたその時、魔物の中の一体が怒声のような咆哮を上げた。

 何かの合図か、周りの闇の魔物達がそれに応えるように咆哮をあげ、彼らは一斉にディランに向かっていく。

「っ……あんなにたくさんの魔物、ディランさんだけじゃ捌けないよ、早く」

 ガクは再生し続ける茨を焼き切って広場の中を見た。隙間でもいいからひらけば、少しでも手助けができるのに。と、その時ディランが突飛な行動をする。

「エーフビィ・ヴァッサー!」

 彼は水の魔法で敵全体を覆った。魔物の中に滑って身動きが取れなくなったものもいたが、それだけではあの量の魔物の足止めにはならない。一体何をしているのか。

「エーフヴィ・アイジィ!」

 続けて氷の魔法を放った彼の魔力を得て、魔物たちを覆った水が勢いよく氷に変化する。 足を取られ、動けなくなるもの。滑ってうまく前に進めないもの。ディランに向かって行く魔物の数は格段に少なくなった。

 ガク達の手を借りるまでもなく、闇の魔物は確実に数を減らしていく。そうしてついに、最後の一体となったのだった。


「ディランすげぇ! あいつ一人であんなに倒してる!」

「このままいけば魔女も……!」

 広場の光景を見て三人が喜んだその時、不意に入り口の茨の数が減った。そして次の瞬間、彼らはその意味を理解する。

 ディランが剣を持っていた右腕に、無数の茨が巻き付いていた。尖った棘は皮膚に食い込み、鮮血が流れる。広場に彼が落とした剣がぶつかる金属音がこだまする。

 彼は腕に巻き付いていた茨を炎の魔法で焼き切る。しかしその腕はきっと折れてしまったのだろう、だらんと下がっている。床に巻いていた氷ももう溶けていて、最後の闇の魔物が彼に飛び掛かろうと宙を舞っていた。

 闇の魔物に馬乗りされたディランはその魔物の瞳に魅入られて動けない。彼の腹に魔物が噛みつき、エインがそれを見て叫んだ。

「先輩! ディラン先輩!」




 エインの叫び声でようやくディランは我に帰った。痛みにうめきながら左腕で魔物の脳天に肘鉄を喰らわせる。

「エーフビィ・ドナー!」

 雷の魔法。それの絶命する音が響き渡る。ドロリとした赤黒い液体がディランの体を覆い彼の血なのか闇の魔物の成れの果てなのかわからない。

 彼はフラフラと立ち上がるが周りには魔女の茨が残っている。それが彼の行動を阻み、命を絡め取るのは時間の問題だ。

「あのままじゃディランが死んじゃう!」

 チッタは少しだけ隙間が空いたがまだ茨が残る入り口を勢いをつけて通り抜けようとする。怪我をするのは明らかなそれを制止してエインは声を上げた。

「これはディラン先輩の戦いです! 手を出さないでください!」

 エインの言葉を聞いたディランは何かに気づいたようだった。彼は茨の間を縫って転がった剣を折れていない左手で掴んだ。そして端が破けたマントを素早く床に広げる。

「なんだあのマント、中に紋章が」

「ああやっぱり、先輩はすごいです……」

 マントの内側に細かく刻まれた魔法陣。その中心めがけて彼は剣を突き立てる。

 次の瞬間、彼の姿は氷の壁で見えなくなった。しばらくの沈黙。しかしその氷の壁が、溶けてしまうその瞬間、ディランが叫んだ。

「エーフビィ・メラフ!」

 その声に反応して茨の主である魔女の方角から信じられない量の水が放出される。しかし、ディランがいる場所からは放ったはずの炎の魔法ではなく、代わりに青色の電光が迸った。

 水を伝う電撃。魔法が当たらずとも、衝撃で弾き飛ばされた魔女が壁に叩きつけられた。それと同時に茨が一斉にディランに向かって行く。

 もうエイン達はただその光景を見ているしかなかった。魔女との激しい戦闘は他の誰かが割って入れるものではない。

 ディランは水の魔法を自分にぶつけると目を瞑った。そして向かってくる茨全てに向かって最大火力で炎の魔法を放った。

 焼き尽くされる茨。エイン達は開いた入り口から広場の中に入ることができたが、ひどい煙で何がどうなっているのか全くわからない。

 魔女とディランの声だけが広場に響く。

「ふ……ようやく私の近くまでたどり着けたようだな。だがどうする? その腕では剣は振るえない。そしてお前の魔法は私には当たらない。……お前は今ここで死に、あの方の復活を邪魔するものはいなくなる。そして私は……」

「少し黙っていてくれないか。あなたにつけられた傷が痛むんだ」

「そんなもので私を殺せると……」

 魔女の声ののち、金属音が響く。ディランが剣を捨てたのだ。煙が落ち着き、ようやく視界がひらけた彼らはその光景に固まってしまった。

「そうだな。これじゃあお前を殺すことはできない」

「遂に負けを認めたか。素直なのはよいことだ。そうだ。お前もあの方の贄にしてやろう。あの男を使えば闇の王は復活する。そうすればお前は」

 なおも話し続けようとする魔女をディランは左腕で抱きしめたのだ。

「なにを」

「……この距離じゃ避けれないでしょ」

 ディランの背後には鋭い氷の刃が浮いていた。それは今にも彼らを貫こうとしている。魔女の瞳は恐怖の色に染まっていた。必死に逃れようとする彼女を彼は押さえつけた。

「や、やめろ、いいのか、お前まで……! 私はまだ!」

「薔薇の魔女アルベルティーネ。もうやめよう、僕の勝ちだ。さようなら」

 ディランは笑う。そして氷の刃は彼と魔女を貫いた。





 この世のものとは思えないほど悍ましい叫び声が広場にこだまする。それを聞いてようやくエイン達は我に帰った。

 若く美しかった魔女の姿はみるみるうちに年老いた老婆へと変化して行く。骨と皮だけになったそれが彼女の本来の姿か、その変化は止まることを知らずに彼女は黒い灰の塊になるとさらさらと崩れていく。

「先輩! ディラン先輩!」

 決死の一撃で魔女を倒した青年は広場の端に横たわっていた。周りの床の血溜まりはゆっくりと広がって行く。

「馬鹿です、あんな無茶! あれじゃ自殺と一緒じゃないですか! これで死んじゃったら許しませんからね!」

「そうだぞ! ティリスを泣かせたらもう一回殴るからな!」

 チッタやエインが叫んでも返事はない。ガクは駆け寄ると傷口を探す。背中から腹まで貫通した傷からはどくどくと血が流れ続ける。その姿は一目見ただけで助かるはずのないものだった。

 ガクは精霊に向かって言葉をかけたが彼の手から光が溢れないのを見てエインは得意でない癒しの魔法を詠唱する。

「ハイレグト、ジィ・ハイレグト……いやだ、先輩……ハイ……レ」

 エインの詠唱は彼の流す涙でかき消える。元からそれは死にゆくものに効果がないものだ。チッタは呆然と、再会したばかりの幼馴染の命が失われて行くのを見ていた。

「どうしたら、どうすればいいんですか……僕は……」

「命をかけて宿敵を討ち取った彼がここで死んでしまうなんて、そんな報われないことがあっちゃだめだ。絶対」

 俯いていたガクは決心したように顔を上げた。彼の目は血潮のように赤く染まっていてた。その姿はどこか神秘的で、精霊そのもののような力を放っていた。

「精霊さん。命を見守る精霊さん。彼はここで命を落とすなんてことがあってはならない人間です。長い長い孤独な旅の途中たくさんの人を救い、たった一人の女性のために愛を貫いた彼の傷をどうか癒してください。どうか」

 彼の祈りはそれ以後も長く続いた。しかし倒れた青年の血は流れ続けている。

 精霊の力をもってしても、失われゆく人の命を救うことはできないのだろうか。そんな諦めを含んだ沈黙が広がり始めたそのとき、ガクの手から優しい緑色の光が漏れ出でた。それはゆっくりとディランの体を包み込んでいく。

 長い長い癒しの光だった。ようやくおさまったそれを確認するとガクは再び口を開いた。

「これで傷は塞がったはず。でも血が流れすぎてしまったから目を覚ますかどうかは……あとはディランさん次第……」

「ガクさん……ありがとうございます。……ガクさん?」

 返事がしなくなったガクをエインが見やると、倒れた彼をチッタが担いでいた。その目はいつも明るくふるまっている彼より、よっぽど鋭いものだった。

「急に倒れたんだよ。とにかくもどろう。ここにはもう用はないだろ」

「そうですね……戻りましょう。そしてティリスさんに、会わなくては」

 倒れた二人の男を担いで、二人の青年は血で汚れた魔宝石の洞窟を後にすることになったのだった。

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